渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

私が演奏できない楽器

2023年12月18日 | open
 

それはドラム。
中学の時、家にドラムある奴
のとこ行って教えてもらった
けど、全くセンスが無かった(笑
 
俺は嵐を呼ばないが、荒らしは
呼ぶようだ(笑
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2023年12月18日 | open



くっそ寒い。
てことで、今夜はベーナーだ。
「藤吉!シャモこうてきや」
てな感じのやつ。
いや、シャモは入ってないの
ですが。

この二人用鍋は便利だよ。






ホットドッグ

2023年12月18日 | open
 

ほんとのところ、この食べ物
考えた人天才。

カフェ

2023年12月18日 | open
 



昼メシ食うべ、と思ってカフェ
行ったら休みだった(笑
チョ。
夜、も一度通ってみたらやって
た。なんのこっちゃ(笑
 
石神井生まれのマスタがいる。
東京もん同士、気が合う。
最初は東京生まれ育ちとは知
らなかった。
だけど、妙に感覚がしっくり
くるなぁと不思議に思ってた
ら、話し込むと東京生まれ育
ちだった(笑
同郷人てのは、なんとなく、
知らない仲でも通じるもんが
あるよね。
客商売なので「標準語」で話
していたマスタだが、なんか
それが地方によくある取って
つけたような言葉使いではな
い。堂に入ってるというか、
標準語というより東京弁に聞
こえる(江戸弁とは異なる)。
なんだべか?と思ってたら、
東京生まれ東京育ちだった(笑
あー、やっぱしね、と思った。
 
 
この店のドッグは好きだ。
というか、かなりイケてる。
旧山手通りの店で食ってるみ
たいだ。
どうでもいい事だが、俺が
生まれた都内の場所は新山手
通りと旧山手通りに挟まれた
とこだ。桜の名所。いわゆる
都内でいうところの山の手。
そして、広島県内で住んでる
とこは江戸から明治には山之
手町と呼ばれていた。
お城の真ん前、というか城内。
これまた妙な偶然。山から山
ヘだ(笑
江戸期に住んでたとこは明治
以降は御作事町(おさくじち
ょう)と呼ばれたとこで、海
の上(笑
出島みたいな人工島に江戸時
代は住んでいた。
海の上だぜ海の(笑)。お台場
たいな。変なとこだよ。



井戸水とかぜってーしょっぱ
かったにちげえねえ。

まあ、もっとも、三原という
町自体が海の真上に無理やり
戦国末期から江戸初期に作ら
れた町だから仕方ないけどさ。
だから三原の城は「浮き城」
と呼ばれた。別名玉壺城。
右下の白い広っぱは講武所の
練兵場ね。今はマックがある。


松本明子という芸能人が四国
から東京に出て来た時、事務
所から代官山のマンションを
用意してもらったら、「大都
会東京に憧れて出て来たのに、
なんで東京に来てまで山まで
行って住まなければならない
のか」と反発したとTVで語っ
ていた。笑い話として。
「あたしはとことん田舎もん
でした」という自虐ネタで(笑
でも、実際に低いけど江戸に
は山が多い。丘なのだけど。
幕末に長州藩士が焼き討ちし
た英国公使館は品川の御殿山
にあった。山だけど低い丘。
今は超高級住宅地だ。
先日売りに出ている戸建てを
見たら、23億円だった。
誰が買うのだろう?(笑
てか、買う人ってどんな人?
品川御殿山と東五反田の丘の
上は、超がつく高級住宅街で
豪邸が建ち並ぶ。
映画『キリン』のチョースケ
が「なんだ?この家」と呟い
たような邸宅が建ち並ぶ。
 


ホットドッグについては、
まるで、ある日本刀小説の中
刀を扱う性格の悪い主人公
の骨董屋になった気分でホット
ドッグは俺は吟味する。
中森明菜ファンの骨董屋のよう
にな(笑
明菜が短刀売りに来たっけ(笑
実は俺はホットドッグマニア
だ。
 
