かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

カタクリさん開花前夜

2023-03-14 21:14:20 | 日記

東京は今日ソメイヨシノの開花宣言。当地も来週末には開花し、月末には満開になるとの報道である。経験値からして若かりし日々より10日は早いかも。地球温暖化で、悦んでもいられないはずなのに、報道するヒトも、報道されるヒトも悦んでいる。春真っ先に咲く花とは、ヒトをそのようにさせるものなのだろう。

1週間ぶりに青葉の森を歩く。数本しか見られなかったセリバオウレンは森のあちこちにコンペイトウのような白い花を咲かせているし、カタクリの下級生たちも大小1枚の葉を地上にのぞかせていた。カタクリの草むらに目を凝らすと、この春花をつける6年生か7年生の卒業生たちが、まだ眠いといった風情でツボミをつけていたが、まだ圧倒的に数は少ない。

きっと花に集まるチョウやハナアブたちの飛び交う陽気を待っているのだろう。つぼみを咲いて花弁をのぞかせている個体もいくつか見られたが、開花を躊躇しているみたいだ。

だが、肌感覚で、もう二三日もして、気温が今日より上がると、チョウやハナアブたちもスタンバイできて、これに呼応するように今地上に現れているカタクリは花を開き、他の卒業生たちも次々地上に現れるのだろう。

森もなにやらざわめいて来た。ウグイスも正調で鳴きだしたし、シジュウカラやヤマガラたちも「ツーピー」とさえずりだした。彼らの恋の季節が始まったのだろう。彼らの春のスタートも例年より早いのか、遅いのか何とも言えないが、おそらく鳥たちも花や虫と共同歩調をとっているのだろう。いや、樹木もだ。高い樹々の枝先に吹き出した木の芽を、いそがしくヤマガラたちが啄んでいた。きっと、みんなが何かしら高精度のアンテナを持っていて、歩みを同じくしているのだろう。

みんな一つの命に思えてきた。

 

マンサク満開

 

カンスゲの仲間も花をつけてきました

 

セリバオウレンさん

 

 

カタクリの卒業生たちの今日の動静

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フキノトウさんも「こんにちは」

 

樹上では、シジュウカラさん

 

ヤマガラさん、木の芽をつついていました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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何度でも再生する美しいものたち

2023-03-13 17:41:06 | 日記

三月のはじめ、カタクリやスミレの花がまだ地上に現れない森を歩きながら、短いワルツ風のメロディが何度も繰り返し、脳内から口元にかけて再生されてきた。曲名と作曲者が出てこないので少し悶々として帰った。

家に帰って、Youtubeで調べたらショパンの遺作に分類されるホ長調のワルツだった。

きっと、口に出たワルツは、最近寝床でYoutubeなどにアップされているショパンものを聴きながらウツラウツラと聴いていたことが原因で、どこか脳内にストックされていたのだろう。ショパンのワルツの中で有名な曲ではないが、このワルツや同じ遺作の変ホ長調のものも含めて、どこか儚く、消え入るようなメロディーで、スプリングエフェメラル、早春の花たちにふさわしい音楽だと思った。

早春にはいつも「再生」という言葉が湧いてくる。「死と再生」のうち春を再生の季節だと思うからだろう。

国語の辞書で「再生」という言葉を引く。

① 衰え死にかかったものが生気を取り戻すこと

② 動植物が失われた部分を新たに作り出すこと

などに並んで、

③ 録音・録画したレコードやテープなどをかけて、もとの音、映像を出すこと

などと記されている。

①②も③も、実は全く関連のない次元の意味ではないのかもしれない。

①も②も、宗教やファンタジーのように「無」から突然「有」が出現するとは言っていない。死にかかったり、失われた部分が「復活」すると言っている。

植物も動物も「死にかかった生気」や「失われた部分」をDNAなどの記憶装置に留めておいて、あたかもレコードやテープをかけることによって音や映像をだすように、もとの姿を現すのだろう。

 

 

    

      道端にヒメオドリコソウのピンクが再生されていた

 

 

アリス・サラ・オットさんのピアノで、ショパンのホ長調、変ホ長調の遺作ワルツを聴く
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3.11に観音堂の花を

2023-03-11 23:04:29 | 日記

近所の観音堂にクロッカスの薄紫の花が顔を出していた。

数日前に花だけ顔をだしていたフクジュソウの茎と葉が伸びだしていた。

お堂の前のツバキの木には、大きな花がところどころ開いていたが、数えきれないほどに膨らんだ芽が次の開花を待っている。

誰が植えたんだろう、この花たちの苗木や種を。このお堂を守り抜いて来たいにしえびと。もしかしたら、このお堂の敷地に眠っているのかもしれない。あちこちに碑がある。

さまざまな花は、さまざまに生きたひとやいきものの魂なのかもしれない。

万葉の人々は、チョウが今はなきひとびとの化身だと思っていたらしいが、チョウも花も、夜空の星々も

、かれら美しいものすべてがいまはなきひとびとの魂に思えてくる。

あどけない早春の美しい花たちを、3.11に逝った美玉にも捧げよう。

 

