怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

1月18日熱田神宮公園テニスコート

2025-01-19 20:03:41 | テニス
この日は高気圧に覆われていい天気。
風もなくて穏やかです。
しかし飲めない飲むは熱発したそうで、検査の結果インフルエンザではなかったそうですが、当然欠席。
15時スタートなので14時過ぎに家を出て気持ちがいいので少し遠回りして散歩がてら熱田神宮公園へ。15分前に管理事務所へ行って受付をしようとしたら既にはげ親父が受付を済ませていました。
管理事務所前の梅の木には早くも小さいながらも蕾が出来ています。
コートに行くと既にえみちゃん、1059さんもいてみんな早い。時間前にちょっと見小野ヤスシさんも登場しこの日は早々と5人集合となりました。
5人揃ったので早速ボレーとストロークに分かれて5人で乱打をします。
この日はいつもボールを持ってくる飲めない飲むが欠席なので、はげ親父持参のボールで一回り。でもボールの数が少ないので結構早く進みます。
日は傾いてきますが、本当に雲一つない天気で風もない。
体を動かすと厚着しているので暑いくらい。
一休みしたらじゃんけんして早速試合にしましょう。
最初はちょっと見小野ヤスシさんと組んではげ親父、えみちゃん組と対戦。ところが私は先週からの手首の痛みが未だ癒えずに痛い。手首を返すと痛みが走りサーブを打てない。結局アンダーサーブを力なく打つしかなく、いいようにやられて0:4の完敗
次の試合は1059さんと組んでちょっと見小野ヤスシさん、はげ親父組と対戦。ここでは1059さんがクールなショットを連発して最後のゲームも押し切って3:1で勝ち。この日はちょっと見小野ヤスシさんのサーブも不調の日と言うこともあったみたいですかね。
いつもながらここのコートはイレギュラーバウンドが多いのですが、特にラインが浮き上がったみたいになっていてバウンドしたらどこへ跳ねるか分からない。
もう少しコート整備をしてほしいものです。
次の試合はえみちゃんと組んでちょっと見小野ヤスシさん、1059組と対戦。バウンドが変わるのでえみちゃんはいつものロブ攻撃でなくノーバウンドで対応したのが功を奏して3:1で勝利。私は相変わらずアンダーサーブでしたが、元々対して威力のないサーブなのでそれはあまり変わりなかったみたい。
私の最後の試合ははげ親父と組んでえみちゃん、1059組と対戦。この試合は一進一退の展開でしたが、何とか最後のゲームを取って2:2の引き分けに。
ここで私は休憩となり終了。もう1試合後の4人でやって16時50分に終了。
コート整備をして帰る頃にはかなり日は傾き薄暗くなってきたので丁度いい時間でした。
しかし手首の痛みはいつまで続くのか。腱鞘炎?
月曜にまたテニスが鶴舞公園である予定なので、この日はみんな直帰します。
 
 
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2025年賀状あれこれ

2025-01-17 10:59:05 | Weblog
このところ毎年もう年賀状仕舞いでもいいのかなと思いつつ、年賀状くらい書く気力があるうちは出しておこうと数を減らしながら書いています。
今年は郵便料金が大幅に値上げになったこともあって数は大幅に絞って60枚に。今更新たに賀状を出すような人もいないので年年歳歳減る一方ですし、このところ賀状仕舞いしますと言う人も多い。今年は値上げもあって丁度いい機会と思ったのでしょう7人の人がこれで最後にしますと書き添えてありました。一応私はもう少し頑張ってみようかと思っていますけど年末になるともうやめとなるかも。
暫く前だと毎年何件か喪中はがきが来たのですが、もう私たちの親の世代はかなり高齢になるのでそれはほとんどなくなってきている。
代わりに最近は毎年賀状を出している本人の訃報をいただく。
今年も年末に1人の訃報をいただき、年明けにはまたもう一人の訃報が届いた。
年末に届いたSさんは若かりし頃よく飲みに連れて行っていただきお世話になりました。ある時はタクシーで送っていただきましたが、帰る時はSさんおなじみの運転手さんをご指名。乗ってすぐ酒屋の前で止めてビールを買い込み、車内で宴会。Sさんは運転手にも「あんたも飲め」と勧めていましたが、さすがに運転手さんは断っていました。
Nさんには係員・係長時代によくコーヒーに誘われ、いつも当たらない人事案を感心して拝聴していた記憶です。コーヒーだけでなく飲みにもよくいきましたけどね。
お二人とも一生懸命作っている私の人生のジグゾーパズルの中の大切なピースでしたが、もう無くしてしまったと思うと喪失感は大きいです。お二人ともまだ70代で平均寿命から言ってもまだまだ若い。あれこれ思い出していると心がざわつき眠れない夜となりました。
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1月12日のテニスの後は久しぶりの紫禁城

