この本堂は、昔、吉野山と大峯山を含んで金峯山寺と呼ばれた頃より、
大峯山(山上ヶ岳)本堂の「山上の蔵王堂」に対し「山下(さんげ)の蔵王堂」
と呼ばれてきました。
高さ34m、奥行、幅ともに36m。木造の古建築としては、東大寺大仏殿に次ぐ
規模と言われます。入母屋造、桧皮葺、二層のように見えますが、実際は
一層で中間の屋根(庇)は裳階(もこし)と呼ばれます。
内部の建材に残る銘から江戸時代の前、1592年豊臣家の寄進により建立
されたことが判明。
蔵王堂の前に立つと、その壮大さ、年を経た木魂の織りなす迫力に圧倒されます。
原木をそのまま使った巨柱。過剰とも思えるほどの装飾を施した間斗束や蟇股
は安土桃山時代の特色であるのかもしれません。
堂内には秘仏として、金剛蔵王権現三体を安置。中尊は7mを越す巨像と
いいます。中尊が釈迦如来、脇が千手観音、弥勒菩薩を本地とし、過去、現在、
未来を象徴すると伝えます。
不定期に開帳される蔵王権現は、青色鮮やかなお顔に憤怒の表情明らかな
それは恐ろしいお姿といいます。この寺で、これまで見て来た仁王門も仁王も
本堂も、周りの吉野の桜さえも変遷の世に棲む仮の姿であって、この蔵王権現
の姿こそきっと古の金峯山寺ではないか・・とふと思ったりしたものでした。









大峯山(山上ヶ岳)本堂の「山上の蔵王堂」に対し「山下(さんげ)の蔵王堂」
と呼ばれてきました。
高さ34m、奥行、幅ともに36m。木造の古建築としては、東大寺大仏殿に次ぐ
規模と言われます。入母屋造、桧皮葺、二層のように見えますが、実際は
一層で中間の屋根(庇)は裳階(もこし)と呼ばれます。
内部の建材に残る銘から江戸時代の前、1592年豊臣家の寄進により建立
されたことが判明。
蔵王堂の前に立つと、その壮大さ、年を経た木魂の織りなす迫力に圧倒されます。
原木をそのまま使った巨柱。過剰とも思えるほどの装飾を施した間斗束や蟇股
は安土桃山時代の特色であるのかもしれません。
堂内には秘仏として、金剛蔵王権現三体を安置。中尊は7mを越す巨像と
いいます。中尊が釈迦如来、脇が千手観音、弥勒菩薩を本地とし、過去、現在、
未来を象徴すると伝えます。
不定期に開帳される蔵王権現は、青色鮮やかなお顔に憤怒の表情明らかな
それは恐ろしいお姿といいます。この寺で、これまで見て来た仁王門も仁王も
本堂も、周りの吉野の桜さえも変遷の世に棲む仮の姿であって、この蔵王権現
の姿こそきっと古の金峯山寺ではないか・・とふと思ったりしたものでした。









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