川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

網野善彦さん

2011-02-12 18:02:51 | 政治・社会
 2月12日(土)曇

 昨日今日と大雪が懸念されたが川越はみぞれが降っただけで積雪はない。寒いので家に閉じこもって寝たり起きたりの生活。

 昨日の「川越だより」のおしまいで服部英雄さんの「網野善彦氏の歴史学」(毎日新聞・04・4・23)という文章を紹介したが、改めて読んでいくうちに「網野さんという人」のすごさに驚いた。

 ぼくは網野さんの本をほんのちょっと読んでファンになっているだけだが、こんな文章を読むと僕の中では尊敬度がただごとではなくなる。この人のことをもっともっと知りたくなる。

    「網野善彦氏の歴史学」から

「(網野善彦)氏が人のしごとに差を付ける「賞」の受賞を拒み

 つづけた話はよく知られている。

 あらゆる権威を否定した。

 網野善彦の葬儀はなかった。

 遺体も献体されて自宅には戻らなかった。

 徹底して科学的なもの、合理的なもののみ追求し、強い意志を持ちつづけ、

 最後もそれに殉じた。

 墓も作られないような気がする。

 墓標はなくとも、多くの著作と継承される学問が残された。

 われわれひとりひとりに網野史学は生き続ける。」


 勲章を拒否した人の話は聞く。しかし「人の仕事に差をつける」と言ってあらゆる「賞」を拒否したという。賞には縁のない人間だが、もし何かの事情で賞をあげるといわれたら僕などはいい気になって喜んでもらうだろう。

 「献体」はどうだろう。昨年、「献体」を遺言して亡くなった知人がいた。遺族はその通りにして葬式と言うほどのものは行わなかった。これは是でいいなとは思ったのだが、僕自身の「献体」には何となく拒否感がある。


 墓は作られたのかどうか分からないが、この人の生き方(死に方)はすごいなあ。

「徹底して科学的なもの、合理的なもののみ追求し、強い意志を持ちつづけ、

 最後もそれに殉じた。」というがどういうことだろう。

 「科学的」「合理的」という言葉に違和感のある僕にはやや違うのではないかという思いもある。


 1967年までは北園高校の教員だったというから、僕を大切に扱ってくれた坊城俊民校長と同僚だったことになる。この人の生徒だった人も友人たちの中にいるかもしれない。歴史学徒で北園OBのMくんはどうかな。

 本当は著作を読んで網野史学の学徒になるのがいいのだが学問には縁が遠い。とりあえず、前に古本屋で買った『僕の叔父さん・網野善彦』(中沢新一著・集英社新書)を読んでみることにしよう。