渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

♪つくしの名前で出ています

2023年03月28日 | open


中野区に住んでいた頃、よく
食べに行った小料理屋の店名
は「つくし」だった。渋谷区
本町。歩いてすぐだ。
この画像の右端のビルの一階。
今は別な店舗が入っている。

この界隈はとても住みやすい
町だった。
新宿都庁から歩いても帰れる。
住まいから新宿までは通りは
渋谷区を抜けるが一直線だ。
バイクで信号青なら5分とかか
らない。
近所のラーメン屋さんは出前
もしてくれるし、渋谷区隣接
の中野区エリアは下町のよう
な雰囲気だった。私の住まい
の路地の向かいの家は渋谷区
だった(笑)。もろに区界。
だが、同じエリアなのに、賃
貸物件の家賃は渋谷区になる
とドカンと上がった。
1989年頃と34年後の2023年
現在の賃貸物件の家賃がほぼ
変わらないのは
どういうこっ
ちゃ?とは思う
のだが。
カラクリはバブルの頃の金額

が異常だったという事。
タクシー乗るのに1~2メーター

ほどで1万円払って「釣りは
いらねえ」とやっていた時代だ。

この左手の建物の一階にはビリ
ヤードがあった。歩いてすぐ。
店名失念。
チョークはナショナルを使って
いた。バブル終了と共に店は
無くなった。

この通りのズドンと真っ直ぐ先
が新宿駅。


本町の小料理「つくし」は非常
においしくて、イアイの稽古帰
りには時々そこで一杯やっていた。
そして、これは偶然だが、1958
年頃、私の父が昼食でよく行った
中目黒の料理屋も「つくし」と
いう店名だったらしい。会社の
ツケがきく店。さすがに今はもう
無い。
さらに、これまた偶然だが、私
が民間企業に転職して1年後、
東京本社
から岡山市内に転勤赴
任した際、
よく食べた昼食屋さん
が岡山の
職場のそばの店で、その
店名が
「つくし」。今は無い。
「つくし」さんという店名は全国
的にかなり多いのかも知れない。

新宿副都心エリアから新宿中央
公園を抜けて北通り(方南通り)
の坂を下って中野方面に向かう。
この通りはかなり雰囲気がよい。
昔の地名「角筈(つのはず)」の
エリアだ。十二社(じゅうにそう)
の少し上。

私が子どもの頃はツノハズと
いう地名だったが、「角(つの)」
は「角(かど)」と同じ漢字で
はなく、下に線が伸びた字だった。

新宿の風景。方南通り(新宿エリア
は北通りと呼ぶ)。


都庁建築の時は、あまりにも
早いペースで建築が進むので
びっくりした。
朝、建築途中の都庁舎を見て、
夜、帰宅時には形が変わって
かなり上に伸びている、という
ようなペースだった。
都内生れ都内育ちの友人は言っ
てた。
「なんだい、ありゃあ。上に
ばっか伸ばしやがって。ありゃ
バベルの塔か?」
と。
ジモチー東京人らしい発言だ(笑)。

原発が安全ならば、新宿中央

公園あたりはどうだろう。
もしくは臨海副都心のお台場
エリアに東京原発を作ればよい
のではなかろうか。
永田町でもいいかもしれない。






つくし

2023年03月28日 | open


つくしの季節。

知り合いがつくしを採ったので
持って来てくれた。
ありがたし。
料理して食べる。


うまいんだな、これが。



今はワケギも季節だ。
ワケギは広島県は生産量日本一。
ぬたにするとおいしい。
辛子味噌でね。

庭先で採れたワケギ。うまし。


映画『荒野の処刑』(1975)

2023年03月28日 | open



銃撃戦を主体としない異色のマカ
ロニウエスタン。
旅を続ける賭博師、身重の元娼婦、
アル中、墓掘り黒人の4人に謎の
ガンマンが加わる。
だが、そのガンマンはとんでもな
い悪党だった。

