渋いサニートラックを見た。
したサニーはピットから観てる
と速かった。
日大文理の学生が構内にパレスチナ反戦のビラを1枚貼ったところ、授業後に学生課の職員や教員に待ち伏せされ、懲戒処分の警告を受けたそうです
— 日本大学文理学部学生自治会設立準備会 (@nuchs_jichikai) December 22, 2023
理由としては「学内の秩序を乱す」とのこと
本会は、自由なビラ貼りを含めた表現の自由を勝ち取ります pic.twitter.com/kDaPtdBwel
不世出の天才と呼ばれた一人の
世界チャンピオンがいた。
その名をフレデリック・スペン
サーという。アメリカ人だ。
22才で激戦の末、1983年に世界
チャンピオンになった。
彼は「曲がらない車」に乗って
いた。
ホンダの二輪のハンドリングは
最悪で、ある一定の角度から急
激にフロントがインに切れ込む。
それを直してくれとワークス
ライダーが進言するも(直す
方法はあった)、製作陣は拒否
した。
だが、フレディのみはその危険
なマシンを手足のように扱った。
彼は特殊な乗り方をしていた。
高速でコーナーに突っ込む時
(例えば鈴鹿の1コーナーの
ような場所)、ブレーキングと
同時にクラッチを切ったのだ。
シフトは立ち上がりのポジション
にシフトダウンしている。
そして旋回して、立ち上がりで
一発だけブワッとブリップさせ
てギアを繋ぐ。
それまでの常識では考えられない
走法を採用する事で曲がらず転び
やすいホンダのマシンを操った。
このフレディの走法は荘利光選手
が並走して現認したが、実は
世界チャンピオンのケニー・ロバ
ーツも「曲がらないヤマハ」に
手こずった特定時代にはその特殊
走法を採用していた。
(ケニーの自伝を読むと、ハンド
リングのヤマハと呼ばれたのは
ケニーによるマシン開発が大きく、
それまではかなり曲がらない車
がヤマハの特徴でもあったという
衝撃の歴史事実の証言がある)
ケニーも後のフレディと同じく、
クラッチを切り、シフトペダルを
ポンポンとかき上げてシフトダウン
して、立ち上がりでブワッとブリ
ップさせて繋いでいた。
これはWGPの古いビデオを観れば、
数段シフトが必須の場所でブリップ
音が一度だけの事からも確認でき
る。
ホンダの二輪のハンドリングの
悪さは世界一だった。
市販純レーサーRS250が発売供給
された時、私はFISCOを走ったが、
場内では公式アナウンスがスピー
カーから大音量で通達された。
「ホンダRS250のユーザーの方は
十分に走行に注意してください」
と。
意味が解らなかったが、コース
インしてみて判った。
そこらじゅうのコーナーという
コーナーでまだ未塗装の白い
ホンダRS250が白い屍のように
転がっているのだ。
ヤマハTZからホンダに乗り換えた
選手たちはほぼ全員が転倒して
いた。
TZのナチュラルハンドリングの
つもりで寝かしこんで行ったら
ある特定バンク角以上になると
前輪が足払いをくらったように
なって転倒していたのだった。
コースを周回しながら、寒々しい
戦慄を私は覚えた。
これは後年の市販車公道モデルの
NSR250Rにも引き継がれていて、
MC16、18あたりのF3やプロダク
ションでは実に多くの転倒者を出
していた。
ところが、ケニーやフレディの
ように「常識外れ」の事をやって
乗りこなす人たちも現れ、その
人たちはノービスであろうと、
強力なホンダのエンジンパワーを
活かして上位につけていた。
それは、前輪ブレーキをあてなが
らスロットルを開けて旋回して
行くというものだった。
マシンの設計を崩す形で、彼らは
危険なホンダのマシンを自在に
乗りこなして成績を収めたのだ
った。
旋回中に駆動をカットする事は
一般の人は公道などではやらない
ほうが無難だ。
ただ、ホンダの最悪ハンドリング
車でなくとも、発動機付二輪の原
理としては、クラッチを切って
駆動をカットすると旋回性とハン
ドリングは向上するという特性が
ある。
それゆえ、解っている教習所教官
は高度な知見から「スラロームや
クランクではクラッチを切ると
曲がりやすい」と教える。
ただし、問題がある。
それは二輪特性の高次元な判断
(正確だ)によるものだが、教
習所に来ている人たちはどういう
層なのか、という事を失念して
いる。
巧みに二輪を自由自在に操れる
人たちがその二輪の特殊な特性
を活かした操縦操作による運転
が可能なのであって、駆動を切る
超高度高次元内容を実質的に
初心者あたりは理解できない。
それどころか、それが当たり前
と誤認して公道で旋回中に駆動
カットのクラッチ握りなどした
ら危険を誘発させるだけだ。
私の場合は、公道であろうと旋回
中にクラッチを切っての寝かしこ
みと数段シフト下げの一気繋ぎの
ブリップをする事もある。
だが、それは特殊な状況のみで、
基本的にはベーシックな操作を
励行し、常にクラッチは繋がって
いるのが99%だ。
停止の時には、停止前にNに入れ
て駆動は切っているのが私は常だ
が。
公道走行では常にクラッチを繋ぐ
走行が一般的には安全度が高いと
私は思う。
特殊状況での特殊な技法というの
は、やはり限られた条件、限られ
た場所での技法だ。
ただし、バックトルクリミッター
が付いていない二輪や、オート
シフターが無い二輪では、半クラ
シフトダウンやブリッピングでの
回転同調シフトダウンは全車種で
必須操作だ。
単純に教習所乗りのようにシフト
ダウンだけしてクラッチを繋ぐ
と、エンジンは過回転となり、
場合によっては後輪はロックする。
危険。
たとえ、低回転低速であっても、
それに見合ったブリッピングを
して回転を上げてからシフトダ
ウンを繋ぐのはオートバイのエン
ジンを傷めず、また安全走行に
繋がる。
最近意味不明な操作をする人も
動画を見ているとサーキットに
さえいる。
高速度走行ではシフトアップで
はクラッチは使わないのが基本
だが、スロットルを開けたまま
でシフトアップでクラッチを切
ってシフトアップしているのだ。
そのたびにエンジンは悲鳴を
上げて瞬間過回転している。
そのような誤操作をしていなが
ら、「エンジンがまた焼き付い
た」とか動画では言っている。
当たり前だ。物事の道理を根本
から理解していない。
また、逆にシフトダウンでは
一切ブリッピングをしていない。
見ていると、シフトダウンでも
エンジンは悲鳴をあげて過回転
している。
もう、これはサーキット走行
以前に、二輪車の基本の基本、
原理さえも理解していないと
言わざるを得ない。
そのうち飛ぶ(レース用語で
転倒の事)ぞと見ていたら、
案の定、よく飛んでいる。
天の理は嘘をつかない。
なるようにしてなるべく結果は
到来する。リンゴを離せば地面
に落ちるように。
公道においては、クラッチ切りっ
ぱなしの旋回は、私自身はおすす
めしません。
【オーナー閲覧注意】売れてない?
HONDAさんこりゃダメだって!
レブル250の再来ならず…
CL250不人気な理由【インプレ】
レブルのシート高は690mm。
CL250のシート高は790mm。
10センチもアップしているが、
それは汎用全路走破系二輪の
設計ゆえだろう。
それのみを取って悪い二輪とは
いえない。
ちなみに、ネイキッドベーシック
スタイルのカワサキゼファーχは
シート高775mmだ。
身長173αの私の場合、両足は
ベタベタに着いて、その状態
で立つと尻とシートが離れる
程足つき性はよい。
だが、私の場合、個体の足つき
性がよかろうが悪かろうが、
それは二輪の性能としての判断
基準になどならない。
足つき性などは「良かろう」で
はなく「好かろう」である事に
多くの今の人たちは気づかない
し、その重要な識別分別の自覚
さえない。
長大で重量のある刀が良くない
刀、などという定理は存在しな
い。自分に合ってるか合わない
かと、その物体個体の特性の
良否を混同してはならない。
オートバイというのは足つき性
が云々(安部元総理によると
「デンデン」)でマシンの善し
悪しなどは語れない。
ポジションが自分に合わなけれ
ば変更すればいいだけだ。
設計ディメンションは多少変わ
るが、それも含めて総合的に
射程を定めてセットアップして
行けばいい。吊るしの出来あい
を指して自分にポジションが
合わないからとダメを出すのは
根本から心得違いをしている。
自分一人のために車は作られて
いない。
最近非常に多い車両レビューが、
低身長の人間が自分が足が届か
ないからと「よくないバイク」と
コメントする事だ。
何か大きな勘違いをしている。
そしてそうした延長で、足つき
性が高いホンダレブル250を名車
であるかのように語りたがる。
それ、根本的に車の公正妥当な
評価になってないから。
それに、バイクに跨ったまま、
ステム右下のハンドルロックを
かけ難いからダメ、とは呆れる。
昔のオートバイを一つも知らな
いのだろう。
それに跨ったまま右下にある
ハンドルロックをかけようと
する頓珍漢な行為は初めて観た。
今人らしく、お手軽ポチリで
今の目の前だけが世界の全て
かと思い込んでいるので全く
複雑な状況には対応もできず、
それを棚上げして、あえて
オールドスタイルでの造り込
みをした車にクレームをつけ
ている。
見識が浅すぎる以前の問題。
マッチを指して自動着火でない
のでダメですね、と言ってるよ
うなものだ。多分マッチもすれ
ない、マッチさえも知らない
クチかもしれない。
ケーキのお皿が目の前に並んで
ないと地団駄踏んで駄々こねそ
