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源平の乱から鎌倉幕府成立から承久の乱までの歴史はほとんど高校日本史レベルの基礎知識も怪しいくらいだった(ちなみに私の受験科目は世界史と政治経済)のですが、NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見て源平の戦いだけでなく、頼朝が鎌倉に幕府を開いてから承久の乱までの関東武士団内部の血で血を洗う抗争に興味を持ち、図書館で目にすると関係する新書を読んでみるようになってきました。本郷和人さんは中世史が専門なので時流に乗ってかいろいろ本を出していて、そのうち何冊かは読んでいます。でもこの「承久の乱」は「鎌倉殿の13人」の放送前に出版されたもの。
読んでみるとこれが面白い。実録鎌倉幕府仁義なき戦いともいえるもので、まさに権謀術策と剥き出しの武力行使。もともとは伊豆の小さな地方豪族に過ぎなかった北条氏が頼朝に従い時政、義時と実権を握っていく過程は何でもありの血に塗られている抗争の連続です。ドラマを見る前に読んでおけばよかったと後悔しています。
頼朝が鎌倉幕府を開いてからも政治の実態は朝廷と東国武士政権の二元支配体制。将軍はその支持基盤である東国武士団の上にのった神輿のようなもの。平氏との抗争には血統書付きの頼朝が必要だったのですが、平氏が滅亡すれば神輿は軽い方がいい!それが証拠に二代将軍頼家も三代将軍実朝も自分の考えと力で動こうとすれば東国武士団から排除されてしまう。承久の乱で朝廷の力がそがれてしまうと源氏の血統は必要とされずにお飾りの将軍が就任するだけとなってしまう。
暮れも押し迫った12月30日。
この日は鶴舞公園テニスコートで今年最後のテニスです。
朝7時の夜明け頃は雲もほとんどなくいい天気。
予想最高気温は10度。風はあまりないみたいでテニスにはいい天気です。
年末は朝のテレビ番組が特番ばかりでいつもの朝ドラはやっていなくて、どうも朝のルーティンのリズムが狂う。この日は「虎に翼」の総集編をやっていて、このドラマ、名古屋の鶴舞公園とか市役所、市政資料館がロケ地になっていて、ドラマも面白かったのですけど知っているロケ地がテレビ画面に出てくるのも楽しみでした。
ドラマは全部見ることなく8時55分には家を出て金山から9時20分発の列車
に乗って鶴舞へ。まずはロケ地聖地巡礼で鶴舞公園の噴水塔のあたりをうろうろ。
コートに着くと早くもちょっと見小野ヤスシさんと飲めない飲むがサーブの練習をしています。1059さん、はげ親父も来て、暫くするとカバちゃんも登場。それでは早速ボレーとストロークに分かれて乱打を始めましょう。やっていると森の熊さんも登場。この日はヤッターマンがインフルエンザ感染で欠席のため7人でした。
一回りやったら一休みしてからじゃんけんして試合にします。
最初は1059さんと組んで飲めない飲む、はげ親父組と対戦。最初と言うこともないのですが、この日はなぜか私のサーブが入らない。ダブルフォールもありで1059さんの足を引っ張り、対する飲めない飲むは早出サーブの練習の成果はあまり出なかったのですが、当たり損ねの有効打は練習の成果が出て、最初の3ゲームは連取され何とか最後の1ゲームを取って、結果1:3の負け。
次の試合ははげ親父と組んでカバちゃん、1059組と対戦。この試合は3ゲームがデュースの連続という長い試合になってヘロヘロに。まさに一進一退の展開で2:2の引き分けでした。
この日の鶴舞公園テニスコートはABC3コートを20人ぐらいのグループが利用していて入れ代わり立ち代わりでビシバシ試合をしていました。
次の試合はカバちゃんと組んで1059、ちょっと見小野ヤスシさん組と対戦。ここはカバちゃんのパワーが炸裂して3:1で勝利。
最後の試合は飲めない飲むと組んで森の熊さん、はげ親父組と対戦。この頃になると疲れでパワーが激減。飲めない飲むも疲れてきたのかミスが多くなり、0:4の完敗。今年の最後を締めくくる試合結果としては最悪です。なんだかな~
ここでいつもなら打ち上げになだれ込むのですが、さすがに12月30日と言うこともあり私は次男坊が帰名してくるので直帰。はげ親父もかみさんの買い物に付き合わあなくてはいけないからと直帰。飲めない飲むも買い物に付き合わあなくてはいけなかったのですがお許しを得て、結局4人でいつもの徳鮓へ行くことになりました。
帰りに鶴舞公園を通り抜けると、入口には門松とツリーが並んでいる。
門松は歳神様を迎えるもの、ツリーはライトアップしている期間は置いてあるのでしょうけど、キリスト教とは関係ないからいいか。
この日で私は50回のテニス参加。とりあえず目標達成です。
皆さん、よいお年を、来年もよろしくお願いします。
テニスを終えて12時前にはいつもの徳鮓へ。
この日は先週飲めない飲むが大将に忘年会をやるのでと言うことを予告してあった。その際いつもより奮発してやりたいとかふぐ刺しがあるのかと聞いていたのだが、何をどう話したかは詳細は不明。それでも席に着くとおまかせということでいきなりカニが出てくる。
