モーターサイクル。
モーターバイク。
モト。
モトシクレータ。
モトラッド。
モトチークロ。
オートバイ。
自動二輪。
単車。
二輪。
バイク。
他にも様々な呼び方がある。
バイク(日本語の造語)という
言葉が使われ始めたのは1970
年代初期からだった。
バイクとは英語では自転車の
事を指す。
米語のモーターバイクは日本語
に直訳すると原動機付自転車だ
が、日本ではそれは小排気
量発動機付二輪車の事を指す。
単車というのは、古い日本語で、
軍用二輪の側車付きに対して、
二輪車のみを指して単車と呼ん
だ。
オートバイというのは完全な
日本語で造語だ。オート+バシ
クルをベースに創作された日本
語。
自動二輪は自動車に対しての
区別として作られた日本語だ。
正確には自動二輪車という。
自動二輪は、これは免許証など
にも記載される法律用語として
も使用されている。
警察等が一般的に使う呼称は
オートバイが多い。自動二
輪とは免許区分以外ではあまり
呼ばない。
バイクという単語は、私が中学
に入る1973年あたりから使われ
始めた。嚆矢は漫画家の望月三
起也だった。
「ワイルド7」という歴史的人気
劇画(1969-1979)の中で、最初
はオートバイと呼んでいたのを
途中からバイクと呼び始めた。
「緑の墓」編からだ。
そして、1970年代前期には、
それまでのオートバイという
呼称よりもアメリカ風味のテイ
ストを感じさせるバイクという
言葉が、特に若者たちのサブカ
ルと結合して流行した。とりわ
け暴走族の大発生と共に不良
少年たちは好んでバイクと呼ん
だ。
不良たち以外の人たちや体制派
寄りの大人たちは必ずオート
バイと呼んだ。
あと、古いレーシングライダー
は1980代末期までもオート
バイと二輪の事を呼んでいた。
レーシングライダーで二輪の事を
バイクと呼ぶのは最近の新世代か
らだ。
ただ言語の普及は恐ろしいもの
で、日本車が二輪世界選手権を
席巻していた頃、世界のトップ
ライダーたちも「バイク」と呼
び始めた。日本語造語なのだが
英語圏やスペイン語圏の人たち
にもスンナリと来たのだろう。
元世界チャンピオンの米国人
ケニー・ロバーツも今世紀
に入ってからは「バイク」
と呼ぶし、現役チャンピオン
だったスペイン人のロッシも
「バイク」と呼んだ。両人とも
日本車乗りの欧米人だ。
バイクという呼称がまだ一般的
には未定着だった80年代初期、
Bikeというバイク雑誌が誕生し、
ファッションや旅先情報等、な
かなかポップな内容で若者たち
に人気を博した。
現代に続く二輪車をめぐる多用
な楽しみ方を初めて紹介展開し
たバイク専門誌だった。
まだ、当時はまだ老人しか行か
なかった温泉とかを紹介したり
もしていた。るるぶの走りのよ
うな雑誌だった。今はその手の
二輪雑誌は腐る程ある。先鞭を
つけたのは雑誌Bikeだった。
80年代中に廃刊。
今だと大受けしそうな編集だっ
たが、世の中は走りに徹する
風潮が高まり、旅行バイクなど
はかったるいお遊戯的に捉えら
れ始めていたので、創刊初期
の爆発的伸びから一気に販売
不振に陥ったようだ。
講談社の人気雑誌ベストバイク
が廃刊になったのは圧力だが。
ベストバイクは高速道路料金
訴訟をジャーナリズムの立場
から全面的に報道支援してい
た。訴訟勝利の展開の決着が
ついて高速道路料金が現実的
に改正された直後に編集部閉
鎖、廃刊となった。
一つの「日本の姿」を表して
いた。
私個人は二輪の事をいろいろ
呼ぶが、一番好きな呼称は
「オートバイ」だ。
これは古く、大正時代には使
われていた外来語改造の日本
語だ。
長いものに巻かれるのが好き
なくせに、3行以上の文を長文
とする現代脳スカ世代は、長
い単語も嫌いなようで、軒
並み「バイク」と呼んでい
る。
それは、1970年代の抵抗文化
としての新語使用ではなく、
出来上がった空気に流される
スタンスとして。みんなが言っ
ているから言う、みたいなもの
で。
私はバイクという単語も使う
が、好みの単語は「オート
バイ」だ。「二輪」もよく
使う。
「単車」はあまり使わない。
単車という呼び方は、つい最近
までは西日本の人たちは全員
がオートバイの事を単車と呼
んでいた。大阪から西は全員
が単車呼び。
学生の時、まだバイクという
単語が全国版ではなかった頃
に西日本の学生たちと交流し
たら、全員が単車と呼んでい
たし、広島県内の私の親戚た
ちも皆が単車と呼んでいた。
東京ではその旧語はすでに
死語となっていたのが1980
年代前期だった。
だが、バイクという単語が全
国に広まって一般化したの
は、1980年代末期あたり
からだ。
私はあえて言う。
オートバイと。
オートバイ乗りである、と。
1981年時。まだバイクという
呼称は全国化してはいなかった。