ケン坊のこんな感じ。
キーボーディスト、川村ケンのブログです。




皆さんのコメントを読ませていただいて、中には思いがけずとっても若い学生の方までいて、興味を持ってくださっているということにとっても嬉しく思いました。戦後の教科書というのは、これは前にも書きましたが、WGIP(ウォー・ギルド・インフォメーション・プログラム)というアメリカによる日本占領時の「洗脳」の影響が今でもとても濃いものです。また、一部日本の極左翼的マスコミと、さらには中国や韓国などの近隣外国までもがその記述について口を出すようになり(外国の教科書に、ですよ)、「教科書問題」としてずっと問題化されているのはご存知のことと思います。

要するに後から「あれは間違いだった」、と真実が分かっても、今のシステムではなかなかはっきりと書けないんです。修正できないんです。例えば、「南京大虐殺」から70年の式典が中国で行われていたとつい2~3日前にニュースで見ましたが、「日本人は我々の先祖を30万人も虐殺した。悔しい。」と、中国の中学生が声明文を読み上げていました。中国の教育はともかく、今の日本の教科書には何て載ってるんでしょうか。是非手に入れて見て見たいところです。

そもそも当時20万人しか人口が居なかった南京で、30万人殺せるわけもなく、さらにそんな「虐殺の事実」すら無かった、という証拠すらどんどん上がってきているのに。対日本の外交カードとして、強い立場に立ちたいから、「日本はこんなに我々に酷いことをしたんだ。許すな。」と、今でも民衆を扇動して何があっても事実化し続けたい中国、そして、WGIPのおかげで、「はい、きっとそれは事実ですね」と、よく調べもせずに(占領下では無理だったのでしょうが)一度はあっさり認めてしまった日本。そのツケは大きいですよ。

現在学生の方は、その辺りも鑑みて、出来ることなら先生や仲間と良く話し合って欲しいなー、と思います。歴史というのは事実の積み重ねであって、小説や理想ではありません。まして思想や宗教、お金や外交、洗脳や情報戦によって歪められてはいけないのです。でしから、あくまで、「正しい歴史」を学んで欲しいと思うわけです。ただ、意思を持って探さないと、なかなか見つからないのですが、今はインターネット等で沢山情報が入りますから、そこから本を買ったり、図書館に行ったり、仲間と情報交換をしたりして、積極的に真実を手に入れていって欲しいと思います。頭が柔軟なうちに、是非とも。洗脳期間が長くなればなるほど、そこから抜け出すのに苦労するのは、一部悪質なカルト教団などの例に明らかです。

また、親である方、これから親になる方々が、戦争や、世界の「隠され続けている暗部」のことを知ることに興味を持ってくれるのも、これまたとっても大きな意味のあることです。なんたって、子供の環境は親が作るんですから。親の影響って、どうしたって大きいですよね。勿論これは、親でなくても、僕達大人全体に言える事なんですが、自分ではもうアレコレ動けなくても、それを次の世代に教えたり、伝えることはできるのですから。その次の世代の人がまたさらに考えて、動いてくれたって、全然いいんですから。大人としてのひとつの大切な役割ですよ。

 

さて。

日本は、間違いなく平和ボ○してますが、はたして本当に平和なんでしょうか。昨日のブログの件もあって、そんなことを考えていた矢先に、今朝、佐世保での、またも起きた悲惨極まりない事件のニュースを知りました。あれは、・・・テロです。避けようがないです。ジム側に対して、「防犯カメラは設置して無かったのか」などという質問があったようですが、たとえあったとしても、この犯人に対してはおそらく抑止力にはならなかったでしょう。亡くなった女性は子供と机の下に隠れて(極めて的確な判断ですよね)、でもそこで撃たれたとか。痛ましすぎます。犯人がその心に闇を持ったまま死んでしまった以上、もはや真相は解明できないでしょう。しかし、犯人は「特殊な人間だった」、で片付けてしまっていいのでしょうか。犯人は僕と同世代。同じ頃に生まれ、同じような学校に通って、同じような教育を受けたはずの、一人の普通の日本人。彼は何を知り、何を知らず、何に憤りを感じて生きていたのでしょう。でも、それを知ることは、もう適わぬことです。悔しいです。しかし、そんな彼を「教育」し、「育てた」のは、日本の社会です。文化や教育や言語の違う外国人ではありません。それが、とても怖い。