とりあえず、この店のホット
ドッグは、殊の外うまい。
今夜は、カッケーバイクが停ま
ってた。
ライダーが道すがらちょい寄り
してもいい感じだぜ。ここの
自慢のホットドッグは。
ノーマルのホットドッグが一番
おすすめ。


 

上っ張り

2023年12月18日 | open



なんだかんだいって、一番着る
のはこれなんだよね。
革ジャン裏地を専門業者さんに
出してフルリペアしたい(笑
鮮やかなタマムシあたりの生地
で(笑
今のノーマル裏地もタマムシよ。
すり切れてっけど。



疑問

2023年12月18日 | open



最近、なぜ一気に大型二輪を
走らせている人たちはド下手
くそ層ばかりになったのか。
これは推測だが、今の極めて
簡単な免許制度に乗って、一
度もバイクに乗った事が無い
人が、もしかして最初から大
型二輪免許を取ってない?
ひょっとすると。
それで、ど素人ビギナーなの
に最初からビッグバイクに乗
ったりしてない?
もしかして。

だとしたら、最近になって急激
に大型二輪の運転者が下手ばか
りになったのは納得する。
超絶簡単免許制になった1995
年後のしばらくは、旧自動二輪
限定解除者もまだ走っていたん
だよ。
それが高齢化により二輪を降り
た。
そうした事象が年度ごとに累積
され、どんどん旧限定解除者は
消えて行った。
そして残ったのは、新設簡単
制度で、しかも嘘教えを真に
受けた「1980年代のレーシー
な時代」を全く知らない人たち。
さらに、現在進行形で旧限定解
除者たちはどんどん二輪を降り
て行っている、という状況。
まるで太平洋戦末期の真に技
能を有するゼロ戦パイロット
の年次ごとの不足拡大と未習
熟者の大増加という末期的な
現象発生と全く同じで。

だから、ごく最近、相対的に
どわっと大型二輪乗りたちが
ド下手くそだらけになったよ
うに見えるのではなかろうか。
旧限定解除者ではカカシ地蔵
で鳥の姿焼きヤキトリヤッキー
などはいなかった。まず見な
い。
ヘンテコリンな乗り方などし
ないし、してたら笑われた。
これは排気量に関係なく。
今はそうした層として厚かっ
た45年以上自動二輪に乗って
る人たちは、そうした理由
で激減してしまったのではな
かろうか。年次ごとに。技術
保有層は年代的に減る一方だ
から。
旧限定解除者で下手くそな人
にはお目にかかった事が無い。
時々足先が外向いてるだらし
ない乗れてないのはいたが。
さりとて、下手くそではない。
足癖が悪いだけだ。上体直立
腕伸ばしの硬直カカシの腕立
て伏せ姿勢で運転がおぼつか
ない者などは自動二輪限定解
除者にはいなかった。限定条
付自動二輪免許保持者にも
あまりいなかった。

二輪は考えながら乗れば、乗
程コントロールについての
見が実証的に備わる。これ
は確実だ。
ただし、フルパワーを使い切
る事を覚えないと、上達の度
いはフルパワーを使って走
りを励行していた人とは大き
く開きが出る。端的に言うと
泥の差として。
なので小排気量二輪での走行
こそが無制限排気量への有効
な訓練になるのだ。
世界グランプリでヤマハのワ
ークスライダーの本間利彦氏
は50ccでオフコースで練習し
たという。オフのフラット路
面で。
それなのだ。

いきなり免許取り立ての初心
者がビッグバイクに乗ったら、
それはおぼつかない事だろう。
スタート時点は小型二輪、普通
二輪免許取得者と同じだから
だ。
なるほど、ガチガチのカカシ
地蔵直立ヤキトリヤッキーに
なる筈だ。

今は絶滅危惧種だが、黄色ナ
ンバーかピンクナンバーのス
ポーツタイプのロードモデル
にしばらく乗って、接地感の
感知や操作操縦のイロハを徹
底的に習得してから大型に乗
ったほうがいいと私は思う。
結果としては、そちらのほう
が上達の早道だ。

