川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

第12回きいちご移動教室(下)

2011-05-19 05:12:48 | 父・家族・自分

きいちご移動教室・感想あれこれ

 ①天候に恵まれ安曇野の自然を心ゆくまで堪能してもらうことが出来たかな。とくに二日目の朝の北アルプスの眺めは「圧倒的」だった。田植えの終わった水田に映る山影もよかった。ぼくは高柳さんと田んぼの中の道を「早春賦の碑」まで歩いてみたがみんなはどんな楽しみ方をしたのだろう。身と心を大自然のただ中にゆだねて地震と原発事故で傷んだ心を癒してもらえたかな。ぼくとしては天の恵みにただただ感謝あるのみ。

 ②遠い昔(1975年~6年)、ぼくの生徒だった時夫くんが安曇野滞在中終始側にいてくれてあれこれ世話を焼いてくれた。運転手さんとも子どもたちとも仲良しになってくれたようだ。何かと心強かった。今は安曇野に住む時夫くんと35年ぶりに再会したのは去年の夏のことだ。今こうやってみんなを迎えてくれる。ありがとう。 

       ●「川越だより」時夫くんhttp://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/f25444ef5d4a2f6d4471c4e393a239f2

 ③今まで2度ほど移動教室の下見の旅につきあってくれた菜穂子さんが今回は積極的に本番に参加してあれこれと手助けをしてくれた。やはり、池商の卒業生だ。クラブ「韓国・朝鮮を学ぶ会」で3年間活動した。子育ての時にボーイスカウトに関わっていたせいか、子どもたちと自然な出会いを楽しんでいるようだった。

 山吹高校の卒業生のキセンくんは自己確立のただ中にあって苦闘中だが、音楽の時間のリーダーとしてみんなを楽しませてくれた。バンドのボーカルをやっているとは聞いていたがその歌声をきくのは初めてだった。いつものリーダー・黄(ふぁん)くんが今回は不参加でどうなることかと思っていたがキセンくんの見事なデビューで個性ある人々の歌声を響きあわすことが出来た。これでキセンくんにも自信のようなものがついていくといいな。

 こうやって教員生活の中で出会った人々がそれぞれに持ち味を生かして協力してくれた。うれしい。

 ④今回ほど人集めに苦労したことはなかった。締め切りまでの参加希望者は20人程度だった。震災と原発事故のただ中で、国外避難や自粛ムードが広がったことが影響しているのか?ぼくはこんな時だからこそ、心を寄せあおうと思うのだが…。

 移民政策研究所のKさんや川越の妻の友人たちが声かけをしてくれて助かった。エチオピアからきた青年にも会うことが出来たし、普段は挨拶ぐらいしかしない、川越のお姉さんたちとゆっくり交流することが出来た。皆さんがどんな感想を持ったか、聞かせてもらうのが楽しみだ。

 移動教室は参加者が自覚的に創っていくものだ。願いを共有する友人たちの共同事業だ。そういう思いを持つ人が増えていってほしい。


第12回きいちご移動教室(上)

2011-05-18 11:52:06 | 中国残留日本人孤児

昨日、千葉に住む美緒子さん(池袋商高OG・69年度2年4組)が自宅菜園で採れたキヌサヤを届けてくれました。妻がアジの煮干しのダシで煮てくれ夕食時に美味しくいただきました。このところ例年のプレゼント、美緒子ちゃん、有り難う。来年は還暦になるとか、久しぶりにみんなに会えるかな。

 午後、藤田さんが様子を見に来てくれ、福島の子どもたちの疎開作戦について語ってくれました。子どもの未来に責任を持つはずの小中学校の校長たちに疎開を提案してみても主体的に考え、判断する姿勢はみじんも見られないとのことです。すべてお上まかせです。

 これで子どもたちの将来に責任が持てるのかとあれこれ考えを巡らせています。藤田さんらしいなあ。

 事ここに至っても心ある市民の提案や批判を無視して事なかれを決め込む。学校も東電と同じです。大きな災いが子どもたちの未来に降りかかってこないかとぼくも心配しています。

 

                      きいちご移動教室の備忘録

 

 5月14日(土)晴れ

● 6時前、川越からの参加者7名を乗せ「きいちご」号、MS観光の車庫を出発。8時過ぎ、定刻よりやや遅れて日暮里を発車。首都高、関越道経由で一路信州安曇野に向かう。

 参加者43名。中国残留孤児とその家族21名、北朝鮮を脱出してきたコリアン家族4名、在日エチオピア人1名、コリア系日本人・在日コリアン4名、在日台湾人1名、日本人12名。(70代12,60代18,50代1,40代6,30代1,20代1,10代4)(女27,男16)

●車内でのお勉強 ①テーマソング「故郷」の練習 ②DVG・北朝鮮帰国者の記念植樹のその後(長野県立大町北高校放送部制作)③脱北者Kさんの お話。

●12時過ぎ 安曇野・大王ワサビ農場到着。ワサビ畑を眺めながらグループごとに昼食会。のち自由行動。

大王ワサビ農場http://blog.goo.ne.jp/fuekitty/e/eb385e8f4db77afdd62ea51eb1ce669e

 

