二月。旧暦ならば、如月という美しい日本語。陽の降り注ぎぐあいは、なんかもう、旧暦。
予定していた、2月初めの西表島は、リベンジの島横断が地元メンバーが十六日祭のご先祖様のお正月のためそろわず中止となったことから、やまねこマラソンや星空撮影キャンプも合わせ取りやめた。来年はどうだろうか。
関西を中心に新型ウィルス騒動が広まってきたので、2月末の大坂でのみゆきさんコンサートとその後、予定している四国の自転車旅、どうなるのだろう。先が読めない。
宮澤賢治にお似合いのBGMのことを、あれこれ思い巡らしていたら、たまたま武満徹の音楽が、「春と修羅」の詩にかなうものであると感じた。真打登場の感がある。BGMもさることながら武満作品自体が、現代音楽は難解だという既成観念にとらわれず、流れゆく雲や星空の静かな運行を、茫然と眺めながら聴いていれば、次第に、地球の音、宇宙の音、森羅万象のささやきのように鳴り響いてくる。音楽を聴くだけで、「春と修羅」を読み進めながら味わう得体のしれない感覚と、共通するものがある。
そういえば、武満徹、二月に旅立ったんだよね。いまさらながら、Wikipediaで確認したら1996年2月20日(65歳没)とあった。(あぁ、今のオイラと同い年・・・ 合掌)
こないだのように思っていたら、もう四半世紀がたつのか。1996年、賢治が生きていれば生誕100年の年だったね。
ついでに、作品録をたどっていくと、「あっそうか!」むかし、NHKで観たことがあるあれだ。銀河鉄道の夜の朗読劇に流れていた音楽。あの、どうしようもなく郷愁を誘った音楽、あれ武満さんの作品だったんだよね。「ジョバンニの銀河1983」というやつ。
「やっぱ、武満さんもつながっていたんだ。」
結ばれた糸はオイラの脳内地層に埋もれていて、何かの拍子に、地表に現れた。Youtubeにその番組がアップされていたので、37年ぶりに視聴。やっぱり、賢治と武満、ジョバンニとカムパネラのような間柄だったんだ。
御嶽の稜線にかかる満月(2019・9・14)
1992年「そしてそれが風であることを知った」
1983 NHK「ジョバンニの銀河」背景音楽