かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

色づき最悪というけれど

2021-10-25 22:39:16 | 日記
温泉宿のオヤジは、これまでにない最悪の色づきだ。と、今年の紅葉を評したが、たしかにウルシやナナカマドの赤色は冴えないがブナやミズナラは輝きを放ちはじめているようだ。

明日からの、山歩きに期待。








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アンコマパン登場の季節

2021-10-24 18:22:21 | 日記

山は、急激に冬に近づいているようだ。そろそろ、山での行動中の弁当やおにぎりのごはんに冷たさを感じるようになってきて、ラーメンやパンとコーンスープなどを選択したくなってくる。

ただ、あたりが寒いのでお湯を沸かしているうちに体が冷えてきたり、時間ももったいないということで、日帰りの場合、このところはストーブを持参せず、熱いお湯をいれたサーモボトルを持参して、カップラーメンやパンとスープが定番になっている。

この場合、パンは何を選択するかだが、歌曲「あんこまパン」に習ったこともあり、このところはコンビニでこしあんがたっぷり入ったあんパンを買っていき、これにキューピーマヨネーズを塗って食べている。これだと甘さに酸っぱさとしょっぱさ加わって、アンの甘さが中和され甘いものばかりだけ摂った時の気分の悪さ(左党に多い)を解消してくれるし、何よりも糖質と脂質を摂取でき山での熱源補給に手っ取り早い。また、マヨネーズのチューブを持参しておけば、凍ることもないし、非常食として有効だ。

明日から、岩手に湯治をかねて紅葉のブナ林を歩いてくることにしている。ブナ林は黄金に輝いていてくれているだろうか。「あんこまパン」をかみしめながら、この年を慈しもう。

 

歌曲「あんこまパン」

 

          

 

 

 

 

 


深田日本百名山登頂の思い出   39 武尊山(ほたかやま・2158米)

2004年ころに赤城山~皇海山~至仏山~武尊山の百名山4座旅行の最後の山。至仏山から奈良俣ダム方向に下りてきて、バスで上ノ原登山口近くまで行って、時間的には登山口の駐車場あたりでテント泊したのだろう。どうも記憶がない。長い山歩きで意識もうろうとしていたのだろうか。

翌朝、最高峰の沖武尊に立って、剣ヶ峰山経由で裏見の滝方面に下り、水上駅から帰っている。ふもとの宝台樹キャンプ場に泊まってから翌朝水上駅に行ったのか、その日のうちに羽田空港近くまでいってビジネスホテル泊まって、翌朝の一便で石垣島にもどったのかこの辺の記憶も乏しい。が、飛行機の旅は、予約が原則なので後者の方だったかもしれない。水上で温泉に入ったという記憶がないので、バタバタと電車に乗ったのかもしれない。

武尊山で記憶にあるのは沖武尊と剣ヶ峰山頂を楽しんだことだけで、その過程の記憶が乏しいのは、やはり疲れていたのかもしれない。

深田さんは、1959年にご夫妻でオイラと同じ上ノ原からのんびり登り、家ノ串、前武尊と縦走し、苦労しながら川場尾根を下って、たぶん現在の武尊旭小屋に泊まって、翌朝川場温泉まで歩いている。この登山の様子は「わが愛する山々」に詳しいが、クサリ場やハシゴの危険個所がたくさん出てきて、志げ子さんの心胆を寒からしめたというくだりがあったので、オイラはそのコースを選択しなかったのだろが、深田さんが奥様を評されているように、オイラも天国の深田さんから「素人登山家」とイジられそうである。

 

         

 

 

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栗駒山冠雪の姿を見て

2021-10-22 18:31:00 | 日記

 

 

未明からのショパコン受賞者演奏会で2週間ばかり続いたモニター視聴は終わりを遂げたが、午前1時~6時ころまでのLIVEに付き合っていたら、明け方の寒さもあって、やや悪寒がしてきた。生活リズムに狂いが生じていた。もう早朝は10℃を下回るようになって10年前のようにジョギングのために屋外に出ることは躊躇される。老いたなあ。

昼のNHK仙台放送の気象情報で、青葉城跡から七ツ森方面の映像が映し出されていて、その背後に新雪をいただいた栗駒山が青空の下、くっきりと見えた。

それでは見に行きましょうと、午後からやや風邪気味ながら青葉山にスロージョグ。七ツ森の見えるポイントに立ったが、うーん残念。午後から雲が湧き出して、七ツ森の向こうの栗駒山の新雪は肉眼で何とか確認できる程度。

