昨年の北帰行の整理中、鳥取から福井県若狭(小浜)に向かう旅を、京都府舞鶴の一泊だけで省略したことには、後悔している。
鳥取砂丘付近から丹後半島までは、山陰海岸ジオパークというユネスコ認定の自然海岸が広がっているし、若狭地方には訪問した国宝の明通寺や神宮寺ばかりでなく歴史ある名刹が集中している。
鳥取から丹後半島を周遊して若狭を味わうと1週間ぐらい時間を要するのだろうが、ジオパークにはトレイルロードも整備されている。自転車か歩きかはその時考えるにして、できるだけ早い機会に再訪したい。
しかしなぜ、1日で鳥取から舞鶴まで大半を鉄道でワープしたのか。孤高の登山家、加藤文太郎氏のお墓参りを起点に丹後半島まで2、3日サイクリングしようかと思って、自転車を走らせたのはいいが、思った以上の海岸線のアップダウンに、1日で音をあげたからに違いない。雨が降ってきたのをいいことに、城崎温泉手前の駅で山陰線に飛び乗って、福知山駅から舞鶴駅にワープしてしまった。反省を込めて、あらためて旅に出よう。
そんなにも、この地域は、麗しく魅力的な地域であり、心残りなのである。
北帰行 2019 4月7日 兵庫県浜坂 4月8日 福井県若狭
浜坂の海
加藤文太郎墓碑銘
「冬山登山中 槍ヶ岳 北鎌尾根ニテ 遭難ス 昭和11年1月6日 加藤文太郎 享年31才」
と刻まれている。
若狭 明通寺の桜
明通寺 本堂(国宝)に登る階段
明通寺 三重塔(国宝)
浜坂にある孤高の登山家加藤文太郎の墓を再び訪ねるが、墓所も忘れ、案内標識も取り外されていたので、迷い、土地のものに聞いてやっと行く着く。墓石に、文太郎昭和11年、妻の花子昭和57年享年と記されている。47年間、文太郎を思いながら生きていたか花子さん。
〇 北鎌に 逝った男の 故郷の 墓探せなく 彷徨ひつづく
〇 文太郎と 妻の花子の 星めぐり 47年(しじゅうしちねん) 浜坂の閨(ねや)
若狭の国分寺、明通寺、そして神宮寺を訪ねる。神宮寺の住職より、神宮寺の井戸の水が奈良東大寺のお水取りに使われていること、若狭は、朝鮮語の「行き来」を意味するワカシ、奈良も朝鮮語の「国」を意味するナラが語源であること、若狭と奈良は南北に一直線で結ばれていることなどが講釈があった。
その後、他の情報源から、福井の若狭神宮寺、京都の鞍馬寺、奈良の東大寺、和歌山那智大社は、いずれも火祭りがあって、これらの寺も南北一直線で結ばれることなどを知った。すこし謎めいた糸で結ばれているが、そのいわれをこれから調べていこう。
百済から持たされた仏教文化が、日本の古代宗教とどのように融合し、ヒトと文化の往来があったのか。時間の旅路もまた興味深い。
〇 わかさなら くらまにくまの ひとすじに うみわたりこし ほむらつらなる
若狭奈良 鞍馬に熊野 一条に 海渡り来し 炎連なる