かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

地球人ロミが最期に見た地球の風景

2021-10-15 15:38:16 | 日記

手塚治虫先生(どうして宮澤賢治を賢治さんというのに、手塚治虫には先生といいたくなるのか)のライフワークである火の鳥・望郷編は、近未来に地球の離れ小島の自然の中で育ったロミという女性が、島にやってきたジョージという男性と結ばれるが、人口爆発寸前の地球を抜け出してエデン17という星に移住することからはじまる。

その間の長いストーリーは省略するが、何百年後、エデン17星の女王となっていた年老いたロミは、望郷の思いがつのり、機構(システム)と法律(おきて)ばかりで人間味のない(今のどこかの国に似ている)地球に戻ってきたが、不法移民として追われる身になる。余命が二、三時間となった時点で逃げのびた場所が、生まれた島のように自然に満ち溢れたところで、ロミは、山に落ち行く夕日を見ながら、長い人生を終える。

いっしょに地球にやってきたコムという半地球人の子との最後の会話を少し再現すると、

ロミ「コム よーく見ておきなさい・・こんなに美しい場所がほかの星にあって?」

コム「・・・女王様のふるさとは もう信じられないくらいすばらしくて・・たとえば・・」

ロミ「ブナの木にかこまれて クローバーの花が咲き乱れて そしてどこまでもすみきった空 」

ロミ「それから夕日!」

ロミ「どんなに 地球が荒れはてても このすてきな景色は 永遠に伝説として残るわ」

コム「永遠に?」

ロミ「ええ永遠に」(涙)

コム「ぼくたち幸せですね」

まんが火の鳥は人類の歴史と永遠の命をテーマにした気宇壮大な物語で、手塚先生の最高傑作とも評される作品だが、結局永遠の命(もしかしたらAIにはめ込まれたDNAチップで実現するかもしれない)の獲得よりもほんとうのしあわせはロミのような死に方なのだと、手塚先生はロミをとおして語っているような気がしてならない。

福島駅のバス停のおばあさんのように「なんで山にいくの?」と尋ねられたならば、少しきざな言い方だが

「いいじゃないのしあわせならば」と答えたい。

       

        

         2019年10月末の夏油温泉のブナ森


深田日本百名山登頂の思い出    30 谷川岳(1963米)

古いメモには昭和53年7月(1978年)に登ったとあり、古い1枚の写真には武能岳をバックに蓬峠に立つおいらが写っているので、土樽駅から蓬峠に登って谷川岳のオキの耳とトマの耳(本峰)に行ったことは間違いない。ただし、人生の記憶において、あの長い階段の地下駅土合駅から乗り降りした映像がよみがえらないので西黒尾根や天神尾根から下山したのではないようだ。だとすれば、ずうっと南の尾根をたどって谷川連峰の最高峰仙ノ倉山(2026m)を登って、平標山に抜けたのか。確かに平標山の雪に降られたテント場の記憶はあるが、それは二度目の谷川山行なのか、あやしい、あやしい。

とにかく、谷川連峰は、昭和54年(1979年)に社会人になってからまったく立ち入っていないことはたしかだ。今年は、再訪の機会を逃した。ゆっくり、気のすむまま歩いて、土合駅にも立ち寄ってみたい。それと、魔の山谷川を象徴する一ノ倉の大岩壁というものも仰いでみたい。

       

       

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