川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

コリア系日本人

2010-01-10 11:04:24 | 在日コリアン
 昨日(9日)の「朝日新聞」朝刊に僕がかかわってきた「在日コリアンの日本国籍取得権確立協議会」の会長(李さん)と顧問(坂中さん)の言葉が紹介された記事が載っています。皆さんの手元にあればご覧になってください。1面から2面に続く<日本 前へ(7)> という特集記事の締めくくりの部分です。


 迫られる 新たな開国 <日本 前へ(7)> (朝日 10・1・10) 
 
 (略)
 
 また、ここ15年ほどは韓国・朝鮮や中国の出身者を中心に毎年1万5千人前後が日本国籍を取得。「日本人」そのものも多様化している。

 大阪府高槻市に住む在日2世の李敬宰(イ・キョンジェ)さん(55)は06年に民族名のまま日本国籍をとった。「日本名で『日本人』にまぎれていくのではなく、『コリア系日本人』としての生き方を示したい」

 ただ、在日の歴史を踏まえ、許可を得るのではなく、届け出だけで国籍取得できるようにすべきだと主張。「在日コリアンの日本国籍取得権確立協議会」の会長として運動する。「国籍取得で自分の中の分裂がなくなり、すっきりした。差別をなくすことと日本社会への貢献は両輪と考える。多文化社会では国籍の概念を変えなくては」

 国籍と民族的なアイデンティティーは必ずしも一致しない。「日本人」をひとくくりにできる時代は過ぎた。

 (略)

 グローバル時代、外国出身者との共生は避けられない。移民を入れるべきかどうか、という議論はすでに現実に追い越され、望ましい多様化とはなにかを考える段階だ。

 東京入国管理局長などを務めた坂中英徳・移民政策研究所所長(64)は「放っておいても外国人は増える。人口減少が進む今こそ多様な人材を入れるという国づくりの視点が必要だ。将来の国民と考えた上での受け入れ方を真剣に議論するべきだ」と話す。(編集委員 大久保真紀)


 日本に住む外国人は約220万人です。これからもどんどん増えていきます。その際、大切なことは坂中さんが言うように「将来の国民」と考えて積極的に受け入れていく姿勢です。

 一定の客観的な基準を設けて国籍取得をすすめ、その方々の民族性やルーツを尊重しながら日本国民として権利と義務を分かち合っていくことが社会の安定につながっていくでしょう。「○○系日本人」という言い方が普通になる多民族多文化共生社会を意識的に作っていかなければならないのです。

 その試金石になるのが在日コリアンの処遇です。近代日本の最大の移民集団というべき在日コリアンは三世が中心世代になっているにもかかわらず、約40万人が「韓国」「朝鮮」の国籍を持つ外国人のままです。このため、選挙権・被選挙権などの公民権がなく、公務就任権も保障されていません。これは日本の民主主義にとって恐るべき事態です。

 私たちが「確立協」を作ったのはこのような事態を打開し、在日コリアンが「コリア系日本人」として無理なくこの社会で生きていける環境を整えるためです。

 2001年に当時与党であった自公両党などが法案まで作ったのですが今日に至るまで陽の目を見ていません。

 政権交代で民主主義の意味をかみしめたばかりです。今年こそ「国籍取得特例法」を成立させ、多文化共生社会への第一歩を踏み出したいと念じています。皆さんの理解と協力をお願いします。

 初耳の方は次の「Q AND A」を読んでみてください。

 なぜ在日コリアンの日本国籍取得権を確立しなければならないのか
http://members.jcom.home.ne.jp/j-citizenship/newpage11.htm

 


 

「普天間基地の移設」?