1994年に39才でアルコール中毒
死したイギリス人のリン・フレデ
リックが可愛い。


こいつ悪い奴。
一服盛って身重の人妻をレイプ
する。他にもとんでない事を
続ける。


娼婦は町の人たちに助けられ、
そこで出産するが、賭博師に
見守られながら手を握ったまま
涙を流して死んでしまう。
夫婦役を演じていた賭博師は
彼女を心から愛していた事を
自ら覚った。
彼は町の人たちの善意に子を
託して町を出る。
町には男しかいない。そして、
全員荒くれ者だった。
しかし、赤ちゃんが誕生した
事により、まるで『荒野の少年
イサム』のロッテンキャンプ
の荒くれ男たちのように、皆
が心が洗われて澄んで行った。
町の荒くれ男たち全員は、赤
ちゃんにラッキーという名
つけて、ガンマンの牧師に洗礼
を受けさせ、自分たちの子ど
もとして育てようとする。
(製作者は多分日本の名作漫画
『荒野の少年イサム』を読んで
いると思われる。1971年連載
時のイサムがキャンプに来た
時と同じ設定、同じシーンが
あるからだ。赤ちゃんに一人
ずつ会わせるシーン、「おい、
見ろよ、俺の指を握って離さ
ないよ」という台詞まで全く
緒だ)

洗礼に立ち会った後に賭博師
は決意して町を出る。
それまで銃を手にしなかった
彼の腰にはピースメーカーが
あった。
やがて、彼は悪人ガンマンの
一味を見つけ出して復讐を遂
げる。


シリアスな人の心象を描く
良作
だった。
サイモン&ガーファンクルの曲
が合いそうな西部劇。
1880年代のアメリカ西部が舞台
ではあるが、西部劇というより
人間ドラマが主軸だ。

リンちゃんが可愛い。


イギリス人なのにイタリア語での
演技、うまかった。
彼女の死を悼む。


映画『最後の無法者』(1941)

2023年03月27日 | open
 




1941年のアメリカ映画。
カラーである。
実在のビリー・ザ・キッドが死
んだの1881年。
この作品公開時からほんの60年
前の事を映画にしている。
現代映画でいうなら、私が2才
の時の1962年を描いている事
になる。
つまり、この映画が撮影された
1940年頃はまだビリーが生きて
いた頃に生まれた人たちも生き
ていた、という事だ。
100年以上昔を描いたものでは
ないという事。
だが、本作は現代からは82年前
の誕生となる。
今、この映画を観るという事は、
この映画が撮影された時点から
実際のビリー・ザ・キッドの
時代までの60年間よりも22年
も多く時代を遡るという事だ。
映画はタイムトラベルを私たち
に体験させてくれる。
 
この映画、非常に面白い。
西部劇かくあり、という作だ。
そして、牛追いのキャトルドラ
イブや大暴走のスタンピートも
実写である。かなりの迫力。
銃は当然全部実銃だ。
空砲を使っている。音も本物の
銃声だ。
 
29才のロバート・テイラーが
21才のビリーを演じる。
もし、この時に実在したビリー
が生きていたら81才になる。


親友が間違えてビリーを狙う。


銃は5.5インチ銃身のピース
メーカーだ。


ビリーの銃も5.5インチ。






5.5インチ銃身がいかに主流で
あったかがよく判る。
なお、本物のビリーは左利きで
はない。裏焼き写真の為に見抜
けない連中がビリーを左利きだ
と広めてしまった。今でも左利
きにしたがる脳内妄想族が多く
いる。赤信号を青と思い込む口。
 
戦前の日本は映画が大流行だった。
そして、多くの映画人はアメリカ
映画を観て影響された。
その中でも、西部劇は人気だった。
戦前、戦中の映画は名作も多い。
『カサブランカ』(1942)などは
今観ても名作だと断言できるし、
今観ても面白いのが凄い。
完成されているのだ。映画として。
『駅馬車』(1939)も名作中の名作
だ。
『最後の無法者』(1941)は、西部
劇ファンだけでなく、映画好きの
方にもおすすめ。
 