先週の交渉結果がよく分からないので、この日は一人1万円?とかのうわさもあってみんな財布の中身を確認…まあ、基金残高が3万円あるので今回1万円は補助すると言ってあったので何とかなるでしょう。それにしても一体どんな料理を出してくれるのか。不動産が無事売却できれば富裕層になるだろう飲めない飲むの気持ちが高揚した発注でしたが、現実にはなかなか売れないので、いざとなると弱気の発言も。
それはともかく取り合えず生ビールとお茶で乾杯。この一年御苦労さまでした。
料理は白魚のポン酢和えの後にお待ちかねのふぐ刺しが登場。
もちろん今シーズン初めて。身が締まってフグだ~、こうなるとお酒ですね。熱燗大2本。
大将が出て来てフグは昨日から準備していないといけないとひとくさり。捌いてすぐは身が硬いので一晩寝かせるのだとか。私が熟成させるということかと言うとそれはお肉、魚は寝かせるだけと素人に説教。
続いて刺身の盛り合わせ。
刺身盛り合わせも豪華です。後で大将がイカゲソの刺身を追加でもってきてくれました。丁寧に皮をむいてあってコリコリして美味しい。
どんどん出てくる料理にいくらになるのか若干不安になりつつ、それならば熱燗大をもう2本。
月曜のお昼と言うこともあってほぼ貸し切り状態なので酔っ払って声が大きくなっても大将公認で問題なし。調子に乗ってか大将はこれがフグとばかりに1尾持って見せに来てくれました。これは捌いてすぐに出せないので寝かせてから明日だす予定のものでしょうね。
〆の寿司も豪華です。
アワビや数の子、本マグロ、生エビとかあって、いや~美味しい。このお寿司でいくら?と思ってしまいますが、酒も回ってきているし、墓場までお金は持っていけないのでどんどん行こうと強気な発言も出たりして、高齢者は貯金するだけでなく使ってお金を世間に回さないと。
食べて飲んでお勘定をするとこの料理で一人税込み6600円。大将はおかみさんに原価がいくらだとか言われたと言いつつ、これぐらいでいいでしょうとのこと。お昼と言うこともあってサービスしてくれたと思います。
飲み物が5800円で計52000円。基金から1万円を補助したので1人6千円丁度でした。ACTとしては異例の豪華な忘年会になりましたが、一年の締めくくりにふさわしく満足しました。それにしても今度からはいつものアナゴとゲソと太巻きの一人3千円以内の飲み会に戻るのでしょう。
寒い日が続いています。
冬至の頃には日の出も朝7時頃で太陽が出る角度もあって、朝焼けが美しく寒さに震えながらベランダに出てしばらく見ている時がある。
太陽の光の帯が上に登っているのが分かります。これは12月22日の午前7時ごろです。
さて23日ですが、この日は空に雲がなくよく晴れています。朝焼けとしてはイマイチですけどね。
寒さ対策を万全にしてそくさくと支度をして8時50分過ぎには家を出て金山駅へ。急ぎ足で来たので早く着いて13分の高蔵寺行き
に間に合いました。この後の20分で十分でしたけどね。早く着いたので公園を散策したら噴水塔の下の池は氷が張っていました。写真では分かりにくいか。
コートに着くと早くもちょっと見小野ヤスシさんが待っている。暫くして1059さん、はげ親父、えみちゃん、飲めない飲むと到着、なぜかみんな早い集合です。それでは早速ボレーとストロークに分かれて乱打をやりますか。やりだすとすぐに森の熊さんも登用。この日は7人です。本当はヤッターマンも参加予定だったのですけど奥様が熱発したとかで急遽欠席。後で連絡があったのですが、しっかりヤッターマンも感染したみたいです。時節柄ご自愛ください。
さて一回り乱打をやると休憩して、いつものようにじゃんけんして試合
に。今回はじゃんけんは長引くことなくスッキリ決まりました。
最初の試合は森の熊さんと組んで飲めない飲む、えみちゃん組と対戦。最初の試合ということもあってか私は絶不調。サーブはダボるしチャンスボールにミスと最初のゲームは一人相撲の自滅。なぜか飲めない飲むのサーブは絶好調で、それやこれやで結果は2:2の引き分け。森の熊さんの足を引っ張りました。
次の試合はえみちゃんと組んで森の熊さん、はげ親父組と対戦。この試合では何とか調子を戻して一進一退の展開。冬の低い太陽がまぶしくてロブ攻撃に苦戦するのですが、何とか盛りかえして2:2の引き分けに。
試合は続き今度ははげ親父と組んで森の熊さん、ちょっと見小野ヤスシさん組と対戦。ちょっと見小野ヤスシさんのサーブはかなり練習の成果が出ているのですが、不確実性が高くてダブルフォールトもある。おかげで何とか勝ちきって3:1の勝利。この時点で11時15分過ぎ。この日はいつもの徳鮓で忘年会ということで早めに終わろうと次が最後の試合に。飲めない飲むと組んでえみちゃん、森の熊さん組と対戦。この試合では飲めない飲むのサーブもそろそろ疲れが出たのか不完全燃焼。おまけにどちらも取れそうな打球は大きな声でオーライと叫ぶのですが、そういう場合は気合が入りすぎているのか大抵ミスショット。オーライは相手チームが言うことでした。ということで0:4の完封負け。有終の美は飾れず、終わり悪ければ総てダメのテニスでした。
まあ、コートブラシをかけて12時前にはいつもの徳鮓で忘年会です。