渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

宇宙人絶滅説

2023年05月12日 | open
 




なんだよ、この説。
しょーもない(笑

映画『地獄への道』(1939)

2023年05月12日 | open





戦前の1939年のカラー作品。
鉄道会社の地上げの横暴とそれ
に反抗したジェシー・ジェーム
ズと兄のフランク・ジェームズ
を描いた作品。
2001年の『アメリカン・アウ
トロー』はこの1939年作品の
リメイクであると分かる。
シナリオも同じではと思える
程に台詞と展開が重なる。
本1939年作が叩き台になって
2001年作品が完成したのだろ
う。
本作は戦前ながらテクノカラー
で撮影された。

南北戦争以降、太楽横断鉄道
を始め、鉄道網の伸延は土地
を開拓した開拓農民たちの土
地を1エーカーあたり1ドルで
鉄道会社に売却しなければ
取り上げる、という無道を生
んだ。
東部の資本が暴力で地上げを
実行しまくったのだ。
そこで多くの悲劇と惨劇が現
実の歴史でも繰り返された。
このテーマを扱った西部劇は
多い。



アメリカの鉄道の発達は、綺麗
事では語れない多くの人々を犠
牲にした上に成り立っていた。
資本こそが人々を暴力で苦しめ
た。
1862年に成立した開拓した土地
は所有できるとしたホームステ
ッド法も鉄道資本は実質的に無
視した。
実はアメリカの無法時代とは、
その主たる暴虐の担い手は、
アウトローたちではなく、資本
こそが人民を苦しめたのだった。
人民の人民による人民の為の
政治は、実は資本家の資本家
による資本家の為の政治にな
っていた。
それが資本主義国家アメリカの
歴史であり、自由であった。
人を暴力で虐げて一部の人間が
富と利を得る。
殺人などもいとわない。
そうした事をする自由。
それは、国家や資本が自分たち
に都合のいいように法律を変え
て実行した。
先住民たちへの騙しと虐待、虐
殺などは筆舌を尽くしたし、そ
の矛先はアメリカ人の白人開拓
民たちにも向けられた。
それがアメリカ合衆国の歴史だ
ったのである。

西部劇は娯楽映画だが、アメリ
カが現実に抱えた負の歴史を深
くえぐる作品も多い。
むしろ、そうした作品のほうが
多い。
だからこそ、絵空事のオハナシ
ではなく、現実に起きていた自
分たちの歴史としての背景があ
るから、アメリカでも西部劇が
人気があるし、人々は西部劇を
見て感動するのだろう。
映画ドラマの映像作品とはいえ、
現実に歩いて来た道を映像化し
ているからだ。
日本でいうならば、あたかも
『カムイ伝』のように。
『水戸黄門』ではなく、『カム
イ伝』のように。

アメリカの鉄道は、人の土地を
強奪に近い形でぶん取る事によ
って敷設されて来た歴史がある。
電信と鉄道は、アメリカの全体
的な経済構造の変換をもたらし
たが、そこには多くの人々の犠
牲があったのは事実なのである。


この1939年作品がベースになっ
て2001年の『アメリカン・アウ
トロー』が製作されたのは確か
だろう。
台詞とストーリーと展開だけで
なく、ジェシーのおふくろさん
まで2001年版はそっくりだ。


SAAセットアップ

2023年05月12日 | open



ピースメーカーは、このような
クロスドロウのリグにぶっ込む
のもアリだ。


サイドバーチカルもいいけどなー。


テイクミーホーム

2023年05月12日 | open
 






私と家族が帰るべき場所は、
イーストキャピタル、サイド
ビーチ、サザンコーストだ。
だが、まだ長きに過ぎた旅
途中だ。
ただ、ウエストには長く居
過ぎた。
 
 

国道122号

2023年05月12日 | open












マサオ、ほんまの事言うたろか。
(by 映画『道頓堀川』武内テツオ)

