川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

川越・遊びの学校で脱北者の話を聞く

2011-02-14 18:22:14 | 韓国・北朝鮮

2月13日(日)晴れ

日高市のOさんのお宅で北朝鮮を脱出してきたAさんの話を聞く集まりがあるというので妻に連れて行ってもらう。この集まりを企画したの

は「川越あそびの学校」。1974年以来、季節の感覚を大切にしながら大人と子どもが一緒になって昔の遊びを楽しんできたグループだ。

昨年は緑綬褒章をもらった。いつ頃からか僕はよく知らないが、妻もメンバーに加えてもらっている。僕は初参加。

高麗道から少し入った一軒家の二階に集ったのは10数人。これがまた全員60代以上の老老男女。埼玉県西部が中心だが東京から来

られている方もいる。この方たちは「南京玉すだれ」を特技としているという。

40年近くもこの会をやってきたSさんが作ってきてくれた赤飯の昼食を共にしながらAさんの話を聞くのである。僕は何とも言えない温か

い気持ちになった。過去にもAさんのお話に耳を傾けたことがあるが、それは日頃から北朝鮮の人権問題に関心がある友人たちと一緒の

席だった。

今日の会は雰囲気も何も全然違う。僕の場合でいえば田舎の小学校の同窓会の席に近いか?それぞれに戦後を生き抜いてこられた、

生き方も考え方も学歴も仕事歴も様々な人がSさんのまわりに集っているのだ。CPの方もいれば足腰が痛い方もいる。Aさんのお話はこう

いう場所で聞いてもらってこそ生きてくるのではないか。

Aさんは北朝鮮の清津についてから40年に亘る人生を、出会った「日本人妻」を中心に話された。過酷な人生の話は3時間にも及んだがど

なたも熱心に耳を傾けておられた。50年も昔、帰国する朝鮮人のために開かれた送別会を記憶されている方もおられた。蕨市から駆けつ

けたNさんは少女期に北朝鮮に渡る叔母さん一家と別れた。いま、50年後に日本人妻の話をはじめて聞いたという。叔母さんは既に亡くな

られたというがその思いとはどんなものだろう。

Sさんは本を読むことも大事だが当事者の話を直接聞く大切さに改めて気づいたといっておられた。自分もそうだが参加されたお一人お

一人がAさんの話を心の奥深くで受け止めてくれたと実感しているようだ。

北朝鮮に閉じこめられた日本人妻に対する差別は過酷だが、生きて日本に帰りたいという一心で長生きしている人もいるという。日本のあ

ちこちで今日のような集いをもって、関心を呼び起こす取り組みを広げていきたいものだ。友人たちがSさんのように家族や自分のグループ

で北朝鮮を脱出してきた方の話を聞く機会を作ろうとするなら僕は喜んで協力します。ご検討下さい。