誰が特殊で、誰が特殊でないかなんて、誰にも分かりません。そんなこと言ったら、僕だって特殊、あなたも、特殊です。心の闇だって、多かれ少なかれ、きっと皆持ってる。「なんでもない普通の人」なんていう名前の人間は、どこにもいないのですから。

日本が、ドアに鍵をかけなくては怖くてとてもじゃないが外出が出来なくなって久しいですが、いつしか、商店街や街のお店が皆、入り口を扉できっちりと閉じ、指紋認証でもしないとお店に自由に入れなくなる日がくるんじゃないか、なんて極端な想像をしてしまいました。

子供がセキュリティベルやGPS携帯を持って行く学校の門も、今はきっちり閉じられ、校内を防犯カメラが監視しているという現実。それが今の日本。

・・・なんか変だよ、と思わずにいられません。これが、平和な国、日本の姿なのでしょうか?世界中に向かって「日本は平和な国ですよ」と、平気な顔で言えるでしょうか。

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僕は、そもそも自分勝手で、怠け者ですから、本当に社会貢献なんて全然してこなかったし、今だって実際何もしていないわけです。平和運動家になるつもりもないし、そもそもそんな人徳は持ち合わせておりませんから、そんな偉い人になれるわけもない。広く公共の視点を持って、他の人の為に地道に、懸命に働いている民間の活動家や、ボランティアの人を、偉いなぁ、と横目で見つつも、今すぐ、今の自分にそれが出来るともなかなか思えない。うん、しっかりダメダメ人間。困ってる人の役に立つ事なんて、・・・たまにする献血くらいしか出来ていないのが現実です。

でも、こんな僕でも、なんだかずっとどこかに思いはあるわけです。何故かはわかりませんけど。何か少し位良いことしたいなー、まぁまずは現実的で、出来る範囲で、何か無いかなー、って。

そこで、15年位前ですが、郵便貯金の通帳(←たいして入ってない)の更新に行ったときに、窓口で「『国際ボランティア貯金』という制度があるんですが、いかがですか?」と訊かれました。「なんでしょうか?それ。」と聞くと「川村さんの貯金に付く利子の20%~100%を、国際ボランティアの団体に寄付する仕組みです」と教えていただき、最初に思ったのが「えっ!?貯金の二割から、もしかしたら全部寄付しちゃうんですか?」って、あわてて聞き返しました。窓口の女性はちょっと笑って、「いえ、利子の、ですよ。」ということ。おっちょこちょいです。

僕の貯金に付く利子なんて、たかが知れている。でも、チリも積もればなんとやら。1人年間に利子が1円でも、もし国民の皆が賛同したら、毎年1億円以上がにもなるよね、って思って、そんなことで「良いこと」できるなら、って、「じゃあ参加します。○○%で。」、って書類に書いたんです。利子欲しさに貯金しているわけでもないのに、100%でないというハンパなところが、僕の浅ましさと、身の丈をあらわしています。どうぞ、笑ってください。とにかく、手続きはそれだけ。貰ったカードには「国際ボランティア貯金カード」と大きく書かれていました(英語でしたが)。僕はずっと、そのカードを使うたびに「まぁ、これで少しは貢献できてるのね」と内心では嬉しく思っていたんです。こういうシステムは良いよなぁ、と。

この国際ボランティア貯金で集まったお金は、利率が低い今年でも、なんと年間で4億円超にも上っていたのです(16年前の制度発足から、総計で180億円超!)。加入者も年々増えているのです。チリも、どころではありません。これを100以上の団体が、世界35ヶ国の貧しい地域に学校を建てたり、仕事の無い女性達に織物や手工業の技術を教えたり、親を失った児童ホームレスの救済、自立の為の教育などに当てたりしていたんです。