いってー、どこの誰がワンツー
ツーなんて言ってたんだ?(笑
という話。
それ、最近なんじゃない?
元地元だった奴から言わせて
もらうと、誰も地元ではワン
ツーツーなんて呼んでなかっ
よ。
では何て言ってたかというと、
「いちにーにー」だ。
これホントにそう。
1970年代はそうだった。
地元で、122をよく使ってたの
だから間違いない。
都内に入る時の笹目、戸田橋、
新大橋の3ルートのうちの一つ
だ。国電川口駅の先で産業道路
と合流して荒川越えて都内赤羽
岩渕でドンつきの丁字になる。
近所に都内で珍しい地酒の酒
があったが、まずい日本酒
った。

ワンツーツーなんて、かなり
後から誰かが言い始めたのだ
ろうさ。
青山通り246を「にーよんろく」
と言うのと同じように122号の
呼び方は「いちにーにー」だっ
た。
甲州街道国道20号は「ルート
にじゅう」だ。
で、お馴染みの国道1号第二京
浜は「にこく」というのが川崎
横浜の地元呼びだ。有料道路の
第三京浜は「さんけい」だ。
横浜新道は「ワンマン道路」。
ただ、国道4号はたしか日光街道
と呼んでいた。
国道17号は1970年代には埼玉
県南部には3ルートあってやや
こしかったが、新大宮バイパス
は「バイパス」、旧ルートは
「じゅうななごう」、旧中山道
は「きゅうなか」と呼ばれてい
た。

よく地方の人間が勘違いするの
がニコク=第二京浜国道の事を
国道2号線と間違える事だ。
江戸城桜田門からドカンと南下
する新東海道が国道1号=ニコク
=第二京浜京浜なのだが、これ
は東京-横浜の京浜地帯の人間
しか知らない。
しどいのは、カラオケで「夜霧
の第二国道」を歌ってるおっち
ゃんで、歌い終わったら、「これ
そこの国道2号線の事じゃけぇ」
とか言ってた。
まるっきし違うから(笑


東京マルイの新製品 短銃身ピースメーカー

2023年05月12日 | open








短銃身キター。
これね、50年前にあったら、
どんなに嬉しかった事か(笑
というか、よく今まで無かっ
という気もする。
ガスガンのSAAは既に1990
年代当初には登場していたが。
こういうのこそ、簡易射的=
プリンキングにぴったりだ。

ステインのリペア ~コスモドラグーン~

2023年05月12日 | open
 


着手は一ヶ月前の4月10日に
開始した。
作業には一ヶ月以上を要した。

まず既存のクリアとステイン
を白木になるまで剥がす事か
ら始めた。
色試し - 渓流詩人の徒然日記

色試し - 渓流詩人の徒然日記

ドライリューブで丁寧にクリア・コーティングと元のステインを剥がしていきます。色確認の為の試し染め。インディコはやはり色が青過ぎるので、調色して色を作ります。この...

goo blog

 

そして現在。完成形。
さあ、射撃準備は整った。


原状。
これとて、経年使用で打痕が増え
たので、ブラック&ダークブルー
のステインとクリアコーティング
のリペアは自分でやっている。


コスモドラグーン

2023年05月12日 | open
 





あすはこのコスモドラグーン
を使う。
重量調整もバッチリだ。
トチローが作ったハーロック
キューとでも呼んでくれ(笑
 
行くぜ。

とても使い勝手が良いナイフ

2023年05月12日 | open
 


非常に使い勝手の良いナイフ
ある。
オープン価格だが、実質販売
価格は最高値で2280円。
少し前は1900円で販売されて
いた。
中国製。CNマシンで作ら
れて
いるので隙は無い。


突起を人差し指で引くとパッ
と開く。ライナーロックなの
でシンプルながら信頼性は高
いロック機構だ。
刃長88ミリ。手に馴染む。





デュラテックはシースナイフ
も2000円台で本格派のフル
タングが手に入る。

とても良いナイフだ。
 
センターベルトは腰にカンヌキ
差しでセットする為に巻いた。


このように装備する。


アメリカでは多くあるホリ
ナルスタイルのセットだ。


日本刀と同じで、とても扱い
易いセットポジションなのだ
が、日本ではまだ普及してお
らず、バーチカルに吊るす方
法のみが日本では一般化して
いる。

 
私は40年以上前からこのサイド
セット方式でアウトドアでは
ナイフを携行していた。
日本では、キャンプブームが
起きた数年前以降であっても、
このホリゾナルサイドセット
は普及していない。
アメリカでは昔から非常に多い。
試しに工夫してベルト横抱き
にナイフをセットポジション
してみてください。
もんの凄く使い勝手がいいか
ら。アウトドアではこれ。