スマホのカメラで撮ってみたが、ほとんど新雪の姿は写っていなかった。

初冠雪かどうかは分からないが、もう栗駒山は須川温泉から上は雪が積もっているのだろう。雪が積もると1日2本の定期バスもそろそろ運休となり、栗駒山は来春まで雪に閉ざされることになる。

須川湖畔にテント泊しての紅葉ウォッチは来年に持ち越しとなった。もう雪の中でのテント泊は躊躇される。老いたなア。

 

     

   七ツ森の背後の栗駒山には、左右に少しだけ雲の色と違う白が確認される。あれが新雪なのだろう。

 

 


深田日本百名山登頂の思い出      36 男体山(なんたいさん・2486米)

                   37 奥白根山(おくしらねざん・2578米)

*ヤマケイは、日光白根山(にっこうしらねさん)と山名表示をしているが、深田さんに倣い奥白根山と呼びたい。

 

日光の男体山と奥院ともいわれる奥白根山を登りに行ったのは、2004年か5年の9月の初めころだったか。当時仕事のため住んでいた沖縄の石垣島から大きなダイビング用のキャリアバックにテントなどの登山用具をつめ込んで初日はまず中禅寺湖畔の宿に泊まった。バスで宿に着いた頃にはすっかり暗くなっていた。たぶん羽田までの直行便でも1日がかりの移動だったのだろう。

翌日は、荷物を宿に預けて、軽装のまますぐ近くの二荒山神社を登山口として男体山頂を往復した。たしか500円か1000円の入山料を神社に支払うことになっていたが、早朝だったので誰もいなかった。帰りに支払ったかどうか記憶にない。

山頂近くまで標高差1200m、ほとんど展望のない針葉樹林帯の登り一方であまり楽しくない登山だったと記憶しているが、山頂からの中禅寺湖や爆裂火口の風景を楽しんで駆け下りたと記憶している。

男体山を下りた後、中禅寺湖畔から湯元温泉にバスで移動し、環境省管理の湯元キャンプ場に二泊することにして、奥白根山を翌日日帰りで往復してきた。奥白根山には昨年(2020年)再訪したが、15年前は元気が余り過ぎていたせいか、前白根山経由の往復がまったく苦にならなかったが、昨年はえらい時間がかかって、夜明けとともにテント場を出たのに、テント場に帰った時は黄昏時だった。奥白根ってこんなにきつい山かとキツネにつままれた気分だった。

コースは前白根からいったん下ってまた登り返すというアップダウンもあるが、帰りに瑠璃色の五色沼に立ち寄るなど変化に富んで眺めも良く、男体山登山の数倍楽しめる山だ。

前白根から気持ちのいい稜線が白根隠山(2410m)まで伸びて踏み跡もあるようなので、またこの山域に行ってみたいが、山頂付近まで増えすぎたシカさんが跋扈しているせいか、ヤナギランはじめ貴重な高山植物が食い荒らされているのが気になる山域ではある。。

キャンプ場から歩ける距離に日帰り温泉が多数あり、なかなかの立地だ。奥白根に楽に登れる丸沼方面へのバスも走っていて、ここから尾瀬へと繋ぐのもいいのだろう。

 

    

       戦場ヶ原から男体山を望む。この原特有のホシザキシモツケが満開。

      

 

    

          前白根から奥白根と眼下の五色沼を仰ぐ

 

     

 

 

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未明のフライング拍手

2021-10-21 13:58:55 | 日記

ショパンコンクール最終日となるファイナル3日目が放映されているYouTubeの画面は、深夜1時30分過ぎ、日本の小林愛美さんがコンチェルトのピアノ演奏を終えるシーンを映していた。

ピアノ演奏が終わってもオーケストラが演奏を終えるまで数秒あるので、鳴り終わる前に拍手をするのは、「フライング拍手」といわれ普通のコンサートならマナー違反なのだが、ショパンコンクールでは、観客の感動度合いの目安で、フライング拍手が早く、高く、多く、あればあるほど上位入賞が確実視されるという「見方」もある。

小林さんのフライング拍手は遅く、低く、少なかったようなので、彼女は不機嫌そうに足早に舞台を去った。これはダメだとがっかりして眠りについた。2日目までは、日本の反田恭平さんのフライング拍手が一番早く、高く、多かったようで、彼なら上位入賞するだろうと予測していた。

再び目が覚めた時、カナダのBRUCE (XIAOYU) LIUさんが、最後のピアノ演奏を終えるところを目撃したが、万雷のフライング拍手が鳴り響いていたので、このピアニストは反田さんの上を行く、反田さんに優勝はないかと予測して、また眠りについた。