ロバート・テイラーがカッコいい。
昔の俳優さんて、ハッキリと台詞
をしゃべるよね。独特の抑揚を
つけて。まるで舞台演劇のように。
本作、良作。
この映画公開の年に日本はアメ
リカに一方的に戦争を仕掛けた。
こんな映画を撮る国に。
この国に竹槍で勝とうなんて。

 
ビリー役のロバート・テイラー
は、実在しなかったハリウッド
ガンベルトの早撃ち用リグを使
っている。


だが、実物の西部開拓時代の
本物のメシキカンループも
てくる。実際の歴史ではこの
タイプのガンベルトのリグだ
った。ベルトに穴空けて通し
てホルスターを吊るすタイプ
は、ハリウッド映画用に開発
された映画用ガンベルトだ。
本物の歴史ではベルトにホル
スターを通した。


 
ズボンにもベルトループは無く、
時代考証正確。パンツの上から
日本の帯のように締めるだけが
ベルトだった。『シェーン』で
もそれは再現されていた。


このいでたちこそが、現実の
1880年代を表現している。
シャツの胸と袖から覗いてい
るアンダーウエアはズボン下
まで一体のワンピース下着だ
ろう。

 
この作品公開の1941年は映画の
舞台の1881年から60年。
この作品からこんにちまででは
82年。
現代から本作制作公開時よりも
本作品製作から西部開拓時代の
ほうがはるかに時間が近い。
そして、ビリー・ザ・キッドが
死んでから142年も経った。
1881年明治14年、日本では最後
の斬首刑が山田浅右衛門によっ
て執行された。
ビリー・ザ・キッドが射殺され
たのは7月14日、ワイアット・
アープたちがOKコラルでクラン
トン一家を射殺したのは10月
26日だ。
この年、ガーフィールド合衆国
大統領は暗殺さた。
アメリカ合衆国、まだ無法時代
は続いていた。
 
キャトルドライブは本物を撮影
している。


ビリーはモラルある人格者の牧場
主に雇われる。
だが、牧場主は乗っ取りを狙う
町の実業家に殺害されてしまう。
ごろつきを集めて手下にして町
を支配している人間にやられた。
それゆえ、ビリーは復讐の皆殺し
誓う。ようやく更生しかけ
たの
ビリー・ザ・キッドは
また人殺
の世界に戻るの
だった。
牧場主は連邦保安官に指名され
たばかりだった。ビリーは恩赦
前提で罪が解かれたばかりだっ
た。
だが、連邦保安官助手の幼馴染
の親友と共に、法執行官として
ビリーは牧場主殺害者の町の
一味の逮捕に向かうが、敵は
敵で法を盾に保安官たちと共謀
してビリーをお尋ね者として
敵対する。牧場主を殺したの
はビリーというお尋ね者を出頭
させる事に連邦保安官である
牧場主が拒否したので町の保安
官が射殺したというのだった。
ビリーたち牧童たちの大集団は
保安官たちを逮捕すべく町に
突入する。どちらも法の番人
として対峙した。
だが、果たして卑劣な町の実業
家一味と金で飼われた保安官
正義の法執行など通用す
るのか。
現実では、ビリーは無法者とし
て友人の保安官パット・ギャレ
ットに射殺された。
本作品は実話をベースにしてい
る。
そして、本作を観ていると、
『シェーン』(1951)のベースは
本作品にある事が観て判る。
『シェーン』の細かい設定や描
写が本作の中にある。
 
この映画でビリーが使う銃は
無縁火薬のバージョンながら、
黒色火薬時代のようなフルムー
ンタイプのエジェクターロッド
ノブが着いたコンバージョンだ。
ハーフムーンタイプが標準化さ
れる以前のSAA。
実銃ピースメーカーの1stジェネ
レーションレイトモデルの初期
型だろう。
空砲ブランクを使っている為、
シリンダーヘッドから弾頭は
見えない。
 
