川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

私が聞いた北朝鮮の暮らし⑮《日本語を忘れる》 鈴木倫子

2011-02-04 06:59:41 | 韓国・北朝鮮
《日本語を忘れる》

 「帰国事業」のとき、1831人の日本人配偶者が、家族の一員として北朝鮮に渡

っていったという。そのほとんどが女性だった。「日本人妻」といわれる人たち

だが、いまなお生存しているのはおそらく100人程度ではないかと考えられている

。
 
 北村さんのおばあちゃんは、生きながらえて日本に帰ってくることができた数

少ない「日本人妻」の一人だ。成田空港に着いたとき、日本語がまるきり通じな

いので、出迎えた支援者がびっくりしたという。日本で暮らすようになって数年

になるが、いまだに日本語はたどたどしい。
 
 北朝鮮の社会では、日本語を喋るのはご法度だ。もし現地の人に聞かれようも

のなら、密告されて強制収容所に送られる。それでも「日本人妻」に限らず帰国

者たちは、機会を作っては同じ境遇の人たちで寄り合って、こっそりと日本の歌

を聴いたり、日本語を喋って慰めあってきたという。でも、北村さんのおばあち

ゃんには、それができなかった。
 
 帰国者は、ほとんどの人たちが咸鏡南道か北道に住まわされたのだが、北村さ

んの家族が行かされたの咸鏡北道の山間部だった。その村で帰国者の家族は北村

さんだけだったのだそうだ。周りの住民はすべて現地の人という環境で、おばあ

ちゃんは朝鮮語を覚え、日本語は忘れてしまわなければ生きていくことができな

かった。そうして50年もの歳月を生きてきたというわけなのだった。