2010-01-09 08:28:04 | 政治・社会
1月7日(木)晴れ

 朝、NHK・FMで栗本尊子という方の歌曲を聞く。遠い昔から活躍されてきた方だという。知らないままで生きてきた。残念。でも、聞くことができてうれしい。

 午後、カツヨシさんが様子を見に来てくれた。妻の料理で遅くまで新年会。


 1月8日(金)晴れ

 風もないので新年初の自転車での遠乗り?をすることに。丸木俊さんの作品展が行われている丸木美術館へ。

 越辺川(おっぺがわ)の土手から見える浅間山がいつになく鮮やかだ。富士山のようなコニーデ型。こんな山容だったかなあ。

 土手を下りて白鳥に接近してみる。70~80羽ぐらい。カモ類も多い。どこかに出張していたつがいが時々舞い降りて着水する。

 美術館着は12時ころ、久しぶりで調子がいまひとつだったのか2時間半もかかった。

 沖縄の佐喜眞美術館の館長さんがお子さんと一緒に見えられた。4月から丸木夫妻が描いた「沖縄戦の図」が丸木美術館で展示されるに伴う打ち合わせのようだ。

 日差しの温かい「流々庵」で昼食をともにする機会に恵まれた。お会いするのは数年前、佐喜眞美術館を訪ねた時以来だ。

 佐喜眞道夫さんhttp://www.okinawatimes.co.jp/article/2009-11-08_797/

 佐喜眞美術館は普天間基地に隣接している。屋上からは基地が見渡せる。普段から疑問に思っていることについて聞いてみた。

 沖縄(普天間基地)の米海兵隊8000人はグアムに統合移駐すると計画されているのになぜ、辺野古に普天間基地の代替施設が必要なのか?

 お二人の話によると僕の疑問はもっともで、辺野古に作られようとしているのは代替施設ではなく、全く新しい基地だという。原潜なども接岸できる岸壁も計画されているという。60年代から米軍には腹案があったらしい。

 展人くんのブログには「(普天間基地のある宜野湾市の)伊波市長は、米軍はそもそもグァムに海兵隊を集中させる計画を現に進めているのだと強調する。(この部分については後日、じっくり紹介したい)」とある。

 保坂展人のどこどこ日記http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/57f9e88ce06bc39d2a3704ed93efec57

 ならばなぜ、アメリカ軍も日本政府も普天間基地の移転などと大騒ぎをしているのか?「移転」という名目で新基地を作ろうということなのか?

 疑問は深まるばかりである。展人くんが「後日」解き明かしてくれるのを待つことにしよう。

「15になった君へ」 

2010-01-07 07:24:16 | こどもたち 学校 教育
今朝のコニヤンのブログに職場の同僚の三浦さんという方が20年前に自分の生徒に送った詩が紹介されています。

 「教育支援センター」(不登校の子どもの教室)で働くようになった三浦さんの活動の原点を知るような気がします。

 今日は1月7日です。松の内のうちに私たちが生きていくときに何を大事にしていかなければならないかを問いかけてくれる言葉に出会いました。今年も元気に生きていくぞ、感謝の気持ちを持って紹介させてもらいます。声に出して読んでみましょう。

(こういう方と一緒に仕事ができるコニヤンは幸せですね。喜びの気持ちがブログから伝わってきます。)


「15になった君へ」 三浦文隆 

15の誕生日おめでとう
15の女の子にしては
心細いかと思われる道を歩いている君
だけど心細いと思わないでほしい
その道はとても大切な道
自分が自分であるために
AさんがAであるために
どうしても通らなければならなかった道
君にその道を歩かせたのは
弱い心やいじけた心じゃない
君にその道を歩かせたのは
君の生きる力
その他大勢ではなくて まず本当の自分
みんなに合わせて てきとうにするのではなく
本当の自分でどうしてもありたいとした
君の生きる力
その力にもちろん君は気がついていないだろうけれど
人間にとっては一番大切なもの
うまく上手に生きるのではなく
いかに自分らしく生きていくか
これは真剣に生きようとする人が
みんな持つテーマ
他の人より少し早く その苦労を知ってしまった
けれど
それはムダな回り道じゃない
とても有意義な回り道
将来、自分の足でしっかりと立って
ステキな人生を送るための
とても大切なステップ
せっかくの回り道
せっかくの時間
豊かな回り道にしてほしい
そして その道を歩いているのは
君一人じゃない
    1990.12.1記