朝起きて、コンクール結果を目にしたら、案の定ブルースくんが優勝、恭平さんが準優勝、予想に反して愛美さんは4位に入賞していた。3次予選までのピアノソロが高く評価されたのではないだろうか。

それにしても、日本人が2位と4位とはすごいことではないか。この若きピアニストたちに拍手を送りたい。優勝してもその後名前を聞かなくなった人もいるし、本選に出られなかったがポゴレリッチのような異彩を放つピアニストもいる。1970年のショパンコンクールで同じく2位になった内田光子さんのように入賞しても日本での人気はさっぱりだったが、じわじわと個性を発揮して、国際的な名ピアニストと評される高みに達した方もいる。若き入賞者たちには、より個性を発揮して独自の世界をつくってファンを感動させてほしい。

2日目までの拍手とブーニン優勝時を比較したyoutuber森田正徳さん提供

入賞者といえば、今年はたまたま仙台で82年チャイコフスキーコンクール3位、85年ショパンコンクール4位の小山美稚恵さんのソロコンサート、18年浜松国際コンクール2位の牛田智大さんのショパン第1コンチェルト、それと昨夜のことだったが、19年チャイコフスキーコンクール2位の藤田真央さんのラフマニノフ第3コンチェルトを聴く機会があった。どなたも、すばらし技量と個性、人間性あふれるピアニストだと思うが、大ホールでのコンチェルトは、ピアノの音がオーケストラに掻き消えてどうも感動できない。昨夜も、真央さんのせっかくのピアノの音があまりにも小さく、切ない思いをした。残念。

席の位置やオイラの聴覚の異常のせいかもしれないが、小山さんのソロは小ホールで席が前の方だったので、まさにピアノという楽器のすばらしさを堪能できたので、ホールの大きさと席位置の関係が一番の原因なのかもしれない。コンチェルトはCDやYoutTubeで聴きなれているせいで、ピアノが大きく聞こえないとライブよりマイクを通した演奏のほうがいいということになり、チケット代がもったいない。年に数回だけのコンサート、ピアノなら小ホールでのソロだけに限定してピアニストの醸す大事な音を体で受けとめることにしよう。昨夜のコンサートは11月7日にNHKEテレで放送されるということで、マイクと編集を通したモニター画面で真央さんの音に感動をあらためて求めようと思う。真逆な話だが。

ところで、ショパンコンクールの行われたワルシャワのホールの音はどのように聴衆に聞こえたのだろう。生で聴いた方が絶対にいいと誰もが思っているのだろうか。体験者は、ライブよりも高性能の機材を通したモニター画面で聴く方がいいとも言っている。一地方ホールでのオイラの感想だが、ライブよりモニター画面がいいと言ってくれる人がいて安心した。

体験者が語る!ショパン国際コンクール 曲目・審査基準など (pianotohikouki.com)


深田日本百名山登頂の思い出  35 高妻山(たかつまやま・2353米)

百名山登り残しの山を集中的に登っていた2007年9月の末に深田さんと同じコース、戸隠牧場から一不動を経由して登頂を果たしたが、深田さんと同じように往復2時間を要するお隣の乙妻山(おつつまやま・2315米)にまで足を伸ばす元気がなく、同じ道を引き返している。一不動に到るルートにたしか2カ所のクサリ場があったと記憶している。一つ目のクサリ場を過ぎて登っているとオイラより少し年配の夫婦が下ってきた。「ずいぶん早いですね、もう登ってきたのですか」と尋ねたら、奥さんの方が少し上のクサリ場が怖くて渡れないので、高妻登山をあきらめて帰るところだという。

どんなに怖いところか、オイラはビビりながらその先に進んで帯岩という濡れた1枚岩をトラバースするそのクサリ場に出くわした。通常、トラバースするクサリ場ならクサリは水平に渡されているが、そのクサリ場は、縄のれん垂れ下げたような格好で、何本かの短いクサリを間隔を置いて垂直にブラブラと据え付けられていた。オイラもそんなクサリ場は初体験だったので、おっかない思いをしたが、どれか一本を片手から離さない、いわば三点確保の要領で落ち着いて渡った。クサリ場をいつまでも思い出すのはここだけかもしれない。

深田さんの言うように、スックとしたピナクルの山容は稜線を歩いているときにも眺められたと記憶しているが、昨年、戸隠キャンプ場から飯縄山に登っているとき瑪瑙岳付近のスキー場から、ほんとうにスックとしたピナクルと対面した。ちょつとアンダーだとヒマラヤの高峰かと見紛うような秀麗な山容。