八面大王伝説http://www.geocities.jp/tyuou59/hatimenndaiou.html

●3時過ぎ農家民宿「ごほーでん」到着。散歩、入浴。

●6時 夕食

●7時過ぎ 交流会(自己紹介と感想)

●9時~ 自由時間

                                           room1.jpg

 

 5月15日(日)快晴

●8時20分 常念岳をバックに記念撮影               

                                              

●9時過ぎ 松本城着                                       

●12時半、長野自動車道・国道142号経由で八島が原湿原到着。昼食。

●1時半過ぎ ヴィーナスラインを霧ヶ峰~車山~白樺湖と快走。 遠くに富士山を見る。

(富士山。下の矢印で写真を動かして見てください。当日は昼間で、遠くにやっと見える程度でした)

●142号脇の「蓼科農ん喜村(たでしな・のんきむら)」でおみやげを買った後 佐久インターから上信越道・関越道で一路東京へ。4時過ぎ、横川saを出たあたりから音楽の時間(カラオケ大会)。日暮里到着は7時半前。川越に着いたのは9時前。


 

 

 


「イレッサ」は今少し先から

2011-05-17 07:17:10 | 父・家族・自分

16日10時過ぎ、西尾医師の診察があり、通知簿をもらった。

 右肺に転移した癌は3ヶ月前に比べて目立たないほどであっても成長しつづけている。肺門リンパへの転移の兆候も見られる。脳や他の臓器への転移は確認できない。血液検査の値には格別の心配はない。

 前回の抗ガン剤投与(08年4月~8月)からほぼ3年が経った。薬効が顕著で右肺に転移した癌は小さくなったママだったがこのところ様子は変わってきた。そろそろ次の抗ガン剤「イレッサ」の服用を考える時に来たようだ。

 ぼくとしては体調もまずまずだし、70の誕生日(7月25日)まではこのままで…などと何となく思ってきたので「イレッサ」服用開始は次回検査(8月4日)以降に先送りすることにした。先生もその判断を尊重してくれた。

 ガン細胞が増殖中なのは明らかなので早く治療を望む人もいるらしいがぼくはのんびり屋である。「イレッサ」服用開始時には副作用を警戒して2週間程度の入院もしなければならない。それは8月も後半あたりがいいかなと思ったりする。

 これでまた病気を忘れて生活を楽しむことが出来る。夏はぼくの体が一番よく動く季節だ。今年も高校野球の応援に自転車で駆け回れる。ニンニクをしっかり食べさせてもらって免疫力を高め、暑さをエンジョイしよう。

 70の誕生日は手術以来この日まではと一応の目安にしてきた日だ。友人たちを招いて祝砲を打ち上げてもらう日とするかな。

 この日、癌研で声をかけてくれた方がいた。昨年暮れのTVを見てくれ、あれ以来、「川越だより」を覗いてくれているという。「イレッサ」をもう2年も飲み続けているが体調はすこぶるよく、水泳などにも精を出しているらしい。

 何となく嬉しくなる出会い。有り難いなあ。

      ニュースJAPAN/がん医療の現場vol.10 『ダブルチェックを疑え 健診の実態』

      ●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/3cc0e167807fd65048deb25decafaf68

 帰りにNもと主治医を訪ねた。中高の同級なので会えば「Nくん」になってくれる。長いつきあいなのに今日も新しいことを知った。

Nくんはお父さんの「出征」中(満州・軍医)に愛媛県伊方のお母さんの実家で生まれたという。「伊方原発」の所在地だ。生まれで言えば「伊予人」ということになる。

 Nくんといえば高校生の時に訪ねて世話になった「土佐のチベット・檮原(ゆすはら)」生まれのイメージが強い。小学校を終えるまではここで過ごしたのは間違いないが、ここはお父さんが復員後、開業したところ。お父さんの故郷は足摺岬近くの「津呂」というところだ。(ぼくの生地の室戸岬の津呂と土佐湾をはさんで向かい合っている)。ぼくが思うほどは「檮原=故郷」ではないのかもしれないな?

 お父さんは59で亡くなられたという。今年が生誕100年になるというから、高校卒業時(1960)にお会いしてもらったのは50才ぐらいの時だったことになる。今の僕らより20も若かった。貫録があってとてもそんな風には思えない。

 昔のアルバムを見ると1958年5月、Nくんたちと一緒に室戸岬までサイクリングしたときの写真がある。

 8月には檮原を訪ねて、2日から3日にかけて大野ヶ原の「源氏が駄馬」に登った。世話になった大野ヶ原小学校の松本校長先生と一緒に写っている我らの写真が貼ってある。70になったら友人たちと一緒にあの山に登るという夢は果たせるのかな。

  

 

   「川越だより」 源氏が駄馬 ●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/a73efaf8ba443fc9718d66f950fa5139

 

 


勇気100%

2011-05-16 07:25:00 | 出会いの旅

きいちご移動教室の最後はいつもの通り音楽の時間だ。バスが日暮里駅に着く直前にカンちゃんやナリちゃんなど小中学生のグループが聞いたことがない唄を歌ってくれた。けっこう多くの人が唱和していた。ぼくは歌声に耳を傾けながらこの子たちと出会うことが出来た喜びをかみしめていた。有名なアニメソングらしい。

 今日はこれから癌研有明病院に行きます。どんな通知簿をもらうのでしょう?

