怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

「名古屋円頓寺商店街の奇跡」山口あゆみ

2019-01-03 10:23:46 | 
その昔、佐藤B作が司会をする「とB作のカラオケ一番街」(違っているかもしれませんがこんな番組名でした)という番組があって、雁道商店街と円頓寺商店街が対抗でカラオケ合戦をするというときがあった。私の友人も雁道商店街を代表して出演したのだが、その頃は、雁道商店街も円頓寺商店街も斜陽で勢いが衰えていた商店街だった。
ところが今その円頓寺商店街が奇跡の復活を遂げ、こうして新書にまでなっている。

これは読むしかないでしょう。
円頓寺商店街も一時は時代の波に取り残されシャッター商店街となっていた。とにかく商店街を人が歩いていない。
でもそこに大曽根出身でひょんなことから三味線と長唄のお師匠さんに弟子入りすることになって、円頓寺商店街に通い続けることになり、この寂れた商店街を何とかできないかと活動し出すキーマンがいた。その人は建築家の市原正人さん。
商店街に人通りがなくても、食事に行こうとしたり飲みに行こうとするとどこの店も結構お客がいっぱい。それなら繁盛する店を増やしていいけたら商店街に人が戻ってくるはず。その思いで仲間を募り円頓寺界隈を盛り上げようというプロジェクトを作る。さらに2007年にはみんなで円頓寺界隈を盛り上げようと「那古野下町衆」というボランティアグループを作って活動していく。
やがて活性化を妨げている最大の原因は空き店舗の増加と痛感。新規に開店する店はさっぱりなく店主の高齢化とともに店を閉め、古い店舗が取り壊されていく。
そこで市原がリーダーになって「空き店舗対策チーム」ができる。試行錯誤の末「ここに来ないと出会えないもの、味、空間、人を備えた店」を誘致するために勝手に青写真を描いて、空き店舗の所有者のところに行って半分押し売りのように貸してくれと話しに行く。こういう魅力ある店がここにできると、街も変わってくるとビジョンを語る。もちろんそこでは商店街の役員さんたちの人脈と口添えも大切なのだが、そうやって突破口を開いて行った。
因みに最初の一軒目は2010年に成立した市原自身の店。自身も商店街の一員としてリスクを負って一緒に再生の努力をしようとしたのです。このパワーというか思い入れはすごい。ボランティアで始め云われなき中傷も受けた中で、ここまでのめり込みくじけない根性は並大抵ではない。街づくりは「バカ者」「よそ者」「若者」が活躍しなければうまくいかないと言われたりするが、「よそ者」と「バカ者」を一人で担っている。
ところでその店は実質市原の奥様の経営する「ギャルリーペン」でエッジの効いたセレクトショップ。メディアに取り上げられるようにプレスリリースして取材を依頼した。同時にスペイン食堂「バルドゥフィ」も誘致したのだが、どちらも話題作りに成功して、繁盛店になっていく。遠くからのお客やリピータが来て円頓寺商店街自身も見直されていく。
この成功体験が後押しして、空き店舗、空き家のマッチングも進みだし、年間2~3件の新規開店ができるようになってくる。中でも一番の出色は川伊藤家の歴史的建造物である大きな古い蔵をリノベーションしたもの。あの「空」でおなじみの関谷酒造の経営するSAKE BAR「圓谷」。今では予約が取れにくい店として有名ですが、この話を伊藤家に持って行った時は本当に恐る恐るだったとか。でも案に相違して伊藤家は「こういう提案をずっと待っていたんです」という返事。古い建物をうまく活かしたかったんですよね。
うまく動き出すとどんどんいい循環が生まれていきます。アーケードに太陽光発電も乗っけて改修費をねん出していくとか伝統の七夕祭りの他にパリ祭を行うとか、いずれもうまくいっています。まあ、なんで円頓寺でパリ祭かとは今でも思っていますけど。
途中経過は読んでいただくことにして、空き家・空き店舗再生プロジェクトで生まれた店は10年で26店。閉店した店は2軒だけ。残っている店はどれも繁盛店になっている。空き店舗の賃料は倍以上になっている。新規出店希望者も多いみたい。名古屋の3大商店街言われていた円頓寺商店街は見事に復活しました。現場ではいろいろな不平不満とか葛藤とか試行錯誤はあったと思いますが、総じてうまくいっている時はすべてを飲み込んでしまって顕在化しなくなっているのでしょう。
ところで私の地元の雁道商店街というともはや末期的状況。何とか営業している店は20軒足らず。人通りはないけど店に入れば満員という店もない。シャッター商店街から駐車場商店街になってきている。昔は近隣に工場が多くて、工員さんたちやらが飲んで食べてだけでなく、職住接近で家族も近くに住んでいたので毎日の買い物にも来るので人通りが絶えなかったのに、工場が移転し、郊外に引っ越す人が多くて地元には高齢者しか残っていないという状況では如何ともしがたい。愛着はあるのですが、地理的条件も厳しいので繁盛店は出てこないでしょうかね。と、できない理由ばかり考えていては一歩も進まないのですけど…どうしたもんじゃろな~
結局家業を三代目でつぶしてしまった身としては苦い思いと共にいろいろと考えさせられてかつ読み物としても面白いのでお勧めです。
ところで一緒に写っている「こわいもの知らずの病理学講座」は三分の一ぐらいは雑談的な話ですが、それが魅力。でも結構専門的な話を分かりやすく解説しています。ちなみに今年ノーベル賞を受賞した本庶先生は著者の京大時代の指導教官で近いうちのノーベル賞受賞を予言していました。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする