てことで、シメはヤード。
つーこって、19時台に無事帰還。
知らない道をズンドコベロンチョ
あの遥か先の山を超えて山陰側
「この先幅員2m」の表示が
ヤマハの新型SR400/27PS
カワサキの新型400/80PS
かつて1980年代末期。
爆発的なバイクブームの中、
ホンダ、ヤマハ、スズキは
売れまくっていた。
ただ一社、カワサキのみが
全く二輪車が売れず、川崎
重工は二輪部門の廃止の検
討段階に入った。
カワサキは消滅しかけた。
その時、西から風をそよが
せようという起死回生の願
いをこめて、オールドスタ
イルの非力なエンジンの
ゼファー400をカワサキ二輪
部門開発陣は世に登場させた。
これが人気爆発した。
そして、それ以前からネイ
キッドオールドスタイルの
車種も作っていたホンダや
ヤマハの車を蹴散らして、
カワサキのゼファーはそよ風
ではなく突風となった。
歴史が動いた。
ゼファーの登場により、国内
の二輪シーンは高速スポーツ
レプリカマシンではなく、旧
来の「ジャパニーズスタイル」
とも呼べるオーソドックスな
ネイキッドスタイルの二輪の
人気が一気に高まったのだ。
それにより、カワサキはメー
カーとして消滅の危機を脱する
事ができた。
カワサキ以外の各社が続々と
二番煎じでゼファータイプの
二輪車を矢継ぎ早に登場させた。
それによりカワサキはまた販売
不審に陥るも、今世紀に入り
まったくカウル付きマシンが
消滅していたところ、ニンジャ
250をカウリングモデルで登場
させて、再び今度はスポーツ
モデル人気に火をつけた。
その後、カワサキは着々と販売
台数を増やし、30年前には国産
メーカー最後尾定番だったのを
ホンダを抜く国内第一位のメー
カーに一気にのしあがった。
最底辺の位置にいたのがカワサキ
の常ではあったが、俯瞰するに
歴史の転換点を作ったのはいつ
もカワサキだった。
それはメグロにはじまり、マッハ、
Z750RS通称Z2、ビッグバイクの
ニンジャシリーズ等での大型二輪
の台頭、ゼファーによるスタンダ
ードの良性普及、H2登場による
世界最速時速400キロマシンの
登場等々。
常に「世界最速」を狙っていた
のがカワサキでもあったが、
ゼファーの登場は日本だけでな
く全世界の二輪車の流れを変えた。
カワサキは日本では一番不人気
のメーカーだったが、海外では
カワサキは圧倒的な人気を持っ
ていた。
それは、大型車においてカワサキ
が優位性を持つ車を販売していた
からだった。
日本でのカワサキ人気の上昇は
1995年の自動二輪免許制度改定
によって大型二輪が誰でも簡単
に取得できるようになった事が
背景として大きいだろう。
あの規制解除はアメリカ資本の
日本政府への圧力により、政府
から行政執行権力側に米国から
のフィルター圧力をかけて、
国家権力側が嫌々改定した免許
制度の改変だった。警察権力な
どは国民には二輪に乗らせたく
ないので、免許制度を権力行使
で1975年に改変し、それを20年
も存続させていた。
だが、政治圧力により権力側も
親米資本政策を採らざるを得な
くなったのが1995年の免許制度
改定だった。
要は、ハーレーが日本で売れな
いのは日本の厳しすぎる免許
制度があるためだ、と米国資本
から日本に圧力がかけられたの
で、やむなくガス抜きで制度を
改定したのが1995年改訂だった。
日本が米国の要求を呑まないと
日本車の米国への輸出に関税規
制をかけると脅されたので、
しかたなく、本当はやりたく
ないのに大型二輪免許制度を
改変し、さらに750cc縛りの
規制を解除したのだった。
日本のポチぶりが露骨に現出
した法改正であり、まちがって
も日本が進歩的に世界の情勢に
合わせたというのではない。
警察は今でも国民に自動二輪
になど乗らせたくはないのだ。
理由は簡単。事故が増えるから。
そのために法改定をして1975年
に世界に類例のない規制を実施
したのだから。
国家権力の実体は、行政執行
権力であり、軍事力と武装部隊
を持つ部分だ。
警察こそが日本を仕切っている。
自衛隊と警察だけ銃器を合法と
して常時携帯しているでしょ?