  ●「勇気100%」http://www.youtube.com/watch?v=MMt8QfbE8jE

   作詞 松井五郎 作曲 馬飼野康二

 


がっかりして めそめそして

 どうしたんだい

 太(たい)陽(よう)みたいに笑(わら)う

 きみはどこだい


やりたいこと やったもん勝(が)ち
青(せい)春(しゅん)なら
つらいときはいつだって
そばにいるから

(ゆめ )はでかくなけりゃ
つまらないだろう
(むね)をたたいて
冒(ぼう)險(けん)しよう

そうさ100%(ひゃくパーセント)勇(ゆう)気(き)  もうがんばるしかないさ
この()(かい)中(じゅう)の元(げん)気(き)  抱(だ)きしめながら

そうさ100%勇(ゆう)気(き)  もうやりきるしかないさ
ぼくたちが持(も)てる輝(かがや)き  永(えい)遠(えん)に忘(わす)れないでね

ぶつかったり 傷(きず)ついたり
すればいいさ
HEARTが燃(も)えているなら
後(こう)悔(かい)しない

じっとしてちゃ はじまらない
このときめき
きみと追()いかけてゆける
(かぜ)() きだよ

昨(き)日(のう) 飛(と)べなかった
(そら)があるなら
いまあるチャンス
つかんでみよう

そうさ100%勇(ゆう)気(き)  さぁ飛(と)び込(こ)むしかないさ
まだ(なみだ)だけで終(お)わる ときじゃないだろう

そうさ100%勇(ゆう)気(き) もう ふりむいちゃいけない
ぼくたちはぼくたちらしく どこまでも駆(か)けてゆくのさ

たとえさみしすぎる
夜(よる)がきたって
新(あたら)しい朝(あさ)
かならずくるさ

そうさ100%勇(ゆう)気(き)  もうがんばるしかないさ
この()(かい)中(ちゅう)の元(げん)気(き)  抱(だ)きしめながら

そうさ100%勇(ゆう)気(き)  もうやりきるしかないさ
ぼくたちが持(も)てる輝(かがや)き  永(えい)遠(えん)に忘(わす)れないでね


   

 

 

【川越だより】のアクセス・ランキング

 

過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)

 

日付閲覧数訪問者数ランキング
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安曇野賛歌

2011-05-14 04:16:46 | 出会いの旅

安曇野わさび田湧水群(あづみのわさびだゆうすいぐん)
名水画像

今日は「きいちご移動教室」で信州・安曇野に行きます。参加者は44名。中国残留孤児とその家族、脱北者家族のほか、今回は遠くエチオピアからきた青年が参加します。70近くになって初めてアフリカ人と友達になれるかな。

 春は遅いとはいっても桜は終わり、ワサビの白い花の季節でしょうか。心ゆくまで晩春の安曇野を楽しんでもらおうと思います。

 宿の近くに「早春賦」の歌碑があります。●http://www.ne.jp/asahi/ariake/yama/sousyunfu.html

      作詞:吉丸一昌、作曲:中田 章

1 春は名のみの風の寒さや
  谷の鴬 歌は思えど
  時にあらずと声も立てず
  時にあらずと声も立てず

2 氷解け去り 葦(あし)は角(つの)ぐむ
  さては時ぞと 思うあやにく
  今日もきのうも雪の空
  今日もきのうも雪の空

3 春と聞かねば 知らでありしを
  聞けば急(せ)かるる胸の思いを
  いかにせよとの この頃か
  いかにせよとの この頃か

 

 

外国から来た人にはとても分かりづらい歌詞です。それでも春を待つ北国の人の思いが伝わるでしょうか。バスの中で紹介します。

 ●「早春賦」佐藤しのぶhttp://www.youtube.com/watch?v=zrCSwQJimuk&feature=related

 明日は松本城を見学した後ヴィーナスラインを走って帰ります。八島が原湿原・霧ヶ峰・車山…どんな景観が広がっているのでしょう。

 ●八島が原湿原ライブカメラhttp://nature2.jp/marsh/

夕べ遅くキセンくんが来て泊まっています。宿泊行事参加は小学生の時以来だと言います。今朝、6時、近くのMS観光の車庫から東京・日暮里に向かいます。12回目になっても子どもの時のようにわくわくしています。

 

安曇野市の天気 - 5月14日(土)

 

時間 0時 3時 6時 9時 12時 15時 18時 21時
天気 晴れ
晴れ
晴れ
晴れ
晴れ
晴れ
晴れ
晴れ
晴れ
晴れ
晴れ
晴れ
晴れ
晴れ
晴れ
晴れ
気温(℃) 9 8 8 13 18 18 15 11
湿度(%) 56 62 66 42 32 34 42 52
降水量(mm/h) 0 0 0 0 0 0 0 0
風向
風速(m/s)
西南西
1
南南東
2

2
南南東
2

2
南西
1

1
西南西
1

 

 

 


なぜ、株主と銀行の責任を問わないのか  河野太郎議員に学ぶ④

2011-05-13 04:48:00 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

懸念された通りに菅内閣がデタラメ千万な東電救援策を決定しようとしています。河野太郎議員の呼びかけ文を紹介します。



政府与党案をぶっつぶせ

2011年05月11日 00:37

政府与党は、国民負担を増やして東電を救済しようとしている。

このブログを読んだら、ぜひ、お近くの与党議員の事務所を訪問して、あるいは与党議員の事務所に電話をして、なぜ、あなたは国民の負担を増やして東京電力を救済するのかと尋ねてほしい。