・・・それがね。

さっき、ちょっと用事があって、今回の郵政民営化後に新しく送ってこられたカードを見たら、「国際~」の文字が入っていないんです。「あれ?」と思って、ネットで調べてみたら。

『平成19年10月の日本郵政公社の民営化に伴いその根拠となる法律が廃止されたことから、平成19年9月末をもちましてお取扱いを終了させていただきました。』

・・・おい、どういうことだ。なんだ、その「根拠となる法律が廃止」って。いつ決まった。誰が決めた。

むかっ腹パンパンで、さらに調べてみると、「今回の制度廃止についてはお知らせはしないことになっていた」ということです。なぜか・・・「クレームが来そうだから」。

それって、・・・ど・う・い・う・こ・と・で・す・か!?

腹が立って、腹が立って、勝手に涙が出て来ました、本当に。

何なんでしょう、この国は。あの時、さんざん「民営化で何の弊害ございません。これまでと何ら変わりなくご利用いただけます。民営化することで、お客様へのサービスが向上します。」とか言ってたのに。国の機関であった郵政がしていた、日本としての善行だったのに。この調子だと、これからはもっと利益追求になりますね。こんなことなら、これを知っていたら・・・僕はこれだけの理由でも民営化絶対反対の候補者に投票したのに(でも、公約って、本当によく破られますね。よくぞまぁ公的な人間がね。約束は守りましょうよ)。

この制度で集められた資金の分配を行っていた「国際ボランティア貯金普及センター」のHPでは、ラオスの子供が、今でもミシンを手に嬉しそうに笑っています。・・・せっかく笑っているのに!

一体どんな頭で考えたら、どんな理由があったら、一度子供達や人々に与えた希望の芽を、与えたその手で摘み取ることができるのでしょうか。「隣の村に学校が。いつかきっと私たちの村にも、日本からの援助が、きっと・・・」と期待していた人たちは、子供たちは・・・どれほど落胆することでしょうか。

・・・是非とも、復活させて欲しいと思わずにいられません。

ではー。

----------追記。-----------

「クレームが来そうだから」事前告知をしなかった、と書いた件について、追記します。

この言葉は、総務省(旧郵政省はここに2001年にここに合併されました)、または現・日本郵政グループから正式に発せられたものではありません。これはネット上の質問掲示板で見つけた言葉ですが、僕には「ははぁ。まぁおそらくそうだろうな」と、十分に納得できることだったので、書きました。

以下、僕の考えをご説明させていただきます。また長くなりますが(笑)。

 

まず、こちらをお読みください。平成19年4月26日(木)に総務省で行われた、

「郵政行政審議会 郵便・信書便サービス部会議」

http://www.soumu.go.jp/menu_03/shingi_kenkyu/shingi/yusei/2007/070426_2.html

一部、当該部分を抜粋します。

 

「田尻 部会長 

民営化によって、こういう寄附金的なもので、例えば、国際ボランティア貯金なんていうのがございますね。こういうものも、全部、特別法であるから今まではできてきたと、やることができたと、こういうことなんでしょうか。民営化したら、国際ボランティア貯金は、仮に日本郵政がやろうとしても、それは法律がないとできない、つまり、商品にそういう寄附金をつけて販売するという手法そのものが日本の社会の中では問題があるということでこういう特別法になっているんでしょうか。


原口 郵政行政局総務課長

ボランティア貯金の場合は、お客様の任意のご好意で寄附していただくということで、これまでは、公社であるから法律がないとできなかったということで、今後、今度の、例えば、郵便貯金銀行は、一般商法上の会社ですので、そういう意味では、他の民間金融機関ともう同様ですので、特に法律がなくてもそれはできるということです。ただ、実際に、ボランティア貯金法は、経過措置を経ればなくなっていくという形でございます。ただ、今、ボランティア貯金の関係は、実際のその配分団体が海外で活動する、それぞれ小さな認定の事業でありますので、それが適切な団体かどうかというようなことを、例えば、私ども、外務省を通じて確認したりとか、そういうこともやった上で配分しておりますけれども、多分、今度、一商法上の会社になってしまうと、なかなかそういうような調査は外務省は受けてくれない等ございますから、どうしても、仮に新郵貯銀行のほうがやろうとしても、趣旨は同じであっても、多少の、やり方、仕組みは変わるのかもしれないなと思っております。」

