川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

“長年の確信”

2011-02-10 21:57:06 | 政治・社会

先日、鳥越俊太郎さんが毎日新聞の「ニュースの匠」というコラムに書いた記事を読みました。

毎日新聞の岩見隆夫さんの批判に反論したものです。僕にはよく納得できます。それで岩見さんの文章も読んでみることにしました。

「政治とカネ」を日々吹聴している「ジャーナリスト」の本音を聞いたような気がしました。こんな人が大新聞の論説を書いたり、TVで偉そうな口をたたいたりして「世論」を作り上げているのです。


ニュースの匠:私情が一番コワい=鳥越俊太郎

私が小沢一郎氏を当コラムで取り上げると、いわゆるジャーナリストと称する方々が次々と私の実名をあげて批判を展開する。よほど痛いところを突いてしまったのかもしれない。朝日社説子しかり。今回は私の大先輩、岩見隆夫氏(「サンデー毎日」1月30日号「サンデー時評」)です。

私もそのコラムの見出しにならって「岩見隆夫さんは間違っている」というタイトルで反論してみます。岩見さんの論点は「『不起訴=虚構』はとんでもない短絡」という批判です。その論拠として検察内部に処分を巡って対立があったことや起訴論が検察内部にあったことを挙げる。しかし、内部に何があろうと<不起訴>という現実が法と証拠に基づく司法の最終結論であり、結論までのプロセスでいろいろ議論があったらしいという推論で小沢氏を黒く見せようとする立論は、私の恐れるファシズムへの道であります。

岩見氏は戦争の体験をどう総括されているのか。<アカ>という言葉ですべての戦争反対論者を葬り去り、国民を戦争賛美者に駆り立てていった苦い経験。私たちメディアで働く者は、分かりやすい言葉で国民を雪だるまが坂道を転がり落ちるような状態にしてしまわないように心すべきである。私はいま、「政治とカネ」の言葉が国民を思考停止状態に陥らせていると判断するのであえて「言葉のファシズム」という表現を取らせていただいたのです。

岩見さんは、鳥越の主張は「検察不信」が小沢擁護に直結しているという。私はそんな感情論からスタートしているのではない。「検察の現実」からスタートしているのです。

あえて言わせてもらうと、岩見さんは「長年、政治記者として小沢という人物を観察してきた確信である」といい、法と証拠で論ずべきところに自分の“長年の確信”という私情をはさんできた。<オレの見てきた小沢なら今度も有罪に違いない>。こうした思い込みがコワいのです。

(毎日新聞 2011年2月7日 東京朝刊)


サンデー時評:鳥越俊太郎さんは間違っている

ディベート(討論)能力が著しく衰えていることを、最近強く感じる。相手の主張を十分ソシャクしたうえで、自分の説を組み立てる、という当然のことができない。

討論の主戦場である国会でも、同じ傾向が顕著だ。双方、自説を繰り返すばかりで噛み合わず、ついには不規則発言が飛び出して、閣僚更迭などという騒動にまで発展する。

言論界も例外でない。テレビでおなじみの鳥越俊太郎さんは、古くからの友人ではあるが、先日、民主党の小沢一郎元代表の〈政治とカネ〉をめぐる批判に対して、

〈きちんとした検証抜きのレッテル貼りは、言葉のファシズムではないのでしょうか〉

と書いているのを見て、唖然とした。鳥越さんが『毎日新聞』に連載している〈ニュースの匠〉というコラム(一月十日付)のなかである。

ファシズムとは極めつきのレッテル貼りではないか。私のように、新聞、雑誌、テレビで小沢さんの批判を続けてきた者にとっては、突然、ファシスト呼ばわりされたような気分で、驚き入るばかりだ。ここは一言しないわけにはいかない。

鳥越さんはベテランのジャーナリストでありながら、ディベートの原則を踏みはずしている。小沢批判側の主張をまったくソシャクしていない。〈言葉のファシズム〉と結論づける前提として、鳥越さんは、

〈私自身は二つの事件(西松建設違法献金事件と資金管理団体「陸山会」の政治資金規正法違反事件)を巡る東京地検特捜部の動きとマスコミの連動を当初から検証していますが、特捜部が見立てをし、その通り捜査を行ったものの、結局はその見立ては何ら証明されず、最後は不起訴に終わった、いわば“巨大な虚構”に過ぎませんでした〉

と決めつけた。虚構とは実体がないことである。それを根拠に騒ぎ立てるのはファシズム、というのが鳥越さんの立論だ。実際に虚構なら、そういう主張もありうるのかもしれないが、果たして虚構だろうか。さらに、こう続けている。

〈“虚構”は転がる過程でマスコミを通じて大音響のこだまを生じさせ、首相から大阪のおばちゃんまで、何かといえば「政治とカネ」というようになりました。小沢氏のどこが、なぜ問題なのか?〉

私は一ジャーナリストとして、言葉のファシズム、などという恐ろしい表現は一生に一度使うことがあるかどうかと思っているが、こういう鳥越流の、検察捜査の失敗→虚構→マスコミの過熱→ファシズム、という論の組み立て方には、すかすかのスイカを外見上、おいしいスイカに見せるような危うさがある。いかにも短絡的なのだ。

◇不起訴イコール虚構とはとんでもない短絡である

まず、虚構論である。小沢さんは、西松事件では、

「一点のやましさもない」

と繰り返し、陸山会事件では、

「信頼する秘書にすべて任せてきた」

と述べているが、鳥越さんはそれを信じているらしい。私は信じていない。長年、政治記者として小沢という人物を観察してきた確信である。

鳥越さんは不起訴イコール虚構と断じた。とんでもない短絡だ。これまで検察が狙いをつけ追及したが、起訴に至らなかった大物政治家は何人もいる。ほとんどは小沢さんと同様、嫌疑不十分によるものだった。潔白ではなく、虚構でもない。

小沢さんの不起訴処分が決定した日、東京地検の特捜部長は、

「検事の数ほど意見があった」

と言い、処分をめぐって内部に対立があったことをほのめかした。虚構でないことの重要な裏づけだ。

次に、鳥越さんの主張は、検察不信が小沢擁護に直結しているように読み取れる。それは明らかにおかしい。〈特捜部の見立ては何ら証明されず……〉と鳥越さんは言うが、〈何ら〉は間違いだ。疑いはいろいろあったが、起訴に至らなかった、検察内部には起訴論もあった、というのが真相である。不起訴処分の背景は、検察の捜査能力の不足によるのか、首脳陣の政治判断か、あるいは実際に違法性が乏しかったのか、ヤブのなかだ。

鳥越さんが検察不信のわりには、小沢さんの不起訴を頭から信じているのは解せない。不起訴に疑問を持ったから、検察審査会は二度も〈起訴相当〉を議決したのであって、検察不信なら検審に共感を示すほうが筋が通るのではないか。

だが、そんなことよりも、鳥越さんにぜひソシャクしていただきたいのは、いわゆる小沢問題の問題性である。〈政治とカネ〉は象徴的な断面でしかない。

小沢さんの政治感覚は古すぎる。いにしえの専制的なボス支配に近い。それを議会制民主政治に当てはめるには、(1)権力闘争に勝って、支配権を握る(2)そのために、選挙戦を制して多数派を確保しなければならない(3)選挙に勝ち抜くには、大量の資金調達が必要である─という三段論法的な政治手法を取る以外にない、と小沢さんは信念的に考えているようだ。

この手法はほかの政治リーダーにとっても避けて通れない道のりである。だが、ほかのリーダーとの違いは、小沢さんは手段を選ばないような強引さで突っ走ってきた点だ。その一つの表れが〈政治とカネ〉の疑惑にみられる突出した金権体質であり、剛腕といわれるゆえんだ。

四十年近く前、〈田中支配〉が騒がれ、田中角栄元首相の失脚につながっていったが、それをしのぐ〈小沢支配〉を危惧する空気が、政界の内外に広がったのは当然で、戦後政治の学習効果である。私も危惧する一人だ。

虚構を転がす、というような見当はずれの呑気な話ではない。鳥越さんは〈大阪のおばちゃん〉を持ち出し、庶民レベルにも批判の目を向けているが、庶民はしばしば敏感だ。八割が小沢さんに不信の目を向けている。それはファシズムなんかであるはずがなく、素朴な不安だ。

(サンデー毎日 2011年1月30日号)

 

岩見 隆夫(いわみ・たかお)
毎日新聞客員編集委員。1935年旧満州大連に生まれる。58年京都大学法学部卒業後、毎日新聞社に入社。論説委員、サンデー毎日編集長、編集局次長を歴任。

 


安良里の網屋崎

2011-02-09 21:53:23 | 出会いの旅

午後から快晴で風もなくなったので久しぶりに川越公園を散歩したあと温泉に入ってきました。週末には雪になるとの情報があるので今日の晴れ間は貴重です。

先月の伊豆・保養中の備忘録。

1月25日(火)

伊豆高原の駅から八幡野港付近まで歩いた。吊り橋の近くに「大淀・小淀」という案内板があり磯まで下りる道があった。下りてみて驚いた。柱状節理の見事な岩の上に出たのだ。

●大淀・小淀http://izukogen.biz/seasideresort/post_00050.html

柱状節理の見事さを遠くから見る機会は多かったが岩の上に下りられるとは…。何度も歩いた遊歩道のすぐ脇、灯台もと暗し、か。

 

1月26日(水)

西伊豆町安良里港から西伊豆遊歩道今山コースに挑戦することにする。巾着状の港の奥まったところに遊歩道入り口があった。アップダウンの激しい道をあえぎあえぎ登ると外洋の見えるところにでる。網屋崎への分岐。網屋崎というのは安良里港の出口となっている砂嘴の尖端のことのようだ。前々から行って見たかったところ。展望台の先で昼食にしたあと下りてゆくことにする。

利用する人が少なくて廃道になったのか、途中からは道なき道をおそるおそる行く。何とか灯台のある先端部にたどり着いた。うつくしい安良里の港の全貌が目の前に広がる。

石積みの上にわら屋根が乗っている小屋のようなものが見えたので行ってみた。イルカ漁の網小屋だったという。妻はかつて訪ねた済州島の民家を思い出して感嘆している。強い北西の風に耐えられるように積み上げられた石の壁はたいしたものだ。

●網小屋http://www.genbu.net/data/izu/uramori_title.htm

近くの浦守神社に手を合わせてもと来た道を引き返す。急峻な道だが帰りは勝手がわかっているからか、意外と早い。

今山・田子への分岐に帰ったのはもう2時半、今日はここまでとする。2月には田子からこのあたりまでの道を歩けるかな。普通の人には「遊歩道」かもしれないが僕には登山道とかわらない。

●西伊豆遊歩道・今山コースhttp://blogs.yahoo.co.jp/yosinataka/13795761.html

 


朝永振一郎学長の声が聞こえる

2011-02-08 13:57:55 | こどもたち 学校 教育

やや旧聞に属しますが東京教育大学新聞OB会のHP管理人の友人から朝永振一郎元学長の講演記録を登載したと言う知らせを受け取りました。

朝永さんが学長として桐花寮の寮祭に招待され寮の食堂で思い出話をしたのを大学院の学生だった方が録音してあったということです。1962年6月10日、学長の任期切れ直前のことだといいます。

このころ僕は2年生で「教育大学新聞」の編集次長(ニュース担当)でした。次期学長を選ぶ選挙運動期間中で号外を出す日々です。学生が支持する梅根悟教授と後に筑波移転を強行することになる三輪知雄教授の事実上の一騎打ちだったのです。寮に友人もいたのですが誘いを受けた記憶もないのはそういう事情だったのかもしれません。

今このテープを聴いてみると先生がお話しされる表情まで浮かんでくるようです。思えば朝永さんほど学生の尊敬と信頼、敬愛を一身に集めた「学長」はそうはいないでしょう。まるで寄席で落語を聞くような話っぷりのなかに学生たちに対する愛情が満ちあふれているのでした。

僕が朝永さんのお話を初めて聞いたのは入学式の訓辞です。懐かしくなって当時の日記を読んでみました。

1961・4・11(晴・曇)

有能な社会人に!朝永学長訓辞

大学は教育の場であるとともに研究の場である。学者にはならなくても研究者としての態度を忘れてはならず、少しでも学問の進歩に貢献しなければならない。

進歩とは学説を訂正していくことである。自然科学の法則が誤りを正すことによってよりよく進歩を遂げてきたように、諸君も先人の事業を進展しなければならない。

このように絶対正しい学説は存しない。学問をするものは常に謙虚でなければならない。とくに事実に対して。相手の論に十分耳を傾け、自分の論にも誤りがないかと考えてみなければならない。教室に閉じこもっているだけでいいということはない。サークルで自治会で社会人としての修練も積まなければならない。

ただその時にも謙虚な態度を失ってはならない。本学は心から諸君を歓迎する。

 

午前10時、朝永学長は静かに語り始めた。日本最高の自然科学者たるにふさわしいと思った。雄弁というのではないだろう。終始、ほほえみを浮かべて語りかけられた。ほほ骨の突き出た痩身の学長は以前「文春」のグラビアでみたよりも人なつっこかった。

今日から教育大学の学生になった。朝永学長、ほかの教官、先輩たちと学校の歯車になる。ほんとうに嬉しい。新しい生命が喜んでいる。

1,自分に出来ることは何でもやって自分を試してみたい。

2、自分に対して、そしてあらゆる人間と社会に対して責任をもてる人間になりたい。

事実に謙虚たれ。自分に謙虚たれ。他人に謙虚たれ。学長はこういわれた。

桐葉の下に教育大学生として最善を尽くす決意である。頑張るぞ。

 

読み返すと恥ずかしくなるところもあるが朝永先生の語りかけてくれる声が確かに聞こえてくる。

この機会に宜しかったらみなさんも朝永さんのお話に耳を傾けてみてください。

 

朝永振一郎学長の桐花寮での講演記録

(1)第三高等学校理科乙類時代の思い出

(2)京都大学物理学科時代の思い出

(3)湯川秀樹氏との関係
(4)仁科芳雄氏との出会いと仁科研究室について
(5)ドイツ留学時代の思い出

http://members.jcom.home.ne.jp/lionsboy/


カツヨシさん

2011-02-07 16:04:38 | 友人たち
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2月5日(土)晴れ

 カツヨシさんが久々に遊びに来てくれました。5月に70歳になる兄貴分です。定年後10年目に当たる来年度も都立高校の講師を務められるそうです。中国、インド、フィリピン、ロシアなどからやってきた子どもたちの日本語指導を担当しています。週4日の勤務のほか土日には朗読劇のサークル活動に参加されているのですから、毎日が日曜日の僕とは大違いです。

 8月にはかつて演劇部の顧問として指導した卒業生たちと結成した新劇団の旗揚げ公演を行うといいます。教員OBとしてはこんなにうれしいことはないと思います。持病も逃げて行くかもしれません。

 夕食も本当に美味しそうにしっかり食べるので作った妻もうれしそうです。


 2月6日(日)曇り

 妻の車でカツヨシさんと「小川げんきプラザ」に連れて行ってもらいました。金勝山の上に建つ県立の施設です。プラネタリウムで「銀河鉄道の夜」を見せてもらいました。

 ●http://www.genki.spec.ed.jp/ogawa/?page_id=16

私が聞いた北朝鮮の暮らし⑯《韓国映画「クロッシング」の話》 鈴木倫子

2011-02-06 07:58:19 | 韓国・北朝鮮
《韓国映画「クロッシング」の話》

 結核を患う妻に薬を買ってやりたいと、北朝鮮を脱出して韓国に渡った男。帰

りを待ちきれずに死んでいく妻。一人残された息子はコッチェビになりながらも

父のあとを追って国境の河を渡る。脱北者たちからの聞き書きを元に韓国で製作

された映画「クロッシング」を観たあとで、夢子さんとした話。
 
 「実際はあんな生易しいものではないのよ。でも、映画としてはよくできてい

たと思う。あんまり苛酷な現実をその通りに描くと、かえって信じてもらえなく

なるから、あのくらいにしておいてよかったのだと思う。」
 
 「クロッシング」は、各国で日本よりも一年以上早く公開されていて、韓国で

も大評判になっていた映画だ。夢子さんは、「現実をオブラートにくるんだから

受け入れられた」と言う。北朝鮮の状況は、それほど想像を絶するものなのだと
。
 
 以前、韓国で、脱北者たちが向こうでの生活を知ってもらおうと、それぞれが

持ってきたものを集めて展示会を開いたそうだ。そのときノートや鉛筆などを見

た多くの市民が、「これは北朝鮮を悪宣伝するヤラセじゃないか」という受け止

め方をして、事実として認めようとしなかったのだそうだ。
 
 それはどんなノートや鉛筆だったのか。日本でも30~40年前にはまだ、茶色い

ような色の「わら半紙」というものがあった。さらに「ザラ紙」といってもっと

質の悪いわら半紙もあった。北朝鮮で子どもや学生たちが使っているノートの紙

は、そういう「ザラ紙」で、消しゴムを使ったらすぐにくしゃくしゃになる。鉛

筆も、芯の黒鉛の質が悪くて折れやすく、おまけに紙にひっかかるので、ノート

はすぐに破れてしまうのだと言う。韓国で展示されたノートや鉛筆も、まさにそ

ういうものだったそうだ。
 
 60年代、70年代、韓国の人々の暮らしは貧しかった。当時は、北朝鮮のほうが

豊かな暮らしをしていると宣伝されていた。その実態はどうであったのか、あた

しにはわからないが、両者を比べれば確かに、当時は北朝鮮のほうが経済力があ

ったといわれているし、あたしもそう教わってきた。韓国の市民たちは、自分た

ちの40~50年昔と引きくらべて、目の前にあるものがあまりにも粗末なものだっ

たので「うそだあ~」と思ってしまったのかもしれない。

 
 あのね夢子さん、とまた、あたしのいつもの「素朴な」質問。
 
「みんながご馳走を持ち寄って河原で野遊会をしているシーンが最後に流れて

いったでしょ。お母さんがいて、死んでしまった仲良しの女の子も、お母さんに

栄養を摂らせるために食べられてしまった犬のシロもいた。あれは少年の思い出

? それとも砂漠でひとり息を引き取っていった少年が最後に見た夢? 百万人

以上の餓死者が出るような食糧事情のとき、村の人たちがあんなふうにご馳走を

持ち寄って野遊会を開けるものなの?」
 
 「あのシーンは、観る人がそれぞれの受け取り方をすればいいわ。でもね」と

、夢子さん。
 
 「でも、ほんとにあんなふうにやっているのよ。どんなに食料が乏しくても、

一握りずつ食べ物を脇に取り除けて蓄えておくの。そうして春と夏の野遊会にで

きるだけのご馳走を作って、みんなで楽しむの。朝鮮の人たちは楽しむことに対

してとても貪欲なのよ。」

芝川サイクリングロードに挑戦

2011-02-05 10:27:15 | 川越・近郊

2月3日(木)晴れ

節分で風もなく暖か。チャンス到来とばかり、かねてからねらっていた芝川サイクリングロードを走ってみることにする。川越発9時半、11時過ぎ大宮公園着。大宮公園は宏大でここは第三公園というらしい。梅園もあるというが割愛して、芝川の土手の上の道を走り始める。

最初のうちこそはサイクリングロードらしかったが、防災センターあたりから怪しくなる。どうも自転車道を造っている最中らしい。それでも橋ごとに下の道に下りるなどを繰り返して進む。見沼の田んぼのあたりは下の道を見当をつけながら行くと念仏橋というところで「民家園」があったので初めて一休み。

http://www.city.saitama.jp/www/contents/1109984692553/index.html

武蔵野線をくぐったあたりでいい加減疲れてきたので今日はここまでにして東浦和から帰途につこうかと思う。道を探していると見沼通船堀との出会いに出る。自転車をおいてそこらをちょっと散歩してみて驚いた。目の前の八丁橋の袂に「芝川サイクリングロード」の表示板がある。

正式のサイクリングロードはここから始まるのだ。気を取り直して足立区までの道に挑戦することにする。「通船堀」を見学する気の余裕はない。

川口市と鳩ヶ谷市を行く道は良く整っていて快適だ。歩く人が多い。市街地が川まで迫っている。3時過ぎか、ようやっと荒川との出会いに出た。都市農業公園。コカコーラを一本飲みきったのには我ながら驚く。今日は昼抜きだったなあ。

荒川左岸のゴルフ場の岸辺の道に下りて流れゆく大河・荒川を眺めた。対岸の岩淵水門の眺めもなかなかのものだ。

新荒川大橋で北区側に渡り、浮間舟渡の駅に自転車を預けて埼京線に乗る。

 

2月4日(金)晴れ

自転車回収作戦に従事。11時過ぎ浮間舟渡発、荒川右岸の道を川越に。途中、難波田(なんばだ)城址による。

http://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/27821021.html

二日間に渡る「芝川サイクリングロード」挑戦作戦、疲れたなあ。未完成の道をよく調べもせず行く「馬鹿」は少なくとも川越にはほかにはいないだろう。大宮公園からの道が完成したらもう一度いってみようと思うかな。


私が聞いた北朝鮮の暮らし⑮《日本語を忘れる》 鈴木倫子

2011-02-04 06:59:41 | 韓国・北朝鮮
《日本語を忘れる》

 「帰国事業」のとき、1831人の日本人配偶者が、家族の一員として北朝鮮に渡

っていったという。そのほとんどが女性だった。「日本人妻」といわれる人たち

だが、いまなお生存しているのはおそらく100人程度ではないかと考えられている

。
 
 北村さんのおばあちゃんは、生きながらえて日本に帰ってくることができた数

少ない「日本人妻」の一人だ。成田空港に着いたとき、日本語がまるきり通じな

いので、出迎えた支援者がびっくりしたという。日本で暮らすようになって数年

になるが、いまだに日本語はたどたどしい。
 
 北朝鮮の社会では、日本語を喋るのはご法度だ。もし現地の人に聞かれようも

のなら、密告されて強制収容所に送られる。それでも「日本人妻」に限らず帰国

者たちは、機会を作っては同じ境遇の人たちで寄り合って、こっそりと日本の歌

を聴いたり、日本語を喋って慰めあってきたという。でも、北村さんのおばあち

ゃんには、それができなかった。
 
 帰国者は、ほとんどの人たちが咸鏡南道か北道に住まわされたのだが、北村さ

んの家族が行かされたの咸鏡北道の山間部だった。その村で帰国者の家族は北村

さんだけだったのだそうだ。周りの住民はすべて現地の人という環境で、おばあ

ちゃんは朝鮮語を覚え、日本語は忘れてしまわなければ生きていくことができな

かった。そうして50年もの歳月を生きてきたというわけなのだった。


私が聞いた北朝鮮の暮らし⑭《動物園の食糧事情》 鈴木倫子

2011-02-03 08:50:03 | 韓国・北朝鮮
《動物園の食糧事情》
 
 首都のピョンヤンだけでなく、地方都市にも動物園がある。そして北朝鮮の動

物園はどこでも、必ずライオンやトラなどの猛獣が飼われているそうだ。その猛

獣たちのために、動物園には牛や豚や鶏が支給される。人々が食うにことを欠い

ているような状況下でも、動物園のトラやライオンたちには変わりなく生肉が送

られてくる。人間様にはめったに口にすることができないご馳走だから、園の職

員たちがピンハネする。食糧事情が悪くなるにつれ、ピンハネの度がひどくなる

ので、当然のことながら、トラやライオンたちは次第にやせていった。監査役人

などが時々視察に来るが、見てみぬ振りで、職員たちがとがめられることはない

のだそうだ。なぜなら、そういうときこそ、動物たちのご馳走が人間様のご馳走

に化けて、視察の役人たちも饗応に預かれるから。動物たちがどんなにやせ衰え

ていても、生きている限り帳尻は合わせられるから、政府からたっぷりとお肉が

送られてくる。それを人間様が脇からいただく。
 
 「でも、あのトラやライオンたち、もう生きていないでしょうね」と、夢子さ

んが語ってくれた。

私が聞いた北朝鮮の暮らし⑬ 《稲荷ずし》 鈴木倫子

2011-02-02 09:42:35 | 韓国・北朝鮮
《稲荷ずし》

 また、食べ物の話。
 
 櫂くんは、日本の食べ物では何が好き?
 
「ぼくは、稲荷ずしが大好きです。」
 
「わたくしは稲荷ずしは大嫌いです」。そばで聞いていたおばあちゃんが、に

べもなく言い切る。「北朝鮮にいる間に大嫌いになりました。」
 
 北朝鮮では、日本からの帰国者が初めて稲荷ずしを作ったそうだ。稲荷ずしを

作るといっても、向こうでは、大豆を手に入れて油揚げから自分で作らなくては

ならない。油揚げというのは、ただ薄く切った豆腐を押して水を切って油で揚げ

ればできるというものではない。本当の油揚げを作るには、豆腐のときよりも濃

い豆乳が必要になる。でもそこまではできないから、豆腐を作る要領でなんとか

油揚げらしきものを作って、甘辛く煮た。そうして作った稲荷ずしを闇市に持っ

ていったら、飛ぶように売れたという。そのうちに現地の人たち(日本からの帰

国者は、もともと北朝鮮にいる同民族をこう呼んでいる)も真似をして、稲荷ず

しを作って売るようになった。闇市のあっちでもこっちでも稲荷ずしを売ってい

る。そこにお腹をへらした人たちが群がってくる。
 
 「闇市の周りには、餓死した人たちの死体がごろごろしているんです。わたく

しは、稲荷ずしというといまだに、匂いを嗅ぐだけで、あの飢えた人たちの顔や

餓死者の情景を思い出してしまうのです。だから、稲荷ずしはもう、匂いを嗅ぐ

のも嫌なんです。」

 そこまで言われたものだから、川越祭りのご馳走に稲荷ずしを作ってもてなす

というわけにいかなくなっちゃった。あたしの得意料理なんだけど。櫂くんごめ

んね。



「緊急討論!小沢一郎氏強制起訴」

2011-02-01 15:27:11 | 政治・社会

検察審査会の議決に基づいてと称して昨日、小沢一郎民主党元代表が起訴された。こんな起訴が許されるのなら、「疑わしき」と目をつけられた政治家はすべて起訴され、「裁判で白黒をつける」ことが普通になる。そんなことで民主政治が成り立つだろうか。

この2年、小沢民主党政権をなんとしても阻止しようとする勢力が検察と御用マスコミを先頭に立てて画策してきた成果だが、あまりにもむちゃくちゃなやり方であり、日本の代議制民主主義を葬り去る暴挙である。民主党は一丸となってこの暴挙と闘わねばならないのにいま菅政権に巣くうものたちは一貫してこの暴挙に与して権力を握り、維持しようと躍起になっている。野党の多くも同罪である。

「小沢一郎」を好きな人も嫌いな人も目前で進行している事態を冷静に見つめてこの暴挙に抗議する行動を起こさなければならない。僕も自分に出来ることをしたいと思う。

今朝、「緊急討論!小沢一郎氏強制起訴」という動画を視聴した。一連の暴挙に異議を唱え続けてきた弁護士、ジャーナリスト、国会議員の討論会だがこういう試みに僕は意を強くした。読者が時間を割いて視聴されることを期待する。

急討論! 小沢一郎氏強制起?訴緊急討論! 小沢一郎氏強制起?訴緊急討論! 小沢一郎氏強制起​訴●「緊急討論!小沢一郎氏強制起訴」http://live.nicovideo.jp/watch/lv39047902


私が聞いた北朝鮮の暮らし⑫ 《6割が「幹部」の国?》  鈴木倫子    

2011-02-01 09:48:47 | 韓国・北朝鮮
《6割が「幹部」の国?》

 「北朝鮮の体制は変わらないと思いますよ」と、ミサキさん。
その理由は、国民の6割があの体制でいいと思っているからだと言う。どうしてか。ミサ
キさんの計算によると次のようになる。
 
 「5人の職場があるとするでしょ。そのうち1人が党の○○、1人が××委員会

メンバー、あと1人が職場責任者。この人たちは会議だの何だのと言ってほとんど

仕事をしない。残りの2人が、現場で5人分の仕事をする。つまり6割が、楽をして

しかも何らかの役得があるから、いまの体制をいいと思っているわけよ。」
 
 おばあちゃんは黙ってうなずいている
 
 国によって厳しく情報管理されている環境で、自分と子供たちを守るために、

親たちは日本ではどうだったかというような話を一切伝えないという。そして帰

国者2世たちは、自分が不利な立場に置かれているということを折に触れて思い知

らされるのだが、どうしたらそこから抜け出せるかと考えることはあっても、社

会の在り様そのものを体制の根底から疑ってみるということはしないようだ。ミ

サキさんは次のようにも語ってくれた。
 
 「あの国では<幹部>じゃないとどうにもならないの。だからわたくしは、何

が何でも子ども達を<幹部>にするんだって、そればっかり考えて育てていたの

。でも、ふと考えたのよ。わたくしが病気になって面倒をみることができなくな

ったら、この国では子たちの将来は無いって。母の誘いに賭けてみようって思っ

た大きな理由のひとつはそのことだったの。」(「幹部」とは、冒頭にあげたた

とえ話の5人の職場で言うと、はじめの3人がそれに当たる。)