渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

モトブロガーの動画に俺が映ってた件

2023年12月17日 | open

【※】この動画見たら今すぐ阿蘇へ
行きたくなっちゃいます。
【やまなみハイウェイ〜ミルクロード】




モトブロガーの動画に俺と広島
二人組の乗り屋、サバゲーマー
三人が映ってた件。

たまたま偶然みっけた(笑
ミルクロードではすれ違う何台
もの二輪とチャースを交換した
が、動画配信者の方はそのう
ちのいち
グループの人だろう。

なんか書かれてっしよ~(笑


「怖いw 玄人現る」だってさ(笑
サバゲめっちゃ巧い人。ある有名
チームの副長格。


横浜 サンマーメン

2023年12月17日 | open



サンマーメン。
横浜の味。
最高!


【2023年12月版】水素で2スト!?新型バイク

2023年12月17日 | open

【2023年12月版】水素で2スト!?
新型バイクとニュースまとめ【ゆっくり解説】


カワサキがトップの並びに来て
いるのに何かの意味があると
私は読んだ。


燃料は何でもいい。
エンジンが無くならなければ。
電動ビークルなどは個人的には
乗る気も起きない。
エンジンがあるからエンジニア。
水素エンジンは日本が今後世界
のトッ
プを行くかも知れない。

井上ボーリングはホンダのNSR
のエンジン加工を一手に請け負
った事で成長した。
町工場だが、世界一の技術を持っ
ていたし、今も持っている。
良質日本の基礎を作った企業と
同種の職人超絶技による品質を
今でも保持している。

井上ボの社長さんが、何だかパタ
パタを作った頃の本田宗一郎さん
のように見える。
かなりお年は召されたがご健在だ。
水素エンジン二輪車をメーカーに
先駆けて実用化した。まさにパタ
パタからカブ、スーパーカブを生
み出した本田さんにモノづくりの
姿が生き写しだ。
まだまだ日本には良性存在がある。
日本は終わってはいない。


日本の国産二輪メーカー4社が
起業の枠を超えて共同で水素
エンジンの実用化を目指して
固く手を結んだ。
これはとても明るいニュースだ。
縄張り根性よりも、総体として
の日本の技術力の再生を。
素晴らしい流れが今始まった。


シンメトリーを崩す美しさ

2023年12月17日 | open







「にっぽんの高速GT」である
カワサキのマッハが飛び抜け
てカッコよく見えたのはなぜ
だろうと感じる。
それは、シンメトリーをあえて
崩すチャンバー出しの造形美と
直線との融合をデザインの骨子
としていたからではなかろうか。
形だけ見たら、正直なところ、
無理やり左右対称デザインにし
たスズキGT380よりもマッハ
350-SSのほうがカッコよく見
えたのは確かだ。
ただ、サンパチはモーターの
ように回るエンジンと見た目
の重厚感からは想像できない
軽快性で爆速マッハの正真物
の対抗馬として売れに売れた。

当時はカワサキのみがシンメ
トリーを崩すデザインのトリ
プルエンジンで勝負していた。
ホンダもヤマハもスズキも左右
対象デザインが基本だった。
ツインなどは2ストも4ストも特
に左右ド対象。
スズキGT380などは3気筒なの
に真ん中のシリンダーから出た
エキゾーストパイプは途中で
2分割させてチャンバーマフラー
にするという特殊構造を採って
まであたかも四気筒シンメトリー
の変形デザインにしていた。
左右対称のシンメトリーを崩す
デザインをマルチエンジンで
採用したのはカワサキが初だっ
た。
そして、今ではごく当たり前に

なった尻跳ねデザインを世界で
初めて採用したのもカワサキだ
った。
正直なところ、3本チャンバーの
右だけ2連出しは、初めて見た時
は、衝撃が走った。
自分が乗って走る前に衝撃が
先に走る。
これ、オートバイにとっては
かなり大切なファクターのよう
に思える。