政府与党の案にはいくつかの問題があるが、それを検討する前に今、政府がやっている目くらましにだまされてはいけない。役員の給与、賞与をゼロにしろなどというのは金額にしてもたかがしれている。もっとリストラを、なんていうのは政府の目くらましだ。そんなことでだまされてはいけない。メディアもそれはちょっとちがうんじゃないかとはっきり言わなければならない。

政府がやるべきは、そんなことではない。

まず、東電が、どのぐらいの支払い能力があるのか、どれだけキャッシュが入ってくるのか、どれだけの債務を抱えているのか、政府は調べていない。JALのときはタスクフォースと呼ばれた専門家のチームがきちんとデューデリジェンスを実施したが、今回は、それがない。東電と金融機関がつくった数字をもとに議論されている。

次の問題は、東電の資産が保全されていないことだ。被災者への賠償金も東電が銀行から借りたお金も同じような債務だ。もし、今、東電が銀行からの借金をせっせと返していたら、被災者への賠償金の支払い能力は減っていく。銀行は無傷でお金を返してもらったのに、賠償金は支払えないから国民が負担しますということになっていいはずがない。だからまず、東電が勝手に債務を選択的に返済しないように、政府は東電の資産を保全させなければならない。

そうなると、東電の取引先は、東電に対して現金での支払いを要求するようになる。そうなると、東電は一時的にキャッシュが不足しかねない。だから政府が東電の支払いを保証してやる必要がある。

そうすれば、東電の資金繰りは回っていくので、当面、問題はない。JALと違って、東電は地域独占だからお客は逃げていかれない。毎月数千億円の収入がある。

ゆっくりと電力業界の改革を考えながら、賠償金を確定させればよい。

にもかかわらず、政府与党は東電に、東電が破綻したら大停電が起こるとか、東電を破綻させたら社債市場が崩壊し金融危機になる等と脅かされ、きちんとした責任追及もせずに、国民負担で東電を救済しようとしている。

JALの時も、JALを破綻させたら大変だなどと同じようなことが言われたがJALは飛び続けた。今回も、電力の供給という業務と東電という企業体の存続はイコールで結ばれているわけではない。

東電の資産を保全し、キャッシュフローを保証したら、再生機構なりが管財人として乗り込んで、まずコストカットをやる。広告宣伝費に何百億円を使っているぐらいだから、いくらでもコストカットはできるだろう。相当利益を増やせるはずだ。

そうしているうちに、賠償金額が確定するだろう。もちろん東電の資産では払いきれない。債務を支払えないということは、その企業は破綻するということになる。


まず、経営陣は総退陣。次に株主の責任が問われて、株式は100%減資。このときに株主がかわいそうだとかいろいろ言うかもしれないが、感情論ではない。株主の責任が問われずに、年金で慎ましく暮らしている方々の電気代をその分上げるなどというのは、資本主義を逸脱している。株式を買った人は、リスクもあわせて買っているのだ。ここで株式を100%減資すれば、数兆円が浮いてくる。これをしなければ、その分、国民負担が増えるのだ。

次に金融機関の責任を問う。ここで気をつけなければならないのが社債の扱いだ。連休前から、東電を破綻させると社債市場が崩壊して金融危機になるという話がまことしやかに永田町、霞ヶ関を駆け巡ったが、そうはならない。

電力会社の社債は、電気事業法37条で、優先弁済される。つまり、公租公課(税金等)、労働債権(給与等)の次に社債が償還される。資産が残っている以上、電力債はカットされずに弁済される。だから社債市場が崩壊したりということにはならない。

そして残った資産で、銀行からの融資等の一般債務の返済や被災者への賠償金の支払いが行われる。資産が足りなければ、これらの債権は同じ割合でカットされる。

賠償金の残りは国が支払う、つまり国民負担になる。だから、株主の責任を100%減資することによって追及し、金融機関の責任を債務カットで追及することによって数兆円単位で国民負担が減る。政府与党案のように株主責任も金融機関の責任も追及しなければ、その分、国民が余計に負担することになる

金融機関は事故後に2兆円近い融資を東電に対して行っている。コミットメントラインではなく現金で融資している。この融資を金融機関の経営陣は、どう説明するのだろうか。こうした行為に対する責任は免れない。

金融機関が、こんなことでは貸し出し余力がなくなって復興支援ができないというならば、金融安定化スキームで公的資金を入れればよい。

それから東電を国有化し、東電ホールディングスの下で発電会社と送電会社に分け、発送電分離をしても問題はないことを世の中にみせてから、出口で株式売却する時に発電、送電を分離すればよい。株式売却益は、国民負担の返済に充てる。

政府与党案では、東電は、多額の賠償金を超長期にわたって返済し続けなければならなくなり、企業体も維持され、電力業界の改革もできなくなる。国民負担は増え、責任をとるべき存在は許され、電力の改革も止まる。最悪だ。

だから、与党議員に、なぜ、あなたはこんな最悪の東電救済案を支持するのかと尋ねてほしい。

東電、財務省、金融機関、経産省は、毎日、足を棒にして、議員を脅かし、説得して回っている。

だれが正義をもたらすのか。

あなたがやらずに誰がやる!