ただし、運転技術を向上させ
て交通安全に寄与しようと考
えていない人は関係ない。
進歩もなく、永遠に事故予備
軍であり、転倒や衝突事故は
時間の問題だ。

カブだってスクーターだって
何だっていいんだよ。
全開でメーター振り切りにし
みろよ。
一皮剥けるから。
そして、真っ直ぐをただ走る
だけでなく、ツイスティなロ
ードを軽快にヒラヒラと走っ
てみろよ。
て、場所は自分で探せ。
公道でなくとも上達する場所
は一杯ある。
ただし、嘘教えの中古屋のと
こみたいのもあるので要注意。
スクールやジムカーナはよく
よくリサーチして厳選したほ
うがよいと思われ。
私の場合は、スクールには
行った事は無い。すべて独学
習と見取り稽古の技盗みだ
けだ。練達者の走りを穴のあ
く程見て、コンストラクター
やGPメカニックや経験豊富な
その道の経験者のうちの一部
の高度知見者や選手ライダー
を質問攻めにして。
上手くなりたくて仕方ないか
らそうしてた。
自分一人でピタゴラスの定理
は発見できない。
学識学究と同じく、過去の人
の偉業から学ぶのだ。その彼
らさえもそれを経て来ていた。
だから彼らは達人、名人の域
にいる。




たった一日で九州をバイクでまわる

2023年12月18日 | open

たった一日で九州をバイクでまわる
天才的な方法を思いついた
 






この人には珍しいツーリング
動画。
ツーリングというより走破系。
大阪から船で北九州に朝5時30分
に上陸し、平尾台、阿蘇を越え
一日で
鹿児島の佐多岬まで行き、
大阪に帰る(予定)。




三式戦闘機 飛燕

2023年12月18日 | open



三式戦闘機飛燕。
カワサキが作った。
よく壊れた困ったちゃんだった
ようだが、シルエットは秀逸。
有り体に言えばカッチョイイ。


個人的にはレシプロ戦闘機で一番
好きなのはスピットファイアだ。
こうした往年の航空機の好みは
「性能」とか「戦績」とかは関係
ない。プラモ作る子どもたちも
「強い」戦闘機を選ぶならば、米
軍機一択になってしまっていた
だろう。
だが、現実はそうではなかったし、
それは今でもそうだ。
それは一つの日本の子の普遍的な

質性として現出している。
そのことは、現代の今の子どもた
ちであっても、幼児などは車の
おもちゃではスポーツカーでは
なく、なぜかしら皆が一様に「働
く車=特装車」を好むという日本人
の摩訶不思議な習性が見られる事
にも顕著だ。特に園児あたりまで
はとりわけ男子は異様に働く車が

好き。

この日本人の嗜好性はナチスドイツ
の戦車など
に対してもいえる。
ただ「強い」物を選ぶならばⅢ号
戦車などはプラモ製作で昭和少年
たちは選ばなかっただろう。

だが、任務遂行が不可能になる程
の性能だったⅢ号は昭和世代の子
どもたちにはなぜか人気だった。
完璧に見た目のまとまりや視覚的
嗜好等で子ど
もは選んでいるし、
大人でも好み
等の問題とはそうだ
ろう。

特に車や二輪や格闘技やスポーツ
でもマッチョでイケイケおらおら
を日本人の一部が好むようになっ
たのは、
ごく最近の事かと思われ
る。

最近のバイクの排気量マウント厨
などもそのクチだろう。
公道で煽りを繰り返すような四輪

も、大抵は箱型の大きな車だ。
あれ、何か根本から勘違いしてる
のでしょうね。そういうのに乗れ
自分が「強くなった」と。
それは四輪も二輪も。
私は、その手の類は埒(らち)も
無い、と思っている。
中国地方方言では「やっちもねえ」
というやつ。
てことで、その延長線上で私は
ジャイアンツの
「巨人」という
名前そのものが
根本的に嫌いだっ
たりする(笑