デュラテックは中国企業の
ブランドだ。工具メーカー。
作るナイフは超ウルトラ廉価
ながら非常に出来が良い。
実は、世界中の多くのメーカー
がOEMで中国のこの企業体
に自社ブランド名でナイフ
の製造を依頼している。
今や、アメリカのマスプロ
ーカー製品のナイフは、
ほぼ全社が中国で製
造して
いる。
ヨーロッパも北欧もそうだ。
かつて、四半世紀前あたり
までは日本が世界のメーカー
のナイフを製造していた。
今はその契約は打ち切られ、
中国に製造元が移行した。
理由は二つある。
それは日本の手作業の職人が
精度の面でコンピュータCN
マシンを導入した中国に敗れ
た事。
そして、もう一つの理由が圧
的な人件費の差がある。
日本製が2万円以上するところ、
同じ製品が中国製では2000円
以下で出来てしまう。勝負に
ならない。過当競争にさえな
ない。
 
使い勝手が極めて良いために
10数年以上使い続けている製
品がある。
米国の銃器メーカーの老舗、
ブローニングのナイフだ。
これも実は中国製。
デザインは米国人のブローニ
ング社だが、製造は中国だ。
これまでロットが3回変わった
が、これは1stバージョンだ。


使い続けているためにブレード
がかなり痩せてきている。
新品の予備はあと2丁持ってい
る。
これまた、売り始めは1丁1000
円台という信じがたい金額だっ
た。
私が「これは良いよ」と紹介し
たら、私の周囲で20数名がこれ
と同じナイフを即購入していた。
使った人たちは全員が「不満
一切無し」と言っている。
ナイフ好きな人も買い求めて、
「いゃあ、これは買って大正解
でしたよ」と目の前で使い込ん
で円滑になったこのブロー
ニン
グフォールだーをスム
ーズにオープンさせて
見せ
たりしていた。
 
良い物は良い。
金額は関係無い。
安かろう悪かろうはよくない
が、安かろう良かろうを中国
製品は作り出し始めた。
中国、恐るべし。
そのうち、コルトSAAも中国
で作られるようになったりし
て。スタームルガーとかも。
今、トイガンの電動ガン、ガス
ガンは中国製が大きくシェアを
世界的に伸ばしている。
トイガンを世界に広めたのは
日本だったが、今は中国に押
されている。
国家事業として実銃メーカーが
トイガンを作るという反則技の
ような事して世界を席巻し始め
たのだ。
そのうち、世界の実銃も多くが
中国製になる事だろう。
 
単なる脊髄反応のみで反中や
嫌中を口にする事はできない。
今や食料品から繊維に至るま
で、中国製品がなければ世
経済と生活が成り立たな
からだ。
反中を口にしたがる貴方。
貴方の下着は中国製ですよ。
コットンだけでなく、シルク
に至っては、今や世界の絹は
ほぼ100%が中国製だ。
日本人が食べるうどんも、粉
ほぼ全部に近い率で中国
製。
深く考えずにやみくもに反中
言う奴ぁパンツ脱げ、という
現実が今は存在する。
意味なく親中になる必要は無
いが、深く考えずに感情的に
反中言うならあんたパンツ脱
いでからね、というのはあ
る。
下手すりゃスッポンポンで口
だけで文句言うハメになる。
間抜けでしょうよ?それは。
絵柄的にも。

