怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

養老孟司「遺言。」

2023-08-19 15:11:43 | 
何でもこの本は養老先生が奥様に付き合って半月ほど船旅をしたのですが、船旅中はある意味ある意味軟禁状態でどこへも行けないので集中して本を読むいい機会なのだが、この機会に本でも書いてみる気になったとか。実は「バカの壁」以降は先生が色々話してそれを編集者がまとめると言う執筆スタイルだったそうで、自分で書くのは久しぶりとか。
と言うことで出来たのがこの本。

そこは養老先生のことですから遺言というには、内容がちょっと難しい。
感覚器に与えられた第1次印象を「感覚所与」というのですが、動物はこの感覚所与を使って生きている。ところが人間の意識は、多くの場合この感覚所与を直ちに意味に変換してしまう。意味のない感覚署は無視してしまう。感覚所与を意味のあるものに限定し、最小限にして世界を意味で満たすのが人の世界、文明の世界、都会社会。
最初に絶対音感について書いてあるのですが、聴覚の仕組みから見ると人間も動物も絶対音感を持っているはず。だが人間は意味のある音だけを抜き出し、多くはノイズとしてしまう。絶対音感は訓練して掴むものではなく、絶対音感がある人は消えなかったということ。絶対音感があると言う人は動物に近い文明化していない人?
養老先生によると人類社会は「イコール」からはじまると言うのですが、感覚所与を優先する動物にはこの「イコール」が分からない。人は意識の中に「同じ」という機能を獲得したのだが、それが「言葉」「お金」「民主主義」などを生み出している。う~ん、結論だけ書いているとなんのこっちゃとなるのですが、そこを分かるように縷々述べてありますので、私に拙い要約ではなくて自分で読んで納得していただく方がいいと思います。
ここらあたりから専門的な説明が入ってきて、分かったような気にはなるのですが文系脳でだいぶスカスカになってきている私には80歳を超えた養老先生について行くのがやっと。
余話としてでしょうけど、意識の有無について基本的に主体性がなく身体任せ。意識のスイッチは意識が入れるのではないので、身体系のスイッチとずれることがある。金縛りは意識が目覚めたのに身体系のスイッチが入らなくて体が動かないとなること。臨死体験は一応意識のスイッチが入っているのだけど、意識自体はまだ完全な覚醒に至っていないので状態で、こういう体験する人は意識が戻るタイミングが普通の人とはずれている。
しかし、覚醒している脳と寝ている間の脳とは消費エネルギーはほとんど変わらない。では脳は何をしているのか?
実は意識とは秩序活動であり、熱力学の第2法則にしたがい、秩序の発生に伴い無秩序が発生する。その無秩序を解消するために意識という秩序活動がない寝ている間に脳はエネルギーを消費する。
因みに熱力学の第2法則は高校の物理では教えないそうで、学校は秩序正しい限定された空間だから教えないと言うと?
しかし秩序は限定された空間でしか成立しないのであり、文明とは秩序であり、それを大規模に作れば自然には無秩序が増える。それを自然破壊と呼ぶとなると自然との共生などというSDGsついては考えさせられる。
ここからアートについてデジタル化、情報について論は進んでいくのですけど、どうも遺言という割には養老先生まだまだいろいろ言いたいことがあるみたいです。本人もまだ死ぬ予定はなくて、これは遺言1になるかもと書いていますが、続編があるのならまた長い船旅にでも出かけて早く書いてください。
一緒に写っているのは本郷和人「変わる日本史の通説と教科書」。私たちが日本史で教えられ通説と思っていることは新たな資料の発見とかもあって今やかなり否定されて、教科書の内容も変わっています。ただそのあたりのことは歴史番組などでも結構紹介されていますので初耳という訳ではない。こうして網羅的に論じてあるものはなかったんでしょうけど、読んで見て目から鱗と言うことはあまりなかったですね。
ただ高校の日本史の教科書、授業が面白くないと言うのは、「日本史」が暗記科目で、物語としての歴史は教科書には無駄となるから。その原因は大学入試にあると言う指摘は鋭いのですが、東京大学の教授である本郷先生が言うのならまず東大の受験を変えてほしいものです。なかなか変えられないので日本史を受験科目から外せと提言しているのですが、それはそれで賛否両論あるのは必定。難しいものです。
コメント
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