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十二年という歳月

2023-03-08 20:02:25 | 日記

まもなく東日本大震災から12年経過する。

12年という数字に何か意味があるとは思えないが、干支は12年周期であるし、木星は12年周期で太陽を巡るのだという。「12」という数字に限って言えば、1年は12か月で構成されているし、鉛筆やビールビンは1ダース12本の入れ物に収納されているし、地上波のチャンネルは12に割り振られていることを考えれば、何かしら神秘的な謎がそこには隠されているのかもしれない。

それはさておいて、この12年、「瞬く間」に進行したというのが実感。震災の日を考えれば「つい昨日」のようだ。

昨日、八木山から長い坂を歩いているときに考えていたことだが、12年と言えば、小学校に入学してから高校を卒業するまでのスパンだ。それは、「途方もなく長い歳月だった」ような気がした。

同じ時間が流れていたと言えるのに、どうしてこうもわが身の実感がこうも異なるのだろうか。

いつだったか、何かのQ&Aで、「どうして年を取ってくると時間の流れが速いのですか。昨日正月だと思ったら、すぐに年末が訪れます」

という趣旨の高齢者からの質問があったが、心理学者か科学者か、その筋の専門家はこのように回答した。

「年を取るとときめきを感じなくなるからです。まわりの世界に感動しなくなるのです」

ときめきを感じずに、朝起きれば朝ドラを見て朝食、昼のワイドショーを見ながら昼食、夜のお笑いを見ながら夕食、世の中のニュースにさして驚かず、家族はもちろん、近所や友とも交流せず、もちろん恋めいたことも遠ざかり、出会う人はめっきり減り・・・たしかにこんな生活を送っていれば、ヒトビトに公平に割り振られた時間は瞬く間に過ぎゆくのだろう。刑務所に収容されている無期懲役の囚人もこのような感覚なのだろうか。

震災の年に小学校に入学した子等は、今この12年間を何と答えるのだろうか。1年という時間に限っていえば、ウクライナの戦士たちはこの1年の長さを何と答えるのだろう。

 

青葉の森のチョウや樹木たちにも聞いてみたいところだが、彼らたちに言わせると、「人生」が長いとか短いとか思う暇はなく、ただただ今を生きることで精いっぱいなのだろうし、わが身の個体の存在だけの一方通行の時間感覚はないのかもしれない。

春が来れば体が自然と動き、成長し、恋をし、次の世代にバトンタッチして、次の命の一員になったいくというくりかえしのなかで生きているので、あるいは生死という観念もないのかもしれない。

人生の残された時を短いと驚き嘆くよりも、オイラもチョウや植物たちの時間感覚にあやかりたいと思っているが、・・・・・まだまだだ。

 

 

     

 キタテハさん

    

 

    青葉の森 マンサク三景

    

    

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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目覚めよと呼ぶ声す

2023-03-07 20:07:37 | 日記

日中気温15℃を超える。今年の3.11は土曜日となるが、予報を見ると土曜日まで15℃越えの日が続く見込みである。あの、冷たい12年前の三月とは、何だったのだろう。あの日の記憶は、小雪の舞ううすら寒い日。あの日の夜は、晴れて見たことのない星空が広がっていたというが、オイラは酒を飲んで布団にくるまっていて見ていない。空恐ろしいものを眠って解決しようとしていたのだろうか。

青葉の森を歩く。ひさびさ汗ばむ。もうズボン下は不要なのであろう。

気温が上がり、地面に日が射すと、土というものは熱を貯め込んで、ある深さまで春の信号を送るらしい。スプリングエフェメラルの一番手セリバオウレンの小さな白いお星さまのような花が顔を出している地面を数か所発見。その近くをすこし注意深く観察すると、「あった!出た出た葉っぱ!」カタクリの一枚葉が少し離れて二枚顔を出していた。どうして、カタクリを発見するとそんなに喜ぶのだろう。早くあの可憐なピンクのお花に会いたいからなのだろう。

花を咲かせる7年生くらい卒業生カタクリは二枚葉で出てくるが、下級生は年々葉を大きくはしているが一枚葉だ。ちなみに、去年出会った1年生は糸のような葉っぱであった。

そして、先週お目にかかったのは、チョウに似ているが、ガに分類されるイカリモンガだったが、今日は、正真正銘のチョウに出会った。少し舞うとすぐに地面に舞い降りてガのように翅を広げるチョウ。家に帰って図鑑とにらめっこしてタテハチョウ科のキタテハ♀さんではないかと推定するが、近寄ってもなかなか逃げてくれなかった。冬を越したチョウに違いない。翅を広げ日を浴び、お腹は太陽の熱で温まった小石に近寄せ、体いっぱい日光浴をしているのだろう。あまりに無防備なので心配になってくる。キタテハさんの表翅があまりにも鮮やかなオレンジなので、野鳥たちの目に留まらないのかと。

明日は、もっと晴れて、もっとあったかくなる。木の芽も日増しに膨らんできた。また誰かに出会うことができるかも。

 

 

         

      セリバオウレンお花

 

         

          顔をのぞかせたカタクリ下級生たち

 

        

     枝ぶりから行ってコシアブラみたいだけれど、自信がない

 

          

          羽を閉じればめだたないのに、あけっぴろげですね

 

                

         この絵を見て、だれか分かる人は、野鳥マニアでしょう

 

                      

                 ↓

             エナガさん♂♀不明

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