く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<大阪大学21世紀懐徳堂塾> 「おださくが歩いた大阪」トークサロン

2013年08月11日 | メモ

【大阪庶民を描き続けた作家・織田作之助の生誕100周年で】

 代表作「夫婦善哉」などで大阪の庶民を生き生きと描き続けた作家、織田作之助(1913~47)。今年はちょうど生誕100周年に当たる。その節目に合わせNHKは今月24日から土曜ドラマ「夫婦善哉」(全4回)を放映し、今秋には大阪歴史博物館で企画展「織田作之助と大大阪」も開かれる。〝オダサク〟の愛称で親しまれてきた人気作家だけに、大阪・中之島で10日開かれた大阪大学21世紀懐徳堂塾(OSAKAN CAFE)の「おださくが歩いた大阪」トークサロンにも、予定のほぼ2倍120人のオダサクファンが詰め掛けた。

 

 トークサロンのゲストは4人。オダサク倶楽部副代表の高橋俊郎氏(大阪市立中央図書館副館長)、NHKの「夫婦善哉」制作担当ディレクターの安達もじり氏、大阪大学大学院文学研究科教授の出原隆俊氏、大阪大学総合学術博物館館長の橋爪節也氏。オダサクが生まれ育ち、作品にも登場する大阪の下町などについて、映像や地図も交えながら3時間にわたって熱いトークを繰り広げた。

 NHKの「夫婦善哉」は夫婦を演じる主演の森山未來と尾野真千子も出席して、このほど完成披露試写会が行われたばかり。演出に当たった安達氏は「大正~昭和初期の大大阪とはどんな所だったのか、作品に多く登場する地名が今のどこで、どのような人々が暮らしていたのかを詳しく聞いたり調べたりした」。ドラマの中では「エネルギーの固まりのような、ごちゃまぜでにぎやかな町を再現した」そうだ。

 時代考証についてはゲストでもある橋爪氏から当時の時代について詳細に教えてもらい、アイデアももらったという。その橋爪氏はトークの中で「もう少し長生きしていたら、大阪がもっとおもしろくなっていたと思う人が3人いる」として、オダサク(享年33)と作曲家・指揮者の貴志康一(享年28)、洋画家の佐伯祐三(享年30)を挙げた。

 橋爪氏は「『夫婦善哉』は船場外しの物語といえるのではないか」という。船場を舞台にした小説には谷崎潤一郎の「細雪」や山崎豊子の3部作「暖簾」「花のれん」「ぼんち」などがある。その多くが船場商家の厳しい家族制度や風習などを描いた。

 一方、下町長屋育ちのオダサクは「そうした厳しい規律や権威に満ちた船場を外し、(庶民的な)道頓堀の南側を舞台に描いた。オダサクを歩くということはミナミを歩くということ」と話す。オダサクにも芸者の子で「船場の嬢(いと)はん」として育った母と娘を描いた連作「女の橋」「船場の娘」「大阪の女」がある。ただ、この3つの作品では「(船場ではなくて)道頓堀に架かる太左衛門橋が重要な役割を果たす」。

 オダサク倶楽部の高橋氏も「オダサクは自分の足跡に応じて作品を書いた。船場が抜け落ちているのは意識的に外したからだろう」と話す。「女の橋」の書き出しは電話での船場言葉による会話から始まり、連作の中には船場の「旧弊」や「古い因習」といった表現がしばしば出てくる。「(これらの作品を通じ)船場にチャレンジしたのかなとも思う」「終戦を機に自分(の周りのこと)を中心に追求して書いてきたことを転換したかったのではないか」。

 さらに高橋氏は「阿部定事件を取り上げた『妖婦』には江戸弁が出てくる。〝いざ東京〟というところで亡くなったのがオダサクにとっての悲劇。もう少し長生きしていたら、大阪から抜け出た作品が生まれていたかもしれない」と話す。一方で「亡くなって66年。オダサク作品が息長く生き残っているのは、やはり大阪へのこだわりがあったからだろう」とも指摘した。

 会場にはオダサクゆかりの地100カ所が示された巨大な「大阪逍遥地図」や、NHK「夫婦善哉」の写真パネルが展示されていた。トークの合間に橋爪氏が披露した当時の「いづもや」や「花月」、カフェなどのチラシは、奇抜な宣伝文句やイラストに会場に笑いが広がった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする