かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

山あいの湯治場の灯を消さないで

2021-10-29 17:27:33 | 日記

黄金のブナ王国の谷あいにひっそりと建っている昭和の、それもずいぶん前の昭和の残像のような湯治宿の自炊棟、その古びた木造の建物を名残惜しく立ち去る。もともと、この自炊棟の建物は、平屋も入れて四棟ほど建てられていて、往時は近隣の農民たちで、さぞや賑わいも見せていただろうが、今は、オイラが三晩泊まらせていただいた二階建ての一棟だけの営業となっていて、カギなんてもちろんない襖で仕切られただけの十部屋程度の区画に、オイラも含めて四組五名程度が宿泊していたにすぎない。

食事つきの本館については、ある程度の賑わい(それでも二、三十人程度か)を見せていたが、自炊棟は時おり台所の立ち話が聞こえるばかりで、ひっそりと静かなものである。

築何年になるのだろうか、オイラの泊まった部屋は入り口の襖戸に隙間が生じて、ストーブを消すとひんやりした空気が廊下から流れ込んで、寝ていたオイラの顔をなでた。カメムシもどこかから侵入してきて、覚えているだけで五回ほどテッシュで捕まえては窓の外に追い出した。階段のじゅうたんは埃が目立ち、人手がなくて掃除が行き届かないのだろうと思った。ホウキや掃除機が近くに置いてあれば客がやるだろうにと思った。宿賃が安いので、台所と同じくセルフサービスでいいではないか。

この建物も、あと何年もつのだろうか、ほかの三棟と同じ運命を迎える日は、それほど遠くないのかもしれない。

この宿が管理する湯は七つで、夏油川沿いに設けられた露天風呂は4カ所。酒のせいで深夜に目覚めたり、未明に体を目覚めさせたい時には内湯で時間を過ごし、陽が登れば瀬音と野鳥の時鳴きを聴きながら、露天にゆっくりと体を沈め、秋山の色合いを愛でる。とても熱い露天もあり、ほてって石床に上がれば、冷たい秋風が心地よい。

遠い昔から、日本のヒトたちは、こうした作法によって四季を感じ、時の移ろいとわが人生の来し方行く末を頭に描いたのだろう。

食事つきなんて何日も泊まれない。安い宿賃で連泊しながら心身をリフレッシュし、見知らぬ者ともこころが通じて、あれこれと話題が飛び交うのが自炊棟のいいところ。

焼石連峰へのルートに架かる夏油川の歩道橋は2014年に積雪のため崩落してからは、いまだ再建されていないが、来年中には工事が再開されるという。

オイラは元気なうちに、この宿をまた何度か訪れたい。今度は、ブナの新緑がまぶしい山菜の季節にやってきて台所で天ぷらやおひたしにして楽しもう。たくさん採れたときには同宿者におすそ分しよう。

橋が再建されたときには、この宿に前泊してから経塚山経由で焼石連峰に向かい、山中の避難小屋に一、二泊してまたこの宿に戻る。花の時期になったら、こんな計画もいいのだろう。

そんなたのしい夢を描いている間に、当旅館のホームページに「長年親しまれました自炊部は老朽化により今年で宿泊予約を休止します。」と告知されるのが心配。

自炊棟のある湯治宿は、言ってみれば文化遺産だ。農民の皆さんには忘れられたのかもしれないが、全国の登山愛好家、釣りびと、山菜マニアは、山小屋の素泊まり価格より低廉であって、お湯もふんだんに浴びられるこうした宿にもっと目を向けるべきではないだろうか。であれば、宿主は休業をしばらく思い留めるのかもしれない。

文化遺産の灯は灯し続けていてほしい。

       


深田日本百名山登頂の思い出  40 赤城山(あかぎさん・1828米)

赤城山には申し訳ないと思っている。2004年か5年ころ、ただただ百名山の一座をゲットしようという気持ちだけで、前泊した前橋市内から山上湖の大沼(おの)までバスに乗って、わずか2時間ばかりの歩きで最高峰黒檜山(くろびやま)山頂にいたり、大した感慨もなくそのまま次の皇海山に登るため、わたらせ渓谷鉄道の駅のある方向へいそがしく下っているからだ。赤城山の魅力をほとんど体験しないまま通過している。ただただ山に申し訳ないし、深田さんの言っていた「大きなプレイグランドでの逍遥」を味わっていない。

残った人生、行きたい山や行きたい山域がそれほど山のようにあり、オイラが今後赤城山に足を伸ばす機会はほとんどないのだろう。ただただ、申し訳ないと思っている。あとは、北陸新幹線などに乗った機会に高崎あたりから見えてくる「他に例を見ないようなのびのびとすそ野を引いた稜線」を脳裏にしっかりと刻んでいこう。

        

      

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