日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

学者の責任

2012年10月24日 | インポート
イタリアの裁判で、地震予知に失敗した責任を、関係した学者等に科す判決が言い渡されたそうだ。

以下は、本日の毎日新聞記事の転写。


地震予知失敗 禁固6年

イタリア防災庁付属委の7人  過失致死傷の罪

 多数の犠牲者が出た09年のイタリア中部地震で、大地震の兆候がないと判断し被害拡大につながったとして、過失致死傷罪に問われた同国防災庁付属委員会メンバーの学者ら7人の判決公判が22日、最大被災地ラクイラの地裁で開かれ、同地裁は全員に求刑の禁固4年を上回る禁固6年の実刑判決を言い渡した。

 地震予知の失敗で刑事責任が争われる世界的にも異例の事件。
同地震では309人が死亡、6万人以上が被災した。

 イタリアの刑事裁判では判決理由は後日開示されるため、裁判所の判断の詳細は不明。
被告側は控訴する方針を明らかにした。

 防災庁幹部だったベルナルド・デベルナルディニス被告(64)は閉廷後「私は自分の務めを果たしただけで間違いはおかしていない」と無実を主張した。

 大学教授や地震学の専門家らで構成される同委員会は、数ヶ月にわたり群発地震が続いていた中部の状況について、09年3月31日にラクイラで開いた会議で大地震に結びつく可能性は低いと報告。
多くの住民が6日後の4月6日に起きた中部地震で死傷したとして、7人が11年5月に起訴された。


以上は、毎日新聞記事より転写。



画期的な判決だと私は思う。

当然そうであるべき事を、今まではそのようにしてこなかっただけの話で、公費から報酬を貰って行なっている仕事であれば、その事に対する責任を負うべきは当たり前のことであろう。

公務員等の職務の結果に対する責任の取り方が、余りにもゆるすぎると常々思っていた。

人命に関わるような、地震予知という重要な職務なのだから、結果責任を負うということは当たり前だと私は思う。

控訴の結果はどうなるのかは分からないが、ラクイラの地方裁判所の判断は妥当だ。

人命に関わるような研究はしておりますがその分析結果に対する責任は負いかねますというのであれば、誰でも研究者になれる。

学者等の知識人と呼ばれる人たちの間からは、この裁判結果に対する反発の声が多いだろうが、それぐらいの覚悟で研究には臨んでもらいたいと末端で生活している者としては思わずにはいられない。

日本においてはそのような判決は出にくいだろうし、まずそのように学者を訴えるということをしない民族性の様には思う。

しかし、我が国においても、地震予知などに関する学者の方々の責任意識を変えていった方が良いと私は思う。



豊田一喜