2023年12月17日 | open


雪が降って来た。
初雪だ。


整備性最悪の現代オートバイ

2023年12月17日 | open

【鬼の整備性っ!!】プラグ交換に
町の原付屋が泣いたwww


小野さんのドヤ顔(笑

それにしても、現代二輪は整備性
が頗る悪い。
昔の2発4発と今の2発4発を比べる
事はナンセンスだが、とにかく
整備性が今のバイクは悪い。
2ストパラレルのKR-1などはプラグ
交換するのは5分くらいだものなぁ。
4発のゼファーでさえ、タンクを
外す作業は必要だが、さほど時間
はかからない。
だから、自分で簡単にプラグ交換
ができる。
今のバイクは、これ見てると大変
だなぁ。

で、最近のカワサキ。
なんでよく点火が無くなるのだろ
うか。エンコしまくりが常態とい
う二輪もカワサキには最近とても
多い。デンソーの給油ポンプを
採用してるんじゃないの?という
程に。
あれ、極めて危ない。
高速道のトンネルなどでエンジン
停止したら、とてつもなく危ない。
デンソーポンプのせいでエンジン
が止まった四輪車では死亡事故も
起きている。
カワサキの新型も、走行中やたら
燃料ストップで止まるのはかなり
命の危険を引き寄せる。
つまり、イコール「乗っては危険
なオートバイ」という事になる。
それが最近のカワサキの新型車の
特徴になっている。

結局、カワサキでさえも良い物が
作れる時代ではない、という事か。
実際のところ、20年以上前の車は
実に良かったし、今でも良い。


【超衝撃】12ヶ国語を流暢に話す日本人に言語習得の極意を聞いてみたら凄すぎた

2023年12月17日 | open

【超衝撃】12ヶ国語を流暢に話す
日本人に言語習得の極意を聞いて
みたら凄すぎた

そうか~。
俺が学生の時、大学のセクトの先
輩に仏語の Qu'est-ce que c'est

の事を「尻貸せとか俺は戦国時代
の武士じゃ
ねえ!」とか言ってた
のは、穴が
ち、もとい、あながち
外国語の勉
強では外れではなかっ
たのだな。

つーか、それを言ったら、返した
先輩もとんでた。
「ノンノン。ケツ臭っせ!だろ」
と。

先輩は白血病で死んじゃった。
最期まで「バイクに乗りてえ」と
言ってたまま。
映画製作者だった。
北野監督の『首』を是非生きてて
観てもらいたかった。
俺の仲人でもあった。
ちなみに先輩は、私の高校の大先
輩が監督した『乱』にエキストラ
で足軽役で参加していた。見た目
が目立つので台本には無い現場指
示で陣列の前に引っ張り出された
と言ってた。
観たら映ってた(笑

 

日本のラーメン

2023年12月17日 | open

初来日で涙!初めて食べる日本の
ラーメンに感動が止まらないお父さん


外国人の人は言う。
日本のラーメンがめちゃくちゃ
おいしい、と。
私は日本人だが、日本のラーメン
は手前味噌抜きにして本当におい
しいと感じる。
私の今住んでいる場所でつきあい
のある外国人たちもラーメンが
大好きだ。
やはりOriのご両親と同じスペイン
語圏の友人。
そして言う。
「俺は世界中を結構回ったが、
ラーメンだけでなく日本は食べ
物がどれも世界トップクラスで
うまい」と。
そんな彼は日本の「雑煮」を食し
た事がなかった。
正月にうちに呼んだ。
うちの雑煮を振舞った。かみさん
が作るやつ。
めちゃくちゃ喜んでいた。
そいつの息子も翌年呼んだ。
日本生まれ育ちだが雑煮は食べた
事が無いというので。
めちゃくちゃ喜んでいた。
息子は5人前食べた(笑

食が人にもたらすもの。
それは笑顔と幸せだ。
だが、世界中の多くの地域で、
戦争や紛争
でその日の食べ物にも
事欠く事が
起きている。
戦争ではなくとも国の貧困によっ
て、子どもたちが食事をまともに
口にできない事もある。
国家元首の一族のみがぶくぶく

