枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

塩飽水夫の誇り・・塩飽諸島、本島の街で

2012-04-22 | 古いもの、昔の人
          本州岡山と四国香川が最も接近した水道、備讃瀬戸と呼ばれます。
          潮流がぶつかり、潮湧く風情から名付けられたという塩飽(しわく)諸島があり
          ます。(現在は香川県丸亀市の所属)
          今は、その島の間を瀬戸大橋が渡っている所・・といった方が分かりよいかも。

          織田、豊臣から徳川幕府までの朱印状を得て、自治を許された650人の船方衆
          がいたそうです。その男たちは大名に対し「人名(にんみょう)」と呼ばれ、中から
          選ばれた「年寄」が島の政治を行っていました。
          塩飽諸島の中心、本島にその政所、塩飽勤番所と船方衆が住んだ街があると
          聞いて訪ねました。1798年に建てられた勤番所は立派に保存されていました。
          展示物も豊富。咸臨丸も・・幕末の万延元年(1860)、日本人の手で初めて
          太平洋横断を成し遂げた咸臨丸の水夫50人のうち35人が塩飽出身者だった
          そうです。
          島の東部、笠島地区には、江戸、明治の町屋の面影が色濃く残る街並が残され
          ていました。

          沖近く見える瀬戸大島の橋影の巨大さ・・ 街を歩いて会う人の少なさ・・
          本島の今の人口は600人ほど、ここも過疎化が進んでいるといいます。
          美しく保存された街並。通りの向こうは突然の海。それゆえに一層寂しさが募る
          ような塩飽、本島の風景ではありました。