 

さて、まず僕は、これが現行法の壁であるから、という法律の問題である以前に、特措法を再度洗いなおして再考する、良いものは改めて立法するという手間、省き、またそれにもしも(有り得ないけど)立法された場合でも、ボランティア貯金制度に関わる人件費、必要経費を省く、「手間省き、手間賃省き」の発想からきているんだろうな、と見ています。これは、どういうことか。

人を動かすにはお金が必要です。「ボランティア貯金」と言っても、その制度を維持し、動かすのは人です。役人は、ボランティアではありませんし、まして民営化されれば、ひとつの企業体としての収益を第一に考える団体になるのは間違いありません。それが「企業」というものの基本原理ですから。そう、維持の為には社員を使うことになるわけです。これは避けたい(そもそも今回の民営化は、リストラ=リストラクチャー=再構築ですから)。民営化に際し「サービスが向上します」というのは、彼らははっきりそうとは言いませんが、要するに「企業として、集客の為に」サービス向上をします、とうたっているわけですよね。企業なると、こういうメリットは生まれます。これからは沢山の宅配便会社などと、いち企業として競争していかなくちゃ、なのですから。

そしてまた、今回の民営化が、郵政事業を民営化させることで、国としての事業としての負担を軽くさせる目的があったのは疑うところが無いと思いますが、・・・では今後、いち企業体がこの制度を存続していくためには、なかなか我々の賛同だけでは立ち行かないわけですよね。なにせ、お金がかかるんですから。

だけど「この制度を存続させるには、手間とお金がかかるからやめます。」とは一般には、はっきりは言えないと思います。

もし、そうはっきり言っちゃったとしたら、どういう事態が予測されますでしょうか?

それこそ、クレームが山ほど来ますよね。世論も、これは民営化による「弊害」じゃないか?おい、民営化って、していいの?と疑問を抱くでしょう。これからの日本郵政グループに対しても、疑問が出てしまいます。だから、扱いは小さく、こっそりと、だったんじゃないでしょうか。僕が「それなら投票の時に民営化に反対の・・・」と思ったように。

そして、そのクレームの対処にも、電話対応だけで済めばまだしも、おお事になれば、マスコミも動きます。そうなったら対策委員会を開いたり、さらには何度も記者会見を開いたりして、職員の手間と、時間と、労力と、ひいてはお金がかかることになるでしょう。そしてそれは、企業としては、出来れば避けたい事態ですよね。ならば、なし崩し的に、事後承諾としてしまおう、告知は(法的に)必要がないなられば、あえてしないでいきましょう。・・・という思考は、十分に考えれらると思うのです。

なので、廃止となった今でも公的には「根拠となる法律が廃止されたため」としか説明していないのです。最小のフォントで、小さく。積極的に宣伝したい、知って欲しいことは大文字で見やすく書くのは基本ですし、選挙活動やテレビCMなどの例などにもあきらかですが、繰り返し、繰り返し叫しつこいくらい叫びますよね。しかしそういった姿勢を汲み取れる根拠は、残念ながら今のところ見当たりません。本当に僕達の知りたいのは、「人道的、国際協力という立場から見た、必要性の認識についてはどう考えた結果の廃止なのか」、ということですよね。これに対しては、世間の誰もが納得の行く説明が出来ないから、しないんじゃないでしょうか。いや、したくても、出来ないんじゃないでしょうか。一般には、「そうか・・・法律の問題なら仕方ないね。もう無くなっちゃったんだし。まぁ仕方ないか。」と思って矛を納めてしまう人が多いのを、彼らは知っているからだ、と僕は思います。

 

