四月十九日を以って、義母は目出度く八十八歳になりました
なので、ジャスト当日、特養から義母を家に連れ帰り、
義妹達とその娘達とその子供達と・・・
ご近所さん達と義母の親友を招待して、
賑々しくお祝い会を開催した次第です。
再婚以来、義母の認知症に付き合いつつ、
義母の凄まじく汚いくて雑多な家を気絶しそうになりながら片づけてきました
もはや限界と何度思ったことか・・・
と、
三年前に、くちこの希少癌が発覚
とんでもない大手術をするハメに
そんなこんなで、
二年半前に半ば施設を拝み倒して特養に義母を入所させて貰ったのでした。
が、
面会は、ほぼ、サメくち夫婦だけ・・・
ご近所さん達や、義母のお友達も案じてはくれていましたが、
ちょっと離れたところにある施設なので面会までは・・・
他家の歴史など、くちこの知る由はありません。
何故、三人の子供達が義母に冷たいのか?
声を掛けないのか?
無視するように近づかないのか?
それを訊くと、いつもサメ氏は
「因果応報」とだけ。
七十七歳の祝いも八十歳の祝いも、
お祝いの席にいても、子供達は誰も話しかけない。
世話もしない。
義母の顔がだんだん悲しそうになるのが解って・・・
一緒に寂しく思ったくちこでした
他家の過去も、
人様の気持ちを理解するのも困難だけれど、
義母が、ただこのまま全てを忘れながらこの世を去ってしまうのは無念。
で、
くちこ奮起
米寿の会を計画
義母を一日でも連れて帰ろう
旧友に会ってもらおう。
ご近所さん達に見てもらおう。
義妹達も、「母」に会って欲しい。
そして笑顔で祝って欲しい
いろんな準備、頑張りました。
日が近づくにつれて、くちこ緊張
そのせいか、前三日は酷い片頭痛に襲われていました
「明日は、絶対に元気に頑張る」
と、宣言して寝ました。
起きたら、本当に完璧元気でした
義母を施設にお迎えに参上し、実家に。
義母は、ずっと
「見たこと無い景色だ」と。
トントン トンカラリンと 隣組ー
あれこれ面倒味噌醤油ー
ご飯の炊き方垣根越しー
教えられたり、教えたりー
※こんな歌詞だったんだ・・・何番?
義母は、ずっと楽しそうにいろんな歌を歌い続けていました。
心配になったくちこは、のど飴を献上。
さて、実家に到着。
「此処はどこ?」
「見たこと無い家じゃ」
「初めて来た」
がーーーーーーーんっ
義母は一人娘で養子取りなので、此処で生まれ育ち一度も動いていない。
さて、仏間へ。
「立派な家じゃのう」
貴女の家です・・・くちこ心の声。
ふと、義父の遺影に目が留まる。
「見たことあるような顔じゃ」
貴女が半世紀以上連れ添った夫です・・・
きっと、その内思い出す、筈。
それが、なかなか・・・
次々に、お友達、ご近所さん達、義妹達等々が到着。
みんな、自分の家も思い出せない義母に、唖然
喧々諤々と義母に思い出させるべく説得?している。
その内、お互いが慣れて、
適当に談笑するように。
言葉にならない、
言葉のいらない、
そんな心の底のところで繋がったイメージ。
そこに温かい空気が流れていることは、心のアンテナがキャッチしている、筈。
曾孫二人とも対面、子供大好き、特に赤ちゃん好きの義母には何よりでした
曾孫であることは一瞬で忘れても、赤ちゃん好きは不動でした。
義妹手作りのケーキでお祝いを みんなに拍手されて得意そう。
さあ、サメ家集合
最後まで、人の家だと思っていたようですが、
それでも、いろんな人とちゃんとご挨拶ができたこと、
談笑できたこと、
元気な笑顔を見て貰えたこと、
みんなの心に思い出が増えたこと、
ああ良かった!と思うくちこです
今日は超アナログな出席者の方々へ、アルバムを各々用に作り、
お礼のお手紙を書いたり、
雑事に追われていました。
写真だけでも、150枚は印刷したでしょうか?
みんなの手元に義母の笑顔を残したくて。
いろんなことが解らなくなってしまった義母。
認知症の残酷さを痛感したのも事実です
でも、
仕方ないことは、仕方ない。
それでも、
笑った者勝ち。
食べた者勝ち。
そう思うくちこです