写真はパソコンのハードディスク、略してHDです。決して「HG」ではありません。なので、「RG」であるはずもなく・・・もーいいっすね(笑)。ま、一般的には「HDD」って最後にドライブのDを付ける方が多い気がするんですけど、今日はHGで、じゃなく、HDで。まー、しょうもない小ネタということで(笑)。
えー、このHDくん。パソコンの中にあって、情報を記憶する、いわば脳みその記憶領域に相当する物体なのですが、これが昨日の朝、突然壊れたんですね。中ではいつものように硬い円盤(まさにハードディスク)がシュルシュル廻ってるみたいなんですけど、何の弾みかどうしたことか、パソコンから、つまり僕から、「見えなく」なっちゃったんです。ヘッドの磁気異常か、プラッタがクラッシュを起こしたのか、まぁ、そんな専門的なことはここではさておき、とにかく、中に色々な情報(あんなこーとーこんなこーとー)を閉じ込めたまま、外界から遮断されて(して)しまったんですね。非常に困るわけです。正直、生卵をじゅうたんの上に落として割ってしまった時くらいの、泣きたい気分になりました。
まぁ、さりとて、壊れてしまったものは仕方ないので、少々時間とお金はかかりますが、ドライバーを取り出し、ネジネジキュルキュル、明日、PCショップにて新しいHDを買って来ます。多分それで直る、はず。それからOSの再インストール。面倒ですけど、昔、初めて買ったWinのノートパソコンがハズレで、めちゃくちゃ調子悪くて、二週間に一度は泣きながら再インストールしてたので、まぁ、慣れっこなんですけどね。
しかし、このハダカのHGをしげしげと見ていて・・・じゃなくて、HDを見ていて思いましたが(なんか何を書いても、いまいち説得力の無い話になりそうな予感。自分で振っておいて、アレですけど(笑))、きっと人間も、何かの拍子で、こうして突然アクセスできなくなったり、するんですよね。このHDは電源は入りますし、廻ってはいるんで、言わば「植物状態」、と言ったところでしょうか。勿論、こういうことはいつでも起こりえますから、ものの本には「とにかく、小まめなバックアップを」と書いてありますね。
しかし、人間の頭の中の膨大な記憶や情報、カラダで憶えているような無形の技術、そして、喜怒哀楽に、苦悩、恐怖、葛藤、そして愛情、といった無限であり、混ざり合い方も複雑な、感情たち。これらを「小まめなバックアップ」することができるか、というと、これは難しいですよね。なぜなら、パソコンの情報と違って、どれも「数値化できないから」、ですね。そして、人間は起きている間中(場合によっては寝ている間にも)、何をしていても、絶え間無くどんどんインプットされ続けるんで、その情報量の多さたるや、もう無限大と言っていいわけですよね。その無限大の情報がざっと60億人分、存在しているわけですよね。一見似た感じのように見えても、誰かとまったく同じ経験をしてきた人なんていないわけですからね。へんなことで壊れないといいですね、人のHDも。こればっかりは再インストールできないんで、大切に扱わないと。
さて、では、アウトプット側はどうなっているのでしょうか。「人に喋る。伝える。」これが一番基本的なアウトプットですね。「行動する。そして、それを人に見せる」これもアウトプットです。僕らミュージシャンで言えば、「楽器を演奏して(あるいは歌って)、聞いてもらう。」。これもアウトプットですね。そして、料理を作って食べてもらう。演じて、観てもらう。本やブログを書いて、読んでもらう。
誰かからアウトプットされたものを、誰かがインプットして、そしてその誰かの頭の中で混ぜ合わさったものを、またアウトプットしていく。文化って、この繰り返しなんですよね。「伝承」が無ければ、僕達はいまだ、最初の猿のままなんですから。「伝承」つまり「伝えて、承(うけたまわ)る」。
昨夜、ベッドに横になりながら、遅くまで本を読んでいました。大好きな向田邦子さんの本です。52歳で、不慮の飛行機事故で亡くなられて、もう25年が経っています。彼女のエッセイがとにかく大好きで、たぶんエッセイはほとんど持っていますが、初めて一冊目を手にした十数年前から、思い出しては何度も繰り返して読んでいます。
昨夜は「向田邦子の恋文」という、没後に妹さんが執筆した本を読んでいました。前半は、生涯独身だった邦子さんの、誰にも知られなかった恋文がそのまま、という、向田さんファンの僕には(笑)、ちょっとショッキングな(?笑)内容。それにしても恋人に宛てたプライベートな手紙にも(だからこそか)、一つ一つの言葉に、向田さんらしい実に人間的な目線、優しさ、そしてユーモアがたっくさん溢れていて、何行か読んでは手を止め、天井を眺めては浮かんでくる当時の、古き良き昭和の風景や、向田さんの心情に思いを馳せ、浸っておりました。そして、向田さんの若き頃の写真には、真剣にドキっとしてしまったりね。凛として、美しい。色んな意味で、実に惜しい人を、なくしました。
あ、もし向田邦子さんのエッセイに興味をもたれた方がいらっしゃいましたら、「無名仮名人名簿」「霊長類ヒト科動物図鑑」「夜中の薔薇」、そして「父の詫び状」などをオススメします。僕もこの辺りから読みましたから。どれも一遍が短いエッセイなので、電車の中や、ふとした空き時間に、気軽に読めますよ。
あのね、彼女のアウトプットをインプットするとね、ものすごく、幸せになれるんですよ。心に、とっても、いいんですよ。もう、この世にいない向田さんは、アウトプットしてくれませんけど、せめて残された文章を、何度でも繰り返して、インプットしていきたいです。きっと僕のアウトプットの、何がしかの素晴らしい栄養になってくれることでしょう。まぁ、彼女みたいな文章は、1000回逆立ちしたって、書けませんけど。
って、たらたら書きながら、ふと、本棚を見ると「父の詫び状」が無いことが判明。んー、ベッドサイドにも無いしなー。あっれまー。引越しでどこかに行ってしまったか、誰かに貸したままになっているか。なので、今、アマゾンでポチッ、しちゃいました。一緒に欲しかった「向田邦子の手料理」も買ってしまいました。絶対に、今、呼ばれたっぽいです(笑)。エッセイに出てくる、ちょっとした料理が、どれもこれもすっごく気になってたんで、欲しかったんですよ。真似してみよー。
ではー。