1940年に描かれたプールテーブル 〜アニメ『ピノキオ』〜

2023年05月12日 | open
 


1940年のディズニーのアニメ
『ピノキオ』にプールが出て
くる。
それは「不良がやる遊び」と
して描かれていた。
実際に、ポケット・ビリヤード
は賭け事としてやられていたの
が現実だったので、まともな真
面目な人たちはやらない。
紳士淑女がやったのはプールで
なくビリヤード=キャロム
た。


この有名なディズニーアニメで
は、1940年当時のアメリカン・
プール・テーブルが描かれ
てい
て大変興味深い。


それは、1940年当時の最新式
のボールリターン式なのだが、
リターンフィーディングレーン
木製の箱型ではなく、木製の
半筒型なのだ。非常に手間の
かかった家具のような造りに
なっているのである。


ただ、この「ビリヤードなどや
ると不良になってしまうぞ」と
語中で言われるシーンでは、
絵柄的には辻褄が合わない事
がある。

それがこれ。まあこれは12番
ボールで合ってるのだが・・・。


次のカットではボールの向き
が違う。


次には玉さえ違う。


なんというか、こういう事は
実写映画でもよくあるのだが、
ディズニーもやらかしてくれ
ていた。
 
古い画像作品は、作られた時点
の時代背景が分かる事も多く、
古い作品はそうした観点からも
楽しめる。
「玉撞きが不良の遊び」という
のはある程度当たっていた。
1980年代でも「ビリヤードな
どやる男とはうちの娘はつき
合わせない」と面と向かって
言う親もいた。これホント(笑
プールはそれ。
キャロムは皇室も御用達だった
が、ポケットはそれ。
実際に、賭け玉バクチしかやっ
ていない連中ばかりだったのが
つい最近までの日本のプール界
だった。
プロでさえ違法なバクチに明け
暮れていたのがプールだった。
キャロムでもピン倒し等で賭博
をやっている者たちも多くいた。
自分の娘をバクチ打ちなどと
つきあわせたくないのは正解
だし、自分の子をバクチ好きな
どにはしたくないのは親として
のまともな心かと思う。
今でも、バクチ玉をやらないと
上手くならない、などという
低レベルの発想の単細胞が多く
いるのも日本のビリヤード界だ。
そのうち、礼儀も作法もそっち
のけの世界的後進国のうに
日本がなるのは目に
見えて
いる。
先進国の紳士淑女のソーシャル
スポーツとして普及させようと
など今のビリヤード界のお歴々
は毛頭考えていないからだ。
そもそも、プロには給料を払う
べきところ、どれだけ会員から
の上納金を搾り取れるかしか
頭に無いのが今の日本の協会だ。
親方からして搾り取りの考えな
ので、たかが知れている。
バクチのムシリと同じ発想だか
だ。
そして、やたらと高額商品を出
してユーザーからむしろうとし
ている企業群がいる。
プロとは、それのお先棒を担ぐ
だけの存在になっている。
腐敗しか無い。
グローブ、カーボンシャフト、
1個3000円のタップ、88円の物
を3000円とするチョークe.t.c.
そんなものはクソくらえだ。
グローブしてカーボン使って
高額
チョークをこれ見よがしに
着けて
積層不適正価格タップを
使って
いるプロは、プレーヤー
ではな
く、利潤第一の企業の
提灯持ち
の太鼓持ちである。
全員。
これ、構造的に間違い無い。
自分のキューで昔ながらのギア
で第一線でトップで戦っている
選手も幾人かはいるが、圧倒的
に少数だ。
要するに、今の時代、提灯持ち
たちが集まって内輪で大会めい
た出来レースをやっているだけ。
企業のお先棒担ぎとして。
日本人も情けない魂の在りかに
なったもんだ。
 
着帽のままコーチやトッププロ
ぶってる失礼無礼の不作法な虜
外者がでかい顔してるのだか
ら、
推して知るべしの業界
なのだが。
中身はこの1940年に出てくる
不良と変わらない。
いくら偉そうに指導者ぶってい
ても、自らど失礼な振る舞いを
していて、人に何を教えようと
しているのか。
そういう非礼無礼を教えるつもり
なのか。
業界の底が知れる現象が現実に
転がっている。
ああいうたわけたちは野放しだ。
それどころか、業界メディアが
持ち上げる。
日本のプロビリヤード界、終わ
ってる。
 
