枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

雄大な力の現れ・・極楽山浄土寺、浄土堂

2012-09-20 | 古い神社や寺で
          緑から今や黄金に変わる水田の中の道を行くと、やがて小高い丘の上に三角形の瓦屋根
          が見えてきます。これが、国宝中の国宝として名高い極楽山浄土寺、浄土堂(阿弥陀堂)。
          そして中には光輝く阿弥陀三尊がおわします。
          ここは兵庫県小野市浄谷の地。
          浄土寺の実質的な開山は、鎌倉時代の初め東大寺の勧進職にあった重源(ちょうげん)
          によるといわれます。
          開山当時より今にそのまま残る浄土堂の建立(1192頃)も重源が直接指揮したもので、
          自ら中国(当時は宋)留学で習得した最新の建築技術を適応したもの。
          (その建築様式は、わが国ではそれ以前の和様、後に主流となる禅宗様に対して
          大仏様(だいぶつよう)と呼ばれます。純粋な大仏様の建物はいずれも重源の手になる
          東大寺南大門とこの浄土堂の二つしか現存しません。)
          その建築技術の確かさは、建立時から大修理が行われた昭和32年までの約770年間
          一度も解体されることなく持ち応えたことからもうかがえることでしょう。
  
          桁行三間、梁間三間、単層、殆ど反りを持たない宝形造本瓦葺の屋根。
          三間といっても柱間は20尺という大堂なのです。
          太い丸柱から何本も突き出る挿肘木が深い軒を支えます。堂内部は更にダイナミックな
          大空間、露出した構造材、虹梁が放射状に展開しています。
          このシンプルさ、雄大さこそ大仏様の特徴なのでしょう。
          真言僧であった重源は浄土信仰も併せもち、自らを南無阿弥陀仏と号していたという・・
          堂の軒瓦一つ一つにそれを刻んだことにもその思いが覗えましょうか・・

          現在無住の浄土寺は、隣接する塔頭寺院から人が来て、その内部に入れて戴けます。
          5.3mの金色の阿弥陀像。背後の蔀戸を開け放てば、そこは夕日の沈む西方浄土。
          堂内は真っ赤に染まるといいます。阿弥陀仏を拝しながら、その情景を心の内に
          思い描くのです。