太って、国民は土を食って死んで
いる国もある。
地球全体の人間が常にいつも満足
できる食が口にできたら。
お花畑ではなく、私はそれを望ん
でいる。

兵士の条件としては「満腹になる
ために食うのではない。戦闘力を
維持するために食うのだ」という
ものがある。これは全世界。正規
兵で
なく傭兵や義勇兵でさえも。
だが、それは一つの定理ではある
が、実は人間社会の崩壊の象徴で
もあると私は確信している。
かつての日本の連合赤軍(共産同
赤軍派ではないので識別注意)は
「革命の為には空腹に耐えよ」と
言った。
正味のところ、大たわけ
だ。
豊かな未来は彼らの発想からは
作れない。
それに「腹が減ってはイクサが
できない」という日本古来の戦闘
者の格言を知らないのか。
豊富な食糧物資あってこそ大規模
だろうと小規模だろうと本物の
戦闘が可能になる。
そして、食をおろそかにする者は
人をおろそかにする。
ある時、仕事絡みで元共産同赤軍

派だった現法律家(国家資格)と
昼飯に握り寿司を店で食べた。
味のサッパリしたネタから食べる
と握りの妙が味わえるよ、と私が
言ったら「腹に入れば何でも一緒
だ」と反駁するように答えた。
ブント赤軍派の稚拙な未熟性を
如実に感じ取った。
ほんのちょっとした食べ方次第で
食が豊かになる事さえもブルジョ
ア的であるとして拒否したいのだ
ろう。
彼らに未来は作れないと
改めて数
十年ぶりに確信した。
だからお前らはブントの中でさえ

も駄目だったんだよ、と。
多分、革命戦士として必須の健康

管理等も無頓着だったのだろう。
60年安保の大ブント時代の豪胆さ
のみを引き
ずる無様な態様で。
私自身の中には鎌倉幕府成立以前
からの一千年以上の戦争
屋の血が
流れているのでゲバルト
には躊躇
は一切無い。血のたぎりという本
能的側面において。

だが、ゲバだけで人の未来は作れ
ないだろうよ、おい、というのは
若い時からずっと思っている。

連合赤軍兵士たちの末路は、彼ら
の人的未成熟性にこそ起因があっ
た。
人をおろそかにする者に、どうし
て人を悪魔の桎梏から解放させる
化け物としての革命が
できようか。
人殺しをするだけがせいぜい
関の
山だ。事実そうだった。

絶対に殺してはならない仲間、
同志を殺して革命が起きると彼ら
連合赤軍は錯覚した。
日本人的不幸の再演を彼らはやっ
た。
日本の明治以降敗戦までの日本人
の負の歴史から何一つ学んでは
いない。
連合赤軍裁判最高裁の弁護側冒頭
陳述
の清書は私が為した。職務と
して。

なので、裁判に内側から関わり、
とてもよく見える事実がある。
それは、日本人特有の「未熟性」
だ。
そうした質性は思想性をも超える。
それは同時に思想性の未達でもあ
り、致命的な缺欠でさえある。
だが、多くの日本人はその真実
を真っ向から見つめようとはし
ない。

ラーメン食えよ。
ごくフツーに。
平時には。
そこから何かが始まる。





いぬのおはなし

2023年12月17日 | open

ねぇ、マリモ


私の娘もまったく同じ経験をした。

この短編映画が発表された時、娘
はまだティーンだったが、出てく
る子が娘のように私には映った。
やはり高校生の時に、うちの三代
目の犬は生涯を閉じた。
娘とは幼馴染だった。


ねぇ、マリモ (2012年記事一部訂正再掲)

