日々雑感「点ノ記」

備忘録(心の軌跡)

オリンピックと原発

2013年09月22日 | インポート
我が国の今のリーダーは、世界中に向けて、自国にとって都合の良い、デタラメな情報を発信してしまった。

要するに世界を相手にして「大うそ」をついてしまった。

オリンピックを自国に誘致するためと、既得権益者側の利権を維持し続けるために。

福島の原子力発電所の汚染水は、適正に管理されていて、湾内の0.3平方キロメートルの範囲内に封じ込めているのだと。

水に含まれた汚染物質が海中に放出されている現状を、余りにも安易に考えているというよりは、一国を代表するリーダーとしては無責任の極みのような発言をしてしまった。

いかにも、福島原発の事故は技術的に解決されていて、収束しつつあるようなデタラメを言葉にしてしまった。

東京電力の心ある技術者が、正直に「コントロールできている状況では無い」と発言したことが全てを表わしているように思う。

ご丁寧に政府はその発言を、政府側にとって都合がよいように訂正してしまった。

典型的な情報操作の事例でもある。

テレビなどの報道で映し出される福島原発の敷地内における汚染水の貯留タンクの林立状況を見て、日本人は何も思慮する事はできないのだろうか。

あの林立するタンクの内部には、処理技術も確立していない原発の汚染水がどんどん貯留されていき、それらが満杯になるとさらに貯留タンクを増設しなければ対応できないということをどれだけの日本人が理解できているのだろうか。

そのうちに、日本のあちこちに、そのような核廃棄物や汚染水の貯留タンクが林立するような光景になるのだという想像をする事がなぜできないのだろうか。

原子力発電所が稼動している限り、そのような処理不能な核廃棄物なり汚染水なりを生産し続けるのだという事実を把握できておれば、一刻も早く原子力発電所の稼動を停止しなければ、未来の日本にとって取り返しのつかない事態になっていくのだという認識を持てるはずである。

自分が責任を持つなどとのたまわっているが、事故の発生から2年半も経っているのに、いまだに汚染水の漏出が続いているという現状が何を物語っているのかということが理解できていない。

要するに、事故を起こした原発の制御など全くできていないし、これからもできないのだということに皆が気付いて、一刻も早く原子力発電所の稼動を停止し、廃炉にするという選択をしなければ、私たち庶民が、安心・安全に暮らせる国土となることはありえない。

日本という国家は、国策による結果に対して、国民に責任を取るということを曖昧にすることが多い国家であるとつくずく思う。

第二次世界大戦の後始末に対しても、その実行を最終決定した日本国最大の財閥一族が罪に問われることもなく、その財産を没収されることもなく今も君臨している。

国策により、有無を言わせずに戦場に駆り立てておきながら、異国の地で戦死された方々の遺骨を収集して母国へ連れ帰ることすらも真剣にしようとしないような国家である。

国家のため、家族を守るためという洗脳的教育を子どもの頃から受けさせられて、純粋に命を賭して戦い戦死なされた方々に対し慰霊の念を持つことすらも、外国からの批判に遠慮して抑制するようなおかしな国家である。

家族と別れ祖国を離れて、異国の地で飢餓や病気や死ぬことに対する恐怖と戦いながら、いつ終わるかも分からない戦争状況の中で、望郷の念を抱きながら、家族と二度と会うことも祖国の土を踏むこともかなわずに戦死なされた方々の無念さはいかばかりだっただろうか。

自国が始めた戦争であるから、その根本の責任は、その事を決定した者たち(国家)にあるということは、誰が考えても分かる。

それを無批判に肯定し、賛同した人々にもわずかばかりの責任はあろうかと思う。

それに至った理由付けはいろいろあろうし、そのような決定を下した者たちはそれを正当化するしかない。


原子力発電所の建設・稼動に関しても同じようなことである。

国内産業の発展のための電力供給のためには必要不可欠であり、クリーンエネルギーで安全であるという情報の流布により始めた国策である。

物事の本質を偽り、国民の賛同を得て、運用してきた結果が現状に繋がっている。

何度も繰り返すが、処理技術が確立されていない核廃棄物や汚染水を生産し続ける施設は、日本国にとっては最大の環境破壊施設であるという強い認識を持つべきであり、いずれ何とかなるだろうという問題では決してないということを、強く認識すべきである。

