
いやほんと、短いのが好きな










こんくらい銃身が太いやつ

泣ける話だ。
てか、目頭が熱くなった。
ティム・スクラッグスは、でき
あがった作品で実際に撞いて
みて、私はすごく惹かれていた。
日本国内で販売されていて、
それを買った人が持っていた
個体なので、ラッキー菱沼さん
が日本でプロデュース・リリー
スした作品で間違いない。
ラッキーさんのところから買っ
たのだし(笑
アメリカでのディーラー販売
をやめて日本で独占販売が開始
されて間もなくの頃の作だ。
結局、紆余曲折あって、私は
元は菱沼さんが個人発注し受領
して販売したポール・モッティ
のザンボッティ・モデルを北海
道の友人経由で入手したが、
ティムのキューはその後も
ずっと魅力的で私を魅了し続け
た。
マークのTSのあれは、西欧
文化で象徴的な医療を表す
剣と蛇に見立ててたね、まず
間違いなく。人の命を司る
象徴としての欧米の意匠。
撞き味もそうだが、オールド
テイストなスタイルもとても
好きだった。
ティム&マイクが作るキュー
は全方位的にデザインが私の
好みにドンピシャだった。
TSのティム・スクラッグスの
マークが見える。
手前のシャフトは木目から見る
に最高の素材だ。
メリーランドのボルチモアが
拠点だったが、ボルチモアは
私の結婚式にも参加してくれ
た大親友の生まれ育った故郷
でもあった。
南北戦争の激戦地で、銃弾
同士が空中で命中し合う程
の激しい戦闘が繰り広げら
れた土地でもある。
親友は「そこいら掘ったら出て
くるよ」とボルチモアの地面
から南北戦争の銃弾を掘り出
して私にくれたりもした。
今でもその南北戦争の実際の
銃弾の弾頭は持っている。
空中衝突ではなく地面に外れ
たやつ。ドングリみたいな形
の。
「勝手に掘って持ち帰って
いいの?」と尋ねるとアメリカ
人弁護士の彼は「今んとこ法的
には問題ない」と言って私に
くれた。
彼とは職場の同僚ながら親友で
もあったので、1980年代末期
から1990年代中期まで、さんざん
ぱら日本国内で玉を撞いた。彼
はメウチを愛用していた。私は
リチャード・ブラックからボブ・
ランデに持ち換えた頃だ。プレ
ーンのTAD坊主も使っていた頃。
マイク・コクランが実質的に
ティム・スクラッグス・キュー
ブランドのキューの製作にあた
っていたのは知っていたが、
マイクのその職人らしい真っ
直ぐな人となりを知ったのは、
ずっと後年だった。
それも菱沼氏の文章群で知り
得たものだった。
今回のコラムには心が揺さぶ
られた。
モノヅクリをする人たちの心の
真実に迫る思い出語りだった
からだ。
クリアな人が作るキューは、
クリアでクリーンだ。
これはキュー作りに限らず日本
刀でもそうだろうが。
だが、死して後も魂は永遠だ。
人間200年は生きない。
いつかは全員が100%死ぬ。
短い間だったが輝きを放った
ティム・スクラッグス・キュー
とそれを支えたマイク・コク
ランとティムが私たちに照ら
した心の光は永遠だ。