  出典 コニヤンのブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/gogokoniyan/50002104.html

相原求一朗 北の十名山

2010-01-06 06:20:01 | 映画  音楽 美術など
 1月5日(火)晴れ 風やや強し

 川越市立美術館で「相原求一朗<北の十名山>」の特別公開が始まるというので早速行ってみた。僕が二番目の入場者、か。

 広くもなければ狭くもない部屋に<北の十名山>が並ぶ。ほかの絵はない。


○春の岳稜 トウムラシ山、○雪の平原 十勝幌尻岳、○春宵 斜里岳、○山頂残雪 雄阿寒岳、○水ぬるむ 雌阿寒岳、○錦繍装う 羅臼岳、○早暁 十勝岳、○山峡新緑 羊蹄山、○山麓紅染む 旭岳、○潮騒に屹つ 利尻岳

 一つ一つの絵に言い知れぬ感動がある。十枚の絵に囲まれているといつまでもいつまでも立ち去りがたい。まるで大自然のただなかにいるみたいだ。

 ほとんどの作品が1995年からの一年間で描かれたもののようで、作家の最晩年の作品だ。
 この方は徴兵によって21歳からの5年間を中国東北部やフィリピンで過ごし九死に一生を得て奇跡的に生還したという。画風に迷う時期があったが、1961年狩勝峠からの雄大な景観に感動した時から北の大地に取材した作品を発表するようになったとのことだ。

 大自然に魅了され救われた作家の感動と喜びが伝わって来て涙が出そうになる。

 今も川越にある「埼玉糧穀」という会社の経営をしながら絵を描き続けたという。生まれは元町二丁目というから我が家からも近い。
 

  苦悩の軌跡・晩年結実の半生たどる http://www7b.biglobe.ne.jp/~koedo-shimbunsha/Pages/AiharaKyuichirouten.html

 感動が冷めやらぬまま、伊佐沼のほとりで昼食とする。どういうわけか、伊佐沼には水がない。魚たちはどうしたのだろう。

今年はどこへ?

2010-01-05 17:21:10 | 出会いの旅
 年賀状や年賀のメールから。

 <ひかり>さん(池商OG)

昨年は思いがけず二回もお会いでき、とても嬉しく、懐かしかったです。

 先生の出かけられた新潟県の松之山温泉は私の祖母の生まれ故郷で私も何回も行きました。
 宮城県登米(とめ)市の横山というところが夫の本家があるところです。宮城界隈も毎年行っています。私に縁があるところばかりで驚きです。

 ★確かに縁が深いなあ。住まいは私たちの活動拠点だった木苺舎(荒川区)に近いし、僕がよく行く群馬県長野原町(北軽井沢)はおじいさんの住んでおられたところ、昨年夏、訪ねた北海道・余市はお連れ合いの故郷。
 北海道に住むお連れ合いの家族のルーツの地が登米市横山だということは数年前にわかったことだという。夫婦で確かめに行って大歓迎を受けたらしい。大久保も西條も400年のルーツをさかのぼることができる家で二人がともに歴史に関心があるからできたことであろう。
 
 横山不動尊があるところだ。
 
 横山不動尊http://miyagitabi.com/tome/yokoyama/index.html

 昨年僕はひかりさんのおかげで35年ぶりに旧<1~7>の面々に会うことができたが、一年中、ひかりさんの縁故の地を訪ね歩いていたことになる。

 今年はこの登米あたりから北上川をさかのぼって花巻・遠野あたりまで花の咲くころに行けるかな。

 花巻は宮沢賢治の故郷だが高村光太郎が晩年を過ごしたところでもある。お隣の森田さんの娘さんの家があり、お孫さん二人が花巻東を目指して少年野球に精進しているとも聞く。


 <TOKIO>くん(池商OB)