本作品、かなりの秀作だ。

もう飲めない酒

2023年03月27日 | open



世の中、もう飲めない酒は数々
あれど、これが最高だった。
バーボンの中のバーボン。
J.T.S.ブラウン。


身体用法

2023年03月27日 | open



ビリヤードもオートバイのスポー
ティーライドやレーシングライド
も、大切なのは下半身。

なお、オートバイはフロントフォ
ークに直に着いているセパレート
ハンドルのレーシーなマシンで
前傾姿勢であろうとも、一般公道
で700km以上走っても身体は何
ともない。
よく世間で耳にするのは、「腰が
痛くなる」「腕が痛くなる」「き
つい」というものだが、それは、
100%乗り方が根本的に間違って
いるからだ。正しく乗れば何とも
ない。
要するに下半身で乗らず、上体を
硬直させて背骨を真っ直ぐに腕も
突っ張っているから疲れる。
また、その硬直ではマシンの操作
など出来ないので非常に危険だ。

ビリヤードも同じで、腰が痛く
なるのは、身体用法を間違って
いるからだ。
これは確実。
下半身と腰回りの筋肉と骨の使い
方を誤っているから腰痛になる。
正しい身体用法であると、たとえ
20時間連続で玉撞きをしようと
腰は痛くはならない。
椎間板ヘルニア等に罹患してい
ない限り。
スポーツの基本は下半身だ。
特に腰回りと背骨の使い方。

アーチになっているから圧を分散
できる。



背骨と仙骨の関係も全く同じ。
前傾姿勢の時には背骨は真っ直ぐ
に背中に板を入れたようには伸ば
さない。背骨の全ての骨に荷重
を分散させて上体を脱力させる。
背骨は直線ではなく緩いアーチ
を描かせるのが前傾姿勢では正
しい。
背骨を直線にすると、物理的に
腰の一点に力がかかり、負担は
倍増する。
直線だと石橋は崩れるように、
人の背骨も同じ事になる。
崩れる前に腰が悲鳴を上げて
いる。
また、人間の背骨は、そうした
荷重を分散させる仕組みに出来
いる。
身体の仕組みを無視する事を
すると人体の想定外の負担を
生み、身体に支障が出る。
前傾姿勢での腰痛などはそれだ。
背筋真っ直ぐ伸ばしは❌。
直立不動の敬礼姿勢のまま上体
を前屈させるような身体の使い
方は、スポーツでは完全に誤り
だ。


ポケット・ビリヤード グランプリイースト第2戦

2023年03月27日 | open




土方隼斗選手、プロツアー戦2連勝。
ナインボール7ラック先取り短期戦
とはいえ、羅選手を相手に圧勝。
安定している。

映画『ボディ・ダブル』(1984)

2023年03月27日 | open



ブライアン・デ・パルマ監督が
ヒッチコックへの敬意を以て
撮りたいように撮った映画作品。
オマージュがふんだんにある。
サスペンスとしては、初見で即
犯人が分かってしまうのだが、
その関係性や動機については
物語が展開していかないと分か
らないようにしてある。
だが、設定展開はかなり無理が
あるとはいえ、とにかく映像の
遊び
がかなり自由闊達だ。特に
カメラワークが
良い。
エロティック・サスペンスだが、
トリックは複雑ではなく、犯人
が初めて登場した時点ですぐに
分かってしまう。
「そんなトントン拍子のうまい話、
世の中ある
わきゃないだろう」と
いうやつ。

ただ、主人公がしばらくの間
借りた豪邸はかなりゴージャスだ。


ここはケモスフェアハウスと呼ばれ
る建物で、1960年に建築された。
空飛ぶ円盤をモチーフにしたようだ。




室内の様子と眺望は是非映画本編
をご覧頂きたい。素晴らしいの
一言だ。
ただし、45度の傾斜地に建築され
ているので、この建物には専用の
ケーブルカーで行く。
真下からはエレベーターだろう。
家具調度品をどうやって運搬した
のか不明。
それどころか、崖の傾斜地にどう
やってこんな建物を建てたのだろ
うと思う。
室内からのロス全体の眺望は絵に
描いたようだ。
現存建築物。

