川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

「川内で百姓はいかが」  九州路に友人たちを訪ねて(1)

2011-05-04 07:02:58 | 出会いの旅

4月20日(水)晴れ

 羽田空港9・40~11・25鹿児島空港

 チェコ村(昼食)~加治木町・龍門司焼~西郷公園(西郷隆盛の巨大像)~嘉例川(かれいがわ)駅(肥薩線)~塩浸(しおびた

し)温泉(龍馬・お龍の新婚湯治湯)~和気神社(フジ)~熊襲(くまそ)の穴~田上さん宅(泊)

 田上くんが大学での中国語の勉強を終えてチェコ村に駆けつけてくれた。東京教育大学の同級生。新聞部や自治会の活動ばかりして授

業に出なかったぼくがともかくも「法律政治学」を専攻して卒業したことになっているのはもっぱら友人たちの御陰だが田上くんに負うところ

が多い。その彼に今回の旅のきっかけも作ってもらった。「温泉付きの家に住むようになったから遊びにおいで」。

 早速、自動車で今は霧島市となっているあちこちを案内してもらったが「熊襲の穴」はことに面白かった。

 (ここを訪ねた方のブログを二つ紹介させてもらいます。ごらんになってください。)

  ●熊襲の穴http://www.ajkj.jp/ajkj/kagoshima/hayato/kanko/kumasonoana/kumasonoana.html

  ●熊襲の穴http://washimo-web.jp/Trip/Myouken/myouken.htm

 「熊襲」の首領、川上梟師【かわかみたける】の世界に突然タイムスリップしたような感じだ。熊襲や隼人(はやと)といわれる九州

南部の先住民のことに昔から興味があったのだがその遺跡かもしれない岩屋に初めて入ったことになる。極彩色の壁画はとても

マッチしているが後世の人々に誤解を与えるかもしれない。作者名や制作年を書き記しておくべきだと思った。

 夜、くだんの温泉に入れてもらった。肌がつるつるになる名湯である。心地よさは嬉野温泉を思い出させる。

 田上くんが温泉付きの家を建てたのはK子夫人のためだ。若いときから原因不明の腰痛に悩まされ、遠く北陸の七尾まで治療

を受けに通われた。温泉療法も効き目があり、近頃は台湾の温泉にまで出かけておられるという。

 迂闊なことにそんな事情があったことをぼくはお会いして初めて知った。10年ほど前、鹿児島に住んでおられたとき夕食の接待を

受けたことがあるが、あの時もそうだったのか。(気づかずに何度も押しかけてごめんなさい)。近頃は小康状態をたもっているとの

ことで遅くまで私たちの世話をしてくださった。「薩摩おごじょ」とはK子さんのような方を言うのだろう。

 霧島に住むようになったため、川内の実家や畑の管理が大変らしい。田上くんは毎週のように通って百姓仕事をしている。

「ここに住んでくれる人は居ないかなあ」という。

 ぼくが元気だったら立候補するかもしれない。だが、庭の草もまともに引けない人間には縁が遠い話である。

友人たちの中でどなたかやってみようという方はいませんか。

 住んで畑の仕事を楽しむことが出来ればいい。川内原発の10km圏内だとはいうが…。

(この話は冗談ではない。もし、関心を持たれた方がいたらぼくに連絡してね。)

 田上くんは相変わらず勉強家だ。鹿児島の大学に通って中国語の学習に励むばかりではなく、夫人の湯治のために滞在する

台湾では現地の人たちに日本語を教えるボランティアをやっているという。

 健康を考えて酒はやめたというが旧友との語らいは遅くまで続いた。