 春に信州へお越しの際は必ず、ご連絡下さい。その頃には長男の受験も一段落し、自動車学校の予定に合わせて戴き是非とも安曇野を案内させて頂きたいと
思います。
 先日の帰省時(幼なじみの一番の友人が亡くなりました)に首都高を降り江北橋を渡りましたが(実家は足立区宮城町・荒川隅田川の間)近未来都市と化し懐かしさと哀しさで複雑な想いでした…。
 ご参考までに、こちらは春先も寒くゴールデンウィーク以降新緑の季節の六月ま
での間がよろしいかと考えます。楽しみにお待ちしております。それでは。

 ★昨年のクラス会で会えなかった人だ。僕は先日のサイクリングで王子に向かう途中で江北橋を渡り、TOKIOくんの家を訪ねたことを思い出したばかりだ。50前に親友をなくしたのか!首都高の巨大な橋ができて街の様子も変わってしまったのだろう。

 安曇野(松本平)は気に入ったところで昔、父母を案内したこともある。TOKIOくんの案内なら格別だ。行方知れずの水野くんたちの消息が分かれば嬉しさは倍増するのだが…。

 
 雅子さん(在 北京)

 お元気な様子、安心いたしました。中国では報道規制があり、まだ社会の矛盾も多いですが、着実に市民の人権感覚が成長しています。長い目でこの国の変化を見ていきたいです。それにしても、中国語を共通語として世界中の留学生たちと話す日があろうとは思ってもみませんでした。

 ★都立高校で長く中国残留孤児二世の世話をされてきた方。退職後、北京に留学されたとか。僕と同じ病魔に取りつかれたことがあったが気力で乗り越えたのだろう。これからどんな人生を歩まれるのだろう。「川越だより」に寄稿をお願いしたところだ。

 中国といえば深圳に住む文恵さん(北高OG)からライチーを食べにおいでと言われて久しい。(そういえば妹の恵さんは雅子さんの生徒だ。)今年は行ってみようという気になれるだろうか。

 


 

坂本直行の絵・十勝中札内

2010-01-04 08:17:46 | 映画  音楽 美術など
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 1月3日(日)晴れ

 箱根駅伝を見たり、ひばりの昔の歌を聞いたりして過ごす。昼寝をして夜、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」を見る。
 どんな展開になるのか、今年は楽しんで見られるのだろうか。いくらその地に愛着があるといっても昨年の川越を舞台にした朝ドラはあまりにひどいので一、二回で見なくなった。

 1968年の大河ドラマ「竜馬がゆく」は大島の3年目だったが教員住宅にはTVがなく、街の食堂などでとぎれとぎれに見た。司馬遼太郎の原作は楽しんで読み、その後、故郷・土佐にかかわる作品を注目して読むようになったのではなかったか。
 「坂の上の雲」「ウェルかめ」と四国に縁のあるドラマが続く。朝ドラのほうはもう見なくなった。大金をかけてどうしたらこうつまらないドラマを作れるのだろう。

 龍馬といえばなぜか坂本直行という人の絵を思い出す。池田の森田さんに連れて行ってもらった帯広郊外の中札内の美術館で見た。雪の日高連峰の絵など鮮烈な印象がある。龍馬一族の子孫である。
   
 坂本直行の絵http://matsuyama.web7.jp/chokou/aburae/index.html
 


 ここには川越出身の画家・相原求一朗という人の絵もたくさんあった。北国の山の風景に魅了された。

 川越に美術館ができて相原さんの絵にはいつでも会えるがやはり、十勝の原野のただなかにある美術館で見るのとは違う。
 
 相原求一朗の「斜里岳」http://cardiac.exblog.jp/6392417

 龍馬の子孫の絵と川越出身の相原求一朗の絵が同時に見れる中札内というところは僕にとっては忘れられない大切な地の一つになった。

 中札内 http://azusamaya.web.fc2.com/tetudou/satunai.html

 追記 川越市立美術館で相原求一朗の<北の十名山>全十点の特別展が明日から3月28日まで開催されます。中札内の美術館の代表的な作品だが川越では初公開だといいます。

 

正月二日 お隣さん

2010-01-03 09:01:40 | 川越・近郊
 1月2日(土)晴れ

 穏やかで温かい散歩日和。川越市街地の神社仏閣を訪ねて歩く。
 
 神明神社~氷川神社(川越総鎮守)~三芳野神社(城内・「とおりゃんせ」発祥の地とか)~御嶽神社(城内・富士見櫓後)~成田山~喜多院~東照宮~中院~熊野神社

 氷川さんと喜多院界隈は人の波なので遥拝。熊野神社でお神酒をいただく。大正浪漫通りの行きつけのお寿司屋さんで昼食、1100円也。これでおしまい。

 昼寝の後、6時からお隣の森田さんに「お呼ばれ」。岩手の山の村出身の奥さんの郷土料理の接待。いつも通り三人でごちそうになる。
 
 ハタハタの焼き物から始まる。森田さんは若いころ秋田の八森港に行きハタハタをトラックで買い付け、バケツ一杯単位で人々に頒けた。
 つづいて金時豆・ユリ根・昆布。「マメで喜(よろ)コンブ」ということでお正月に欠かせない料理だ。「よろ」と呼ばれるユリ根は昔、森田さんしか知らない(行けない)群生地で籠いっぱい採って一日に二回、里に運んだという。。

 山里の素朴だが豊かな料理にお酒も進む。山の村の思い出話が楽しい。

 豪雪で孤立した隣村への道を最新鋭のブルで切り開いた自慢話は毎年聞くが豪快で人情味がある。地元の暴力団の親分がわびを入れに来ることになった抗争の武勇伝も若いころを彷彿とさせる。体力に恵まれていることは僕も同じだが、この方の胆力には恐れ入る。一生懸命・無我夢中で怖いものなしだったという。

 クマに襲われ危機一髪のところを救助した故郷の人から今も欠かさず年賀状が届く。紀州熊野の方から祖父が亡くなった後も長く年賀状が届いていたことを思い出す。あらしの海で助けられた方だった。僕が「祖父死亡」のお知らせを書いた。

 山の人も海の人も危険と隣り合わせ。いざという時にその人の真価が問われる。

 自然のただなかで生きてきた人の物語は自分の人生に何が欠けているかを教えてくれる。今更どうなるものでもないが勇気を出して精いっぱい生きたいという気にさせてくれる。

 森田夫妻の故郷の山・和賀岳http://www.appi.co.jp/hori/2009trekking/wagadake.html
 

 8時過ぎにお開き。森田さんは2月1日に70になる。この日、今度は妻の土佐料理で「古希」のお祝いをする。
 今もブルの仕事では誰にも引けを取らない森田さん。自分では、全然、「年寄」とは思っていない。

 秋田八森ハタハタhttp://ameblo.jp/happounavi/entry-10393154440.html

 一月一日 好日

2010-01-02 17:46:36 | 父・家族・自分
 2010年1月1日(金)晴れ

 10時過ぎ、妻の母が来て屠蘇で新年を祝う。息子夫婦が届けてくれたオセチに妻の手作りの昆布まきなど豪華な食卓。
 
 昆布は北海道・広尾の産、貴子のお母さんが送ってくれた。1980年、高3の貴子たちと広尾の三親牧場でひと夏を過ごさせてもらった。その時世話になった石沢宗一さんという昆布漁師と貴子の一家との交流が続いてきた証だ。

 妻の昆布まきは土佐・室戸流で評判が良いのだが今年の味はまた格別である。

 省吾くんと譲くんから去年もらった益子焼の鉢には赤目芋の煮付け。食卓には初登場。なかなか見ごたえがあるが、使い勝手も良いと妻は喜んでいる。

 酒は松竹梅の金粉入り。中国から20余年前に来た智慧子(ちえこ)さんのプレゼント。

 義母の長寿を祝い、友情に感謝しつつ、程よく酔う。


 昼寝の後、自転車道を川越公園へ。空気はやや冷たいが正面にくっきりと富士山のすがた。遊歩道の落ち葉を踏みしめて歩く。

 入間川と富士山http://jirophotos.exblog.jp/i4/

 夜になって息子夫婦がやってきて、二次会。年に一度、家族がそろう。

 去年の宮城の旅が楽しかったから、今年は京都にしようかと息子がいう。娘のアイルランド旅行のスライドを見たあとではスコットランドがいいかと飛躍する。

 宮城といい、京都といい、ウィスキーの醸造所があるところである。スコットランドは日本の「ウィスキーの父」竹鶴政孝の修行の地であることは去年、北海道の余市で学んだばかりだ。

 夢は大きいほうがいいがそんなことが実現するのだろうか。長い飛行機の旅を想うと京都の方がいいかと思ったりする。丹後の天橋立の近くには妻の旧友が住んでいて再会を楽しみにしていてくれるという。

 穏やかな一日だった。

 三親牧場http://www.do-plan.co.jp/sansin/index.html

年賀状

2010-01-01 06:37:25 | 父・家族・自分

 大晦日は前日に続いてNHKのドラマ『遥かなる絆(きずな)』(再放送・6時間)に釘付けとなりました。「きいちご移動教室」の木島平村の宿で残留孤児二世たちと泣きながら見たのを思い出します。僕には思いがけない最高のプレゼントでした。

 夜になって木島平村の高山すみ子さんからリンゴが届いたのでお礼の電話をしました。「今年は鈴木さんに二度までも両親の墓参りに連れて行ってもらった」といわれます。新年早々にはお孫さん夫婦に赤ちゃんが誕生するとのことです。「こんなうれしい正月はない」。

 おばあちゃんの弾むような声に来る春の喜びを一足早くおすそ分けしてもらいました。「春になったらきてくれるか」。もちろんですとも。
 今日は雪だといいます。四世代が集う春の日の団欒(だんらん)に加えてもらう日を想像して喜びが沁みとおってきます。

 9時半から12チャンネルの 「ニッポンの大決断~2009政権交代~ 」を見ました。徳島県(旧)木頭村の藤田恵・元村長の人生が劇化されており、本人も出ておられました。日本で初めて村民とともに無駄なダムを阻止した方です。
 帰郷の途次に役場を訪ねてお会いしてもらったことがあります。文京高校や山吹高校の授業ではこの方を紹介しました。今、八ッ場ダムの建設中止が問題になる中で時代の先駆けとして脚光を浴びてきました。僕もなんだか嬉しくなります。藤田さんがお元気そうでなによりです。

 
 新年です。皆さん、おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 私たちの年賀状です。

 
  頌春 年頭にあたり、変わらぬご厚誼に感謝し、皆様の健康を祈ります。
                      
                           2010・1・1

≪09年の報告≫
 春先に北朝鮮を脱出してきた家族との出会いがあり、小学生の姉弟と上野動物園、バス旅行、花火大会、川越祭り、丸木美術館と楽しい時を共に過ごしました。彼らの目を見張るような成長と適応ぶりに人間の可能性と希望を感じることができました。

 ★久しぶりに体調もよく、ここぞとばかり列島各地を訪ね、高山すみ子さんという満州開拓団集団自決生き残りの元気いっぱいのおばあちゃんと知己になるなど心に残る出会いが続きました。35年ぶりに池商1~7の面々と再会できたことは特筆すべきことです。(啓介)
 ★新潟の集会に旧友が参加してくれました。十何年振りかの再会もうれしかったけれど、思いきって引き受けてくれた「遺族代表挨拶」が心にしみました。直さん、ありがとう。(倫子)


[主なできごと]

 ●クラス会 池商75年(1~7) 文京97年(1~G)
 ●きいちご移動教室 ⑨北信濃(5月)
 ●夫婦の旅  霞ヶ浦(2月)北茨城(3月)北信濃(4月・菜穂子さんと高山すみ子さん訪問)出羽(四月・萩原くん訪問)胆振・檜山・後志(7月)秋山郷(8月・勝義さん)宮城(10月・息子夫婦)四国(11月)
 ●保養 伊豆高原(1月 9月 12月)
 ●<北朝鮮帰国第一船出港から50年>あの日を…忘れない!新潟港追悼集会(12月14日)

 鈴木啓介・倫子
 350-0823 川越市神明町43-26