kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

不合理、不条理に慣れてしまうのが戦争 日常にその芽はある  「ドンバス」 

2022-06-08 | 映画

 戦争の不合理、不条理が語られることは多い。しかし、そもそも合理的な戦争、条理にかなった戦争などあるものだろうか。本作を見た第一の感想だ。そして、その不合理、不条理の被害を受けるのは戦争を開始し、指揮する指導層とは一番遠い存在の市井の市民、末端兵士などだ。

 本作とその後のロシアのウクライナ侵攻をめぐる情勢−姿勢と言った方がいいかもしれない−から、ロシアでは上映が禁止され、自身はプーチン非難をしないヨーロッパ映画アカデミーに抗議し、一方ロシア映画をボイコットせよとウクライナ映画アカデミーを批判したため除名されたその人こそ、監督のセルゲイ・ロズニツァである。

 ロズニツァ監督はこれまで数々の優れたドキュメンタリー作品を制作している。だから本作もリアルと見紛うが、完全な劇映画である。戦争の不合理、不条理は、例えば戦火を逃れ、ジメジメした地下で不衛生、不健康な生活を余儀なくされる住民に、ウクライナ軍の末端兵士が親ロシア軍兵士に捕らえられ、晒し者にされるが、その兵士を辱め、苛烈な暴力をふるい、そして「殺せ」と騒ぎ立てる親ロシア住民に見るころができる。そしてその暴力的な若者は結婚式では明るく祝う姿が。さらに、政治に距離を置きビジネスに勤しむ男は、ビジネスに不可欠の車を親ロシア軍に接収され、「車を軍に委任します」と書けと脅かされる。その上で法外な金銭を要求される。これでもかと描かれる不合理、不条理の連続にげんなりする私たちを欺くかのように、最初と最後に登場する被災者アクターたち。親ロシア勢力の宣伝のために、地域住民を装ったアクターに「(ウクライナ軍の砲撃で)人が死にました。本当に怖いです」と語らせる。ところが、アクターら全員と、軍との連絡役の人間まで、射殺する兵士。その現場に急行したのは警察や救急と共にテレビメディアであった。そう、全てやらせだったのだ。そうすると、途中の地下の避難住民も、うち殴られるウクライナ兵士も、全てやらせかと勘繰ってしまう。その証拠に、最初から最後まで当時人物は少しづつ、つながりがあり、全て一連の輪の中に収まってしまう、ある意味壮大なメタ構造を有しているのが本作のキモだ。

 これは戦争の本質、つまり、始まってしまえばどんどん誰が本当の責任者か、誰を追及すれば正当であるのか分からなくなってしまうという、終わりが見えない果てしない戦争の本質を表していると言えよう。そして、その責任追求の矛先の不明さとパラレルにあるのが、住民、兵士らを取り巻く不合理、不条理の連続だ。例えば、車を奪われるくらいの不条理は、命を落とすことに比べればマシに思えてくるし、あまりにも不合理、不条理が蔓延していて、戦争そのものへの反戦、厭戦感も麻痺してしまうかのようだ。そういう目で見ると、安倍政権以降何重にも、何度も重ねられてきた不合理、不条理−国会招集を怠ったり、モリ・カケ・サクラ、日本学術会議任命拒否などいくらでもある−は全て、この不合理、不条理に国民を馴致させるためであったのか、戦争準備だったのかと合点がいく。ロシアのウクライナ侵攻で「核共有」「敵基地攻撃」「憲法9条改正」と、好戦派が勢いを増している現在の姿がその証だ。

 ロズニツァ監督は自分をコスモポリタン(地球市民)であるとする。国境なきところに国境を超えた戦争など存在しない。そんな夢想を嘲笑うがの如く、あらゆる不合理、不条理に直面し、人間のいやらしさ、悲しさ、愚かさ、非道さをこれでもかと見せつける本作は劇映画であるゆえにとてつもなくリアルである。

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教室の後ろに戦争が立っていた  「教育と愛国」

2022-05-18 | 映画

映画のパンフレットでは斎藤美奈子が「迂闊だった‥」「1990年代後半から歴史修正主義が台頭し、戦後の敵視認識がズタズタにされた時代」を「注視してきたつもりだった」のに「甘かった」と後悔の念を吐露している。

教育現場では、日教組が強かったり、部落解放教育が盛んだったりとの背景に「日の丸」「君が代」強制に抵抗する教職員を狙い撃ちにするべく攻撃が苛烈だったのは、福岡や広島、そして大阪、東京であった。広島県立世羅高校の校長が現場での「日の丸」「君が代」反対が多いのを、教育委員会からなんとかしろと苛烈に責め立てられ自死した事件(2月)によって一気に「国旗国歌法」が成立した(8月)1999年がメルクマールとされる。そして、東京都の「10.23通達」が2003年、労働組合や公務員を敵視する橋下徹大阪府知事の誕生が2008年。第1次安倍晋三内閣は教育基本法に愛国心条項を入れ(2006年)、第2次安倍政権では道徳の教科化(2015年)、安倍と松井一郎大阪府知事が、教育への政治の介入を当たり前と意気投合し、府は「大阪府教育基本条例」などを制定した(2012年)。斎藤は、これら一連の流れを追い、右派側は着実に歴史修正主義や復古主義、戦前回帰の流れを敷いてきたのに自分もメディアも追いきれていなかったと自戒する。しかし、『教育と愛国』はそのような状況、特に維新(政治)に忖度、追従、ヨイショしてきた大阪のメディアと私たちに「目を覚ませ」と迫ると記す。

監督の斉加尚代さんは2012年当時、橋下府知事を(まともに答えられないから)激昂させた記者としてネット上などでバッシングされた過去を持つ。斉加さんは、およそ30年に渡り、教育やメディア、弁護士・学者らへの右派攻撃を追い続けているが、それらを真摯に取り上げたドキュメンタリー制作(映画は、2017年7月に放映されたMBSドキュメンタリー『映像』ディリーズの「教育と愛国〜教科書でいま何が起きているのか」がもととなっている。)をしてきた自分自身にも攻撃の矛先が向かうと予見し、ネット上の攻撃を収集・分析・調査していた。そして自分への攻撃が拡散アプリを使用していることも解明する。

教育現場以外のお話は『何が記者を殺すのか 大阪発ドキュメンタリーの現場から』(集英社新書 2022)に詳しいが、映画でも、書籍でも右派攻撃の先導、火付け役と見られる政治家や学者にも礼を失せずにインタビューしている様が圧巻だ。というのは、例えば安倍と昵懇で教育再生首長会議の初代会長を務めた松浦正人山口県防府市長は、「従軍慰安婦」との用語を使うなとする政府の見解とともに載せた教科書(学び舎)を採択するなと執拗に学校へ抗議ハガキを送った首謀者だが、学び舎の教科書を「(表紙くらいしか)見ていない」と自白する。あるいは、菅内閣より日本学術会議員任命拒否にあった加藤陽子東京大学教授の師でもある伊藤隆東京大学名誉教授は、育鵬社教科書の執筆者だが、「歴史から学ぶ必要はない」「(戦後日本は、教科書は、一貫して左翼に牛耳られているから)そうではないきちんとした日本人を育てる」旨述べる。実証主義が根本の歴史学者の言ではない、単なるデマゴギストであり、映画パンフで述べられた「ペラッペラで無責任な国」(白井聡)の象徴である。もちろんそのトップランナーは、籠池某が教育勅語、戦前の天皇制に則った小学校を作ろうとして財務省や大阪府から便宜を受けた森友学園(に絡み財務省職員が公文書改竄を強いられ自死した)問題の張本人安倍晋三その人である。

ロシアのウクライナ侵攻で、安部を中心に核共有や敵基地攻撃論が喧しい。岸田政権は、核共有は否定するものの、完全に安部・菅路線の継承で参議院選後憲法改正を目指すという。そして岸田の後には安倍の再登板とも。戦前に抗する胆力を斉加さんらともに備えたい。

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視る者のワクワク感を刺激する   「化学反応実験」松井桂三展

2022-04-27 | 美術

百貨店の催し物も、コンサートや舞台の案内、美術展覧会のお知らせまで、頼みもしないのに(登録しているからだが)どんどんメールやSNSで送られてくる時代に紙の宣伝媒体は不要か?いや、意味がないものだろうか?そんなことは決してないと思う。

百貨店の催し物は、大呉服市だろうが北海道物産展だろうが自分に全く関係なさそうなものであっても、電車の吊り広告はしげしげと読んでしまうし、美術展はいまだに館のチラシコーナーを漁っている。それくらいポスターやチラシに描かれたデザインが自分にとって大きな訴求力を持っていると感じる。

松井桂三は、米アップルのMacintoshのパッケージデザインやヒロココシノのアートディレクションで知られる。松井の仕事は、ポスターはもちろん、プロダクトデザインや大阪芸術大学での後進の育成など多岐にわたる。しかし、広島に原爆が投下された翌年に生を受けた松井はその点については深くこだわっていたようだ。ニューヨーク近代美術館に永久保存となった「惨劇への発令」(1980)は、アメリカ国立公文書館所蔵の「原爆投下指令書」がモチーフとなっている。松井の反核(兵器)の姿勢は、他の作品にもうかがわれる。しかし、膨大な量の仕事の中でそれはほんの一部で、見るものを圧倒する多彩さに驚く方が優ってしまう。同時に、松井が手がけた政府広報ロゴは有名、定着しているし、また、高松宮が関わる行事のポスターも手がけるなど、政治的には「色なし」と言っていいだろう。

商業デザインを志す者が、(たとえ後に「ブラック企業」などと批判されることも含めて)無節操であることは重要かつ必然で、政府が決めた意匠しか許されなかったり、広告主がデザイナーの発想に大きく介入するような社会では自由なデザインといったものは成り立たないだろう。また、デザインに限らないが、視覚表現の多くは、現状への皮肉や問いかけ、違った角度からの追求によって、視る者に新たな観点や論争を生み出す効用もある。そしてそのオルターナティブな姿勢を担保するのが、さまざまなデザイン、ポスター、プロダクト、WEB広告などを問わず、より斬新な切り口を提示する力量だろう。

松井は、大学を中退後、フリーの仕事をしながら独立するまで高島屋宣伝部に席を置いた。関西の優れたデザイナーの先達には百貨店に勤めた者も多い。住友銀行のポスターやメンソレータムのデザインで知られる今武七郎は、戦前の神戸大丸、画家としての知名度の方がおそらく高い菅井汲は阪急電鉄、泉茂は大阪大丸にいた。百貨店業界が厳しい現在、各店舗ごとにデザイナーを雇っているとは思えないが、百貨店広告はもちろんのこと、見てすぐわかるポスターやパッケージデザインといった類のものは、購買意欲を高めさせ、たとえ買わなくても中身についてもっと知りたいと思わせるワクワク感に溢れている。

ずいぶん昔、職場の労働組合新聞の編集をしていた頃、アメリカがイラク戦争を始めた際には、通常記事を全部ぶっ飛ばして、一面を「NO WAR」だけとしたことがある。組合の新聞なんてほとんどの人が読まないという冷めと編集権がいい加減なためにできたごくごく個人的な「驕り」ではあった。あのデザインが優れていたとは決して思わない。けれど、政治性ももちろん含めて、描いた先を想像、期待させるデザインはやっぱり大切だと考える。

松井桂三展の題は「化学反応実験」。実験は時に素晴らしい新構成物を生み出すかもしれないし、爆発して周りを雲散霧消させるかもしれない。だがデザイン提供におけるワクワク感もそういった反応を楽しみにしているのだろう。(松井桂三展は宝塚市文化芸術センター 5月14日まで)

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理想のために個は圧殺されて良いのかという問い  「親愛なる同志たちへ」

2022-04-15 | 映画

1980年光州事件。1989年天安門事件。国家権力がその独占的暴力を用いて国民を虐殺したのに、その事実を伏せ、あまつさえ事件さえも語ることを許さず、「なかった」ことにした事例は戦後において数多くある。光州事件は、民主化した韓国でその事実が明らかになり、首謀者への断罪も進んでいるが、天安門事件はそうではない。同事件より20年以上前の1962年、実際あったノボチェルカッスク事件は知らなかった。ソ連が崩壊し、ロシアになるまで語られることが許されなかったからである。

それがドキュメンタリーのようなモノクロ画像によって蘇った。描かれるのは、事件の真相究明や、首謀者・責任者への断罪、あるいは、それを見過ごしてしまった市民の悔恨ではない。ソビエト共産党の指導方針をつゆとも疑わず、党に近しい立場であるゆえの特権階級、そうではない一般民衆を下にみている一女性の視点、視線である。けれど、事件の真相と隠蔽、その国家的謀略に触れるにつれ、特権階級といえども地方の一公務員に過ぎないリューダは国家への疑念が生じたようだがその先までは描かれない。多分、リューダはその疑念を押し殺して、事件以前と変わらぬ顔で過ごしていくことだろう。そうでないと生きていけないからだ。

時はスターリン後のフルシチョフの時代。先立つ1956年の「スターリン批判」を経て、もう粛清には怯えなくて済む「自由」の時代かに見えた。しかし、そのフルシチョフ政権がノボチェルカッスクの労働者・市民の自然発生的デモの弾圧を命じたのだ。映画は、市民への発砲・虐殺はKGBの犯行説を採用しているが、軍そのものの蛮行という説もあり、事実解明は難しいだろう。そもそもスターリン時代を良かったと考える層には、事件そのものが信じられず、デューダのように実現場を目撃している者でも、党の誤謬を信じないのであるから、実際に経験していない者には「間違い」に気づくことはないだろう。それくらい党は絶対的であり、国家=自分であったのだ、末端細胞であるデューダのような人物でればなおのこと。

多分、デューダも党の誤り、事件の真相を気付いている。しかし、気付いていないと自己を納得させることが生きていく術であったのだ。それが、騒乱に巻き込まれて行方知れずとなった愛娘を探し回り、やがて死亡したかもしれず、その遺体さえ秘密裏に埋められている事実に直面し、疑いがどんどん大きくなっていったことだろう。党は過ち、そして市民に銃口を向けるのだと。

本作は実際のモデルがいるわけではなく、デューダも創作であるそうだが、あのような経験を持つ母親、市民、労働者はきっといただろう。モスクワの南西、国境も近いノボチェルカッスクという地域は、革命に反したコサックの地元であり、地域に対する差別と冷遇が労働者・市民の大規模デモにつながったことも伺われる。労働者は皆平等で、人種的な差別などない社会主義国の理想は、達成できていなかったことが微細に暗喩される。

「民主主義は最悪の政治形態といわれてきた。他に試みられたあらゆる形態を除けば」(ウィンストン・チャーチル)

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平穏と不穏のパッチワーク 争いを客観視するために  「ベルファスト」

2022-03-31 | 映画

一時、旧ユーゴスラビア発の映画がよく公開されていた。1991年からおよそ10年に及ぶ紛争の実相やそこに住まう人々の心を描く作品が多く、すぐれたものも多い。そこで、共通して描かれたのは紛争前にはさまざまな民族、宗教、言語が入り混じる地域で融和的に共存した姿であった。それがソ連崩壊後の民族主義の台頭で分断、憎悪が広がり、隣人が敵になり、時に殺し合う姿であった。ユーゴは現在6つの国に分かれ(コソボを独立国として数えると7つ)、戦火は止んだが民族間には今も大きなわだかまりがあるとされる。

単純な色分けかもしれないが、カトリックとプロテスタントとの違いだけであった北アイルランドの民を分つのは宗教以外にあったのか。あれほどの敵対、憎悪の理由は何か。そして、ユーゴ紛争とまさに同じ頃の1998年に北アイルランドは和平合意に達し、それまでの地で血を洗う紛争は一応終結、その後大きな対立は起こっていないという事実も見逃せない。紛争が激しくなってきたベルファストで少年時代を過ごし、家族でロンドンに逃れたケネス・ブラナー自身の体験が本作の骨子である。彼自身が脚本、監督を努める。

ブラナー自身を投影している9歳のバディはロンドンに出稼ぎに出てたまに帰ってくる父と気丈な母、無口な兄、近所に住む父方の祖父母、そして町中が皆顔見知りのコミュニティで暮らす。一家はプロテスタントだが、カトリックが多い地区だ。「カトリックは出ていけ」とプロテスタントの暴徒がカトリックの家や商店を襲い、危うく巻きまれそうになる。しかし、元々両者が先鋭に対立していたわけでもない。祖父の言葉が染みる。「(主張が完全に)一致していれば争いなんて起こらないさ」

しかし、争いは激化し、父はプロテスタント過激派に帯同するよう迫られる。平日はほとんど家にいない彼は家族を守ることができるのか。ベルファストを出ようと考えるが、コミュティで生まれ育ち、何よりもその土地を愛する妻はうんと言わない。そしてバディが思いを寄せるクラスメートのキャサリンはカトリックだ。そんな中、祖父が倒れる。

争いが激化するとはいえ、破壊や暴力のシーンは少ない。9歳のバディにとっては、大人の争いはよく分からない。彼の世界は家族と学校とコミュティの友だちだけだ。それでも街がどんどん息苦しく、ギスギスしてくる雰囲気は彼にも分かる。バリケードを抜けなければ学校に行けなしし、両親は金銭や移住について言い争っている。そう、戦争に至る日常とは、このような平穏と不穏とのパッチワークで、その限界点を超えたところに日常の戦火となる。バディ一家はIRA(アイルランド共和国軍)によるプロテスタントに対するテロルなど本格的な戦火となる70年代を前にロンドンに移住する。だから、ブラナー自身、戦闘の激化を経験してはいないが、北アイルランド出身者はロンドンでも差別されたという。だから、バディのベルファストへ時代の追想とその後の人生は、ベルファスト出身者として地続きで考えるべきだ。そして、孫に優しく、時に機知に富んだ言い回しでバディに「人生」を教えた祖父の言葉にこそ、違いを持ったまま生きていく術を身をもって教えようとしたのだろう。

冒頭、北アイルランドの紛争はカトリックとプロテスタントの違いと表現した。そういう面はあるけれど、この地の連邦共和国たる英国(ウエールズ)の他地域への支配と、アイルランドの独立という19世紀からの歴史を引きずっていることに目を向けなければいけない。あれほどEU離脱で揉めた時、最後まで離脱に反対派が優勢であったスコットランドは、現在も独立の機運に揺れている。

バディ=ブラナーは、成長し王立演劇学校を首席で卒業、シェークスピアの舞台で第一線の俳優、そして脚本家、監督となった。幼い頃得た屈託を彼は現在も直視し続けているのだだろう。

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この国の入管行政を何とかしたい   「マイスモールランド」

2022-03-26 | 映画

映画は5月公開なので、テレビ用に制作されたバージョンを紹介する。

サーリャは17歳のクルド人の高校生。父マズルム、中学生の妹アーリン、小学生の弟ロビンと埼玉県で暮らす。家族の難民申請が不認定とされたことで、全員ビザを失う。不法滞在状態となったマズルムは、仮放免中に就労したことで入管施設に収容され、サーリャもコンビニのバイトをクビになる。収入を絶たれた一家の明日は。

昨年3月に名古屋入管に収容されていたスリランカ人のウィシュマ・サンダマリさんが、重病であったにもかかわらず適切な医療を受けられたなかったことで亡くなった事件は大きく報じられ、日本の入管行政の問題点がクローズアップされた。しかし、ウィシュマさんの死から1年経つのに現状は何も変わっていない。むしろ、日本の難民認定率の低さやその背景といった根本的な問題より、ウィシュマさんが政治難民でなはなくDV被害者だったことから、個別の問題として取り上げられがちのようにも見える。もちろんウィシュマさんへの入管の対応のひどさが明らかになり、それが改善することに越したことはない。しかし、罪を犯したわけでもないのに、ウィシュマさんをはじめ多くの外国人が入管に長期収容されているか、一旦収容を解かれてもすぐに収容される実態など、その反人権政策は追及、改善されていない。

日本に逃れてくる難民は、大人は自己の意志で日本を選び、祖国を出たのかもしれないが、子どもは自己の意志ではない。そうするとサーリャのような祖国の記憶のない者は自己のアイデンティティをどう認識、形成すればよいか。ましてやロビンのように日本で生まれた子どもらは。アイデンティティの形成には自己の居場所が不可欠だ。しかし、ビザを取り上げられ、そのために就労も進学もできず、移動も許されない存在に尊厳など持てるだろうか。尊厳が壊されれば居場所を欲する、得る意欲も失われるのは明らかであるし、そもそも日本は彼らが居場所を持つことを許さない。

国も民間企業もSDGs(持続的な開発目標)への取り組みを盛んに喧伝する。SDGsの中には「誰一人取り残さない世界の実現」もあり、そこには難民の人権保障も当然含まれる。しかし、現在継続中の人権侵害を改善しようともせず、その着手する動きもない。そのような状況であるのに、ウクライナ避難民が日本に来た場合は、入国許可や滞在などについて速やかに便宜を図るという。難民の種類に優劣をつけること自体が人権侵害であり、差別であることは言を俟たない。

本国で反政府デモに参加したことで祖国を追われたマズルムは、帰国すれば刑務所に収監されることは明らかだ。いや、拷問や命さえ奪われかねない。けれど、自分が帰国することで未成年の家族にビザが降りた例があると知り、子どもたちのために帰国を決意する。映画ではもっと詳しく、その後も描かれるかもしれないので必見だ。

イラン・イラク戦争で両親と生き別れ、その後養母と来日した女優のサヘル・ローズがサーリャらを助ける役で出演している。養母につけられた名前であるサヘル・ローズとは「砂漠に咲く薔薇」の意であるそう。薔薇にはイバラがつきもの。しかし、サーリャらに少しでもバラ色の人生を感じてほしいし、微力ながら支援していきたい。

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疑い、わかったふりをしないために 『社会と自分のあいだの難問』

2022-02-28 | 書籍

2021年9月に53歳で早逝した法哲学者那須耕介さんの遺稿ともなった対談を収めた本書は、混沌、複雑化とのありきたりな言葉で現代を表象、説明して終わりとしたがる風潮に鋭く切り込み、そして大きな示唆に富んでいる。

キーワードは「自由のしんどさ」「移行期正義」「遵法責務」。

「自由のしんどさ」は比較的分かりやすい、というか日々感じている。自由の範囲が拡大し、個人の選択を個人の責任でと言われると、何でもかんでも自分では決められない、もう国で決めてくれ、というのはあるだろう。そして、個々人の自由は必ず衝突する。だから民主主義が機能して話し合ったり、落とし所を見つけるというプロセスにつながる。また、自由同士の衝突でいえば、表現の自由がその典型的な場面だ。あいちトリエンナーレから続く「表現の不自由展・その後」をめぐる一連の戦争責任追及や政権批判と歴史修正主義的価値観との対峙や、ヘイトスピーチ抑制のための「表現の自由」と「差別」との切り分けが想起されるだろう。歴史的に表現の自由の擁護者が、その枠外を規定していくことでその擁護を強固にしてきたという事実は興味深い。「「表現の自由」を制限する方向に働きかける動きは、僕たちの中にも絶えず働いている。そこをわかっていないと、「表現の自由」に大事さは、むしろ見失われてしまう。つまり、それがなぜ大事かという理屈自体が、もともとそんな盤石なものじゃないということ、それをちゃんとわかることの方が必要」(40頁)。

「民主化への過渡期のある社会において、先行する戦争・内戦・圧政期に行われた大規模・集団的悪行(人権抑圧・虐殺等)に対する適切な処理、もしくは処理の方針」これが「移行期正義」の定義である。つまり、人権抑圧や虐殺の張本人を裁判にかけるにしても遡及法で処罰してはならないけれど、そうすると全く責任追及しないという方法も取れないので、何らかの手立てが必要であるということ。同時に、結局そういった戦後処理に正義を貫徹する際の「正義」とはその社会の中で権力をにぎった人間が定義するものだということもある。これは、クーデターや民主的選挙であっても政権転覆後のどのような政権が誕生したかによって、先の権力者への対応が違うということを見るとわかりやすいのではないか。そして「負けた人間は、強い人間に従え」(86頁)ということ。しかし、そうはいっても近代社会、特に西洋思想が反映している中で、「そうはいっても」という対応がされる。黒の次は白ではないのである。「そうはいっても」の落とし所にまさに民主主義の深度や成熟度、あるいは不完全性や混沌にかかっているというのは言うまでもないだろう。

筆者が支援している「君が代」不起立で処分された教員らによく浴びせられる言葉が「ルールに従え」というものだ。思想信条は措いておいて面従腹背せよとも取れる。そしてそもそもルールが間違っていても従わないといけないものか。「遵法責務」のアポリアによく引用されるのが、戦後間もない頃、闇米を取らずに餓死した裁判官の話。本書でも繰り返し言及される。その裁判官は闇米で食糧管理法違反で法廷に引っ張り出された被告人らを次々有罪にしてきた、そんな自分は闇米を食べるわけにはいかないと。一方、公務員たる者職務を全うすることは当然で、私生活は別との安易な切り分けも可能だ。対談では「公民」と「市民」の違いも議論される。国は無くなっても社会は存在するので、法を守るべき「公民」の時と、それさえも前提ではない「市民」の立場はありうるとする。しかし、社会にはルソーの言う一般意志が既に貫徹しているのが通常なので、そこから外れる不服従は絶対に軋轢を生む。そう「自律と同調圧は裏表の関係」(241頁)なのだ。