2007年にはなかったと思うが、あの怖いクサリ場のある一不動コースを通らず、高妻山まで1時間短縮できる弥勒新道というコースがつくられているようだ。また、戸隠高原にキャンプをしながら、1日の長い夏場に、乙妻山まで往復しながら高妻山を再訪するのもありだ。

   

       2020年10月 飯縄山へのルートから望む高妻山

        

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赤い実のゆくえ

2021-10-20 14:32:04 | 日記

北海道や青森に住んでいた頃は、よく山から採ってきたいろいろな木の実をホワイトリカーと氷砂糖に漬け込んで「山の健康酒」づくりに励んだ。いや励もうとしたというのが正解。少なくとも半年以上は熟成させてから飲むべきものだが、家に酒がないとチョイチョイ熟成前にいただいてしまい、肝心の薬効がないままカラなってしまうことが多々あり、かえって健康を害する心配もあって自然とやらなくなってしまった。また、いちばん作りたかったのはコケモモやガンコウランといった高山帯の実であったが、北海道のような人気のない広大な植生帯ならまだしも、本州の山で採取することはなにか犯罪めいた気がするので、こっそりとレジ袋にあつめることもやらなくなった。

下の写真のようなナナカマドの実は、どこにでもあって、食べると苦くてだれに見向きもされないが、熟成した酒にすると琥珀色の薬効酒になるということで、北海道時代には、梅酒用の大きなビンに漬け込んで仕上がりを期待したが、琥珀色になる前に例のとおりカラになってしまった。まだまだ苦い酒だったと記憶している。

今の季節だったら、ナナカマドは無尽蔵と言ってもいいくらいあちこちに真っ赤な実を風に揺らしているが、この前吾妻山で見かけたアトリなど苦さを苦にしない一部の野鳥にしか食べられないようだ。もしかしたらもっと熟して干しブドウ状態になれば美味しくなってたくさんの冬鳥たちのごちそうになるのかもしれない。もしかしたら、それがナナカマドの戦略かもしれない。

北面白山を下山中、真っ黒なホウの実が地面に落ちて、真っ赤なタネが顔を出していた。こちらの実は、落ちる前にヤマガラやキツツキなどたくさんの野鳥のごちそうになっているとのことだが、まだ口に入れたことがないし、お酒も造ったこともないが、これも薬効があるとされている。

地面に落ちた真っ赤なタネは、だれのごちそうになるのだろうか。夜間、赤外線カメラを仕掛けていたら、たくさんのネズミたちがやってくるのが確認されるのかもしれない。

動物たちの食べ物とならないでも、ムシやバクテリアの大事な栄養源となって、だれかがすっかりお掃除してくれるのだから、森にはムダという言葉がいらないのだろう。

    

      


深田日本百名山登頂の思い出   33 妙高山(みょうこうさん・2454米)

                34 火打山(ひうちやま・2462米)

妙高山と火打山は、1970年代の後半にセットで登っている。学生時代だから(社会人になっても)経済問題と人だかりを避けるため小屋泊まりはほとんどやらないので、笹ヶ峰から登って、まず高谷地ヒュッテ前に一人用テントを張ってから火打山を往復し宿泊、翌日テントを担いで妙高山に登り、どのコースを選択したか不明であるが、燕温泉方向に下った。燕温泉だったか関温泉だったか、真っ白な気持ちの良いお湯があふれる広いヒノキの露天風呂で汗を流して帰った思い出がある。

そのお湯にもう一度入りたいこともあって、2007年9月に再び燕温泉方向からテント持参で入山。暗くなってから燕温泉について、たしか登山口近くにある露天風呂近くの草原に勝手にテントを設営し露天を堪能した。翌日、妙高山を時計回りに周回し、燕温泉の別の露天風呂に入って帰ったのだが、1070年代の真っ白な気持ちの良いヒノキの露天風呂は探せなかった。関温泉だったかもしれないが、いまだに覚えているのだから、よっぽど気に入っていたのかもしれない。

妙高はともかく、火打山には笹ヶ峰からもう一度登ってみたい。ハイマツ帯がササなどに冒され始めているとのことだが、北限のライチョウ家族がまだ確認されているとのことで、ぜひあって「がんばれよ~」と声をかけてあげたいので。

    

雪倉岳から、白馬大池の向こうになだらかな火打山と右端にのかつい妙高のシルエットを遠望する。

   (2019.9)

   

 

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