うだ。
ゆとり世代以降の一つの傾向性
だろう。
自分中心に世界が回っていると
勘違いしている。
そして、対応力や即応性や臨機
応変さに著しく欠ける。
つまり、人間力が異様に低すぎる。
というか、観て納得して信奉する
視聴者も視聴者だ。
ハンドルネームと同じなので実名
を伏せるのはセキュリティ対策か
らいいとして、顔を隠している
モトブロガーだらけだ。
顔出しもせずに、顔を隠して匿名
の陰に隠れているようなどこの
誰だかも明らかにしない連中の
言ってることを真に受けて信奉
する。
現在のYouTube持ち上げ風潮は
非常に社会的な闇がある。
どこの誰であると明らかにして
動画配信活動をしている人たち
もいるが、二輪系動画配信者は
顔を隠して動画をアップして集
金しようとしている。
視聴者もまともな感覚ならば、
「あっそ」で済ますのだが、それ
が顔隠し野郎たちの言を妄信し
て神のように崇めたてる。
顔隠し人たちはネラーの延長で
ある構造に気づかないどころか、
支持している視聴者たちそのも
のが実は匿名の陰に隠れてしか
動くことができない陰湿なネラー
だったりするのだろう。
そして、そうした世代が車を作る
主軸年齢層の時代になった。
駄目な車ばかりになる筈だ。
今、日本製オートバイは、世界
選手権ではまったく勝てないど
ころか、常に最下位あたりを全社
の二輪がうろうろしている世界
状況になった。
こうした傾向性は、車という工業
製品だけでなく、学力や学術研究
の世界でもどんどん日本は墜落
して行っている。
本物の後進国に日本が転落する
日もさほど遠くない。
ちょうど50年前の13才中1。
既にヒール&トゥで四輪は操縦
していた。
四輪も二輪もヒール&トゥや
ブリッピングは大切。
それの慣いはまずイメトレから。
イメトレはかなり大切。
だが、アクセル開度によるツキを
掴んで繊細なアクセルワークをす
るのは、実践しかない。
イメトレは大切で、例えば筑波で
あっても、目をつぶって実走と
同じように周回する。
すべて実践と同じ操作のイメージ
で。
二輪レーシングライダーがよくやる
イメトレだ。
そして、タイム計測して、自分が
走る実走とぴったり同じタイム
ならば、そのイメージは正確だ。
そして、実走訓練と併せて考える。
どこを詰められるかを。
実はイメトレは、剣道や抜刀術でも
極めて有効な稽古方法である。
ローバーミニ旧型の場合、ヒール&
トゥではなく、サイド&トゥのよう
な位置関係だった(笑
あの車のみ、クラッチに負担をかけ
ないように、信号停止直前にはNに
入れていた。
オートバイでも、私は信号停止や
駐車場所への停止の際には、車体
停止の前にNに入れて滑走してい
る。
これは教習所では×の乗り方。
だが、止まる時に、停止後に二輪
でガチャガチャとギアを下げる事
は私の場合には一切無い。
そして、エンジンに負荷をかける
エンブレ使用での制動や減速は私
の場合にはやらない。
二輪の場合は、ブレーキングしな
がらのブリッピングシフトダウン
が四輪でのヒール&トゥに該当す
る。
四輪車でも状況によっては必要だ
が、二輪車ではオートシフター
装着車以外では絶対に必要な
操作がブリッピングだ。
ブレーキレバー4本掛けではスロッ
トルを煽ってエンジン回転を同調
させるブリップはできない。
最近、オートバイに極度に乗れな
い人が大量に日本にいるのは、も
しかすると四輪車もマニュアル車
を運転できない人たちだらけだか
らではなかろうか。
実は四輪車もオートバイのように
すべてマニュアル車にすれば、
アクセルとブレーキの踏み間違え
などという呆れる間違いは起きな
い。
だが、あの誤操作の蔓延は、「足
を浮かせて踏みかえる」という
大嘘教えがはびこったゆえだ。
原因はそれ。高齢者がどうのこう
のではない。
足を空中に上げてから踏みなおす
という危険で不安定な事を「正し
い」と教え込んだ結果が今だ。
足の踵を床に着けて、左右で扇形
に足先を動かす操作をすれば、
アクセルとブレーキの踏み間違い
などは物理的に発生しようがない。
だがその安全な操作を教習所や
警察では「誤った操作」として
させないようにしている。
その大嘘の結果が、踏み間違え
事故の多発原因となっている。
しかし、嘘を指導しているのは
お上とその腰巾着たる教習所だ。
事故原因が自分たちの誤操作
指導にあるとは絶対に認めない。
また、その大嘘を指摘するモー
タージャーナリストも一人も
いない。プロのモータージャー
ナリストは真のジャーナリズム
精神などは皆無で、御用学者
よろしくお上とメーカーのひも
付きのイエスマンしかいないか
らだ。
結果、踏み間違え事故は無くな
らない。
高齢者の加齢による判断ミスで
あるかのように虚偽報道するば
かりで。