 

 出典●http://www.taro.org/2011/05/post-1002.php

 


「はやとの風」「しんぺい4号」  九州路に友人たちを訪ねて(3)

2011-05-12 06:58:27 | 出会いの旅

4月22日(金)曇り

 丸尾の滝…丸尾自然探勝路…霧島観光ホテル(昼食)~(バス)~霧島温泉駅14・27~(JR肥薩線特急・隼人の風)~14・5

吉松駅15・16~(いさぶろう・しんぺい4号)~16・35熊本県人吉駅~中村さん宅(泊)

 

●はやとの風

桜の道をやって来た「はやとの風」4号(植村-大隅横川)。

 ●出典http://www.kazenokaze.com/freepage_16_1.html

霧島温泉駅から鈍行の旅をするつもりがやむなく「特急」になった。選択の余地がない運行本数なのだ。しかし、乗ってみて大喜び。レトロでしゃれた車内の雰囲気もいいが、緑のシャワーを浴びながら疾走する「はやとの風」の心地よさ。

 よかったら「出典」となっている方のブログを覗いてください。この列車の魅力満載、飽きることがありません。

 

しんぺい4号

 

 出典●http://www.d4.dion.ne.jp/~m_mori/syasou/yadakesyasou.html

 吉松駅で「しんぺい4号」に乗り換え。真幸(まさき)駅では幸福のカネを鳴らす。出発後しばらく行くとこんな絶景が見える。列車は停止し、乗客はシャッターを押す。誰もがシャッターチャンスを得られるようにちょっと進んではまた停車する。これが3度繰り返される。心憎いばかりの気配りだ。「日本三大車窓風景」。この日は快晴というわけではないが、遠くに桜島まで見えた。こんな日は滅多にはないという。

 矢岳駅ではD51の見学が出来る。美人で心優しい車掌?さんが一緒に写真に収まってくれた。嬉しい。大畑駅周辺はループやスイッチバックになっていてその仕組みが誰にでも分かるように運転してくれる。

 こんな楽しい汽車の旅があろうとは思っていなかった。

 「しんぺい」は後藤新平のことだという。明治の終わり頃、鉄道院総裁としてこの肥薩線を完成させた。吉松~人吉は標高差も激しく難工事の連続だった。開通当時はこれが鹿児島本線だったという。いま、ぼくは快適この上ない鉄道の旅を楽しんだが、開通させるまでの人々の苦労もよく分かり、人吉は山の上にある街だなあという実感をもった。「人吉にいくには肥薩線に限る」。

  人吉駅には賀明さんが迎えに来てくれていた。先年の水俣以来だ。また、お世話になります。

参考●「いさぶろう・しんぺいと肥薩線」http://www1.plala.or.jp/uu/shinpei.html

 


隼人塚  九州路に友人たちを訪ねて(2)

2011-05-11 11:32:11 | 出会いの旅

昨日は午前中に妻の車で狭山・智光山公園。前日見たハンカチの木とユリの木を案内した。ハンカチの木は2本だがユリの木は街路樹のように並んでいる。(花は今が盛り。みなさんもどうぞ)。

 昼寝の後、九州の旅で世話になった友人たちに手紙を書く。できあがってきたばかりの写真を同封する。心余って言葉めちゃくちゃ。

夕刻、相撲協会のHPで終わりの数番を見る。これで一日が終わった。

 

4月21日(木)晴れ

 鹿児島神宮(大楠)~隼人塚・隼人塚史跡館~宮浦神社(大銀杏)~黒酢の里・福山「かくいだ」(昼食)~上野原縄文の森~霧島

観光ホテル(泊)

 K子夫人とお別れした後、田上くんに終日霧島市と周辺を案内してもらう。

 ●隼人塚

 (出典http://washimo-web.jp/Trip/Hayato/hayato.htm

 道路脇に立つ塔はたびたび反乱を起こして鎮圧された隼人の供養塔で平安時代のものとか。史跡館でパンフ『隼人族の抵抗と服従』を買った。それによれば『続日本紀』には隼人族の大和政権への抵抗と虐殺の記録がたびたび出てくるという。

 ●702年(大宝2年) 隼人族が大和政権の命令に背いたので武力でやっつけた。そこでようやく戸籍を作り、役人をおくことが出来た(「薩摩」の建国)。

 ●720年(養老4年) 隼人族が大隅の国司を殺す。征隼人持節将軍・大伴旅人が一万人の兵隊を引き連れて鎮圧に来る。(隼人の乱)

 ●721年(養老5年) 1年数ヶ月の闘いの末に首を切られたり捕虜になった者1400人あまり。

隼人族の怨霊は長く朝廷を悩ませたらしく、その霊を慰める「放生会(ほうじょうえ)」が宇佐八幡宮(豊後・大分県)で始まり、やがて鹿児島神宮(八幡宮)でも行われるようになったという。「塚」はこのような行事との関わりの中で作られたらしい。

