明治4年の廃藩置県によって中央政府より任命された府知事、県令が各府県に
派遣されました。各府県では、当初は既存の建物を県庁舎として使っていましたが、
開明的な県令は、先を争うように洋風の新庁舎を建設するようになったと言われます。
この三重県庁舎は、明治9年県令岩村定高によって企画され、明治12年に完成したもの。
設計は、地元三重県の大工、清水義八を中心に進められました。
間口54mにも及ぶ大建築で、玄関を中心に、二層のベランダを廻した、左右対称の
構成で、これは明治9年竣工の東京大手町の内務省庁舎に倣ったもの。
構造は木造で、内外とも柱を見せない漆喰塗大壁。屋根は桟瓦葺き。
玄関、ベランダに並ぶ円柱は、古代ギリシャ・ローマの神殿を模したもので、アーチ型
の入口とともに誠に優雅。扉や窓の枠縁は「木目塗り」で塗装されているのです。
建物内は、明治20年に改築された知事室、大広間(彩の間)が再現されています。
赤い絨毯、白いカーテン、豪華なシャンデリア、輝く床、机・・
明治の勢いに満ちた地方行政の香りが、匂ってくるようでした。
(昭和41年明治村に移築。)











派遣されました。各府県では、当初は既存の建物を県庁舎として使っていましたが、
開明的な県令は、先を争うように洋風の新庁舎を建設するようになったと言われます。
この三重県庁舎は、明治9年県令岩村定高によって企画され、明治12年に完成したもの。
設計は、地元三重県の大工、清水義八を中心に進められました。
間口54mにも及ぶ大建築で、玄関を中心に、二層のベランダを廻した、左右対称の
構成で、これは明治9年竣工の東京大手町の内務省庁舎に倣ったもの。
構造は木造で、内外とも柱を見せない漆喰塗大壁。屋根は桟瓦葺き。
玄関、ベランダに並ぶ円柱は、古代ギリシャ・ローマの神殿を模したもので、アーチ型
の入口とともに誠に優雅。扉や窓の枠縁は「木目塗り」で塗装されているのです。
建物内は、明治20年に改築された知事室、大広間(彩の間)が再現されています。
赤い絨毯、白いカーテン、豪華なシャンデリア、輝く床、机・・
明治の勢いに満ちた地方行政の香りが、匂ってくるようでした。
(昭和41年明治村に移築。)