原子力発電による電力がなければ、日本国の必要電力はまかなえないという虚偽の情報操作により、そうなのだと思い込まされている多くの人たち。

現実に今は、日本国中の全ての原子力発電所が、定期点検等のために稼動を停止している。

それでも日本国の電力事情は正常であり、国民生活に支障は無い。

少し以前の事例でも、そのような事は実証されている。

要するに無くてもほとんど支障の無い物を、それが無ければ国民生活や産業活動に支障をきたすという情報洗脳を受けて、原子力発電所の稼動もやむなしという考えの方々が数多くいるものと思われる。

原子力発電に頼らない電源の開発に、国策として舵を切れば、海に囲まれた我が国においては、その資源は相当多くあるのではなかろうか。


2020年には東京でオリンピックが開催される事が決定した。

数多くの日本人がその決定を飛び上がるほど喜んだことだろうとおもう。

しかし私は、東京でオリンピックが開催されることに決定した事を喜ばなかった数少ない日本人のひとりである。

国策の誤りによる原発事故によって、本来穏やかに平凡に暮らしておられるふるさとに、住むことすら許されずにいる多くの日本人の方々がおられる。

国策の誤りによって引き起こされた事故の犠牲者の方々である。

オリンピックの誘致やその開催のために投資する資金があるのであれば、まず第一にやらなければならない事は、国家を挙げてそのような方々が、事故以前の生活形態に戻れるような方策のために使うべきだと私は思う。

世界に向けたイベントで外国に対して国力を誇示するよりも、全ての国民の普通の生活形態を維持し続けることに軸足を置くべきだと強く思う。

オリンピックは自国での開催でなくとも、競技選手はその能力さえあればそれに参加する事は可能である。

すぐ先の未来の日本という国家のあり方に対して、そのうちに何とかなるだろう的な安易な考え方は払拭すべきであり、今この機会に、国家としての正しい方向性の選択をしなければ、狭い日本国の中のいたる所で危険な核廃棄物や汚染水のタンクが林立するような状況になっていくことは否めない現実となる。

地下300mの場所に、核廃棄物をコンクリート等で封じ込めて埋め、核廃棄物が無害になるまでの10万年の時を待つというような計画が、まことしやかに言われているが、コンクリートの耐用年数そのものが、たかだか100年程度でも疑問符がついているというのに、何と言う無責任な計画であろうかと私は思う。

津波の被害から既に2年半が経過したというのに、建設を計画している仮設住宅は、その計画総数の1%より少し多いぐらいの4百数十戸しか完成していないという。

そのような事実を知ると、国家は本気で被災した東北地方の復興に向けて動いているのだろうかと疑問に思えてしまう。

今回の東京オリンピック誘致の興奮で、被災された東北地方の方々の事が隅っこの方に追いやられて、やがては忘れ去られてしまうかもしれないという懸念があり、「絆(きずな)」という言葉に日本人が酔っているだけなのかと思ってしまいたくもなる。

7年後の東京オリンピックの開催までに、福島や東北地方で、国策による人災(原発事故)で被災された方々が、ふるさとに戻って日常の生活を取り戻し、オリンピックのテレビ中継などを見られる事ができるように祈りたい。

津波は自然災害であり防ぎようが無いが、原発事故は明らかに国策による人災である。

津波被害だけであれば、勤勉な東北地方の人々は既にかなりの復興を遂げられているはずであるが、放射能による汚染では民の力では対処のしようが無い。


オリンピックを東京湾の埋立地の中を主会場として計画しているそうだが、地震や津波に対する備えは大丈夫なのだろうか。

近いうちにかなりの確率で大地震がある事が予測されている。

7年以内にそれが無いという保証は誰にもできない。

東京オリンピックの開催ということで浮かれていて良いのだろうかと、日本国民のひとりとして強く思う。




豊田一喜













最新の画像もっと見る