図体でけえからと偉そうにしてる
んじゃ
ねぇよ、と。
これ、戦前からの対米日本人風味
として。
こちとら戦後まだ15年目の生まれ
し(笑

Ⅲ号戦車実物。これ、戦後昭和の
タミヤ模型作りの子どもたちには

人気があった。将棋の歩みたいな
存在の戦車。
だが、「桂馬の高跳び歩の餌食」

という諺もある。そうした弱者が
実は縁の下の力持ち、柔をよく剛
を制す、というのが日本の伝統的
魂だった。
今は「転倒的魂」ばかりが跋扈
する時代になった。



新型メグロ発表 ~カワサキの軌跡~

2023年12月18日 | open





カワサキが新型メグロ2024年型
を発表した。
目黒製作所は1924年(大正13年)
創業だ。
私が生まれた場所のごく近所に
目黒製作所はあった。
目黒製作所の場所は戦後の品川
の端に位置するが、付近一帯
かつては目黒とも呼ばれていた。
目黒区の端と品川区の端の隣接

エリア。

目黒製作所は日本国産二輪の雄
だったが、経
営が破綻し、昭和
39年(1964年)に川崎
航空機工
業に吸収された。

最初は経営再建の業務提携だっ
たが、のちにカワサキがメグロ
を吸収する
ことによって、川崎
(グループ統合後は重工)は二輪
部門を有する二輪製造メーカー
にもなった。
つい数年前に重工
は鉄道製作部
門と二輪部門を独
立させ、二輪
部門はカワサキ
モータース株式
会社となった。

カワサキ自体は1878年(明治
11年)に川崎正蔵が東京築地に
川崎造船所を設立したのが企業
の始まりだ。まだアメリカでは
西部開拓時代の真っただ中の
ワイルドウエストでは無法時代
の頃だ。コルトSAAの供給開始
から3年目。
その後、船舶や橋や機関車や
複葉偵察機や戦闘機(飛燕)等
の航空機、バス等をカワサキ

作り、日本の近代化に貢献
した。
ルーツを辿ると、二輪の国産
メーカーではカワサキが一番
古い。元々はお船屋さん。
関東大震災後の東京の25の橋は
カワサキが作った。
特に1926年完成の勝鬨橋は当時
の最新技術
を投入して作られた
橋で、道路部分がハの字に大き
く開く二葉式跳開橋だ。

勝鬨橋は1980年に交通量の増加
に伴い、開閉を廃止した。
だが、高度経済成長期には既に
交通量が多すぎたので、1970年
11月を最後に開橋廃止の1980年
まで一切開かなかった。




カワサキの技術。開橋はやめたが、
今でも主要部の機関施設部は残っ
ている。およそ100年前の建造物。


カワサキが作った橋では、やはり
隅田川にかかる永代橋が非常に
美しい。これも昭和初期の橋だ。
大阪は水都といわれ八百八橋と
呼ばれていたが、実は東京こそ
が水都であり、東京の橋のほう
が数は多かった。
「八百」というのは日本語の俗語
であり「たくさん」という意味だ。
「八百万(やおろず)の神」や
「嘘八百」のように。

永代橋。非常に美しいアーチ橋だ。
1926年建築だが、現代の東京にも
とてもよくマッチしている。







新車で買える空冷2気筒250

2023年12月18日 | open





新車で買える空冷2気筒250。
これめちゃくちゃ外見はいい。
馬力は16PSと125cc並みに非力
だが、ビジュアルはかなりいけ
てる。

オートバイは250が一番汎用性
が高い。街中のチョイ乗りも
高速道路を使った長距離も。
ただ、現代の二輪は250では
非力すぎて長距離はきつい。
昔の日本車のように公称45PS、
カプラ外せば60PSとかの250
ならばともかく。
それでも、80km/h巡行ができる
ならば長距離もいけるだろう。
実際非力な国産カワサキ250TR
やエストレヤでも1日500kmあた
りまでは楽勝で走れるようだし。
ただし、高速度巡行は×だ。