国民が持つのはダメで。
あれこそが権力の象徴なのよね。
さて、内燃機関搭載の二輪車は
もうすぐこの世から消滅する。
そうしたカウントダウンが開始
された中、欧州は立て続けに
異常ともおもえる排ガス規制
をかけてきている。
これも実は環境対策のためなど
ではない、原発増産時代と同じ
資本経済のまやかしの虚言を
あたかも正義の良心かのよう
に謳うだけの嘘政治戦略でしか
ないのだが、多くの人々は環境
保全や地球のために排ガス規制
が実施されているかと大誤認し
ている。要は資本権力に時代
ごといつでもいいようにもて
遊ばれている。原発が典型例ね。
原発稼働せずとも国民生活は
できたという現実が直近にあ
ったし、40年前には「30年後
には地球の原油が無くなる」
と大嘘キャンペーンで原発が
推進されていた。
現在の事実は、油田は40年程
で再度空から満タンに満たさ
れるし、新油田もどんどん発見
されている。
石油が地球により再生産され
るので、いわば原油というの
は無尽蔵にある。
だが、その真実を多くの人は
知らない。エネルギー危機の
ために原発設置に賛成させら
れ、クリーンエネルギーとの
大嘘を鵜呑みにさせられた。
クリーンで安全ならば、東京
湾に作ればいい。あるいは
新宿御苑や皇居あたりに。
廃棄物も首相官邸の庭に埋める
とか。
だが、遠隔地にばかり原発を
建造する。
それは危険性についての真実
の理由を権力者は知っている
からだ。
さて、内燃機関搭載二輪が終焉
を迎えようとしている今、ヤマ
ハは「もう復活販売は無理かも」
と思われたSR400を復活させた。
超絶厳しい排ガス規制をクリア
しての誕生だ。
スピードを求める車ではない。
景色を楽しみ、二輪に乗って走り、
自然の中の移動を楽しむ二輪車だ。
一方、カワサキは、レーシング
マシンのような400を登場させた。
歴史上最強力エンジンを搭載した
スーパーマシンだ。H2Rの400版
のようなコンセプトの車だろう。
往年のF3レーシングマシンに届き
そうな程の80馬力のパワーを持つ
399ccエンジンを搭載している。
車格は250と同じにしており、車
重も軽ければパワーも絶大。
とんでも公道レーサーのような
車をカワサキは発表した。
ヤマハとカワサキ。
ガソリンエンジン車の最終段階
で、大きく方向性が両社で180
度開いたと思える。
かつて、カワサキが世の中を
結果的に変えたゼファーの根
底路線のようなものを今ヤマハ
が技術力を駆使してやろうと
している。
一方、カワサキは、かつての
ホンダが取った路線のような
車を開発して市場にぶち投げ
て来た。
この先、数年で両社の明暗が
分かれる事だろう。
私の予想では、カワサキのこの
今の過激方針は吉とは出ない
ように思える。
それは歴史的な流れの中で、
カワサキの驚愕過激路線は、突
然降って湧いた「突拍子もない」
事でしかないからだ。
カワサキの場合は、いつもここ
50年ほどは戦略的に練りに練っ
た作戦でヒット作を登場させた
のではなく、常に「突拍子もな
い」車種によって時代を作った。
だが、それは、日本の二輪車の
揺籃期から発展途上と円熟期と
いうプラスの成長時代が背景に
あったゆえ受け入れられた産業
生産物だったといえる。
今はガソリン二輪車が終息終焉
に向かう消滅前夜だ。
そこで、最盛期の円熟時代に
こそ求められたようなコンセプト
の車を作って、果たしてどうな
のか、という問題が横たわる。
むしろ、今の時代、ヤマハXSR
700初期型やホンダGB350やヤ
マハ新型SR400のようなマシン
が時代的流れの中では必要と
されているのではなかろうか。
というのは、ギュイギュイと
いわすマシンは大型クラスで
は激戦だが、中型クラスでは
かつての80年代末期のバイク
ブームのようなものはこの先
起きないだろうからだ。
理由は「エンジン付二輪車の
命はあといくらもない」から
だ。
ほんのその僅かの時間に購買
層を定めて超絶マシンを出し
ても、大金持ちの趣味的セカ
ンド、サードバイク、複数台
高級車を所有する層の興味本位
買いしか見込めないだろう事
は目に見えているからでもある。
売れたとしても特定富裕層だけ
