かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

時の地層

2020-02-05 09:38:43 | 日記

たとえば、地質年代で「新世代・鮮新世」に区分される300万年前から堆積した地層が、1年に1cmづつ積もるとして、3万メートル地下に、300万年前に生きていたメタセコイアの化石が眠る。今のわれわれは、そのメタセコイアのあったところから3万m上空に住んでいると想像することもできるし、地球に反射した光の300万光年の先に、青いメタセコイヤが風にそよいでいると想像することもできる。

約230万光年旅すると、われわれ天の川銀河のお隣、アンドロメダ大星雲に行きつくという。いまアンドロメダ座の膝あたりにボヤっと見えている「さかなのくちのかたち」の雲は、鮮新世の地層に眠る化石のようなものなのかもしれない。このアンドロメダから放たれる光の光源をたよりに光速で旅をすると、あちらの世界の地球と似た惑星で変な生き物たちが遊んだり、戦ったりしている姿を見ることができると想像することもできる。やがて、人工生命体に埋め込まれた「人類の英知」は、100万年という時間を100時間にも置き換えらながら旅するのであろう。今、眠りから覚めれば、第二の地球(浄土とも楽園とも称される)に着陸するところである。

彼の残したものを読み進めると、宮澤賢治というヒトは、地球の日本のイーハトーブの花巻という小さな街に住んでいながら、地球の奥底や宇宙空間の果てに至る「時の地層」という第四次元を自由に行き来しながら、あのような物語や詩を作ってたいたんだなと、なんか愉快になる。

宗教とフィールドワーク、加えて当時の科学的知見の吸収が、第四次元を大循環する賢治ワールドという物語創生の礎となったのだろう。返す返す、何とも不可思議なヒトなのである。


北帰行 2019.3.22 沖永良部島

  (沖泊)

  くさはらに くさいろてんと  波は春 

  (田皆岬)

  春の岬 案内文字は 時に消され 灯台の灯は 朝に消される

  銀輪の 異音はどこから来るのかと 北緯二十七度の 波音を聴く

                                かぜねこ

                            

     

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四国の輪行準備は体力から

2020-02-05 09:38:43 | 日記

半年ぶりに青葉城まで走ってくる。坂道は、息が切れたので歩いた。体重増加は自覚されるが、走って脂肪のだぶつき感はないので、「修復可能」と言い聞かせたい。

家でダンベルとスクワットを少しやって、汗ばんでから外に出る。やはり、歩くより走る方が、「βエンドルフィン」が脳内に湧き出すのかな、よっぽど遅く走ってみても、気持ちがいい。

45歳のとき、走り始めた動機も「気持ちがよかった」からなので、再開した今、「気持ちいい」は、これからの日課とする動機付けになるのかもしれない。今日も1時間走って、缶ビールしよう。(これも、気持ちよろし。)

体力回復の真の目的は、おおまかには、今シーズンの山歩きのための基礎体力作りなのであるが、まず急がなければならないのは、2月末からの四国周遊自転車旅に向けた調整だ。

今回は、仙台~大阪、往復飛行機、大阪~徳島、往復高速バスとなり、四国に折り畳み自転車アカンマくんを運び、できれば徳島に戻るまで、四国周遊は、交通機関を使用せず、アカンマを漕ぎつくしたい。上り坂は躊躇なく押し歩きだ。自転車でへたってはいられない。

ルートは、四国八十八カ所全寺院、主要山岳9座登頂以外には決まっていないが、ほぼ四国一周の旅となるであろう。ひと月程度で周りたいが、どうなることやら。しかし終盤は花盛りの街や山を過ぎるのだろう。

ヘリテイジの軽量テント、モンベルの寝袋・マット、プリムスのガスカートリッジ・コッヘル最低限のキャンプ道具と雨具・防寒具・わずかの衣類、カメラと簡易三脚・充電器、スマホ・キャッシュカード・保険証、ファストエイドキット、簡易空気入れ・自転車チューブ・オイル、補修キット、これらを運ぶザックと耐水バック、