今、実はアマチュア界が面白い。
プロ登録などしないトップアマ
たちの戦いが利潤とは無関係の
ガチ勝負なので見応えがある。
名人位を何期も獲り、球聖位を
何度も獲っている選手同士が
企業の利潤の広告塔などとは
無関係で真っ向勝負する。
それが本物のスポーツだ。
勿論、プロ申請したら実技など
は無試験でパスでプロライセン
スが付与される実力者たちだ。
そこらのボウラードプロなど
よりも遥かに実力が高い。
だが、ずっとアマチュアで選手
を続けている。
そこには何かのポリシーがある。
彼らは企業のお先棒担ぎの広告
塔のヒモ付きにはなっていない。
伸び伸びと、自分の愛するキュー
を使って、トップたちは最近
売り込み商品のグローブなど
着けずにプレーしている。
本物の本質的姿がそこにある。
 
世の中、何が本物の「不良」で
あるのか。
よくよく考えると、見えてくる。
 


西部劇に出てくるビリヤード ~ビリヤードの歴史~

2023年05月12日 | open
 


これは映画『ワイアット・アープ』
(1994)の中で若き日のワイアッ
ト・アープ(1848-1929)がプール
のボールを投げつけて酒場で人を
殺害したシーンだ。
コルトがパーカッションの時代だ。
殺したならず者のパーカッション
銃を誇らしげに掲げるシーンである。

だが、この表現描写は間違って
いる。
なぜならば、パーカッション銃の
時代に的玉15個玉のアメリカン・
プールというビリヤードの種目
はこの世に誕生していないから
だ。

では当時のビリヤードはどの
ような競技だったかというと、
紅白玉4個で穴入れをするこの
ようなものがアメリカをはじめ
とする世界のビリヤードだった。


このテーブルの四隅と中央レール
に2個穴のある今に続くポケット・
ビリヤードのテーブルは、さらに
少し前はこのような形だった。


さらに少し前は、台上にゲート
があり、そこを通して、岸壁=
バンクに設けた穴に玉を通す
競技がビリヤードだった。
使う器具はメイスと呼ばれる
ボートのオールのような木製
器具だった。

アメリカにおける1870年代まで
の主流のビリヤードはアメリカン・
フォーボールと呼ばれるビリヤ
ードで、後の16個玉を使うプー
ルは存在しなかった。
アメリカン・フォーボールとは
紅白玉2個ずつを使う競技だった。
台はポケット台で11フィートも
しくは12フィート台を使用した。
初期には四隅の4個のポケットだ
った。
英国式と同類系としてアメリカ
では紅白四つ玉のポケットが
主流となっていた。
玉をポケットインさせたり、2個
乃至3個の的玉に手玉を当てる事
で得点とした。
手玉を的玉に当てる事は「キャ
ロムを作る」と専門用語で呼称
する事にした。キャロムとはワン
ストロークのショットで手玉を
的玉に当てる行為の事をいう。
アメリカン・フォーボールでは
最大3個当てるために点数が増加
する計算方式だった。
やがてポケットの穴を排して、
難易度の高い「玉と玉を当てる」
競技が独立分離して「ストレート
レール競技」となった。キャロム
ビリヤードの登場だ。
そして、時期を同じくして、キャ
ロムがアメリカン・フォーボール
=ポケット台の紅白四つ玉競技=
から分離独立してストレート・レ
ール台で成立した頃、手玉を含め
て16個の玉を使うアメリカン・
ポケットが登場した。
その1個の手玉と15個の的玉を使
う種目は通称アメリカンフィフ
ティーンボールと呼ばれていた。
プールの誕生である。