2025-01-13 17:41:34 | 介護
終わって6人でこの日は久しぶりの紫禁城へ。
月曜休みということもあって最近はご無沙汰でしたが、久し振りに行くと席の配置というか内装が変わっていました。それでもryuちゃんはいてにこやかに迎えてくれました。
それではまずは3人はビールで乾杯。今回は瓶ビールにしました。
この日は珍しくカバちゃんが来て6人なのでテーブル2つに3人づつ座ります。
ということで料理も2人前づつ。
先ずはベジタブルファーストで青菜炒め。
この場合の青菜はほうれん草と小松菜の場合があるのですが、これは小松菜。小松菜はモチ菜ともいうのですけどこれは正月の雑煮に入れる時のみの呼び名。
さらにトマトの卵炒め。
いつもながら私はトマトをよけながら頂きます。まあ、私も大人になったのでトマトを食べますけどね。
紫禁城に来ると定番の干し豆腐サラダも頼みます。
ビールはなくなったので次は何を頼もうかとなり、日本酒にします。
私と森の熊さんは純米酒の「契」、えみちゃんは「立山」にしました。因みにえみちゃんは毎晩純米大吟醸を2合飲み寝酒にウイスキーを飲んでいるとか。これは飲みすぎで保健指導の対象では。
餃子を忘れてはいけないと2人前。
これは写真を撮るのを忘れたけど1人前5個でした。
さらにクラゲとキュウリの和え物も追加。
ここでクラゲは養殖しているのか?クラゲ漁師というのは聞いたことないけどどうやって獲っているのかと議論が盛り上がる。迷惑者だったエチゼンクラゲは食用に適さないと聞いていたけど、このクラゲはどういうクラゲか?まあ、どうでもいい話題ですけどね。
ここでまだ飲み足りない森の熊さんが物欲しげなので瓶ビールを1本追加。
〆は海鮮焼きそばと五目チャーハン。
注文の時焼きそばセットを頼んで海鮮とソースにしたつもりだったのですが、いろいろ齟齬があって出てきたのは海鮮焼きそばの単品。それではと五目チャーハンを追加した次第。
お勘定は12639円。
ところでカバちゃんは800円しか持ち合わせがないとのことで端数の640円として、酒飲み3人は2500円、飲めない飲むとちょっと見小野ヤスシさんは2300円ということにしました。
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1月12日鶴舞公園テニスコートでテニス始め

2025-01-13 11:33:32 | テニス
先週雨のためテニスは中止になったので、12日が我がクラブのテニス始め。しかし週間天気予報ではこの日も雨の予報。気をもんでいるとどうやら低気圧は南を通って行き曇りですが何とか天気は持ちそう。
果たして朝起きてみると雲が厚いのですが、雨は降っていない。
日の出の時間でも全く日は差してこないけど、何とかテニスは出来そうです。
ということでいつものように8時55分に家を出て金山へ。9時20分の電車に乗って鶴舞へ行きます。
駅を出て道路を渡ろうとしたら初めて気が付いたのですが、横断のためのボタンが多国籍表示になっている。

鶴舞公園も外国人の姿をちょこちょこ見るので対応したのか。
ところで明日は成人の日で、昭和区はこの日に公会堂で二十歳の集いをするみたい。晴れ着姿の人がちらほら歩いています。

公会堂の正面に回れば晴れ着姿の成人が一杯いるのでしょうけど、わざわざ見に行くこともないか。
コートに着くと既にえみちゃんがいて、飲めない飲むにちょっと見小野ヤスシさんが程なく到着。それでは4人で軽く乱打をしようと始めたら意外に早くカバちゃんが来たので5人でボレーとストローク分かれていつもの乱打を一回りしましょう。そうこうしていると森の熊さんも来たので入ってもらいます。
天気は相変わらず曇りで、寒い。でもその分太陽がまぶしいと言うことはないのですが、じっとしていると寒い。