2023年12月17日 | open

ぽちたまは、なぜもう少し長く
生きてくれないのだろう。

だけど、そんな思いは人間の
勝手な思いだ。

彼らは彼らで、自分たちの生涯
を懸命に生きている。


我が家にも犬がいた。
最初の子は、私の息子が死んで、
悲しみに暮れる日々の中で
数年
後に迎えた雄のキャバリアだっ
た。

騎士たれとの願いを込めてルー
クと名付けた。

存外の聡明さという犬の能力の
高さに驚いた。

ある日、娘ができた。
娘と幼馴染のようにそのキャバ
リアが育ってくれることを望ん
だ。

当時住んでいた新宿区では、毎
晩20頭以上の犬が
近所の公園に
集まって、犬たちは互いにじゃ
れて遊び合い、
人間たちはそれを
見守りながら談話して、とても
和んだ空気と温かい
時間が流れ
ていた。

娘の出産の時に、犬の散歩仲間
が厚意でうちの犬を預かって

れた。


だが、ある寒い朝、1歳になった
ばかりのその子は冷たく
なって
帰って来た。

体は冷たくなって硬くなっている
のに、お腹だけはぐにゃぐにゃに

柔らかかった。鼻先も折れていた。
酔った人間に殴り殺されたうちの
ワンコがそこにいた。

妻は三カ月毎晩泣いた。
親友の家で起きた悲惨な出来事に、
私も茫然自失となった。


私も朦朧とした日々が続く中、あ
る日、町中のペットショップに

ふらりと寄った。
うちのルークというワンコが生き
ていた時、時々、立ちよった店だ
った。

そこでケージに入れられた三毛の
メスのキャバリアを見た。

以前ルークとも店で会ったことが
ある。

しかし年は5才だ。1年半もケージ
に入れられている。

いろいろ事情を聴いて、店主の物
言いと店での扱いに腹立たしくな
り、
すぐに現金を渡してその子を
連れて帰った。
帰りしな店主が「いらなくなった
らいつでも引き取りますから」と
言った。生体販売者の実体を見た。
生き物の命は中古車じゃない。

名前は前の飼い主がつけたクルミ
というままにした。

足がだいぶ弱っていたが、うちで
徐々に回復し、だんだん元気も

取り戻してきた。
私は仕事以外で車で出るときには、
どこに行くにも連れて行った。
車のドアを開けると自分からすぐ
に飛び乗って、すぐに助手席で
グーグー寝る子だった。

死んだルークと血のつながった
キャバリアを私はルークを世話
してくれた
横浜の業者にお願い
していた。

ルークが死んで1年後、その店か
ら連絡が来た。一般的店舗では

あり得ない計らいなのだそうだ。
すぐに妻と乳幼児だった娘と共
に出かけて見に行った。

ルークのイトコにあたるブレン
ハイムという毛色の犬が店にいた。

不細工だった。ルークの幼い時と
あまりにも器量が違った。

少し逡巡していると、別なお客さ
んがその子を抱きかかえて
離さな
い。

今を逃すともうこの子との縁が
切れてしまい、ルークとの縁も

切れてしまいそうな気がした。
その子をつれて帰った。
我が家にはワンコが2頭と娘と妻
と私の五つの生命体が同居する

ことになった。
新しく迎えた子にはアークと名
付けた。十戒を納めた石櫃だけで
なくノアの箱舟の意味がある。


クルミは生後9年の時、広島の
三原市の家で死んだ。

キャバリア特有の心臓疾患だった。
10歳までにキャバリアの100%が
罹患する。

キャバリアという犬種は、一度
絶滅した犬種を多種をかけあわ
せて
1945年に復活させた新しい
犬種のため、無理な近親繁殖が
たたり、
心臓の弁が閉鎖不全を
起こす病気をすべてのキャバリ
アの命が
持つことになってしま
った。

