すっかり忘れていた。今日から3日間の予定でUTMFが開催されているんだ。
第1回開催が2012年だから記念すべき10回大会となるが、昨年・一昨年とコロナのため中止となっていて、たしか2019年は、降雪のため途中打ち切りになって満足に開催されていなかった。いろいろあったが、とにかくも3年ぶりの開催おめでとうと言いたい。思えば、初回以降、自然保護や土地所有者の意向などで何度も開催時期やコース変更の憂き目にあっていて、主催者の鏑木毅さんたちはさぞかしご苦労されてきたことだろう。
50代前半にトレランにハマったオイラは、縁があって、この記念すべき第1回に参加できている。本来は、2011年の5月に開催される予定であったが東日本大震災により1年延期され、2011年にエントリーしていたオイラは2012年の参加権を得たという成り行き。もう50代後半のヨワイではあったが、オイラは「奇跡的に」完走できた。制限15分前だったか。
これに気を良くして、その後、2013年、14年と立て続けに参加したが、いずれも制限時間に入れずリタイアの憂き目にあう。
その後、この大会への最後の関わりとして2018年のSTYにも参加したが、これも制限にかかり沈没。
リタイヤはいずれも年齢のせいもあるが、まじめなトレーニングを怠ったせいであると自覚しているので悔しい覚えはなかった。リタイヤした大会も楽しくて楽しくてしょうがなかった。何千の若者といっしょの道を走れたのだから。
何と言っても「奇跡的に」完走できた第1回大会は、思い出すたび感慨にふける。河口湖をスタートし時計回りに冨士山麓を1周。5月と言っても2日目の夜間の天子山塊は眠気と寒さで意識朦朧となり、ただただ前をいくランナーの灯りを負ったがそのうち歩きながら眠ったのか、ハッと眠りから覚めたのが毛無山の山頂。そこからまた意識が薄れ、気が付いたら朝になっていて、雨ヶ岳から眺めた残雪の白い冨士の眺めの神々しさにしばし腰が抜けて眺めていた。
その後、樹海を突き抜けて河口湖に到る午後3時の制限時間までコースで費やした晴れて暖かな時を、何か麻薬でもうったような浮遊感で過ごすことができ、腕時計とのにらめっこであったが、制限時間に入れた。あるいは、人生で一番快楽なときをすごしたのかもしれない。
親切にもUTMFのサイトは、いまも2012年からのリザルトを掲載していてくれる。そのリザルトの完走者700人ばかりの最後のページに今もオイラの記念すべきフルネームが載っている。そのページにグレートトラバースの「田中陽希さん」の名前を見つけることができる。トップアスリートの陽希さんだが、精進湖近くのエイドでリタイヤしたようでDNFの名簿に載っている。「あの陽希さんに、オイラは勝ったのだ・・・」というのがオジサンのいまでもニコリとしてくる変な自慢。
野鳥の会などの反対もあって、5月から4月の開催となっているUTMF2022、今年は降雪もないだろうし何とか何事もなく終わってほしい。日本人だけの参加でさみしいが、来年以降は外国ランナーもやってくるのだろう。UTMB(ウルトラトレイル・モンブラン)なみに永く続いてほしい。
追伸、STYは2018年までで廃止されたが、今回KAI69というサブ大会が新設された。STYが「静岡から山梨まで」のアルファベット略だったので、果たしてKAIは何の略かと、頭の固いオジサンはしばし悩んだが・・・・「なあ~んだ山梨県だけのコースだから【甲斐】ということだったんだな」とやっとわかった。
2018年STY開会式の鏑木さんと富士(静岡県・富士こどもの国)