なんとか生還いたしました。
立派なことを言い連ねて手術に臨んだくちこですが、
そんな我が身を恥じ入るばかりです。
オペ後の苦痛は、大きく想定外で、
いっその事、病室の窓から飛び降りたいと思ったくちこでした。
思い出しただけでもぞっとする日々でした。
自分のわがまま、弱さ、限界を思い知らされました。
何台の機械や管に縛られていたことか?
それら全てが我が身の中に入っているとは・・・
鼻、口、首、両腹・・・
深夜も関係なく2時間ごとのガーゼ交換。
毎日、百枚以上のガーゼが消えたように思います。
検査、診察、処置・・・
痛みで眠れないのか?
常に何かされていて眠れないのか?
後日聞いた話では、二日間位は精神も病んでしまい、
主治医や夫を慌てさせ、神経内科の医師が往診に来ていたと。
そして、この壮絶なオペ後のきつさ、
医師にとっては承知の上だったらしい。
「オノレ、タバカリオッタナ!」
手術内容の説明を聞いたときに、その行間から?読み取りをしなかった、
アホくちこだったのでした。
一つの臓器だけを切り取る手術の違い、
4つの臓器を切り取り縫合するのだから、しんどさは数段違って当然だ、と。
しかも、腫瘍の為に切り取られた臓器そのものはどれも元気だった訳で、
元気な臓器を取るほうが痛みは大きいそうです、なるほど・・・(今更)
本気で手術を後悔し、
5人の主治医に文句を言い続け、
半ば廃人のように辛うじて生きていました。
ちなみにオペ後の絶食は11日間でした。
今更引き返せない橋を渡ってしまったのだから、と、
神仏を恨みながら日々を重ねていました。
多くの医師、看護師、夫、子供達に対し、わがまま放題に振る舞い、
自分が人としてとても弱いことを痛感する日々でもありました。
それでも、5月に入ってからは着実に生気を取り戻し、
本日、退院、生還の運びとなった旨、
恥ずかしながら、ここに報告します。
悪性度は、オペ前、オペ中よりも最終的には悪い結果となってしまいました。
だから、この侵襲の大きな手術の選択も安全策的には上策だったようにも思えます。
胃の一部、膵臓の半分、胆管の一部、後、十二指腸や胆嚢も失ってしまったので、これまで通りの生き方は出来なくなりました。
もっと甘い考えで手術臨んだアホなくちこです。
それでも生還できたこと、今となっては神仏、医療チーム、家族、みんなに感謝しています。
そして、残された生き方の中で楽しみたいと思っています。
とりあえず、ご心配をおかけしたままでしたので、皆様に報告させていただきました。
写真は、わがままなくちこの犠牲になった人々です。