人間は神ではないので、種を新
たに生み出すことはできない。

種でなくとも、似たようなことを
すれば無理が生じる。

キャバリアという犬種は、死ぬ
時にはすべて心臓病で苦しみな
がら
死んでいく。そして、意外
と短命だ。

ペットブームというのは身勝手
なもので、キャバリアは一時期

愛らしさと聡明さと飼いやすさ
から人気がうなぎのぼりだった
短命であることが知れ渡ると
人気は一気に低下した。

ルークがうちに来た頃は、国内
でそれまで数十年で1700頭しか

キャバリアはいなかったが、ペット
ブームで一気に数が増加し、
さら
にブームだから流行り廃りで人気
が落ちてからはまた一気に
数が
減った。

ブームの時には、増産のため、
健康に留意しないブリードが

業者によって行われ、心臓疾患
の蔓延に拍車をかけた。

アークはルークと性格がまったく
異なり、先祖が鳥猟犬とも思えぬ

程のガンシャイ(銃の射撃音に生
まれながらにすごく怯える性格)
で、
性格も落ち着きがなくチョロ
マツだった。

犬は一頭一頭まるで性格が異なる
のだということを私はクルミと

アークと出会って初めて知った。
それでも、アークは愛嬌のある奴
で、娘とは幼馴染として育った。

おもちゃの取り合い。

「どうしたの?」となだめに入るクルミ

アークはキャバリアとしては異様
な長命をさずかり、14年生きて、

そして、心臓疾患で死んだ。
家の中で家族三人に看取られて、
妻の腕の中で苦しみながら死んだ。

生まれてから2ヵ月でうちに来て、
それからずっとこの日まで一緒に
過ごした時間は、人間の時間から
するとほんのわずかの間だが、
とても温かい
時の流れを私たち家
族に与えてくれた。あいつもきっ
と楽しかったと思う。

犬や猫がもっと生きてほしいと
願うのは、人間の勝手な思いだ。

犬や猫は人間にくらべると年を
取るのが早すぎて、いつの間に
人間よりも大人になり、そし
て老いていく。

けれども、それも現実として私
たちは受け止めなければいけない。

それに、人間の方が犬より短命
だとしたら、飼い主の人間が先
に死んだら、
一緒に暮らした犬だ
ってきっと途方にくれてしまうだ
ろうと思う。


好きな短編映画があった。
「いぬのえいが」という短編シリ
ーズの中の「ねぇ、マリモ」とい
う映画だ。

youtubeでアップされていたが、
例によって著作権侵害申し立てで

削除されていた。
だが、別な人が再アップしていた
ので、ここに紹介したいと思う。

ワンコのマリモの声を吹き替えで
入れたバージョンだが、
私はマリ
モのセリフがスーパーだけだった
原作の方が良い作品の
ように思え
る。

犬はしゃべれない。しゃべれない
けど、人間がその心をくみとって

あげている雰囲気がマリモの声な
しバージョン原作ではよく表現さ
れていた。

でも、吹き替えの方もこれはこれ
でよいかなとも思うので(声優さん
がとても良い)、マリモ肉声
バー
ジョンの動画を紹介したい。


いぬのえいが『ねぇ、マリモ』
(後作のマリモの声入りバージョン)




『ねぇ、マリモ』(吹き替えなし原作)

(2023年。動画はクリアなものに
差し替えました)

マリモが無声なだけに、ラスト
の宮﨑あおいの肉声のセリフが
コントラストとして生きる。
映像として非常に完成度が高い。
映画というものは、そういう製作
サイド視点での観方をしてはいけ
ないのだけど(苦笑)

この二本は吹き替えがあるかない
かで、まったく印象が異なる作品
となっている。


ワンコと偶然再会

2023年12月17日 | open

 

うちの初代ワンコ。
私が描いて、原宿キャットスト
リートに店を構える犬仲間の友
人がスタジアムコートに大きく
刺繍してくれた。
正確には私が描いた絵を友人が
私の娘が生まれた時のお祝いに
と、私と妻と娘ようにウエアを
作ってプレゼントしてくれた。

結婚して暫くして犬を飼った。
都内から神奈川県川崎の師匠の
道場に通う道すがら、見かけ
たペットショップにいた犬が
とても愛想がよくて、釘付け
になった。
翌日の稽古の行き帰りの途中
でもかぶりつきで見ていた。
実に活発だ。
うちの最初の息子(人間)が
死んでから何年かが経っていた。
妻に犬を飼う事を提案した。
妻は快諾し、一緒に川崎まで
見に行った。

