川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

正月二日 お隣さん

2010-01-03 09:01:40 | 川越・近郊
 1月2日(土)晴れ

 穏やかで温かい散歩日和。川越市街地の神社仏閣を訪ねて歩く。
 
 神明神社~氷川神社(川越総鎮守)~三芳野神社(城内・「とおりゃんせ」発祥の地とか)~御嶽神社(城内・富士見櫓後)~成田山~喜多院~東照宮~中院~熊野神社

 氷川さんと喜多院界隈は人の波なので遥拝。熊野神社でお神酒をいただく。大正浪漫通りの行きつけのお寿司屋さんで昼食、1100円也。これでおしまい。

 昼寝の後、6時からお隣の森田さんに「お呼ばれ」。岩手の山の村出身の奥さんの郷土料理の接待。いつも通り三人でごちそうになる。
 
 ハタハタの焼き物から始まる。森田さんは若いころ秋田の八森港に行きハタハタをトラックで買い付け、バケツ一杯単位で人々に頒けた。
 つづいて金時豆・ユリ根・昆布。「マメで喜(よろ)コンブ」ということでお正月に欠かせない料理だ。「よろ」と呼ばれるユリ根は昔、森田さんしか知らない(行けない)群生地で籠いっぱい採って一日に二回、里に運んだという。。

 山里の素朴だが豊かな料理にお酒も進む。山の村の思い出話が楽しい。

 豪雪で孤立した隣村への道を最新鋭のブルで切り開いた自慢話は毎年聞くが豪快で人情味がある。地元の暴力団の親分がわびを入れに来ることになった抗争の武勇伝も若いころを彷彿とさせる。体力に恵まれていることは僕も同じだが、この方の胆力には恐れ入る。一生懸命・無我夢中で怖いものなしだったという。

 クマに襲われ危機一髪のところを救助した故郷の人から今も欠かさず年賀状が届く。紀州熊野の方から祖父が亡くなった後も長く年賀状が届いていたことを思い出す。あらしの海で助けられた方だった。僕が「祖父死亡」のお知らせを書いた。

 山の人も海の人も危険と隣り合わせ。いざという時にその人の真価が問われる。

 自然のただなかで生きてきた人の物語は自分の人生に何が欠けているかを教えてくれる。今更どうなるものでもないが勇気を出して精いっぱい生きたいという気にさせてくれる。

 森田夫妻の故郷の山・和賀岳http://www.appi.co.jp/hori/2009trekking/wagadake.html
 

 8時過ぎにお開き。森田さんは2月1日に70になる。この日、今度は妻の土佐料理で「古希」のお祝いをする。
 今もブルの仕事では誰にも引けを取らない森田さん。自分では、全然、「年寄」とは思っていない。

 秋田八森ハタハタhttp://ameblo.jp/happounavi/entry-10393154440.html