実は、この建物がまた見たくて
何十年ぶりかに本映画作品を観
た、という次第(笑)。






土方隼斗プロ 〜ポケット・ビリヤード〜

2023年03月26日 | open
 





グランプリイースト第2戦決勝。
土方隼人プロ優勝。

昨年秋までのフォームから完全
改造のフォームの土方隼斗
プロ。
極めて美しいフォームだ。
下半身の使い方が変わった。
プロも進化する。
現状維持ではない。
人一倍研究して、人一倍練習
して、人一倍努力するのがス
ポーツのプロだ。
アスリートなのである。

瀬戸内海のタイ

2023年03月26日 | open


ご近所さんから三原沖で釣れた
タイを頂いた。
かたじけなし。
焼いて、有難く頂戴する。
瀬戸内海のタイとタコは格別に
美味だ。
特に瀬戸内海随一の多島エリア
である三原沖が釣りの穴場だ。
潮の流れが急流なため身がよく
締まっている。
特にタコは三原のタコが絶品で
明らかに他のタコと味が異なる。
最近は収穫が少なく、店にもあ
まり並ばないようだ。




今最低の時代劇、NHK大河

2023年03月26日 | open
 

戦国武将徳川家康が総髪。
 
家臣も総髪。


みんな総髪。


全員総髪。


こいつら兜は被らないのか?


服部半蔵も総髪。
 
最低の時代劇だ。
戦国武士は兜を被る戦闘者だ。
兜被りはそんな髪型には絶対
にしない。
 
ファンタジーはほどほどに。
ねつ造はよくない。

ビリヤードの話をしながらお寿司何皿食べれるのか⁉︎

2023年03月26日 | open

ビリヤードの話をしながら
お寿司何皿食べれるのか⁉︎

たまにはこういうのもいい。
はま寿司で会話を楽しむ二人。
平口さんが言うように、はま
寿司はしゃりがかなりうまい。
ネタもいい。刺身載せ機械握り
だが、うまいことはうまい。
そして醤油が凝ってる。

平口プロが「はや"どぐぅ~ん」
と言わなくなってから久しい。
放送を意識しての事かも。
この二人のコラボは結構いい
空気だ。
波長が合ってるのだろう。

平口さんは、勝負強くてプロと
しても勝気なのに、人として毒々
しさがまるで無いのがいいよ。
こういう人、とても業界では貴重。
ケンの強いイガイガしている女性
大集合だから。この業界(笑)。
撞球が巧くて強い選手などは世界
中でも日本でも大勢いる。
でも、それだけだと、それだけだ。
やはり、人柄が魅力ないとさ。

特にプロは。
平口さんはとても素敵な人だと
思います。
土方プロは平口プロと接している
時は、業界によくいるデレデレした
いやらしげな男性としてではなく、
歳の離れた兄貴みたいな感じで接し
ているのも爽やかでいい。
プロの先輩後輩というよりも仲の
良い兄妹みたいだ。
二人はできてるとかのいやらしい
邪推の声も多い
が、そんなこたぁ
関係ない。
仲良い二人が仲良くしている。
そういうのはいいもんだ。
たとえ男女の関係だろうとそうで
なかろうとも、仲良いのが一番
いい。
この二人のコラボ動画は良い。
こういうのやっているの、日本では
この二人だけ。



撞球人

2023年03月26日 | open


昨日、華台で玉を撞いていたら、
別台で一人練習をしていた人が
練習上がって帰る時に「お先に
失礼します」と声に出して挨拶
をした。
「お疲れです」と返した。
全く見知らぬ人だ。
だが、きちんと挨拶をする。
その人は、店に入って来て自分の
テーブルに着いた時も挨拶をした。

