いや~、笑いました。
新書本で200ページばかりの本ですが、笑いながらあっという間に読んでしまいました。

昆虫マニアで、趣味が高じて自宅に電子顕微鏡まで買いこんだ養老先生。イラストレーターで67歳(2016年現在)と高齢者となった南伸坊の二人による歳をとるということ周辺をテーマにした対談です。まあ、ほとんどが養老先生の独演会で南伸坊がうまく話しの合いの手を入れつつ引き出している感じです。
自分も今年2月でいよいよ高齢者となるので、身につまされるというか、そういうことだろうと思う次第。
ところで全く関係ないのですが、お二人とも、猫派。養老先生曰く「ぼくはもう猫のいいなりですよ!「」
飼っている猫についてからいろいろと話が弾むのを読むとこちらまで飼ってみたくなります。
猫は社会性動物ではなくて、人間が親代わりになることで、猫はいつも一人でいるようになった。人間が親として飼うようになって親離れしないようにしてきた。いつまでも人間が親で、猫は子どもでいる。だから可愛いんです。これは養老先生の卓見です。
まあ、全体に養老先生のお話が爆裂する感じ。
健康診断は行かない。健康診断は受けても受けなくても平均寿命は変わらないという調査結果だそうです。血圧はと聞かれると「ありません」と答えている。何でかというと「測っていないんだもん」
余命宣告は死者の責任が問われると困るのでだんだん短く言うようになっている。先日放射線科の医師が「今に明日って言うようになります」って。
養老先生は虫マニアですが、何が嫌いってゲジゲジが一番嫌い。クモもダメみたいです。私たちから見ると虫という範疇なんですけどね。そう言えば北杜夫もクモが嫌いって言ってました。
解剖学者の知識から医学的なこともいろいろ言うのですが、内臓の痛みというのは脳の中にきちんと場所がないので、心筋梗塞とか狭心症の痛みは左肩から左腕に放散する。胸が痛いなんて言っているのは、心臓が痛いんじゃない。十二指腸胃潰瘍は痛くなる場所が決まっていて、小野寺の圧痛点とか言う背中とか。胸痛で一番多いのは肋間神経痛。あまり心臓とは関係ない。痛みを感じることと痛みが苦痛だということは別。痛みを苦痛ととする脳の部位は、脳の中の「前帯状回」ていう場所で、そこを麻酔してやると痛みははっきりわかるけど苦痛ではなくなるとか。
「一億総活躍社会」などというが、誰かが活躍したら誰かが突き飛ばされます。世のため人のためって無駄に動き回る人がいっぱいいる。普通のその人が活きる社会、同じスローガンなら「一億総じっとしている社会」の方がしっくりくる。う~ん、青臭いけど「人生とはなにか」「社会とは何か」ということを考え直さないといけないのか。
老人が何で結構お金を持っているのかっていうと、「いざていうときのため」と言うのだけど、「いざ」ってあなた、死ぬだけだろうって。これは激しく同意。「ああなったらどうしよう、こうなったらどうしよう」って全部先送りして、生きそびれているのでは。寿命が伸びたから幸せになったのかということです。
終活などと言われているけど、死んだ人が、生きてる人にあれこれ指図するなんて生きてるうちにちゃんとしていない証拠。生きてるうちにやることやっているんだから、死んだ後まで面倒見させられたら、たまったものじゃない。養老先生、遺言はしないと啖呵を切って言います。死んだ後のことは生きてる人に任そうと。因みに膨大な虫の標本は虫好きの専門家に渡すことになっているとか。
介護ってひとくくりで言っても、みんな全然状況が違うから「こうじゃなければならない」ってない。「距離感がある」ということは大事です。適切な距離をとるっていうのは、年をとったら知っていなきゃいけないことでしょう。家族だって近すぎてはいけないんですよ。その距離感を取るのが結構難しんですよね。
子どもに抗生物質をやると細菌叢が変化する。おかげで何が起こったというと自己免疫疾患です。花粉症から始まって喘息、Ⅰ型糖尿病、自閉症。これらは養老先生が学生の頃は全くなかった。これは寄生虫の研究で有名な藤田先生に言わせればあまりにも清潔になりすぎたからなんですけど、どこかつながった議論かも…
ものの見方は一本足では考えると危ないので複数の物の見方を持っていないと。複眼で考えなさい。河合隼雄先生なら「さて、ふたつよいことはないものよ」と言うんですよね。
趣味というのは、世の中の役に立たないもの。それでいいんです。修行と同じ。修行というのは自分を完成させるための作業。一番いいのは比叡山の千日回峰。あんなものやったって誰も儲かりません。GDPが増えるわけでもない。だけど何が残るかって、「本人」が残るのです。それが「作品」ということです。う~ん、そういわれると身もふたもない気がしますが、妙に説得力もあります。
こんな具合で笑いながら老人の心構えができる本です。
新書本で200ページばかりの本ですが、笑いながらあっという間に読んでしまいました。

昆虫マニアで、趣味が高じて自宅に電子顕微鏡まで買いこんだ養老先生。イラストレーターで67歳(2016年現在)と高齢者となった南伸坊の二人による歳をとるということ周辺をテーマにした対談です。まあ、ほとんどが養老先生の独演会で南伸坊がうまく話しの合いの手を入れつつ引き出している感じです。
自分も今年2月でいよいよ高齢者となるので、身につまされるというか、そういうことだろうと思う次第。
ところで全く関係ないのですが、お二人とも、猫派。養老先生曰く「ぼくはもう猫のいいなりですよ!「」
飼っている猫についてからいろいろと話が弾むのを読むとこちらまで飼ってみたくなります。
猫は社会性動物ではなくて、人間が親代わりになることで、猫はいつも一人でいるようになった。人間が親として飼うようになって親離れしないようにしてきた。いつまでも人間が親で、猫は子どもでいる。だから可愛いんです。これは養老先生の卓見です。
まあ、全体に養老先生のお話が爆裂する感じ。
健康診断は行かない。健康診断は受けても受けなくても平均寿命は変わらないという調査結果だそうです。血圧はと聞かれると「ありません」と答えている。何でかというと「測っていないんだもん」
余命宣告は死者の責任が問われると困るのでだんだん短く言うようになっている。先日放射線科の医師が「今に明日って言うようになります」って。
養老先生は虫マニアですが、何が嫌いってゲジゲジが一番嫌い。クモもダメみたいです。私たちから見ると虫という範疇なんですけどね。そう言えば北杜夫もクモが嫌いって言ってました。
解剖学者の知識から医学的なこともいろいろ言うのですが、内臓の痛みというのは脳の中にきちんと場所がないので、心筋梗塞とか狭心症の痛みは左肩から左腕に放散する。胸が痛いなんて言っているのは、心臓が痛いんじゃない。十二指腸胃潰瘍は痛くなる場所が決まっていて、小野寺の圧痛点とか言う背中とか。胸痛で一番多いのは肋間神経痛。あまり心臓とは関係ない。痛みを感じることと痛みが苦痛だということは別。痛みを苦痛ととする脳の部位は、脳の中の「前帯状回」ていう場所で、そこを麻酔してやると痛みははっきりわかるけど苦痛ではなくなるとか。
「一億総活躍社会」などというが、誰かが活躍したら誰かが突き飛ばされます。世のため人のためって無駄に動き回る人がいっぱいいる。普通のその人が活きる社会、同じスローガンなら「一億総じっとしている社会」の方がしっくりくる。う~ん、青臭いけど「人生とはなにか」「社会とは何か」ということを考え直さないといけないのか。
老人が何で結構お金を持っているのかっていうと、「いざていうときのため」と言うのだけど、「いざ」ってあなた、死ぬだけだろうって。これは激しく同意。「ああなったらどうしよう、こうなったらどうしよう」って全部先送りして、生きそびれているのでは。寿命が伸びたから幸せになったのかということです。
終活などと言われているけど、死んだ人が、生きてる人にあれこれ指図するなんて生きてるうちにちゃんとしていない証拠。生きてるうちにやることやっているんだから、死んだ後まで面倒見させられたら、たまったものじゃない。養老先生、遺言はしないと啖呵を切って言います。死んだ後のことは生きてる人に任そうと。因みに膨大な虫の標本は虫好きの専門家に渡すことになっているとか。
介護ってひとくくりで言っても、みんな全然状況が違うから「こうじゃなければならない」ってない。「距離感がある」ということは大事です。適切な距離をとるっていうのは、年をとったら知っていなきゃいけないことでしょう。家族だって近すぎてはいけないんですよ。その距離感を取るのが結構難しんですよね。
子どもに抗生物質をやると細菌叢が変化する。おかげで何が起こったというと自己免疫疾患です。花粉症から始まって喘息、Ⅰ型糖尿病、自閉症。これらは養老先生が学生の頃は全くなかった。これは寄生虫の研究で有名な藤田先生に言わせればあまりにも清潔になりすぎたからなんですけど、どこかつながった議論かも…
ものの見方は一本足では考えると危ないので複数の物の見方を持っていないと。複眼で考えなさい。河合隼雄先生なら「さて、ふたつよいことはないものよ」と言うんですよね。
趣味というのは、世の中の役に立たないもの。それでいいんです。修行と同じ。修行というのは自分を完成させるための作業。一番いいのは比叡山の千日回峰。あんなものやったって誰も儲かりません。GDPが増えるわけでもない。だけど何が残るかって、「本人」が残るのです。それが「作品」ということです。う~ん、そういわれると身もふたもない気がしますが、妙に説得力もあります。
こんな具合で笑いながら老人の心構えができる本です。