法哲学という理屈をやっぱり理屈で説明づける学問は、哲学や論理学など、もちろん法学の識見が披瀝され、はっきり言って評しようとする筆者の手に負えるものではない。けれど、知識も学問もわかったふりをせず、同時に簡単にはわかった気にならない大切さを本書は教えてくれる。何よりも面白い。早逝した那須さんのお話が聞けず、もう執筆されない事実が何とも残念だ。(『社会と自分のあいだの難問』はSURE刊。3080円。一般書店では手に入りません。図書館に希望するか直接編集グループSUREにお問い合わせください。)

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「非民主的」な「宗教国家」イランから問われる死刑制度 「白い牛のバラッド」

2022-02-26 | 映画

袴田事件の袴田巌さんは、2014年に再審開始決定が出たにもかかわらず、未だその決定が確定せず再審公判が始まっていない。検察が抵抗し、開始決定を取り消した東京高裁の判断に対し、最高裁が高裁に差し戻したからこんなに時間がかかっている。袴田さんは1936年生まれの85歳。袴田さんに死刑を求める検察、確定判決をなした司法といった国家権力は袴田さんの死去を待ち、結論を先延ばしにしているとしか思えない。

死刑大国イランでは冤罪も当然あるだろう。それが露見した後の死刑囚家族、裁判官はその事実とどう向き合い、生きていくか。とても重いテーマであるのに全体を醸す静謐さにより、その重さは死刑執行後に冤罪が判明した夫を失ったミナ一人のものだけではないことが分かる。誤判をなし、執行までされてしまったことを知った判事レザは職を辞し、シングルマザーとなったミナを助けようと贖罪を試みる。真実を知っている観客は、次に起こるかもしれない悲劇に思いいたし、そのスリリングさに引き込まれる。

イランが死刑制度を保持、その執行にも躊躇がないのはイスラム法ゆえとの説明もなされる。しかし、EUに加入したいトルコは一旦死刑復活を企図したものの事実上止めている。トルコも同じイスラム圏だ。そしてイスラム教徒が多数を占めるカザフスタンも死刑を廃止している。だから死刑の存置イコールイスラム教ではない。現にIS(イスラム国)の野蛮さを説明する際には、その特異なイスラム教解釈ゆえと解説される。

要するに死刑存置の理由は時の権力の説明如何によって変わりうるということだ。だから死刑の情報や雪冤が進まない日本で、政府が「国民の80%が支持している」理由は、これら情報開示や冤罪の実態が広く知られれば、変わりうると言えるし、そもそも古くは消費税でも、集団的自衛権を認めた2017年の安保法制もおよそ「国民の80%」も支持していなかった。

イランにおける女性の地位は男性に比べて低い。宗教的規範をはじめ制約も多く、シングルマザーなら尚更だ。ミナの家に親族以外の男性が訪れただけで借家を追い出され、不動産屋には紹介さえしてもらえない。そこに手を差し伸べた男性が夫をくびきった張本人の判事と知らずに頼ってたとしてなぜ責められよう。そしていつしか、耳が聞こえない小さな娘もなつき、束の間の安寧が得られた小さな幸せを奪うことはできない。

ミナも苦しんだが、死刑判決をせざるを得なかったレザも苦しんだ。それは死刑制度があり、それが機械的に執行されているからだ。しかし、事実上の執行停止ではいつ停止自体が停止されるか分からない。50年近く収監され、死刑確定後は執行の恐怖に袴田さんは精神を病んだ。死刑は必要な命とそうでない命を国家が選別することだ。だからそれは障がい者施設で19名を殺した植松聖死刑囚の理屈と変わらないし、何回も起こっている「死刑になりたい」理由での殺人(未遂)の抑止力にもなっていない。

死刑事犯の弁護を多く引き受けた安田好弘さんは死刑廃止の理由を被害者遺族の癒しと加害者の更生を容易につなげて考えるべきでないとする。しかし、大事な家族を失った者にそう簡単に納得できる論理ではないだろう。だから、悩み続けなければならない。

映画は、ミナが判事に復讐を果たしたとも、そうはしなかったとも取れる映像で途切れる。日本よりがはるかに情報統制が厳しく、強権的国家に見えるイランからの提起は重い。

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メディアから「アンタッチャブル」をなくす試みを  「テレビで会えない芸人」

2022-02-01 | 映画

「生きているということは誰かに借りをつくること 生きていくということはその借りを返してゆくこと」(永六輔)

ずいぶん昔、私が執行委員をつとめていた労働組合のイベントに松元ヒロさんをお呼びした。現在では、あんな小さな組合のこじんまりした規模で、安いギャラでは呼べないのではないか。いや、ギャラもだが、ヒロさんの予定が合わないだろう。それくらいヒロさんの人気は不動のものとなっている。そこに至るヒロさんの軌跡、それは出会った人たち、テレビとの距離、ヒロさんの考え方全てが関わっている。