なぜか。
ここは玉屋であり、彼は撞球人
だからだ。
まだとても歳若い。
しかし、本物の玉屋育ちである
事を体現している。その日常性
において。
これが玉屋であり、撞球をする
撞球人のトラディショナルな姿
だ。
スポーツマンがスポーツマンと
しての立ち居振る舞いをしてい
る。

まだ若い20代の人でも、きちん
とした場所ではきちんとした人
材として育っている現実に接し、
とても心地良かった。
出鱈目ではないちゃんとした
玉屋は、やはり良い。
本人の人的質性や心掛けもある
が、人が健全に育つ環境は最近
めっきり少なくなって来ている。

はごろものスパゲッティ

2023年03月26日 | open


昼はスパゲッティ。
はごろもフーズのスパゲッティが
おいしい。



武士の食事

2023年03月26日 | open
 

外国人の友人が、侍はどんな食事
していたのかと問うので画像見せ
て答えた。
「こんなのだよ」と。
日常的には一汁一菜である。
非常に栄養価が低い。


「ウッソ!」
と言うので
「いや、ほんと」
と。


魚など出た日にはご馳走だ。
メザシは武士は食べなかったが。
たくあんも一切れは「人切れ」、
三切れは「身切れ」なのでふた
切れが原則。鰻も腹開きなどは
食べない。


こうなるともう宴の席でしか
食べられない。それが武士の
日常。


武士の食事はそれが常識だった。
映画『武士の献立』のような豊富
な食材を一般武士が毎日楽しんだ
などというのはファンタジーだ。
そうした食事は将軍や大身旗本、
大名の殿様や御家老位のものだ。
 
ドラマ『仁-JIN-』ではリアルに
考証されていて、旗本橘家では
このような膳が出された。

たくあん三切れと思うは早計。
ナスの漬物もついている。
皿に三切れだけ載るのは武家
はやらない。「死ね」という
失礼にあたるからだ。武士が
死ぬのは主君の出陣にて戦士
として死ぬのみ。私闘は士道
不覚悟なのでやらないし、命
の使い方については極めて敏
繊細であるのが武士だっ
た。
「いざ鎌倉」の時以外、武士
は勝手に死んではならないの
だった。

タイムスリップした現代の医師
驚く。
なんだ?これは!?と。
ご飯のおかずはご飯(笑
 
白米ばかり食べていた江戸の
人々は、武士も町人もカッケ
というビタミン不足から来る
江戸の病に多くが罹患してい
た。
 
旗本の娘橘さきはおかずが無い
食膳に驚く医師のジンに言う。
橘家は旗本ながら百五十石の
禄高なので、と。
150石は幕末のレートで仮に
1石が1両5万円とすると収入
ベースは750万円。
だが、知行は四公六民なので、
150石取りの武士の実質収入は
300万円。
武士全体が生活貧困層であるの
が江戸時代なのだが、年収300
万円で家族が食べ、使用人も
雇い、武役には郎党を連れて
兵役参加しなければならない。
武具は自弁だ。
旗本でそれだ。その下の将軍
目見得以下の御家人、同心や
日本全国各藩の徒士、足軽に
至っては、もはや生活自体が
り立たなかった。
江戸時代に裕福なのは商人や
階級的には最下層に置かれた
祭りや出版や下肥のリサイクル
や神事取り仕切りや興行、出産
介助、看護、医療行為、皮革生
等の独占権益を有する階
級の
人たちのうちの一部の支配
層だ
った。
武士で裕福なのは将軍や大名の
みで、大多数の武士は貧困に
あえいでいた。
 