もうすでに売れていた。
とても落胆したが、ショップの
人が別店舗に同じ犬舎のブリー
ダーさんから受けた、ここにいた
売れた子の兄弟がいる、という
事を告げられた。
その足で横浜の別店舗まで赴いた。
すると、売れてしまった犬に
そっくりな子が2頭いた。
妻が抱き上げるとよく尻尾を振っ
て顔を舐めたほうをうちに迎える
事にした。
家庭名はルーク・ランドウォーカー
と名付けた。キャバリアなので、
ジェダイたれとの思いで。
死んだ子の代わりではないが、ルー
クはとてもかわいかった。

だが、死んだ。
私の娘が生まれる時に、若い犬の
散歩仲間が厚意で預かってくれる
事になり預けていたら、その夫が
酒に酔って殴り殺した。
殴った上、押し入れに閉じ込めて。
その寒く暗い場所でルークは内臓
破裂と鼻骨骨折で死んだ。
私たち夫婦は途方に暮れた。
娘と妻が退院した時に1歳になった
ルークも迎えに行く筈だったが、
まだ退院したばかりで妻も大変だ
ろうからと友人が継続で預かる
事を提案し、それに甘えさせて
もらった矢先だった。
泣きながらうちに謝りに来たまだ
若い夫婦は、その後離婚した。
私たちも、もうこの土地は近いう
ちに離れようか、となった。
何もかも捨てて、家族だけで別な
場所に移り住もう、という事に
なった。

そうしている時、ある仕事で横浜
のあるお宅を訪ねた。仕事上。
すると、玄関にキャバリアがいた。
あ!と感じた。
ご主人に尋ねてみた。
「もしかしてこの子、川崎の○○
というお店に何年何月何日頃に
いた子では?」と。
その通りだった。
私の家に迎えられなかったその
もののワンコがそこにいた。
「なぜ知ってるのですか?」と
飼い主さんは驚いていたので、
事情を話すとさらに驚いていた。
そうした再会というのはあるのか
と。世の中、まず無いような話。
私の家に迎えられなかった子
そのもののワンコが今目の前に
いた。思いっきり尻尾振ってる。
でも他人様の家の子になっている
からもらうわけにはいかない。
だが一目で判った。特徴があった
からだ。
その日、仕事どころではなかった
が、飼い主さんのご厚意で、しば
らくそのワンコをなでさせても
らっていたのだった。
背広は犬の毛だらけ(笑)。

犬との関係までそうした出会いの
奇縁がある。




奇縁

2023年12月17日 | open
 

昭和30年代。東京オリンピック
の頃。目黒区東山にて。

私自身のヒストリカルなところ
では、奇縁というものが非常に
多くある。友人たちは私のそれ
を「怖いアルアル」と呼んでい
る。異常なほどに数が多いのだ。

昭和30年代。私の父が勤める会
社にはハーレーに乗って通勤し
ている人がいた。
父の勤務した会社は大正時代に
日本で初めて純国産車を作った
日本自動車産業の雄と呼ばれた
人物が起業した。
戦後、都バスはとバスの低床車
や、日本初のキャブオーバーは
その創業者と父が開発した。
東京都の塵芥車設計製作も一手
に引き受けたが、数百台一挙受
注に対する生産能力が追いつか
ないので、設計図と製造ノウハウ
は日産に売却した。
戦後は創業者は特装車界の雄と
呼ばれた。二輪車や乗用車の世
界で展開していたならばホンダ
のようになっていたかも知れな
い。ホンダの創業者の片腕と
呼ばれた「ホンダを創った人」
は私の高校の先輩だが、私の
父の会社の創業者も、分野が
違えばホンダのようになって
いた可能性はあった。
歴史にIFは存在しないが、それ
を凌駕する「知らなかった事実」
としての奇縁というものは世の
中にはある、というそのおはなし
が今回の話。