このGPXレジェンド250という車、
雰囲気がかなり
いい。
値段も50万円台前半。原産国タイ。
でもよく見ると、限りなくエスト
レヤぽいけどさ(笑
エストレヤの2気筒仕様、みたな。


カワサキ エストレヤ



フロントブレーキ命

2023年12月18日 | open


(画像はイメージです)

以前、うちの会社に従業員の
友人が二十歳の若い子を連れ
て来て、終業後にいろいろと
バイクをいじっていた。(社
長認可)
どうやらノーマルハンドルを
セパハンに交換しているよう
だ。
エンジンが物凄く回るし、外見
はかなりカッコいい廃番250だ。
持ち主本人が跨ってポジション
を確認している時、石像カカシ
ヤキトリ姿焼き姿勢だったので、
そうじゃないよと助言した。
素直な子できちんと聞いていた。
「こうですか?」と試す。
「そうそう、そんな感じ」と。
下半身でマシンをホールドすれ
ば、上半身の脱力適正フォーム
などは
たやすい。
特にセパレートハンドルの場合、
腕伸ばし体重支えのフォ
ームは
厳禁だ。前輪のステアを
殺して
しまうので二輪は走らせ
られない。
最近の大型SS載りには腕立て伏

せのような姿勢の人が多いが。
そして、その実、全く「乗れて」

ない。

試乗という事になり、私が跨っ
て前輪ブレーキレバーを絞った
らスカスカ。
危なすぎる。
これで乗ってたの?と尋ねると
「前輪ブレーキは殆ど使った
事がない」と言う。
教習所教えの大嘘を検証咀嚼せず
そのまま洗脳されて鵜呑みに
して実行して公道を走って
いる
クチだ。
最近世の中に多いパターン。

ただし、免許を取るまでは教習所
の教官の言う通りにやらないと
免許は取れない。事の正否の問題
ではない。教習所は「言われた
通りに決まり事を守れる人」に
ハンコを押す場所だからだ。
そして、真実を教える教官も中
にはたまにいる。
教官Aと教官Bで全く別な方法
を教える事もある。
都度素直に集中してハイハイと
それを確実に実行するのだ。
すると教習所では一切落第はし
ない。たとえ60才過ぎで大型
二輪免許を教習所で取得しよう
とも。
要は咀嚼力と即応能力の発揮場
所が教習所なのだ。
本当の実践二輪走行技法を教授
してもらう場所ではなく、「決
まり事を守って免許証を得る場
所」が教習所なのだ。
そもそも、たかだか教習所の
短い実技時間だけで二輪の運転
技法が身につくわけがない。
普通二輪を持っていたら大型
二輪は12時間、予約が取れれば
1週間程で免許が取得できる。
言われた事を素直にその通り実
行すれば、一切時間超過もせず、
また卒検も落ちない。
ただ、私のように一本橋の半分
の地点で12秒とかだと、逆に
粘りすぎで教官の心象を悪く
するのでやめたほうがいい。
これは逆にダメなパターン。
場の空気を読んで、一本橋では
粘りすぎないようにしたほうが
教習所ではベターだ。
すんなりと普通二輪ならば9秒、
大型二輪ならば11秒を目指した
ほうがいい。
昔の私の時代の限定解除試験は
一本橋は15秒以上が減点無しだ
った。
今は大型10秒以上、中型8秒以上
に改められた。
審査難易度でいえば、今の大型
二輪免許は1995年以前の自動二
輪中型限定免許に相当する。
また、スラロームも、4秒などは
目指さないほうがいい。
適度にやって、教官に悪印象を
持たせないのが教習所でスンナ
リと見極めと卒検ハンコをもら
う秘訣だ。
仮に自分が既存の二輪乗りであり、
乗りこなしを極めた高度な技術
を持っていても、自分の技術は
見せないほうがいい。言われた
通りに素直にハイと答えて乗る。
急制動も、コースライダーとか
には簡単すぎるので超短距離で
完全停止させられるが、それを
やったら減点になる(馬鹿げて
いる)。
決められた位置の白線で停止す
るのが教習所と一発試験の「急
制動」であり、本物の急制動で
はない。「決まり事を守る」
ための運転が免許取得時の運転
なのだ。
免許取得では、そのわきまえは
とても大切。
そのわきまえを持っていれば、
円滑免許取得という自分のわけ
まえが自然にやって来る。