 東北の蝦夷(えみし)に関わる遺跡はあちこち訪ねたが隼人に関わる遺跡はここが初めてだ。『続日本紀』の反乱の記述を目にするのも初めてだ。不勉強者はこうやって初めて目を開かれる。近年になって作られたという「史跡館」は小規模なものだが「隼人」を名乗るこの町の心意気を示している。

 近畿地方の各地に移住させられた隼人族も多く、京田辺市などに「隼人舞」が伝わっているらしい。逆に豊後などからこちらに送り込まれた人たちもいるという。異端者を抹殺、分散、同化して支配する権力者のやり方はいつの時代も変わらない。それでも怨霊の「祟(たた)り」にことあるごとにおびえ、時には都を移すことさえした。

 2004年にはこの町で「隼人サミット」が開かれ、森浩一さんの講演「隼人と日本文化」、シンポジウム「日本神話の中の隼人」「畿内に移住した隼人」が行われた。その記録集が隼人町教育委員会から出ている。ぱらぱらと見ただけだが面白そうだ。

 「地域が面白い(地域学ことはじめ)」「考古学は地域に勇気を与える」「隼人、エミシ」「古代の国内移住、日本文化を強めた力」「日本の地域の力」… 森さんの講演の中見出しになっていることば。「本当の日本の歴史」を書きたいという人の熱意が伝わってくる。ゆっくり読んでみようと思う。

 ●宮浦宮http://www.genbu.net/data/oosumi/miyaura_title.htm

 大銀杏があるというので連れて行ってもらった。錦江湾近くに簡素な作りの新しい社が完成したばかり。若い宮司さんの説明が面白かった。

 「神武天皇はここから東征の船出をなさった。2600数十年前のことです。戦勝を祈念して植えられたのがこの銀杏です。もっともこの木は2代目ですが…」

 まじめな顔であたかも歴史的事実のように話すのが「面白かった」。この方は神武東征は2回あって、宮崎からのは2回目に当たるという。ヤマトでの国の基礎作りが整ってから再度出発したのだという。

●黒酢の里・福山https://iiiro.jp/blog/dance/170839.html

 桜島の見える明るいレストランで昼食、黒酢の壺畑がみごと。

午後は「縄文の森」を散策した後、夕刻霧島観光ホテルまで送ってもらった。遠くに桜島が見える。田上くん、本当に有り難う。

 

 

 

 


「ユリの木」と「ハンカチの木」

2011-05-10 06:06:50 | 川越・近郊

5月9日(月)晴れ

 好天は今日までだというので自転車で狭山の智光山公園へ。木の上に濃い黄色がかった花が見える。「ユリの木」だという。

その近くの木に白いものがひらひらしている。これは「ハンカチの木」。どちらも初めて見る。

●ハンカチの木http://www.tabi2ikitai.com/japan/j1120a/a01061.html

 家に帰って妻に報告すると喜んでくれた。去年見に行ったが連休中に花はもう終わっていたという。今年は季節の進行が少し遅れている。

 週末はいよいよ「きいちご移動教室」だ。信州・安曇野。花はまだ残っているだろうか。天気はよさそう。友人たちの笑顔が浮かぶ。


もう一つの核戦争 ここまでやるのか

2011-05-09 05:32:50 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

けさの「毎日」にあっと驚く記事があった。地球上で繰り広げられる原発利権を巡る暗躍に無知蒙昧なぼくはただただ驚くばかりだ。ここまでやるのか。反核・脱原発の政府をなんとしても作らなければならない。(関連記事も含めて読んでみてください)。

 

 核処分場:モンゴルに計画…日米、昨秋から交渉

モンゴルの位置
モンゴルの位置

 【ウランバートル会川晴之】経済産業省が昨年秋から米エネルギー省と共同で、使用済み核燃料などの世界初の国際的な貯蔵・処分施設をモンゴルに建設する計画を極秘に進めていることがわかった。処分場を自国内に持たない日米にとって、原子炉と廃棄物処理とをセットに国際的な原子力発電所の売り込みを仕掛けるロシアやフランスに対抗するのが主な狙い。モンゴルは見返りとして日米からの原子力技術支援を受ける。だが、東日本大震災による東京電力福島第1原発事故で日本政府は原子力政策の抜本的な見直しを迫られており、「核のゴミ」を第三国に負わせる手法に批判が出そうだ。

 ◇福島事故受け批判必至

 各国の交渉責任者が毎日新聞の取材に計画の存在を認めた。

 関係者によると、3カ国交渉は昨年9月下旬、ポネマン米エネルギー省副長官が主導して始まり、経産省、モンゴル外務省が担当。核廃棄物の国内処分地選定の見通しが立たない日米と、技術支援で核燃料加工施設や原発を建設したいモンゴルの思惑が一致した。

 原子力エネルギーは気候変動を防ぐ有効策とされ、原子炉1基数千億円のビッグビジネス。日本政府は原発輸出を国家成長戦略の柱に据え、ベトナムで受注に成功、インドやトルコとも交渉中だ。しかし、ロシアなどは原子炉と使用済み核燃料の引き取りをセットで販売しており、日米は不利な状況にある。

 日本は英仏に再処理を委託、青森県六ケ所村に再処理施設建設を急ぐほか、同村に高レベル放射性廃棄物の一時貯蔵施設を保有するものの、他国に供給した核燃料の引き取りは極めて困難。2035年までに国内に最終処分地を選定する計画も難航が予想される。