休憩もそこそこにじゃんけんして試合にしましょう。
最初はえみちゃんと組んで飲めない飲む・森の熊さん組と対戦でしたが、最初の2ゲームは調子よく連取。ところがそのあと私がチャンスボールを力んでオーバーさせたり、ちょろっと落とすつもりがネットを超えなかったりとミスばかり😖 でゲームを落としてしまいます。でもなんとか次のゲームを取って3:1の勝利。
次の試合はもう一度えみちゃんと組んでカバちゃん、ちょっと見小野ヤスシさん組と対戦。一進一退の展開でしたが、私のミスはまだまだ続いて最後のゲームを落として1:3という結果😨 。なんだかな~。
今度は組み替えて森の熊さんと組んでえみちゃん、カバちゃん組と対戦。この試合は何時になくいい感じで何と4:0と圧勝。森の熊さんと組むといつも相性は悪いのですけどどうしたことか。ところがこの辺りから右手首が痛くなってきてラケットを握ると痛みが走る。腱鞘炎?
そのまま次の試合になだれ込むのですが、今度も森の熊さんと組んでちょっと見小野ヤスシさん、飲めない飲む組と対戦。この試合も最初の3ゲームは圧倒したのですが、徐々に右手首の痛みが増してきて私のサーブの時には痛みでサーブが打てない。仕方ないのでアンダーハンドでサーブを打つのですがさすがにこれではポイントを取れずに落として3:1でした。
一応二回りしたので11時30分過ぎにはもういいだろうと終了。コート整備をして帰ります。
お土産ではないですが、毎度ながらえみちゃんの家庭菜園で採れた大根とニンジンを頂きました。
おでんを作る時に重宝します。
この日はいつも行く徳鮓はお休みなので久しぶりの紫禁城へ行くことに。
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酒井順子「女人京都」

2025-01-08 15:43:21 | 
京都という街に惚れてしまった酒井さん。古い都なのですが、新旧いろいろな顔を持っていて、極端に異なる層が隣接して街のあちこちに顔を出している。
平安時代から明治時代に至るまで、都の文化を支えてきた女性たちも活躍しており、その人に関わる名所旧跡も多々ある。
今回は酒井さんがそんな京都の女性たちの姿を街の中に探して案内してくれます。
勿論京都の歴史に残るスターとしては、平安王朝文化最盛期の頃の紫式部とか清少納言、和泉式部になるのですけど、最初に登場するのは光明皇后に高野新笠です。うん?高野新笠は桓武天皇の母親だからわかるけど、光明皇后は奈良時代の聖武天皇の御后、京都と何の関係がある?実は清水寺境内にある子安塔が目指す場所。光明皇后が安産祈願したとの言い伝えがある。へ~、奈良時代の頃から清水寺のあった場所は清らかな湧き水湧く地として信仰の対象だったんだ。
ここから時代順に京都に足跡を残した女性の姿を追っていくのですが、次は斎王として神に仕えた女性たち。と言っても私が知っているのは警固の武士と割りない中になった済氏女王ぐらいか。それなりにスキャンダラスな事件で春画の題材にもなっているので知っていると言うのはどうも志が低い。
もっとも平安時代の男女関係はかなり奔放で女性も貞操を守るなどと言うこととは無縁みたいでした。小野小町とか薬子・高子・伊勢などはもてたのでしょうけど様々な男女の機微を知りつくし、それを芸の道に昇華させて優れた和歌を残しています。
さていよいよ中宮彰子と紫式部の登場。当然御所の中心にいたのでしょうけど、今の京都御所は当時とは場所が違っていたとか。でも京都御苑は美しい自然が堪能でき静かで趣があって平安の世を偲ぶには最適。私が小学校の修学旅行で行った記憶では、やたら広い砂利道を歩かされて疲れてしまい何の感慨もなかったのですが、そこから60年近く生きてきた今行けば感じることができるかな。
道長は彰子のサロンを魅力あふれるものにするため紫式部を教養・文芸担当のエースとしてスカウトし当時貴重だった紙を与えて源氏物語を書かせ、さらには紫式部日記を書かせています。どうやら紫式部日記は道長に公開を前提で書くように言われていたみたいで、それならば清少納言とかへの悪口雑言は分かります。
対する清少納言は皇后定子のサロンの教養文芸担当として活躍するのですが、定子は道長によって没落していくことに。そんな中清少納言は定子とそのサロンがどんなに素晴らしかったかを枕草子で縷々述べています。政治の世界の暗闘がすぐれた文学を生み出したのでしょうか。
この後平安女流文学のスターたち、藤原道綱母、和泉式部、菅原孝標女が登場、そのゆかりの地を訪ねていくのですが、みんな石山寺に参籠しています。石山寺は昨年比叡山の帰りに参拝していますが、平安時代だと徒歩しかないし都と比べればかなり鄙びているので大変だったのでは。
ここから平安時代を終え院政の時代に移るのですが、以後の女性はよく知らない人が多くなる。
ところでこの本は連載記事をまとめたものですが、この辺りからコロナ禍が忍び寄ってくる。外出も自粛で旅行などもってのほか。実際に京都の名所旧跡を訪ねることが難しくなる。地図を見つつ脳内散歩という次第。今は便利なものでストリートヴューもあるのですけど、現場の空気に触れないと物足りない。
そんな自粛生活の間に、平安時代の女性にとっての「憧れる」とか「籠る」とか「日記を書く意味と思い」等をコロナ禍の状況に引き付けて思考を飛ばしています。
やっと旅行ができるようになると時代は鎌倉、室町、江戸へと移っていきます。日野富子、北政所、淀君とかは知っていますが、なじみのないメンバーが多くなってきます。詳しくは読んでみてください。
やっぱり京都千年の都で名を成した女性は平安時代が頂点だったですかね。
京都に何度も行ったことのある人は、この本片手にあまり知らなかった足跡を巡ってみるのもいいのでは。




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1月6日テニス始めの予定は雨

2025-01-07 14:30:05 | テニス
正月ゴロゴロするばかりでなまった体を復旧させるべく1月6日は鶴舞公園テニスコートでテニス始めの予定でした。
ところが正月の間は天気がよかったのに6日は雨の予報。低気圧が西から進んできて5日の夜には既に九州は雨。
でも低気圧の進行速度によっては午前中はいくらかできるかと淡い期待を抱いていたのですが、朝起きると雲が低く垂れこめている。

日の出の7時前の写真ですけど、太陽の気配もなし。
それでもまだ雨は降っていなかったのですけど、天気予報で雲の動きを見ると9時には雨雲に覆われている。

果たして7時30分にはポツポツと降り出してきた。
残念ですけど、これはもう中止にせざるを得ません。
こんなことなら正月3が日にでもコートを取っておけばよかったか。正月と言っても家で駅伝を見ているだけなのですから、孫の相手をしなければいけない人を除けば参加者はいたかも。何年か前には正月にコートを取ってテニスをした時もあったのですけど、あの頃はみんな元気でした。
ということで今年のテニス始めは来週になりました。
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本郷和人「承久の乱」

2025-01-03 21:07:30 | 

源平の乱から鎌倉幕府成立から承久の乱までの歴史はほとんど高校日本史レベルの基礎知識も怪しいくらいだった(ちなみに私の受験科目は世界史と政治経済)のですが、NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見て源平の戦いだけでなく、頼朝が鎌倉に幕府を開いてから承久の乱までの関東武士団内部の血で血を洗う抗争に興味を持ち、図書館で目にすると関係する新書を読んでみるようになってきました。本郷和人さんは中世史が専門なので時流に乗ってかいろいろ本を出していて、そのうち何冊かは読んでいます。でもこの「承久の乱」は「鎌倉殿の13人」の放送前に出版されたもの。

読んでみるとこれが面白い。実録鎌倉幕府仁義なき戦いともいえるもので、まさに権謀術策と剥き出しの武力行使。もともとは伊豆の小さな地方豪族に過ぎなかった北条氏が頼朝に従い時政、義時と実権を握っていく過程は何でもありの血に塗られている抗争の連続です。ドラマを見る前に読んでおけばよかったと後悔しています。

頼朝が鎌倉幕府を開いてからも政治の実態は朝廷と東国武士政権の二元支配体制。将軍はその支持基盤である東国武士団の上にのった神輿のようなもの。平氏との抗争には血統書付きの頼朝が必要だったのですが、平氏が滅亡すれば神輿は軽い方がいい!それが証拠に二代将軍頼家も三代将軍実朝も自分の考えと力で動こうとすれば東国武士団から排除されてしまう。承久の乱で朝廷の力がそがれてしまうと源氏の血統は必要とされずにお飾りの将軍が就任するだけとなってしまう。

承久の乱は日本の在り様を朝廷中心から武士の支配するものに変えるターニングポイントだったのであり、歴史の大きな転換点だったのです。その割にはあまり一般に知られておらず源平の争いの方に注目が集まっている。一つの要因は大きな転回点にもかかわらず承久の乱の戦いがあまりにも関東武士団の圧勝で大きなドラマになるような場もなく短期に終わったからなんでしょうか。
知らなかったのですが、後鳥羽上皇は決して文弱の御簾の中にいるだけの人ではなく、文武両道で経済的にも軍事的にも大きな力を持っていたそうです。
承久3年5月15日に後鳥羽上皇が北条義時追討の命令の出してから、5月22日には幕府軍は東国武士を糾合し京都に向けて進軍。因みにその際北条政子のの大演説があったと言うのは物語の世界で、政子は御家人たちの前に姿を現し話をしていないそうです。
当時の戦力としては本郷さんの推計によれば幕府軍が1万騎ぐらいで、朝廷軍が1700騎ではないかと。大軍に驚いた朝廷軍は早々に木曽川防衛ラインを放棄。関ケ原辺りで迎え撃つのが常道なんでしょうけど6月13日には京都の最終防衛ラインの近江の瀬田と山城の宇治で決戦となる。
幕府軍はこの戦いを制して京都に進軍、占拠。
後鳥羽上皇は6月15日には全面降伏ともとれる院宣をだす。追討令から1月というあまりにもあっけない敗戦なのだが、この院宣により朝廷は今後政務に口を出さず、武力を放棄することを宣言している。武士の統治する世界が名実ともに始まる訳です。
ではなぜ文武両道で大きな力を持っていたはずの後鳥羽上皇はこんなにも簡単に敗れてしまったのか。
後鳥羽上皇の敗因は第8章で分析されているのですが、動員できる武士はたまたま京都にいる武士だけで守護の支配国の武士たちを根こそぎ動員することは出来なかった。さらに上皇と武士の身分が違いすぎて、武士たちは軍事的な作戦についても上皇に直接話をすることが出来ずに朝廷の貴族を通してしか意思伝達が出来なかったと言うのは軍事戦略を練り、作戦立案するには決定的に不利になる。上皇一人が文武に優れていても軍事行動を起こすには朝廷の統治機構自体が不適だったのだが、上皇が徒に武に優れていただけに暴発してしまったと言うことか。
その後、幕府は六波羅探題を置き朝廷を監視下に置き、御成敗式目を制定し江戸時代へと続く武士の支配する時代へとなる。
承久の乱に至る朝廷と鎌倉幕府、東国武士団との凌ぎあいは、本当に知的好奇心を刺激されました。


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12月30日鶴舞公園テニスコートで納会。

2024-12-31 16:23:25 | テニス

暮れも押し迫った12月30日。

この日は鶴舞公園テニスコートで今年最後のテニスです。

朝7時の夜明け頃は雲もほとんどなくいい天気。

予想最高気温は10度。風はあまりないみたいでテニスにはいい天気です。

年末は朝のテレビ番組が特番ばかりでいつもの朝ドラはやっていなくて、どうも朝のルーティンのリズムが狂う。この日は「虎に翼」の総集編をやっていて、このドラマ、名古屋の鶴舞公園とか市役所、市政資料館がロケ地になっていて、ドラマも面白かったのですけど知っているロケ地がテレビ画面に出てくるのも楽しみでした。

ドラマは全部見ることなく8時55分には家を出て金山から9時20分発の列車に乗って鶴舞へ。まずはロケ地聖地巡礼で鶴舞公園の噴水塔のあたりをうろうろ。

コートに着くと早くもちょっと見小野ヤスシさんと飲めない飲むがサーブの練習をしています。1059さん、はげ親父も来て、暫くするとカバちゃんも登場。それでは早速ボレーとストロークに分かれて乱打を始めましょう。やっていると森の熊さんも登場。この日はヤッターマンがインフルエンザ感染で欠席のため7人でした。

一回りやったら一休みしてからじゃんけんして試合にします。

最初は1059さんと組んで飲めない飲む、はげ親父組と対戦。最初と言うこともないのですが、この日はなぜか私のサーブが入らない。ダブルフォールもありで1059さんの足を引っ張り、対する飲めない飲むは早出サーブの練習の成果はあまり出なかったのですが、当たり損ねの有効打は練習の成果が出て、最初の3ゲームは連取され何とか最後の1ゲームを取って、結果1:3の負け。

次の試合ははげ親父と組んでカバちゃん、1059組と対戦。この試合は3ゲームがデュースの連続という長い試合になってヘロヘロに。まさに一進一退の展開で2:2の引き分けでした。

この日の鶴舞公園テニスコートはABC3コートを20人ぐらいのグループが利用していて入れ代わり立ち代わりでビシバシ試合をしていました。

次の試合はカバちゃんと組んで1059、ちょっと見小野ヤスシさん組と対戦。ここはカバちゃんのパワーが炸裂して3:1で勝利。

最後の試合は飲めない飲むと組んで森の熊さん、はげ親父組と対戦。この頃になると疲れでパワーが激減。飲めない飲むも疲れてきたのかミスが多くなり、0:4の完敗。今年の最後を締めくくる試合結果としては最悪です。なんだかな~

ここでいつもなら打ち上げになだれ込むのですが、さすがに12月30日と言うこともあり私は次男坊が帰名してくるので直帰。はげ親父もかみさんの買い物に付き合わあなくてはいけないからと直帰。飲めない飲むも買い物に付き合わあなくてはいけなかったのですがお許しを得て、結局4人でいつもの徳鮓へ行くことになりました。

帰りに鶴舞公園を通り抜けると、入口には門松とツリーが並んでいる。

門松は歳神様を迎えるもの、ツリーはライトアップしている期間は置いてあるのでしょうけど、キリスト教とは関係ないからいいか。

この日で私は50回のテニス参加。とりあえず目標達成です。

皆さん、よいお年を、来年もよろしくお願いします。

 

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12月23日はいつもの徳鮓でACT忘年会

2024-12-25 21:40:23 | テニス

テニスを終えて12時前にはいつもの徳鮓へ。

この日は先週飲めない飲むが大将に忘年会をやるのでと言うことを予告してあった。その際いつもより奮発してやりたいとかふぐ刺しがあるのかと聞いていたのだが、何をどう話したかは詳細は不明。それでも席に着くとおまかせということでいきなりカニが出てくる。

先週の交渉結果がよく分からないので、この日は一人1万円?とかのうわさもあってみんな財布の中身を確認…まあ、基金残高が3万円あるので今回1万円は補助すると言ってあったので何とかなるでしょう。それにしても一体どんな料理を出してくれるのか。不動産が無事売却できれば富裕層になるだろう飲めない飲むの気持ちが高揚した発注でしたが、現実にはなかなか売れないので、いざとなると弱気の発言も。

それはともかく取り合えず生ビールとお茶で乾杯。この一年御苦労さまでした。

料理は白魚のポン酢和えの後にお待ちかねのふぐ刺しが登場。

もちろん今シーズン初めて。身が締まってフグだ~、こうなるとお酒ですね。熱燗大2本。

大将が出て来てフグは昨日から準備していないといけないとひとくさり。捌いてすぐは身が硬いので一晩寝かせるのだとか。私が熟成させるということかと言うとそれはお肉、魚は寝かせるだけと素人に説教。

続いて刺身の盛り合わせ。

刺身盛り合わせも豪華です。後で大将がイカゲソの刺身を追加でもってきてくれました。丁寧に皮をむいてあってコリコリして美味しい。

どんどん出てくる料理にいくらになるのか若干不安になりつつ、それならば熱燗大をもう2本。

月曜のお昼と言うこともあってほぼ貸し切り状態なので酔っ払って声が大きくなっても大将公認で問題なし。調子に乗ってか大将はこれがフグとばかりに1尾持って見せに来てくれました。これは捌いてすぐに出せないので寝かせてから明日だす予定のものでしょうね。

〆の寿司も豪華です。

アワビや数の子、本マグロ、生エビとかあって、いや~美味しい。このお寿司でいくら?と思ってしまいますが、酒も回ってきているし、墓場までお金は持っていけないのでどんどん行こうと強気な発言も出たりして、高齢者は貯金するだけでなく使ってお金を世間に回さないと。

食べて飲んでお勘定をするとこの料理で一人税込み6600円。大将はおかみさんに原価がいくらだとか言われたと言いつつ、これぐらいでいいでしょうとのこと。お昼と言うこともあってサービスしてくれたと思います。

飲み物が5800円で計52000円。基金から1万円を補助したので1人6千円丁度でした。ACTとしては異例の豪華な忘年会になりましたが、一年の締めくくりにふさわしく満足しました。それにしても今度からはいつものアナゴとゲソと太巻きの一人3千円以内の飲み会に戻るのでしょう。

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12月23日鶴舞公園テニスコート

2024-12-24 17:41:13 | テニス

寒い日が続いています。

冬至の頃には日の出も朝7時頃で太陽が出る角度もあって、朝焼けが美しく寒さに震えながらベランダに出てしばらく見ている時がある。

太陽の光の帯が上に登っているのが分かります。これは12月22日の午前7時ごろです。

さて23日ですが、この日は空に雲がなくよく晴れています。朝焼けとしてはイマイチですけどね。

寒さ対策を万全にしてそくさくと支度をして8時50分過ぎには家を出て金山駅へ。急ぎ足で来たので早く着いて13分の高蔵寺行きに間に合いました。この後の20分で十分でしたけどね。早く着いたので公園を散策したら噴水塔の下の池は氷が張っていました。写真では分かりにくいか。

コートに着くと早くもちょっと見小野ヤスシさんが待っている。暫くして1059さん、はげ親父、えみちゃん、飲めない飲むと到着、なぜかみんな早い集合です。それでは早速ボレーとストロークに分かれて乱打をやりますか。やりだすとすぐに森の熊さんも登用。この日は7人です。本当はヤッターマンも参加予定だったのですけど奥様が熱発したとかで急遽欠席。後で連絡があったのですが、しっかりヤッターマンも感染したみたいです。時節柄ご自愛ください。

さて一回り乱打をやると休憩して、いつものようにじゃんけんして試合に。今回はじゃんけんは長引くことなくスッキリ決まりました。

最初の試合は森の熊さんと組んで飲めない飲む、えみちゃん組と対戦。最初の試合ということもあってか私は絶不調。サーブはダボるしチャンスボールにミスと最初のゲームは一人相撲の自滅。なぜか飲めない飲むのサーブは絶好調で、それやこれやで結果は2:2の引き分け。森の熊さんの足を引っ張りました。

次の試合はえみちゃんと組んで森の熊さん、はげ親父組と対戦。この試合では何とか調子を戻して一進一退の展開。冬の低い太陽がまぶしくてロブ攻撃に苦戦するのですが、何とか盛りかえして2:2の引き分けに。

試合は続き今度ははげ親父と組んで森の熊さん、ちょっと見小野ヤスシさん組と対戦。ちょっと見小野ヤスシさんのサーブはかなり練習の成果が出ているのですが、不確実性が高くてダブルフォールトもある。おかげで何とか勝ちきって3:1の勝利。この時点で11時15分過ぎ。この日はいつもの徳鮓で忘年会ということで早めに終わろうと次が最後の試合に。飲めない飲むと組んでえみちゃん、森の熊さん組と対戦。この試合では飲めない飲むのサーブもそろそろ疲れが出たのか不完全燃焼。おまけにどちらも取れそうな打球は大きな声でオーライと叫ぶのですが、そういう場合は気合が入りすぎているのか大抵ミスショット。オーライは相手チームが言うことでした。ということで0:4の完封負け。有終の美は飾れず、終わり悪ければ総てダメのテニスでした。

まあ、コートブラシをかけて12時前にはいつもの徳鮓で忘年会です。

 

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