く~にゃん雑記帳

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<大和文華館> 特別企画展「海を越える美術」

2013年08月05日 | 美術

【異文化交流の中で生まれた絵画・ガラス工芸品など57点】

 大和文華館(奈良市)で特別企画展「海を越える美術―日本をとりまくアジアとヨーロッパ」が開かれている。特別出展の神戸市立博物館蔵も含め絵画やガラス工芸品など57点を展示、鎖国下の江戸時代に日本の画家が西洋や中国の新画法をいかに学び作品に取り入れていったのかを系統立てて示している。18日まで。

 会場に入ってすぐ右手に石川大浪の「西洋婦人像」と弟・石川孟高の「少女愛猫図」が並ぶ。石川兄弟は江戸後期に活躍した洋風画家で、西洋画法を習得しようと銅版画を模写した。「少女愛猫図」の原画は英国の女流画家、キャサリン・リードの作品と判明している。その銅版画がオランダ船で長崎に持ち込まれ、遠路江戸まで運ばれたのだろう。

         

 宋紫石の「ライオン図」(1768年、写真㊧=一部)は蘭学者・平賀源内が秘蔵していた「動物図譜」(ヤン・ヨンストン著)に基づく。源内は1768年、日本人がまだ見たことがない世界中の動物を集めたこの図譜を、家財を売り払ってまで入手したという。宋はこの書で洋画法の研究を重ねた。ただ本物のライオンが日本にやって来るのはその約100年後。この絵もたてがみが馬のように長くライオンというより唐獅子のようにも見える。

 「翠柳芙蓉白鷺小禽図」(1765年、写真㊨)を描いた江戸の画家・諸葛監の名は1748年に来日した中国人画家・諸葛晋に由来する。だが中国人画家に師事したという記録はなく、自ら収集した古画の模写を通して独学で中国画を習得した。そばには新しい館蔵品として中国・清時代の花鳥画家・余筆と伝わる「桐下遊兎図」が展示されている。

   

 司馬好漢の「七里ケ浜図」(写真㊤)は近景に波打ち際の2人の人物、中景に江ノ島、遠景に富士山を配す。絵師と同時に蘭学者として平賀源内と交流があった好漢は一時、源内の紹介で宋紫石の門下に入っていたという。亜欧堂田善の「駿河湾富士遠望図」も西洋画から取り入れた遠近表現で描かれた作品。亜欧堂は最初、司馬好漢に入門したが、破門されたため独自に西洋銅版画を研究した。亜欧堂は陸奥白河藩主松平定信(8代将軍徳川吉宗の孫)が名付け親らしいが、その雅号にも当時の絵師たちの外の世界への憧れが垣間見える。

 このほか江戸時代、海外への重要な窓口だった琉球の絵画として、山口宗季の「花鳥図」(1715年)や座間味庸昌の「船上武人図」、丸山応挙に学んだ森徹山の「書中芙蓉峰図」なども展示されている。参考出陳の「合衆国伯理璽天徳書翰和解(ぶれじでんとしょかんわげ)」も目を引いた。1853年浦賀に来航したペリーが持参したフィルモア米大統領の親書を翻訳したもので、諸大名の意見を聞くために配布したという。

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