 米国もブッシュ前政権が02年にネバダ州に最終処分地を選定したが、地元の反対でオバマ政権が09年に計画中止を決定。使用済み核燃料の処分問題が宙に浮いてしまった。

 このため日米は、処分問題の解決と「国際的な原発売り込みの弱点を埋める」(経産省)ため、地盤が強固なモンゴルに貯蔵・処分施設を造ることで一致。施設は地下数百メートルとなる見込みだ。経産省は計画実現で、原子炉メーカーの東芝、日立などの国際的な原子力ビジネスを支援できるとみている。

 また国際原子力機関(IAEA)が、「モンゴルはウラン推定埋蔵量は150万トン以上の可能性がある」と指摘しており、開発が進めば世界トップ3のウラン供給国となる可能性が高い。日米は計画実現でウラン燃料の安定確保も狙う。

 核廃棄物の国際輸送は、通過国や受け入れ国の同意に加え、IAEAなどが定める輸送方法に従えば可能。ただ、3国交渉の段階で計画が表面化すれば、通過国となりうる中国やロシアなどの干渉やモンゴル国民の反発も予想され、交渉は極秘に進められた。

 しかし今年2月、ワシントンで3カ国が包括的な外交文書への署名にこぎつける予定だったが、直前に計画を知らされた日本外務省が「政府内での調整がまったく進んでいない」と反発。経産省主導に外務省が横やりを入れた格好で、署名は延期。その後に大震災が発生し、署名などの日取りは未定だ。

 日本は大震災で原発政策の見直しを迫られているが、国内すべての原発をなくしたとしても、処分施設は必要。ただ、技術支援の見返りに核のゴミを他国に引き受けてもらう手法は、電源3法交付金による地域振興策をセットに福島などで原発の建設を進めたのと同じ発想と言える。

毎日新聞 2011年5月9日 2時34分(最終更新 5月9日 3時32分)

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初夏

2011-05-09 04:48:13 | 川越・近郊

5月8日(日)快晴

 底が抜けるような青空、気温も30度近くまで上がりました。テッセンが咲き誇る一応庭に大きな変化がありました。隣の森田さんがキンモクセイの枝を切り落としてくれたのです。

 2階の屋根と同じ高さまで伸びたキンモクセイの木にあっという間によじ登って、のこぎりと山刀で切り落としていきます。おくさんと我ら夫婦がそれを束ねてゴミ収集に出せるようにします。一応庭の隅に積み上げました。

 半分ほどを刈って終わりとしました。後はまたの日です。ゴミ収集車が持って行ってくれる量に制約があるためです。

 森田さんは71になリますが元々が奥羽山脈の村のマタギです。得意の才能を発揮して少年のように嬉しそう?です。

 我が家と同じくらいの年月を経たキンモクセイ。今や大木です。公道に覆い被さって隣近所の迷惑になりそうでした。散髪をしてもらってぼくも明るい気持ちになりました。

 夕方、妻の友人がよもぎ餅を届けてくれました。母の日だというので訪ねてくれる娘さんと孫たちのために手作りしたもののお裾分けです。お隣と一緒にいただきました。ご近所さんに恵まれたありがたさを満喫した一日でした。

  P5080329.JPG

 テッセン

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デモ

2011-05-08 06:10:43 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

「原発止めろ」=東京・渋谷でデモ行進

「原発止めろ」=東京・渋谷でデモ行進
都心で行われた原発廃止を求めるデモ行進。福島第1原発の建屋の模型を担ぐ人の姿も見られた=7日午後、東京都渋谷区(YAHOO)

「原発廃止」渋谷で音楽デモ 首相の浜岡停止に評価の声

2011年5月8日0時28分

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写真:楽器の持ち込みも呼びかけられた「サウンドデモ」。太鼓などを手にした若者が多くいた=東京・渋谷、渡辺元史撮影拡大楽器の持ち込みも呼びかけられた「サウンドデモ」。太鼓などを手にした若者が多くいた=東京・渋谷、渡辺元史撮影

   福島第一原発の事故を受けて「原発廃止」を訴えるデモが7日、東京・渋谷を中心に行われた。東京・高円寺のグループがツイッターなどを通じて呼びかけたもので、約1万5千人(主催者発表)が集まった。

 前日に菅直人首相が発表した浜岡原発の停止方針には、評価する声があがった。プラカードに「菅総理 他の原発もよろしく」と書いた港区の女性(40)は「稼働している原発はまだ多い。エネルギー政策の見直しをさらに進めるべきです」。主催者の一人、松本哉(はじめ)さん(36)は「各地で起きている『反原発』の声が浜岡停止の判断に影響しているはず。原発の廃止に向けこれからも声を上げ続ける」。

 20代の参加者も目立った。デモは、トラックの荷台に乗り込んだバンドが隊列を先導するスタイル。仮装したグループも多く、お祭りムードで、友人に誘われて新宿区から来たという道脇由美さん(27)は「昔ながらのシュプレヒコールを繰り返すデモではなく音楽のデモだから参加しやすい」と話した。(朝日新聞)