だが、実際の公道運転走行では

真実を見極めないと、二輪車の
誤操作による事故を発生させる。
実際にそれが極めて世の中多い。
なぜ私が1985年から38年間公道
で無事故無転倒
なのか(公道以
外での練習時の転倒
を除く)。
二輪操作の本当の事を言おう。
後輪ブレーキ主体主義は教習所
内での「免許を取るためだけの
やり方」なのだ。
実践公道走行ではフロントブレ
ーキを主軸に使う。
Uターンや超低速時制動でさえ
フロントブレーキを使う。
フロントブレーキをガツンと
握ったりするから前輪がダイブ
するのだ。超低速では前ブレーキ
は「あてる」「ひきずる」感じ
でソフトにレバーにタッチして、
あんこを指で押しても潰れない
位の繊細タッチ操作をするのだ。
そうした本当の事は教習所では
教えない。
教えないし、ブレーキレバーは
ガツンと握るか離すかしかでき
ない人だらけなので、使わせな
い。曰く「前輪ブレーキはかけ
ると前が沈むから車体安定を
崩すから」として。
大嘘である。
適正操作を伝達せず、できない
からと更に教えない。
それは教育放棄だ。
物理現象としては、後輪ブレーキ
をコンマ秒フロントよりも早く
あててから前輪ブレーキをかけ
るようにすればフロントは沈み
込まない。
そうした二輪独特の特性挙動さ
えも教習所では教えないし、
「前後のブレーキは同時にかけ
る」などと大嘘を教える。
物理的なその意味は?と問うと
全国全員誰も教習所教官は正答
できないだろう。誤認浅慮で脳
が固着しているから。
前後のブレーキを両方かける
場合は、後輪をコンマ秒前輪
よりも早くかけるのだ。
しかも踏み込みではなく、足裏
でブレーキペダルを掴むように
して「あてる」感じ
で。
前輪ブレーキレバーも握り締めず、
絞る感じ。フロントブレーキの
初動は「あてる」とい
う「序破急」
の「序」で操作する。


うちに来た子のフロントブレーキ
はスカスカだったので、エア抜き
をした。
そのままでは自殺車両になるから
だ。
フロントブレーキを使う事を
知らないから、後輪ブレーキ
だけで走行中に制動しようと
して踏み込み過ぎてロックして
転ぶ例が現代ではあまりにも
多い。
基本的な二輪運転の本物の技法
を知ら
ない人だらけだからだ。

私の場合は、これは個人的な
操作法だが、公道での走行中
の制動では後輪ブレーキは
一切使わない。
後輪ブレーキを使うのは、車体
をフロントダイブさせずに減速
させたい状況(前後輪を同時
に真下に沈めたい状況)の時と、
登り坂道で信号停止した時のみ
だ。
特に走行中の制動(減速)では
すべてフロントブレーキのみを
使用している。
コースでも勿論そうだった。
リアブレーキはほぼ使わない。

後輪ブレーキは車体姿勢を変化
させるための装置であり、後輪
ブレーキでの制動は高速度走行
では全く物理的に制動力は持た
ないからだ。
しかも足。足でカードはさばけ

ない。繊細な操作などはできな
いし、ブレーキの前後の特性か
ら後輪ブレーキに制動力を求め
るのは二輪の場合は間違っている。
ゆえに私は後輪ブレーキは制動
装置としては使わない。
あれは車体姿勢可変装置だ。

二輪車の走行の真実は、フロント
ブレーキこそが命だ。
「前輪制動を制す者、二輪を制す」
なのである。

白バイ隊員を育成する教官は、
本当の真実を養成隊員に指導
する。本当の事、二輪の真実
を伝達教育している。