5年ごとに開催されるショパンコンクールは、昨年開催の予定だったがコロナの影響で今年に延期されており、今日現在二次予選の結果発表まで進んでおり、セミファイナルの三次予選に進む23名のうち5名の日本人が発表されている。ファイナルまで行くと専門家も信じていたあの12歳でCDデビューしていた天才少年牛田智大(うしだともはる)さん(21歳)が三次予選に進めなかったのが大方の予想外で、牛田ロスのファンも多いことだろうが、気を取り直して5名がファイナルに進めるように応援していこう。
まったくの聴き手でしかないが、オイラ個人的には、日本人なら反田恭平さん、角野隼斗さん、小林愛実さん、あとロシアのNikolay Khozyainovさんに光るものを感じているが、みんなあまりにも素晴らしい技量と個性を有していて、他の三次予選進出者全員の演奏をろくに聴いてもいなかったので、偉そうなことは言えない。
三次予選は、よく知っているソナタと前奏曲集、ショパンの曲でもお気に入りのマズルカが課題曲となっているので、23名全員の演奏をネットでじっくり聴いて、誰が10名のファイナリストにふさわしいか自己採点してみよう。(半分以上当たっていたら、少しは聴く耳をもっているのかも)
しかし、いい時代になったものだ。ショパコン本選のライブが、家でお酒を飲みながら世界中の一流演奏家のライブが楽しめる。牛田さん、反田さんや小林さんのプロフィールでも分かるように、もうこのコンクールのコンテスタントたちは登竜門に向かうたまごたちなどではなく、どこの国でも立派に満員の聴衆を集めてコンサートを開けるようなアーティストたちなので、毎日家で寝っ転びながら無料でオンラインコンサートを聴かせてもらっていることになる。ありがたいことではないか。
まあ、でもこれだけ一時期にショパン作品を集中して聴いたら、もうお腹いっぱいになり、あと5年間はショパンに触れなくてもいいくらいだ。
オイラに言わせるとショパンは美しく、切なく、愛らしく、ダイナミックであるが、なぜかまったく「自然の風景」が目の前に現れず、「ヒト世界の喜怒哀楽(ホレタハレタの風景」だけが体をかけめぐる。シューベルトやバッハの世界とは別次元のパラレルワールドに流れている音楽のようだ。オイラだけの感覚だろうか。年老いたか。
ショパンコンクール二次予選結果(TabiMatchiさんHP)
深田日本百名山登頂の思い出 28 燧岳(ひうちだけ・2356米) 29 至仏山(2228米)
今年の夏、会津駒ケ岳への尾根道から登ってきたばかりの燧岳とその右隣りに至仏山が望めた。いずれも尾瀬を代表する山である。
地図では燧ヶ岳(ひうちがだけ)というが、深田さんが燧岳(ひうちだけ)と言っているので深田さんに倣おう。なお、深田さんは百名山の著書で鳥海山が東北の最高峰と書いているが、燧岳は、福島県桧枝岐村の行政区画に入っているので、燧岳こそ東北の最高峰である。
燧岳には学生時代の昭和53年(1978年)8月に登っている。
日光沢温泉~鬼怒沼~尾瀬沼と長大な道をテントを担いで歩き、尾瀬沼と見晴にテント場を求め、見晴から燧岳の最高点柴安嵓(しばやすくら)を往復しているが、双耳峰もう一方の俎嵓(まないたくら)まで行ってきたか記憶がない。翌日、三条の滝を見物して御池に回った。今年、43年ぶりに尾瀬沼のテント場から俎嵓と柴安嵓に登って、尾瀬沼と至仏山を懐かしく眺めて飽きなかった。今年は、長英新道を往復したが、燧岳から熊沢田代を経由し御池に到るコースが最も変化に富んで花が多いのだと聞く。近いうちに、このコースをたどり、この山にはもう一度登るのだろう。
尾瀬ヶ原の西端に聳える至仏山には、本格的に百名山完踏をめざしていた2004年ころ、そのころ住んでいた石垣島からやってきて、赤城山~皇海山~至仏山~武尊山の四山登頂の徒歩旅行で登っている。9月初めころだったと記憶している。テントは持参していたが、雨模様だったので山の鼻の小屋に一泊して、晴れた翌日、蛇紋岩のすべりやすい登山道を登り、尾瀬ヶ原の風景を楽しんだ後、笠ヶ岳を経由し、次の武尊山に向かっている。花の百名山なのであり、この山には次の機会、6月~7月初めに尾瀬に数日滞在したおりに再度登って、ゆっくりとした時間の中で咲き誇る花々との出会いを求めたい。