《日本語を忘れる》 「帰国事業」のとき、1831人の日本人配偶者が、家族の一員として北朝鮮に渡
っていったという。そのほとんどが女性だった。「日本人妻」といわれる人たち
だが、いまなお生存しているのはおそらく100人程度ではないかと考えられている
。
北村さんのおばあちゃんは、生きながらえて日本に帰ってくることができた数
少ない「日本人妻」の一人だ。成田空港に着いたとき、日本語がまるきり通じな
いので、出迎えた支援者がびっくりしたという。日本で暮らすようになって数年
になるが、いまだに日本語はたどたどしい。
北朝鮮の社会では、日本語を喋るのはご法度だ。もし現地の人に聞かれようも
のなら、密告されて強制収容所に送られる。それでも「日本人妻」に限らず帰国
者たちは、機会を作っては同じ境遇の人たちで寄り合って、こっそりと日本の歌
を聴いたり、日本語を喋って慰めあってきたという。でも、北村さんのおばあち
ゃんには、それができなかった。
帰国者は、ほとんどの人たちが咸鏡南道か北道に住まわされたのだが、北村さ
んの家族が行かされたの咸鏡北道の山間部だった。その村で帰国者の家族は北村
さんだけだったのだそうだ。周りの住民はすべて現地の人という環境で、おばあ
ちゃんは朝鮮語を覚え、日本語は忘れてしまわなければ生きていくことができな
かった。そうして50年もの歳月を生きてきたというわけなのだった。