時事ネタを得意とするコメディアンはそんなに多くない。芸能人の失敗をあげつらい、笑いをとるナイツは例外ではないが、多くのコメディアンは世相を何らかのネタにしている。しかし政治ネタ、それも政権批判や原発、特定の法律、そして憲法だとどうだろう。全くいない。政権批判、原発、沖縄の基地などストレートに打ち出していたウーマンラッシュアワーは、村本大輔がもっと表現できる世界をとアメリカに行こうとしたが、コロナ禍で止まっている。しかしそもそも村本はテレビに呼ばれなくなっていたのだ。そして、ヒロさんがテレビに呼ばれないのは、重要ネタ「憲法くん」のせいだと思う。

「憲法くん」は、人格を持った「憲法くん」が、安倍政権で顕著であった壊憲状況、集団的自衛権、特定秘密保護法、共謀罪などがいかに憲法の理想、原理から離れているか、反憲法であるかを真っ向から批判、おちょくるものである。ヒロさんは言う。「現在の憲法は現状に合っていないと言うけれど、理想として成立した憲法に現状を合わせようと努力すべきではないか」。これだけ聞けば、護憲墨守のゴリゴリの旧左翼に見える。確かに、ヒロさんの特に地方公演などは、地元の護憲団体からの招請も少なくないようで、観客も年配層だ。しかし、憲法を大事にと言った時点で「左翼」となり、テレビが出演を求めないと言うのは世の中の軸が右側に寄ってしまっているからでないか。

テレビを代表とするマスメディアが批判的、問題提起的に取り上げないテーマの最たるものは天皇(制)だろう。明仁天皇は退位の意向を自ら、直接国民に伝えた。天皇は政治的権能を持たないのに、代替わり(改元)という国民の生活に大きく関わる事態を招いた行為として違憲の疑いがあるのではないかとの真っ当な議論もテレビでは紹介されない。また、そのような天皇自らの違憲的行為を許した内閣の責任も問われなかった。その日本で最もアンタッチャブルな世界をも取り上げるヒロさんをテレビは好まないだろう。

労働組合のイベントでは「夜回り先生」こと水谷修さんもお呼びしたことがある。水谷さんは、ちょうど人気のあった橋下徹氏を取り上げ、「テレビによく出る人間は何年か(首長や議員への)立候補を禁止したらいい」と話されていた。職業選択の自由などからこの提案も違憲だが、維新政治の規制緩和、公的部門縮小の政策により、市民病院、保健所の機能が低下して、コロナ死亡率が高かったのではないかとの指摘もある。テレビ出演の多い吉村洋文知事は圧倒的な支持を得ているが、水谷さんの言葉にうなずいてしまう。

ヒロさんが本番前に訪れる理髪店は、永六輔の御用店。お店に貼ってある色紙は、ヒロさんの人間観ともそのまま繋がる。そして、どんどん殺伐としていく現状に笑いが必要である。

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Watersと複数形が危機を占めす  「ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男」

2022-01-03 | 映画

岸田首相が中身はよく分からないが、「新しい資本主義」を打ち出し、一昨年出版され、現在もよく売れているという斎藤幸平の『人新世の「資本論」』(集英社新書)。「資本主義」がかつてないほど見直され、検討されるのにはSDGs「狂騒」をはじめとした現代社会が今のままでは継続し得ないという危機感もあるだろう。しかし、大量生産・大量消費といった資本主義を象徴する工業社会のあり方はここ数年で伸長したのではなく、産業革命以降綿々と続いてきて、特に日本では高度経済成長期の「成熟」や「発展」が大きく寄与していると言えるだろう。そして、その時期、日本では4大公害病など深刻な人的、あるいは後世に続く被害をもたらした。では、排出物規制などその頃より法整備が整った現在では、先進国では公害は過去のものと言えるであろうか。

アメリカの巨大企業デュポンは、まだ規制対象外だった化学物質を含んだ廃棄物を大量に廃棄していた。その現場では牛が大量に死んでいる。農場主が訴えに行った先は企業弁護士のロブ・ビロット。祖母の紹介ということで渋々引き受けたロブは、膨大な証拠書類の中からその廃棄物がPFOA(C8)という未知の物質を含んでいることを突き止め、デュポン社内で既に有害、有毒であることを認識した板野に垂れ流していたことを突き止める。巨大企業は金に物言わせるかのように、政府委員会に圧力をかけ、つかませ金で被害住民を黙らせようとする。ロブのロー・ファームもバックアップして、デュポンは将来に渡り、住民の健康被害の調査と賠償を受け入れることになり、それは現在進行形でもある。

PFOA(ヘルフルオロオクタン酸)とは、フライパンのテフロン加工など調理器具にも使用されているフッ素化合物の一種で、その残留程度により危険が伴うとされる。事実、ロブら住民側の提案により設置された科学者からなる委員会で、住民の高いがん発症率が証明されている。同様の化合物PFOS(ペルフルオロオクタンスルホン酸)は、沖縄の駐留米軍が住民の居住地近くに廃棄し、現在大問題となっているので聞き覚えがある。そしてロブがデュポン社と戦った(ている)のは、1998年から現在まで、そして沖縄の問題は、21世紀の現在の話である。決して公害は過去のことではない。