海外では大きな誤解があるよう
で、武士は支配階級だったので
超大金持ちかと思っているケース
がかなりある。
以前、中国人やフィリピン人、
アメリカ人、英国人、オースト
ラリア人、アイルランド人、ド
イツ人、ウクライナ人、オラン
ダ人、カナダ人たちとの対話の
中で、日本のヒストリカルカル
チャーの話題で武士の生活に
いて触れた事がある。
日本の歴史をよく知らない外国
人たちは、全員が日本のサム
イは誰もが大金持ちかと
思って
いた。
武士は階級は上だが、裕福には
させない政策が幕府と藩に
より採
られた事を説明する
のに一苦労だった。
典型例が参勤交代で、あれは
幕府が諸藩を経済的に疲弊さ
せるための国家政策であったの
は社会科の歴史教科書で習った
通りだ。
 
生活が苦しかった武士は、四公
六民などは守らず、とんでもな
い税率にして農民たちから搾り
取ろうとした。
百姓たちは生きて行く事すらで
きない。
一揆というのは戦国期に発生
した軍事同盟の事だが、江戸期
には農民の決起が百姓一揆とし
て起きた。命がけである。
お上の許しを得ずに直に提訴し
ただけで死罪になるのが江戸時
代だ。民権などは一切存在しな
い。武士階級のやりたい放題だ。
だが、武士の階級は庶民よりも
上に人為的に設定されていた。
武士などは、農民からも城
下町
の町人たちからも毛嫌
いされて
いた。
理由は、「搾取者」だからであ
る。支配者階級であり、人々を
踏みしだいてその上に君臨する
階級だったからだ。
 
経済的には武士たちは火の車だ
ったのが実情だ。
だが、支配者たる武家としての
体面を保つためにからいばりで
見栄を張っている。多くの制約
があろうとも自由に生きる民衆
から好かれる道理がない。
「花は桜木、人は武士」という
赤貧ながら清貧の武士もいたが、
実際には、日々生きて行くのが
やっとだった。
農民を支配して苦しめている階
としての武士が、その大
多数
が極貧状態だった。
戦争も無いのに生産活動に従事
しない武装階級が郎党含めて国
民の約1割を占め、それが階級
として政権を掌握している。
収入は搾取によるものだけだ。
藩によっては産業開発や国内商
取引、密貿易等で財を成す藩も
あったが、それはごく一部だ。
幕臣も各藩の下級武士も、アル
バイトをしなければ生きて行け
なかった。
江戸の産業での実質的な担い手
は御家人たちだった。虫の飼育、
金工小物作り、花栽培、生活消
品群の製造、それらは実
質は
武士たる幕臣御家人や各藩
下級武士が担っていた。
軍人が軍役無き為に花を栽培し
てそれを売って日々の暮らしを
立てている。藩も財政は破綻し
ている。
そのような社会構造がいつまで
も続く筈もない。
江戸時代は、武士が羽振りがよ
かったのはごく初期のみで、
鎖国以降、すでに元禄期には
支配階級なのに極貧という構
造的な社会的矛盾が顕著に
って来ていた。
 
武士などはかっこいいものでは
ない。
内情はヒーヒー言ってるような
ものだ。決してヒーヒー言わな
いで耐えていたのが武士だった
が。
そのあたりの本当の歴史実相は、
藤沢周平がよく捉えていて、武
士を新国劇のヒーローのように
は扱わず、武士が武士であるが
ゆえの悲哀を正確に描いている。
だが、社会体制が血脈主義だっ
た江戸期には、武士は自分で
好き好んで武士の家に生まれた
のではない。これは、他の階級
や階層の人々と同じく抗えな
った。
「自分では選べない」という
理不尽のみが江戸時代の万人
に強制された「平等」であった
のである。
自分ではどうしようもできない
属性(=血脈や家柄や出自の場所
や性別、身体的特徴等)を以て人
が人を区分けして差別する社
会は
破壊されるべきであり、
それは
現代でも何ら変わら
ない。
そうした構造や意識性によって
成立している社会は、それは人
無き社会であり、もはやま
とも
な社会とは呼べない。
人が人として万人が暮らせる世
の中がまともである事は、
論を
俟たない。
人が人である人としての幸せは、
人が人を踏みしだく事によって
は得られない。