というのでは、それは真に歴史
的な真価を発揮した公道市販車
の二輪機種とはいえないのだ。
私はカワサキの新型400は、企
業戦略として失敗すると踏んで
いる。
そして、ヤマハSR400は、たとえ
スピードが出ない車であっても、
販売数としては成功するのでは
なかろうか。
あと5年後あたりで、答えが出る
だろう。
ガソリンエンジンがこの世から
消滅させられるカウントダウン
が始まり、カワサキが最期の打
ち上げ花火のようにやりたい放
題だ。
400クラスで80馬力。
1980年代末期~1990年代初期
のF3レーサー並みのパワーを
ノーマル市販車で登場させた。
レーシングマシンではもう何
十年も前からこれくらいの馬
力の競技専用車はあった。
市販レーサーのヤマハTZは、
249ccで93PSだった。車重は
102kg。
その原付50のような車重で
リッター換算360馬力以上の
パワーを持つ。レーサー250
はどれほどとんでもないマシ
ンだったか分かるだろう。
だが、市販車の250は自主規制
により45馬力にされていたし、
400クラスは58馬力にされて
いた。
その市販車の250クラスのマシ
ンでさえも最高速は220km/h
に達したし、ファインコンディ
ションで現存している車は今
でもそのポテンシャルを持つ。
エンジンは2ストである。
レーサー250の加速はまさに
ロケット加速だが、市販車で
も十分に一発加速は速い。
さらにその後、市販公道車は
馬力自主規制がされ、250も
400もかなり出力ダウンが為
された。400は53PSが一般化
した。
ただし、出力を下げると良い
事がある。
それはエンジンの耐久性が
飛躍的に上がるのだ。
2stレーシングマシンのピス
トンリングなどは性能保持的
には90分程度しかもたない。
極限の究極パワーをひねり出
しているからだ。2st250は実
によく回る。パラもVも。
ピストン類は1レースごとに
交換するし、クランクもプラ
イベートでさえ2レースごと
あたりで交換して組みなおす。
だが、一般公道市販車は長距
離を走れないとならない。
2st250レプリカのエンジンの
寿命は2万kmといわれている。
4ストでも超絶ハイパワーに
したら耐久性はガタンと落ちる。
今回のカワサキ、当然の事なが
ら、2~3万キロ程度しかエンジン
がもたないだろう。
いわゆる「乗り捨てバイク」だ。
長く大切に乗るマシンではなく、
極めて短期間、レーシーなパワー
を味わうだけの車だろう。
しかし、かつてのF3レーシング
マシン並みのパワーを公道市販
車に与えて、どこでその実力を
使えるというのか。公道で。
最高速は240km/hに達するだろう
し、2速で軽々と120程出るだろう。
どこで真価を発揮できるマシンな
のだろう。
歴史上、クラス最強エンジンの
新型モデルだ。
耳目を集める点、歴史に名を刻
む点では首肯できるが、長く親
しむ公道用二輪作りとしては甚
だ疑問。
業界の掟を破っても作るのであ
るならば、1990年代初期に作っ
て出すべきだったような気もす
る。非難を浴びようとも。
30年前に求められたマシンを
今の今出現させるその意図は
どこにあるのだろう。
やはり、最期の打ち上げ花火
としか思えない。
「車」としては最高だろう。
だが、時代の中で、あるいは
歴史の流れの中で、それは正当
な評価を受けるのか。
作り手側が自己満足と達成感を
得るのを目標とした「最後の挑
戦の証」を残したかっただけで
はないのか。
例によって、雑誌記者や専門
モノカキライターたちは絶賛
するのだろう。
出すものすべてベタ褒め売文
をするのが彼らの飯のタネだ
からだ。
そうして日本のモーターリゼー
ションの歴史は崩壊の道を辿っ
て来た。
そして、彼らには自戒も自省も
無い。常にメーカーの腰巾着だ。
それらを「ジャーナリズム」と
は呼ばない。
ある店で飲んでいて、カウン
ターの中のこんな感じのお
ねーちゃんが映画好きとい
うので、映画の話題振ったら、
スターウォーズシリーズは観
た事無いと言う。
このお方も知らない。
まして、アナキン・ダースべ
をたとえ1作でも観ていない
のは、何だか損してるようにも
思える。