総務省(旧郵政省)職員(と自称する人間)が、書いたカキコミをネット上に見つけました。これを書いたのが、本物の職員だったのかどうかのご判断はお任せします。

「投稿日: 2001/04/17(火) 22:55

今年度、ボランティア担当官なんかになってしまった。いやだなぁ。 だいたいボランティア貯金の寄付金が発生しないボランティア口座が 多いからもっと寄付金の付く貯金をボランティアに勧奨しなさいと課長 がいうけど、この低金利の時代だからしょうがないやんか。20から100% まで設定できるけど、だれが100%なんてするねん。そんな人はほとんどおらん。 それに、僕はボランティア貯金そのものをやめてしまえばよいと思っている。そうすれば ボランティア担当官の会議とかにも行かなくてもいいし、ボランティアを勧誘しなくてもいい。そんなに国際ボランティアが重要ならお客さまの貯金利子を削ってしなくても、ボランティア貯金を廃止にして節減できる経費をボランティアすればよい。そうゆうことで、断固ボランティア貯金を廃止すべきである。 」

 

郵政民営化を進めた小泉元総理は、この制度を「なかなかいい制度だし、好評を得ていると聞いているので、今後も他団体で引き継いでもらえるものと思う」という趣旨の発言を残しています。

以下国会での小泉さんの言葉を、参議院議員谷あい正明氏ブログより、腹心であった竹中国務大臣(当時)への質問、応答部分も合わせて。

「国際ボランティア貯金について質問…第162回国会 郵政特別委員会 12号」

http://www.m-taniai.net/?eid=205

一見、素晴らしい発言のように見えますが、民営化後の日本郵政ブループでは、これは「しないよ」、ということです。自ら「構造改革の為には、しがらみを断つ。痛みに耐えましょう。」と言っていた小泉さんですから、この論理は彼の立場からしたらもっともです。賛否はともかく。

要するに、「この制度はいいんだけど、・・・何処かよそでやって欲しいんだよね」、という意味にも取れますよね。繰り返しますが、これはとどのつまり、経費削減の為ですよね。勿論、色んな事案を沢山の人が天秤にかけてみた結果でしょう。そして、この企業の利益にはならないことだと、分かったのです。あるいは、今までも分かってはいたけど、今までは利益追求では無いお役所だったからこそ出来た、「人道的立場」に立った、制度だったんではないでしょうか。しかし、民営化され、いち企業化された日本郵政としては、もうできない、しない。小泉さんが大好きなアメリカの、・・・自由と資本主義の国(総世帯の上位5%未満の富裕層に全米の60%の富が集中していて、国民の3割が貧困家庭、という超格差社会)アメリカの、利益追求主義に、日本の郵政省がズブリと組みこまれた結果だと、僕は見ています。

 

 日本郵政グループのHPには、「ひとりを愛せる日本へ。」というコピーが掲げられています。

「愛」という文字が使われていますが・・・一体、どこの「ひとり」なんでしょう。ひょっとして、あの戦争が好きな人のこと?などと・・・意地の悪い事のひとつも言ってみたくなります。

HPでは、ボランティア貯金制度の過去の取り組みや実績は一切削除されています。せめて結果はどうあれ、今まで誇りを持って取り組んでいた素晴らしい事業だった、と残しても良かったのではないでしょうか。救われた人は世界中に沢山いたんですから。このコピーは、僕にはなんだかちょっと空しく響くのです。

ボランティア貯金のことだけじゃなくて、この民営化の結果が良ければいいんですけれどね。この民営化で今までずっとあった「近所の郵便局」が廃止においこまれて困っている人々が結構沢山いるのはご存知ですよね。対して、年賀状の売り上げは伸びてるとか。まだ色々と分かりません。答えが出るには、これから長くかかると思いますので、見守りましょう。

以上、人によってはひねくれた見方に見えるかもしれませんが、僕の意見を書きました。そして、ここまで書いた以上は書いておきたいのですが、・・・この制度の意義や実績に誇りを持ち、結果的に願いは届かなかったけれど、存続を働きかけていた総務省(旧郵政省)の良識ある職員の方が絶対に沢山いたはずだ、ということを。これは信じて疑うものではありません。

長々とすみませんでした。

ではー。



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