フィフティーンボールプールは、
1から15までの番号が的玉につけ
られていた。
的玉は番号の数が点数とされ、
ラック内の総合計が120点だった。
なので対戦者は一方が61点以上
になると勝利となった。別名61
プールとも呼ばれていた。
その61プールは、1878年に第1回
全米選手権大会で採用された。
第1回全米ビリヤード大会は
1861年に開催されたが、それは
アメリカンフォーボールの紅白
四つ玉のポケット競技だった。
当時の新聞によると、まだメイス
が6割ほどで、キューを使用する
人が5割に迫る勢いで、最近は
棒のキューが人気のようだ、と
記載されている。
日本に残る1860年以前の幕末の
絵画でも、メイスとキューの
両方が出て来る。1860年あたり
が端境期の混在期といえる。

1878年の第1回全米61プール
選手権大会は、カナダ人の
シリル・ディオンが優勝した。
人類史上初のプールの大会の
優勝者はカナダ人だった。

アメリカン・プールは大人気と
なり、それまでのフォーボール
ポケットビリヤードは衰退した。
そして、1888年後半にプールに
大転換が起きる。
ごく当たり前の事でもあるのだ
が、ボールが番号によって点数
が異なるのはおかしくないか?
という声が増えて、ルールが
変更されたのだ。
的玉はどの玉でも1個が同じ点数
1点となった。
そして、持ち点に達するまで、
次のラックのブレイク権はノー
ミスで撞いている側が連続して
ラックを撞く権利とした。
後年登場するストレートプール
=フォーティーンワンラック
の原型が1888年後半に誕生した
のである。
アメリカンプールのルールは
西部開拓時代最末期頃に徐々
に完成されつつあった。
そして、1900年初頭にエイト
ボールという新種目が考案さ
れた。
1888年に新設ルールとなった
1個1点の連続撞きの種目は1910
年になってストレートプール
=14.1ラックとしてルールが
新設された。
そして、1920年代にナインボー
ルという種目が登場した。
ただ、14.1ラックはルールが
完成されているが、ナインボー
ルは1980年代末期から21世紀
の現代に至るまでめぐるまし
く詳細ルールが改変されている。
現在のナインボールはブレイク
ナインさえ無くすつまらぬゲー
ムと成り下がってしまっている。
公式戦では交代ブレイク制を
導入したため、ラックを跨いで
の何ラックもの連続取り切りと
いうシーンが存在しなくなった。
見せかけの公平性とテレビ中継
用のスポンサーの圧力によって
スポーツのルールが捻じ曲げら
れたのが今のナインボール競技
だ。
一方ストレートプール14.1ラック
は一切ルール変更はない。100年
以上同じルールで通されている。
まさにストレートだ。

現代のキャロム競技は、元々は
ポケット穴のあるテーブルで
競技されていて、それが分離
独立した。
ヨーロッパでは1930年代から
キャロムが大流行したが、
アジアの新興資本主義国であ
った日本では、文明開化の直後
からの急激な西欧化により、
ビリヤードが撞球と呼ばれて
大流行した。
それは明治の貴族や富裕層だけ
でなく庶民にまでビリヤードが
浸透し、ヨーロッパ先進国に
並ぶビリヤード大国に日本は
変身していた。種目はキャロム
だ。
日本人の世界チャンピオンは
1920年代に誕生している。
スリークッションが1930年代
にはヨーロッパでは人気を博し
たが、日本ではアメリカンフォ
ーボールの流れのキャロムの
「四ツ球」が主流となって大
流行した。獲得点数は当てた
玉により可変式で、これは
当てて入れれば最高13ポイント
を得点できるアメリカンフォー
ボールと同じ類型の点数計算
方法だった。これは1980年代
にどの玉に何個当てても1点に
ルールが変更されるまで100
年間同じ点数計算方法だった。

ヨーロッパでスリークッション
が1930年代に大人気となると、
その波はアメリカ合衆国にも
押し寄せて来た。
意外な事に、アメリカではプー
ルの人気が衰え、スリークッ
ションが大隆盛を見せる。
プールはレクリエーション的な
要素が強いために、軍隊の娯楽
としても常設されるようには
なっていたが、本格的競技と
なるとキャロムが重要視される
ような歴史の流れになっていた。