その父の勤めた会社の創業者の
人物の事はかつて私が法曹界の
仕事だった時に、最高裁図書館
(法曹関係者しか入館できない)
の「紳士録(昭和8年発行)」で
見た。「本邦自動車産業の雄」
と記載されていた。
豊臣秀吉の著名な側近武将の
直系子孫の人だ。
その人から私の父は数々の事を
書生のようにして学び、また
和洋テーブルマナーも学んで父
は私にその食事作法を教育した。
官費留学でフランスに渡航し、
さらにその足で米国にも赴き、
帰国して日本初の自動車を作っ
た人だった。10数台試作した
ようだ。宮家に納車した。
日本初のその純国産車はヤナセ
号という。
昭和30年代、その会社にまだ日
本人には珍しかったハーレーで
通勤していた人は、後に取締役に
なった。弟は某大学の教授だっ
た。

その頃から20年以上が過ぎ、私
は社会人となり、ある都内大手
法律事務所に勤務するようにな
っていた。
その職場では、弁護士と職員の
学識を高めるために何ヵ月かに
一度「コロキウム」と称して、
学識経験者を呼んで講義をして
もらう催しがあった。参加は自
由。大学の講義より面白い専門
的な事が無料で学べるので私は
毎回参加した。分野は医学から
社会学、歴史学、工学、多岐に
亘った。弘中さんもよく参加し
ていた。
ある時、某大学の教授を呼んだ
ら、私の父が勤めていた会社の
ハーレーマンの弟だった。
コロキウム後日には、ある事件
(受任案件を法律事務ではそう
呼ぶ)のアドバイザーとして
専門分野から訴訟に協力しても
らうようになった。
打ち合わせ後の食事会の時に
お兄様の事を言うと奇縁に教授
は驚いていた。

「教授」絡みではさらに驚いた
事がある。
ある事件での裁判の証人要請
のため、ある人を事務所に呼ん
だ。
すると来たのは、哲学界で有名
な大学教授で、何と私が学生
時代に部長をやっていたフロン
トサークルの顧問の教授だった。
驚いた。
そして、その教授と共にいらし
た人は私が学生時代にバイトし
た古書店の店主だった。
ダブルの登場にあたしゃぶった
まげた。
教授も店主も私も互いに三人が
顔を見合わせて驚いていた。
「え?知り合いだったの?」と
いう感じで。

この手の話が私には異様に多い。
直近で一番驚いたのは、24年程
前にとある縁から連絡を互いに
取っていた会った事の無い見知
らぬ人が私と直系血族関係だっ
た事だ。苗字も名前も私と同じ。
高祖父が同一人物だった。地方
では有名な薬草研究者だ。
なぜ知ったかというと、その方の
息子さんが東大院で教鞭を執る
人で、一度私の家の墓所に東京
から奥様と尋ねて来たと住職が
教えてくれたからだ。
その坊主が告げた時は偶然地場
の従姉妹の葬式だったので、対
応はできなかった。
その東京の東大院の先生のサイト
を最近見ていたら、お父様の事が
書かれていて、その人物はかつ
て頻繁に私と互いに連絡を取って
いた同性同名の人だった。一族だ
などとは互いに知らない。
しかし、互いの高祖父は同一人物
だった。
このような血族奇縁はそれまで発
覚した数ある奇縁の中でも特異で
あり、何なのかと思って正直なと
ころかなり驚愕した。
だが、血族奇縁では、もっと驚く
事が20年ほど前に発覚していた。
数百年の時を超えての血脈的な縁
繋がりを現代において偶然気づか
されたというものだ。
しかし、それはネットでは書けな
い。

嘘のような本当の話、というのは
世の中あるものだ。
あまりにそうした実例が自分の
身に起き過ぎると、何か目に見え
ない存在の采配で掌の上で転がさ
れているような気になる。
というか、天は絶対に見ている。

ヤマハのエンジン

2023年12月17日 | open



カリーナ1600GTはなかなか走り
が良かった。
ヤマハの2TGでミクニソレックス
搭載してたやつ。