また、食べてしまいました、生姜焼き。カレーの香辛料には中毒性のある物質が入ってるらしいんですけど(だから何日か続いても食べられるらしいんですよ)、これにも、さてはなんか(笑)。か、僕の頭から出てるのか(;^_^A。
---追記---
今日は、大切な追記です。
先ほど帰ってパソコンをつけてみると、一通のメールが届いていました。友人の女性からでした。是非、読んでみてください。
「わたしは今日、この映画の絵が頭からはなれないの。
終戦記念日の朝。
なにげなくつけていた教育テレビで、
「さようなら沖縄」というアニメ映画が始まった。
http://www.cinemawork.co.jp/cwhp/list/tsushimamaru.htm
はずかしながら、
私は、この対馬丸について、なにも知らなかった。
第二次世界大戦、数え切れない悲劇の中で、
こんなこともあったなんて。しかも、
戦後まで、秘密にさせられていたなんて。
対馬丸撃沈事件。(以下、ネットで探した解説。)
昭和19年に戦争の足音が徐徐に近づいてくると、
沖縄の人々は県外へ移動するよう指示されました。
対馬丸は疎開する県民、
とりわけ学童集団疎開のこどもたちをたくさん乗せて
8月21日に九州へ向けて那覇港を出港します。
しかし、海はすでに戦場。
対馬丸は翌22日夜10時過ぎ、
米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃によって
沈められてしまします。
乗船者1788名(船員・兵員含)のうち約8割の人は
海底へと消えてしまいました。
。。以上。。
タイタニックの映画を思い出してほしい。
おおきな船が、海に沈む状況の恐ろしさ、すさまじさ。
しかも、対馬丸は、
豪華客船なんかではなく、老朽化した船であり、
乗客のほとんどが、
あんな、きらびやかな人たちではなく、
小さな赤ちゃんを含めた子供ばかりだ。
沈没の理由も、氷山なんかじゃなく、
同じ人間の手による、突然の魚雷襲撃だった。。
船の底に穴が開き、船体は、一気にななめにかたむき、
現実をしらずに船に乗っていた子供たちが、
雪崩のように海に落とされていく。
目の目で友達が死んでいく。
生き残った数名の子供も、
その事実を話したら処刑すると脅されながら、
今度は沖縄の空襲にあうことになる。
あの豪華なタイタニックの、
贅沢な客船の沈没シーンよりも、
このアニメのこのシーンを見ての私の恐怖心のほうが、
比べようもなかったのはいうまでもない。
子供にはまだわからないと思ったけれど、
私は泣きながら、
戦争はぜったいだめだよ、といいながら、
最後までいっしょに見せた。
大きくなったらもう一度、見せたい。
今迄知らなくて、ごめんなさい。
という思いにさせられた。
ああいう子供たちの犠牲のもとに、
平和ぼけっていっていいくらいの、ぜいたくな、
平和な毎日があるんだ。」
以上、急いで本人の許可を取って、そのまま載せさせてもらいました。「私のでよいなら」と快く快諾してくれました。
憶えてくださっている方もいらっしゃるかもれませんが、これを送ってくれたのは、4月25日のブログ「ちっちゃなちっちゃなセッション相手。」、で紹介した、僕とピアノでセッションしたコウちゃん、のお母さん、Mちゃん。札幌に住んでいる、僕の高校の同級生です。
パソコンから見てる方は、Mちゃんのメッセージの中のリンクにある「あらすじ」も、是非、読んでみてください。彼女のメールには、今、沖縄では、この事件で生き残った子が、おじいちゃんになっていて、解説をしてくれているのよ、とも書いてありました。もし、観光で沖縄を訪れる機会があったら、是非立ち寄ってほしい、とも。
僕も知りませんでした。教えてくれて、ありがとう。ビデオ、絶対に見ます。
しかし、そもそも生姜焼きの写真の下に、この追記を書くのはどうか、と少し悩んだんですけど、早く知ってもらいたかったのと、なんだ生姜焼きの追記かー、と思いつつも、それでもこれを読んでくれた、今読んでくれているあなたには、きっと、これを知って欲しいと、歴史が、子供達が言っているんだ、と思って、敢えて今日、ここに書きました。読んでくれて、ありがとう。
では。
---再追記---
自分で掲っけた写真見て、無性に腹立たしくなってきたんだ。
あーっ、ちきしょーう!子供達に、おいしいしょうが焼き、食べさせてやりたかったよ!絶対に、もう戦争なんて!!!どうしてもやりたいなら、やりたい奴が、どっかの一本の木も生えてないような(木にも迷惑だから)遠い遠い無人島で、勝手に素手で殴り合えよ!お前らには、絶対に、おいしいモノなんて、食わさん!
・・・と思う、夜です。すみません、取り乱しました。