 5月7日(土)曇り時々小雨

 2時過ぎから集会場の片隅に腰掛けてデモの出発を待つ。群衆の中心部から音楽が聞こえるが舞台があるわけでもなく、何をやっているのかは分からない。隣には赤ちゃんを抱えた母親、夫婦…若い人が多い。

 3時過ぎから動き始めた。「デモ出発」というプラカードでの合図は見えたが誰かが指揮するというわけではなく先頭が動き出すと自然に流れ出すという風だった。警視庁がデモを分断したのか、気がついたらいくつかの梯団に別れ、間隔は遠く離れて後ろの部隊は見えない。ぼくは第一梯団の最後尾だった。

 若い人たちは「原発反対」などと時々声を上げるがぼくはただただ歩くだけである。こんな日本しか残せなかった申し訳なさを思った。

 表参道のケヤキ並木が尽きたあたりでリタイアーした。足が棒のようになって痛くなった。5時過ぎだった。そこからもと来た道を逆に、あとから来るデモ隊を見ながら歩いた。歩道を歩く多くの若者たちがデモの呼びかけに応える風情はなかった。この人たちは原発のことをどう考えているのだろう?一人一人に聞いてみたいがそうもいかない。明治神宮前駅から地下鉄に乗った。

 雨の中を自転車を漕いで7時過ぎ帰宅。中部電力は菅首相の「浜岡原発停止要請」を重役会議で「保留」にしたという。「やってみるがいい、拒否でも何でも。こいつ等のノーテンキぶり、あさましさ加減を世界中の笑いものにしてやろうぜ」。

 

 

 

 

 

 

 


「浜岡原発停止」を脱原発の第一歩に

2011-05-07 04:16:41 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

昨夕、浜岡原子力発電所のすべての原子炉を当面ストップするとの菅首相の「決断」が発表されました。津波対策が出来るまでという条件付きであり、ほかの原発にはすべて営業OKというおすみつきが与えられましたが、ともかく、もっとも危険な原発が止められるのですから一歩前進です。

 ●浜岡原発、巨大地震対策虹のネットワークhttp://www.stop-hamaoka.com/

福島原発のもたらした計り知れない被害に菅首相も恐れおののいた結果でしょう。何十年にも亘って「村八分」になりながら警告を発し続けてきた人々に心から感謝します。中部電力はどうするつもりでしょう。彼らの日頃の言動からすれば首相の「要請」に刃向かうのが常道です。やってみたらいいと思います。

 今日は「5・7 原発やめろ デモ」の当日です。原発なしに人類の未来はないといい、安全神話を振りまいてきた人々とはっきりと袂別し、対決する決意をうち固め、行動で示しましょう。

 ●5.7デモhttp://57nonukes.tumblr.com/

 東電と原発安全神話布教に荷担してきた学者・役人、マスコミに鉄槌を加えましょう。刑事・民事を問わず責任は取ってもらわなければなりません。賠償のための増税、電力料金の値上げなどびた一文も認めてはなりません。

 歩きながら原発に頼らないエネルギー政策や、市民生活のあり方について意見交換をしましょう。結局のところ、私たち、市民が賢くならなければどうにもなりません。東電や御用学者やTV・新聞にだまされるようでは未来はありません。

 これから渋谷に向かいます。2時から渋谷区役所前です。ライブ中継もあるそうです。

    ●http://www.ustream.tv/channel/iwj6


5・7 原発やめろ!デモ(2)

2011-05-06 10:58:20 | 自然と人間(震災・津波・原発事故)

東京新聞にデモの告知!!

 5月5日(木)曇り

  今にも降り出しそうな肌寒い天候だったので躊躇したが11時半頃、丸木美術館に向かって出発。川島町の落合橋から越辺川・都幾川の左岸上の自転車路をどこまでも走る。先年まで歩くのがやっとだった所もキレイに整備されて東松山・南中学校の付近まで快適な路になった。土手の菜の花も、農村の風景もいつもの春と変わらない。

 土手の路が終わったところで、下に遊歩道らしきものを見つけたので自転車をおろして行ってみた。笹藪を切り開いた路が続いており、野鳥の声がしきりにする。出たのは美術館近くの沈下橋だった。到着は1時過ぎ。川越~丸木美術館に新航路を発見したような満足感があった。

 開館記念日の記念講演はすでにはじまって、超満員だったので、ゆっくりと貝原さんの絵を見た。『風しもの村 チェルノブイリスケッチ』。

放射能に汚染された村に住む人々の姿が表情豊かに描かれている。住むな、出て行けとお上に言われても、この大地に生き死んでいくしかない人々の日常とハレの日。あたたかそうで逞しい生。

 チェルノブイリは遠い世界の話ではなくなった。無数の「風下の村」がこの列島にも出現した。私たちはどう生きていくのか。こんな風にしたたかに、逞しく生きていけるのか…。

 5月7日のデモのニュースが珍しく新聞に出た。5月4日、「東京新聞」。これからの人生をこの列島でやっていくほかはない若い人々が知恵を寄せ集めて行動するのか。

 東電やその取り巻きたちのいいなりになってたまるか。若い人たちの声が聞こえてくるような気がする。100万人くらいの大デモになるといいなあ。ぼくも一番後ろを歩かせてもらうつもりだ。

 ●松本哉さんhttp://www.magazine9.jp/matsumoto/110427/