先日、鳥越俊太郎さんが毎日新聞の「ニュースの匠」というコラムに書いた記事を読みました。
毎日新聞の岩見隆夫さんの批判に反論したものです。僕にはよく納得できます。それで岩見さんの文章も読んでみることにしました。
「政治とカネ」を日々吹聴している「ジャーナリスト」の本音を聞いたような気がしました。こんな人が大新聞の論説を書いたり、TVで偉そうな口をたたいたりして「世論」を作り上げているのです。
ニュースの匠:私情が一番コワい=鳥越俊太郎
私が小沢一郎氏を当コラムで取り上げると、いわゆるジャーナリストと称する方々が次々と私の実名をあげて批判を展開する。よほど痛いところを突いてしまったのかもしれない。朝日社説子しかり。今回は私の大先輩、岩見隆夫氏(「サンデー毎日」1月30日号「サンデー時評」)です。
私もそのコラムの見出しにならって「岩見隆夫さんは間違っている」というタイトルで反論してみます。岩見さんの論点は「『不起訴=虚構』はとんでもない短絡」という批判です。その論拠として検察内部に処分を巡って対立があったことや起訴論が検察内部にあったことを挙げる。しかし、内部に何があろうと<不起訴>という現実が法と証拠に基づく司法の最終結論であり、結論までのプロセスでいろいろ議論があったらしいという推論で小沢氏を黒く見せようとする立論は、私の恐れるファシズムへの道であります。
岩見氏は戦争の体験をどう総括されているのか。<アカ>という言葉ですべての戦争反対論者を葬り去り、国民を戦争賛美者に駆り立てていった苦い経験。私たちメディアで働く者は、分かりやすい言葉で国民を雪だるまが坂道を転がり落ちるような状態にしてしまわないように心すべきである。私はいま、「政治とカネ」の言葉が国民を思考停止状態に陥らせていると判断するのであえて「言葉のファシズム」という表現を取らせていただいたのです。
岩見さんは、鳥越の主張は「検察不信」が小沢擁護に直結しているという。私はそんな感情論からスタートしているのではない。「検察の現実」からスタートしているのです。
あえて言わせてもらうと、岩見さんは「長年、政治記者として小沢という人物を観察してきた確信である」といい、法と証拠で論ずべきところに自分の“長年の確信”という私情をはさんできた。<オレの見てきた小沢なら今度も有罪に違いない>。こうした思い込みがコワいのです。
(毎日新聞 2011年2月7日 東京朝刊)
サンデー時評:鳥越俊太郎さんは間違っている
ディベート(討論)能力が著しく衰えていることを、最近強く感じる。相手の主張を十分ソシャクしたうえで、自分の説を組み立てる、という当然のことができない。
討論の主戦場である国会でも、同じ傾向が顕著だ。双方、自説を繰り返すばかりで噛み合わず、ついには不規則発言が飛び出して、閣僚更迭などという騒動にまで発展する。
言論界も例外でない。テレビでおなじみの鳥越俊太郎さんは、古くからの友人ではあるが、先日、民主党の小沢一郎元代表の〈政治とカネ〉をめぐる批判に対して、
〈きちんとした検証抜きのレッテル貼りは、言葉のファシズムではないのでしょうか〉
と書いているのを見て、唖然とした。鳥越さんが『毎日新聞』に連載している〈ニュースの匠〉というコラム(一月十日付)のなかである。
ファシズムとは極めつきのレッテル貼りではないか。私のように、新聞、雑誌、テレビで小沢さんの批判を続けてきた者にとっては、突然、ファシスト呼ばわりされたような気分で、驚き入るばかりだ。ここは一言しないわけにはいかない。
鳥越さんはベテランのジャーナリストでありながら、ディベートの原則を踏みはずしている。小沢批判側の主張をまったくソシャクしていない。〈言葉のファシズム〉と結論づける前提として、鳥越さんは、
〈私自身は二つの事件(西松建設違法献金事件と資金管理団体「陸山会」の政治資金規正法違反事件)を巡る東京地検特捜部の動きとマスコミの連動を当初から検証していますが、特捜部が見立てをし、その通り捜査を行ったものの、結局はその見立ては何ら証明されず、最後は不起訴に終わった、いわば“巨大な虚構”に過ぎませんでした〉
