【白花の「オトコエシ」より優しい花姿。粟花・オミナメシとも】
沖縄を除く日本全土のほか朝鮮半島、中国にも自生する。7月頃から秋にかけて、細い茎の先に粟粒のような黄色の小花をたくさん付けて風にそよぐ。そのため「粟花」という別名がある。粟ご飯の連想から「オミナメシ」とも呼ばれ、転じてオミナエシになったともいわれる。自生地は次第に減少してきたが、今でも盆花として仏前に供える地方も多い。
花姿がよく似た近縁種に草丈が大きめの「オトコエシ(男郎花)」がある。花は白で、その白花を白米のご飯に例えて「オトコメシ」や「白粟花」とも呼ばれる。「オトコオミナエシ」はオミナエシとオトコエシが自然交配した雑種で、花色は中間の淡黄色。高山性のハクサンオミナエシや矮性のタマガワオミナエシ、ハヤサキオミナエシ、フイリオミナエシなどもある。
オミナエシは万葉の時代からその優しい花姿が好まれ、和歌にも詠まれてきた。万葉集に14首、古今和歌集には17首。万葉集ではオミナエシに「佳人部為」「娘部思」「乎美奈弊之」などの漢字が充てられている。「手に取れば袖さへにほふをみなへし この白露に散らまく惜しも」(作者不詳)。このオミナエシの原文は「美人部師」。秋の七草を詠んだ山上憶良は「姫部志」の字を充てている。貴族の美しい女性を指す女郎から「女郎花」と書かれるようになったのは平安時代以降という。
京都府八幡市の「松花堂庭園」に「女郎花塚」がある。平安時代の初め、男山の麓に住む小野頼風という男と深い仲にあった都の女が、心移りした男を恨み悲しんで川に身を投げる。後に女の脱ぎ捨てた衣が朽ちて、そこからオミナエシが咲いた。その花を見て自責の念に駆られた男も後を追う。哀れんだ村人は女塚と男塚を立てた――。女塚がこの庭園に残るもので、男塚(頼風塚)は市内の別の所に立つ。この悲話を基にした謡曲が「女郎花(おみなめし)」。ちなみに松花堂庭園の地名は「八幡市八幡女郎花(やわたおみなえし)」となっている。