1878年から1956年まではキャロム
とプールの全米選手権大会が毎年
開催されていた。
南北戦争中(アメリカンフォー
ボール)を含めて戦争の結果よ
りもビリヤードの報道が広くな
される事も多かった。
しかし、戦後のアメリカでは
帰還兵たちの生活再建によって
ビリヤード人気が一気に衰退し
ていった。
信じがたい話だが、1950年代に
はキャロムビリヤードだけでな
く、アメリカの国技のようなプー
ルでさえも消滅しかけそうな
状況だった。
だが、1961年に『ウエストサイド
物語』とアカデミー賞を争った
映画『ハスラー』によって、全米
でのビリヤード人気が一気に復活
した。
アメリカにおいて玉撞きの歴史は
閉じかけていたのを一作の映画が
救ったのである。
その後、1960年代には全米選手権
も復活し、USオープンも開かれる
ようになった。
アメリカで生まれたアメリカの
スポーツであるプールは消滅の
危機を脱したのだった。

なお、プールとは、ポケットに
玉が溜まる事を意味するが、元々
は競馬場でレースの待合い時間
にハウスで楽しむゲームがプール
と呼ばれていた。溜まり場の
ゲームだ。ネットに溜まる玉と
溜まり場のプールが合体して、
そこで遊ぶボールゲームをプール
と呼ぶようになった。
そして、プールという米語には
「賭け事師」という意味もあった。

1870年代後半以前を時代設定
としたパーカッション時代を
描いた西部劇に15個玉のプール
が出て来るとしたら、それは
時代考証が誤っている。
プールはまだ存在しない。
アメリカンフォーボールの
紅白四つ玉のポケットが当時
のビリヤードだったからだ。
1880年代設定なら間違いは
ない。


ヨーロッパ勢の台頭 〜スポーツ〜

2023年05月12日 | open


世界大会ではアメリカ人が
全然勝てなくなってしまっ
た時代。
これは二輪ロードレースで
もそうで、かつてのように
アメリカ人がずっと世界を
席巻して世界チャンピオン
を取り続けた1980年代とは
時代が大きく異なる。
その一角に日本人も食い込ん
でいた。
続く1990には世界グランプリ
日本人の世界チャンピオン
何人も出た。
世界トップを走る二輪のマシン
40年間ずっと日本製だった。
そして、アメリカン・プール
の世界ではアメリカ人こそが
圧倒的な強さを見せていた。

今はロードレースもポケット・
ビリヤードもヨーロッパ人の
時代だ。
それと中国が国策としてビリ
ヤードにテコ入れを始めた為、
中国勢の台頭が著しい。
全員機械のように同じ金太郎
飴の玉突きで、観ていても感
動も何も無い無機質なものな
だが、とにかく玉は入れる。
なので中国勢は上に行く。
しかし、観戦競技としては全く
つまらない。エンターテイメ
ント性も無い。個人の尊厳を
無視した国が国家政策で振興
させてる機械のような人間た
ちが棒を振って玉を撞いて入
れているだけだからだ。
まだ、ヨーロッパ勢は熱くヒ
ートするし、人間らしい。

だが、今後は、世界のありと
あらゆる製品が中国が支配す
であろう事と同じく、あらゆ
るスポーツで中国が地球を支
配するようになるのではなか
ろうか。
人間が全員同じ顔になって。
〈BD〉前回覇者・フィラー初戦敗退。『ワールドプールマスターズ』Day1終了。【ハイライト動画あり】

〈BD〉前回覇者・フィラー初戦敗退。『ワールドプールマスターズ』Day1終了。【ハイライト動画あり】

今年の 『ワールドプールマスターズ』 (9ボール招待試合。16名)が 始まりました。 会期は10日~13日(4日間)。 会場はイギリス・エセックス 『ブレントウッドセンター』...

ビリヤードデイズ

 


クイックショット

2023年05月12日 | open



上手い人がやると、2発撃った
音が1発の音に聴こえる。
ファニングの妙技。




こちらはアメリカのファースト
ドロウ競技大会。
ワックス弾を発射するシングル
ショットでの早撃ち大会だ。


ウルトラセブン

2023年05月12日 | open





これは絶対に映画館に観に行く。