今日は3月3日です。1922年(大正11年)のこの日、京都の岡崎公会堂で全国が結成され、「宣言」が発せられました。
この宣言は「日本で最初の人権宣言」などといわれますが、僕は今なお社会的差別に苦しむすべての人々に「熱と光」を呼び起こす力を持ったすぐれた文章だと思います。
高校の授業で毎年紹介してきました。いじめの後遺症に苦しむ子どもたちにも力になったように思いました。
昨日の「三一独立宣言」は翻訳文しか見つからず、正しい文章かどうか自信がありません。最初の一行から「自主の国」が「自由の国」になっているテキストがあったりするのです。朝鮮語で書かれた原文が手に入ればいいのですが今のところ見つかりません。
宣言についてもきちんとした検証が必要です。専門家の研究もあるようです。
http://blhrri.org/info/koza/koza_0036.htm
ここでは一般に流布しているテキストにより全文を紹介します。
読書百遍、意おのずから通ず、とか。何度も何度も声に出して読んでみましょう。
振り仮名などはこのテキストの作成者の作品です。
綱領
1.我々特殊民は民自身の行動によつて絶対の解放を期す
1.我々特殊民は絶対に経済の自由と職業の自由を社会に要求し以(もっ)て獲得を期す
1.我等は人間性の原理に覚醒し人類最高の完成に向つて突進す
宣言
全国に散在する我が特殊民よ団結せよ。
長い間虐(いじ)められて来た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々とによつてなされた我等の為の運動が、何等(なんら)の有難い効果を齎(もた)らさなかった事実は、夫等(それら)のすべてが我々によつて又他の人々に依(よ)つて毎(つね)に人間を冒涜(ぼうとく=神聖・尊厳なものや清純なものをけがすこと)されてゐた罰(ばち)であつたのだ。そして、これ等の人間を勦(いたわ)る(困っている人や病人などに同情の気持ちをもってやさしく接する)かの如(ごと)き運動は、かへつて多くの兄弟を堕落させた事を想(おも)へば、此際(このさい)我等の中(うち)より人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集団運動を起せるは寧(むし)ろ必然である。
兄弟よ。我々の祖先は自由、平等の渇仰(かつごう=強くあこがれ慕う)者であり、実行者であつた。陋劣(ろうれつ=いやしく劣っているさま)なる階級政策の犠牲者であり、男らしき産業的殉教者であつたのだ。ケモノの皮剥(は)ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥取られ、ケモノの心臓を裂く代償として、暖かい人間の心臓を引裂かれ、そこへクダラナイ嘲笑の唾(つばき)まで吐きかけられた呪(のろ)はれの夜の悪夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸(か)れづにあつた。そうだ、そうして我々は、この血を享(う)けて人間が神にかはらうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印(らくいん)を投げ返す時が来たのだ。殉教者が、その荊冠を祝福される時が来たのだ。
我々が「エタ」である事を誇り得る時が来たのだ。
我々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦(きょうだ=おくびょうなこと。おじおそれること)なる行為によつて、祖先を辱(はずか)しめ人間を冒涜してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何(ど)んなに冷たいか、人間を勦(いた)はる事が何んであるかをよく知つている吾々(われわれ)は、心から人世の熱と光を願求礼讃(がんぐらいさん=願い求め、ほめたたえること)するものである。
は、かくして生れた。
人の世に熱あれ、人間に光あれ。
大正11年3月3日 全国
出典
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/suiheisya.htm