昨年春の北帰行で学んだので、荷物は必要最小限の徹底軽量化、食べ物やお酒はコンビニ等で現地調達。4、5日に一度は安宿を見つけて入浴・ヒゲソリと充電。四国は、温泉に乏しく、日帰り入浴があまり期待できないが、寒い時期あまり汗もかかんだろう。

さて、気になるのはパンデミックであるが、あと20日後、どうなっているのだろう。

海行かば 水漬く(みずく) 屍(かばね)

山行かば 草生す(くさむす) 屍(かばね)  ♪


 

  2019年3月21日未明  那覇の宿のドアを閉めて北帰行に旅立つ

 

 

銀輪に 夢なき夢を 積み終えて 那覇のホテルの ドア閉される

 

那覇ふ頭 十六インチの車輪押し デッキに登る 影のうすさか

 

朝七時  南西諸島に手を振りて 別れる朋も 街も消えゆく  

                                  かぜねこ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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賢治18歳の歌は、未来予言歌だったのか

2020-02-05 09:38:43 | 日記

宮澤賢治は、盛岡中学校を卒業した18歳の年(大正3年・1914年)、次の二首の歌を詠んでいる。

① なつかしき 地球はいづこ いまははや ふせど仰げど ありかもわかず

② そらに居て みどりのほのほ かなしむと 地球のひとの しるやしらずや

現代語に訳してみると

① なつかしい地球はどこに行ってしまったのだろう。もう、上を見ても下を見ても、どこにも見当たらない。

② 空の上に居て緑の炎を見ながらこんなにも哀しんでいることを 地球の人々は知らないだろうな

どうだろう、歌詠み人は、地球を離れる宇宙船(銀河鉄道)に乗り込んで、窓のここかしこから覗いても、ふるさと地球はもう姿が見えないこと、宇宙船の噴射炎か超高速空間移動による緑の閃光をみて、地球からどんどん離れていく哀しみを歌った歌に読めないだろうか。

オイラは、こないだの日記に、科学者の作成になる地球近未来予想の動画をみて、「2100年以降は、自己複製能力を身に着けたAIロボットがヒトの能力を超えて、やがて人類代が終わりをつげ、ヒトにとって代わった人工生命体が、異次元空間移動能力を備え、銀河系を旅し、次なるオアシスの地球を目指す」というストーリーをファンタジーか宗教書のように夢見心地に聞いた。

これを、オイラは、オイラなりのファンタジー(決して悲劇的結末を見ない物語)に読み替えると、人類は他の生物と決定的に異なるとされる「意識」を読み込んだDNAをマイクロチップ状のものに読み込ませ、これを人工生命体に埋め込み、この人工生命体が宇宙船(銀河鉄道)に乗り込み、次なる水と緑の浄土を備えた第二の地球を探す旅をする、旅日記となる。

この「意識」には、人類や個人の失敗を反省した歴史認識から、「絶望感」を「真・善・美」や「慈しみと平和」というものを詰め合わせた「幸福の予感」に書き換えられている。こんな、憧れに満ちた物語を、頭に描いて、年を重ねていこう。


現代科学の知見までに至らない100年以上前、まだ高校を卒業したばかりの賢治は、すでに100年後の科学者たちの画く人類の先を読んでいたということなのだろうか。驚きである。だとすれば、その後10年間の彼の旺盛な創作は、上記マイクロチップに読み込ませるテクストの書き込みということになのだろうか。

ただし、若き日の、この予言じみた歌。そこには、オイラのファンタジーと異なり旅人の踊るような心はないことに注意せよ。故郷地球がすでに視野にないことを哀しみ、閃光のように移動体が放つ緑の炎を見て哀しんでいる。

人工生命体の一部と化してしまった人類の哀しみなのだろうか。そのような感情まで、賢治という天才の心象に浮かんでいたとしたら、(コノカタハドコカノホシカラヤッテキタイセイジンダッタノカモシレナイ)。

山形県加茂水族館のクラゲ  人口生命体はこのような形なのかもしれない。

安達太良山のウラジロヨウラク 瓔珞は、菩薩様の装飾品。山の初夏は、この世の浄土だ。

石垣島夜明けの金星・水星、アンタレス(2019.1.18) 宇宙船「地球号」は、どこに向かうのか。

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