おとつい、吾妻小舎のオヤジさんに新野地温泉まで送ってもらって野地温泉~鬼面山~箕輪山~鉄山~安達太良山乳首~勢至平~奥岳とゆっくり彩られた山肌を眺めた縦走を楽しむつもりだったのに、寒冷前線が通過中らしく夜半から風が吹き止まず、ガスも晴れないので、最初のピーク鬼面山(きめんざん・1482m)で、あえなく撤退。
鬼面山の登りで、併せて10人くらいのヒトとすれ違ったが、皆「あきらめた」といいいながら降りて行ったので、「みんな意気地がないじゃないか、どれほどの風なんだ。オイラは行ってみるよ」と思いながら頂上に立ったが・・・・スゴスゴ退散。「たとえ行けたって、面白くもなんともない」と合理化しながら引き返す。くろがね小屋が満員なので予約できなくてよかった。へたに予約なんぞ入れていたら、箕輪山に向かったオイラがいたのかもしれない。
現在コロナ化で野地温泉までバスが走っていないので、土湯温泉までの17kの舗装道路を3時間かけて下る。紅葉のブナ林からまだ青いミズナラ林へと道路脇の林を観察しながらの下りは、決して単調でつまらない歩きではない。すべて下り勾配なので楽。土湯温泉で30分ほど日帰り温泉して、あわただしく3時前の福島駅のバスに乗る。
小舎脇のウサギ平から眺めた吾妻小富士の夜明けの雲。上空は晴れていたのに、雲が早く流れて行ったので風が強いと思ってはいたが、あんなに強いとは、おまけにガスってしまってはお手上げだ。
しかし、夜明けの風に乗って流れすぎていく雲たちが、こんなに色彩に富んで美しいとは。しばし見惚れていたよ。
深田日本百名山登頂の思い出 25 魚沼駒ケ岳(越後駒ケ岳・2003米)
現在、越後駒ヶ岳の山名が一般化しているが、深田百名山は古来からの魚沼駒ケ岳の山名を用いている。魚沼三山(駒ヶ岳・中ノ岳・八海山)の一山なのだから魚沼という正しい言い方をしたい。
この山に登ったのは早いほうで、メモに昭和50年10月(1975年)とある。大学のクラスメート4~5人と枝折峠から日帰りで登った記憶があり、みんなで撮った笑顔の写真があったはずだが、元来アルバムというものは作成したことがなく、何かの本に挟まったままどこかに行ってしまった。学生らしくワイワイガヤガヤ登った記憶がある。もう45年以上たってしまったが、社会の荒波に旅だつ前の屈託のない仲間同士の雰囲気と小屋があった小広い頂上の様子は、昔登ったどの山よりも覚えている。
三山のうち、中ノ岳には足を踏み入れていないし、そこから荒沢岳へのルートもできているようだ。駒ヶ岳の再訪と併せて行ってみたい遅くまで雪の残る草原と花の山域だ。
中央に見える銀山湖の左手に駒ヶ岳と中ノ岳のドームが遠望できた。(2021.8会津駒大杉林道)