と決めつけた。虚構とは実体がないことである。それを根拠に騒ぎ立てるのはファシズム、というのが鳥越さんの立論だ。実際に虚構なら、そういう主張もありうるのかもしれないが、果たして虚構だろうか。さらに、こう続けている。
〈“虚構”は転がる過程でマスコミを通じて大音響のこだまを生じさせ、首相から大阪のおばちゃんまで、何かといえば「政治とカネ」というようになりました。小沢氏のどこが、なぜ問題なのか?〉
私は一ジャーナリストとして、言葉のファシズム、などという恐ろしい表現は一生に一度使うことがあるかどうかと思っているが、こういう鳥越流の、検察捜査の失敗→虚構→マスコミの過熱→ファシズム、という論の組み立て方には、すかすかのスイカを外見上、おいしいスイカに見せるような危うさがある。いかにも短絡的なのだ。
◇不起訴イコール虚構とはとんでもない短絡である
まず、虚構論である。小沢さんは、西松事件では、
「一点のやましさもない」
と繰り返し、陸山会事件では、
「信頼する秘書にすべて任せてきた」
と述べているが、鳥越さんはそれを信じているらしい。私は信じていない。長年、政治記者として小沢という人物を観察してきた確信である。
鳥越さんは不起訴イコール虚構と断じた。とんでもない短絡だ。これまで検察が狙いをつけ追及したが、起訴に至らなかった大物政治家は何人もいる。ほとんどは小沢さんと同様、嫌疑不十分によるものだった。潔白ではなく、虚構でもない。
小沢さんの不起訴処分が決定した日、東京地検の特捜部長は、
「検事の数ほど意見があった」
と言い、処分をめぐって内部に対立があったことをほのめかした。虚構でないことの重要な裏づけだ。
次に、鳥越さんの主張は、検察不信が小沢擁護に直結しているように読み取れる。それは明らかにおかしい。〈特捜部の見立ては何ら証明されず……〉と鳥越さんは言うが、〈何ら〉は間違いだ。疑いはいろいろあったが、起訴に至らなかった、検察内部には起訴論もあった、というのが真相である。不起訴処分の背景は、検察の捜査能力の不足によるのか、首脳陣の政治判断か、あるいは実際に違法性が乏しかったのか、ヤブのなかだ。
鳥越さんが検察不信のわりには、小沢さんの不起訴を頭から信じているのは解せない。不起訴に疑問を持ったから、検察審査会は二度も〈起訴相当〉を議決したのであって、検察不信なら検審に共感を示すほうが筋が通るのではないか。
だが、そんなことよりも、鳥越さんにぜひソシャクしていただきたいのは、いわゆる小沢問題の問題性である。〈政治とカネ〉は象徴的な断面でしかない。
小沢さんの政治感覚は古すぎる。いにしえの専制的なボス支配に近い。それを議会制民主政治に当てはめるには、(1)権力闘争に勝って、支配権を握る(2)そのために、選挙戦を制して多数派を確保しなければならない(3)選挙に勝ち抜くには、大量の資金調達が必要である─という三段論法的な政治手法を取る以外にない、と小沢さんは信念的に考えているようだ。
この手法はほかの政治リーダーにとっても避けて通れない道のりである。だが、ほかのリーダーとの違いは、小沢さんは手段を選ばないような強引さで突っ走ってきた点だ。その一つの表れが〈政治とカネ〉の疑惑にみられる突出した金権体質であり、剛腕といわれるゆえんだ。
四十年近く前、〈田中支配〉が騒がれ、田中角栄元首相の失脚につながっていったが、それをしのぐ〈小沢支配〉を危惧する空気が、政界の内外に広がったのは当然で、戦後政治の学習効果である。私も危惧する一人だ。
虚構を転がす、というような見当はずれの呑気な話ではない。鳥越さんは〈大阪のおばちゃん〉を持ち出し、庶民レベルにも批判の目を向けているが、庶民はしばしば敏感だ。八割が小沢さんに不信の目を向けている。それはファシズムなんかであるはずがなく、素朴な不安だ。
(サンデー毎日 2011年1月30日号)
毎日新聞客員編集委員。1935年旧満州大連に生まれる。58年京都大学法学部卒業後、毎日新聞社に入社。論説委員、サンデー毎日編集長、編集局次長を歴任。