岡山県、中国山地の懐深く、標高550mの山に囲まれて、古い町屋が建ち並ぶ街吹屋があ
ります。
江戸時代から明治にかけて中国筋第一の銅山の町として、江戸後期からは、特産品として
のベンガラの生産が重なり大いに賑わったと言われます。ベンガラ(弁柄)とは、酸化第二鉄
を主成分とする赤色顔料の慣用名で、陶磁器の赤絵、漆器の色付け、衣料の下染め、家屋・
船泊などの塗料として使われ、この吹屋では、昭和40年頃まで生産されていたのです。
これらの銅や鉄、ベンガラは、かつては、荷馬に負われ成羽へ、そこから高瀬舟で瀬戸内海
に面した玉島の港に集められ、上方や西国に運ばれたと言います。吹屋は、これら経由地
の繁栄をももたらしたのです。
そんな吹屋の町を訪ねるのは、以前からの願いでした。成羽の市街からは、山道に近い狭い
車道を辿ります。
山の向こうにポッカリと現れた町は、100年の時を遡った、ベンガラ色の夢の町でした。





ります。
江戸時代から明治にかけて中国筋第一の銅山の町として、江戸後期からは、特産品として
のベンガラの生産が重なり大いに賑わったと言われます。ベンガラ(弁柄)とは、酸化第二鉄
を主成分とする赤色顔料の慣用名で、陶磁器の赤絵、漆器の色付け、衣料の下染め、家屋・
船泊などの塗料として使われ、この吹屋では、昭和40年頃まで生産されていたのです。
これらの銅や鉄、ベンガラは、かつては、荷馬に負われ成羽へ、そこから高瀬舟で瀬戸内海
に面した玉島の港に集められ、上方や西国に運ばれたと言います。吹屋は、これら経由地
の繁栄をももたらしたのです。
そんな吹屋の町を訪ねるのは、以前からの願いでした。成羽の市街からは、山道に近い狭い
車道を辿ります。
山の向こうにポッカリと現れた町は、100年の時を遡った、ベンガラ色の夢の町でした。





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