福岡県田川市。昔、炭鉱があった街、今その場所は石炭歴史博物館になっています。
遠くからでも2本の大煙突が見えます。これは、竪坑の動力として用いた蒸気機関の
排煙用煙突、明治41年の設置です。
今は用も無く立ちつくし、寂しそうです。
近くには竪坑の捲揚機も見えます。
博物館には、明治、大正、昭和にわたった手掘りの様子や機械堀りの装置が
展示されています。
屋外に再現展示された炭鉱住宅は特に目を惹きます。
炭鉱ができたため街が開かれた。ここはそんな場所です。職住近接は炭鉱に働く人
を募るための条件でした。炭坑の厳しい労働条件の一方で、住宅を始めとする
厚生福祉施設は整っていた所が多かったと言われます。
炭鉱に勤務する管理部門の職員と現場作業の鉱員の住宅には大きな差があった
とも言われるのですが、ここに見る昭和期の住宅は当時の一般の住宅事情から
見ても決して悪くないと思われます。
私が、昭和30年代、土門拳の「筑豊のこどもたち」で見た「炭住」のイメージとは
離れたものがあります。少なくとも、ここではそのように展示されています。
大煙突を振り仰ぎながら、少々の戸惑いを感じておりました。
大煙突
手掘り坑道の様子
炭鉱住宅
遠くからでも2本の大煙突が見えます。これは、竪坑の動力として用いた蒸気機関の
排煙用煙突、明治41年の設置です。
今は用も無く立ちつくし、寂しそうです。
近くには竪坑の捲揚機も見えます。
博物館には、明治、大正、昭和にわたった手掘りの様子や機械堀りの装置が
展示されています。
屋外に再現展示された炭鉱住宅は特に目を惹きます。
炭鉱ができたため街が開かれた。ここはそんな場所です。職住近接は炭鉱に働く人
を募るための条件でした。炭坑の厳しい労働条件の一方で、住宅を始めとする
厚生福祉施設は整っていた所が多かったと言われます。
炭鉱に勤務する管理部門の職員と現場作業の鉱員の住宅には大きな差があった
とも言われるのですが、ここに見る昭和期の住宅は当時の一般の住宅事情から
見ても決して悪くないと思われます。
私が、昭和30年代、土門拳の「筑豊のこどもたち」で見た「炭住」のイメージとは
離れたものがあります。少なくとも、ここではそのように展示されています。
大煙突を振り仰ぎながら、少々の戸惑いを感じておりました。
大煙突
手掘り坑道の様子
炭鉱住宅
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