デュポン社のような巨大企業の利権は莫大であり、それを支えるのが資本主義の宿痾であるとするなら、資本主義を脱しない限り、公害もなくならないのであろうか。多分そうだろう。そして、それを修正して、いかに「持続可能な社会」を公正に構築しようという試みがSDGsなのであろうが、道のりは当然厳しく、『人新世』では完全な脱成長を奨める。

人の健康や希望の未来と社会「全体」の発展の併存というアポリアは、工業社会、公害社会、高度経済社会につきもので、それは個人の自由を追求すれば、全員が納得するまで話し合いを重視するという民主主義とは相矛盾するのと似ている。むしろロブのような元々企業法務出身の弁護士が、住民の側に立ち、徹底的に戦うことができるのは民主主義の証との見方もあるだろう。

企業(資本、雇用側)の自由度が高まれば、個人の選択の自由度は下がると指摘したのは斎藤貴男だった。斎藤は、経済誌記者出身ながら、後に権力の専横を批判し続ける。言葉だけの「新しい資本主義」は、大企業への課税も強化せず、中小企業への優遇税制は効果も、実効性もないと早くも化けの皮が剥がれている。政府や巨大企業にSDGsの効果を期待していては、公害は起こり続け(核廃棄物を排出し続ける原発政策はその最たるもの)、現状は変わらないだろう。権力を持たない市民の側こそ資本主義を問いなさなければならない。

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美術の価値は誰のためか? 「ダ・ヴィンチは誰に微笑む」

2021-12-11 | 映画

美術品の価格というのは一体どのようにして、どういう理由で決まるものなのだろうか。バブルの時代、安田火災(現・損保ジャパン)がゴッホの「ひまわり」を当時のレートで史上最高額の53億円で競り落とした時は、日本の金満ぶりとともに、美術品はある意味天井なしの価格をつけていいのだと知らしめる機会になったことだろう。その53億円がかすむ価格がついたのが、レオナルド・ダ・ヴィンチ作とされる「サルバトール・ムンディ(世界の救世主)」、510億円である。そのカラクリが本作によって明かされる。

ニューヨークの美術商が無名の競売会社のカタログから見つけたレオナルドの「失われた絵」を見つけ、買い取った額は1175ドル(約13万円)。それがロシアの富豪などを経るうちにサウジアラビアの王子が入手した時には件の価格にまで跳ね上がっていたのだ。しかし、その間「真作」としてロンドン・ナショナル・ギャラリーでの展示。ルーヴル美術館でのダ・ヴィンチ展では、サウジが「モナ・リザ」の隣に「真作」として展示するよう要求したが、ルーブルの鑑定では「科学的な知見ではダ・ヴィンチは“貢献した”だけ」との見解で、結局展示しなかった。ならば、サウジとフランスの関係が悪くなったかといえばそうではなく、文化大国としての偉業を将来見せつけたいサウジに、フランスが大きく援助することで関係は保たれた。世界的に脱炭素の高い目標が掲げられる2030年に産油大国のサウジが巨大プロジェクトを完遂させるために、フランスに貸を作りたかったからとも憶測されている。では、結局ルーブルに貸し出されなかった絵はどこに行ってしまったのか。UAEに建設されたルーヴル・アブダビに常設展示されるとの報道もあったが、結局されずに再び所在不明となっている。そこまでの経緯がスリリングで、美術商や蒐集家のみならず、国家の思惑まで描きこんだドキュメンタリーが秀逸だ。

そもそも美術品の値段はあってないようなものだ。美術市場が富裕層の地位の誇示やマネーロンダリングなどの場となり、そういった実態が作家の思惑からかけ離れていく様をアンチテーゼとして示したかったバンクシーの作品が、オークション会場で落札と同時に切り刻まれたことにより、その価額より何倍も跳ね上がったのは皮肉な出来事だった。街に落書きし(グラフィティ)、金銭的評価とは無縁、むしろそういった美術作品が扱われる現状を否定していたバンクシーもその価値観からは逃れられないということであろうか。もっとも、これこそがバンクシーの戦略という見方もあり、「サルバトール・ムンディ」をめぐる狂騒とは違ったところで、どの美術作品も市場と無関係なところでは存在し得ない。

値段があってないようなのが美術作品と書いたが、「モナ・リザ」や他にもそもそも値段がつけられない美術作品というのは多数ある。ミケランジェロやベルニーニの彫刻、ファン・アイクの宗教画など、現在となっては流通することがあり得ない作品群だ。そういう意味では流通こそが価値を左右するが、それはあくまで現在の貨幣としての価値である。だから流通を盛んにすることによってその価値をどんどん上げていくことは、その「名作」を見たい者にとっては見られるかどうか分からないという意味で迷惑であり、作品にとっても不幸なことではないのか。

「モナ・リザ」(現在の表記は「ル・ジョコンダ」)も随分昔に日本に来たことがあったが、ルーヴルはもう外部に貸し出しはしないという。「真作」「実作」を見たければ、その場所まで行くこと。その出逢える過程までもが美術鑑賞の楽しみの一つで、「サルバトール・ムンディ」が所在不明で見られないままであるのは、やはり悲しいことだ。

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ジェンダー規範の問題点は? 「三岸好太郎・節子展」

2021-12-01 | 美術

若くして亡くなった三岸好太郎は天才と呼ばれ、妻の三岸節子より圧倒的に知名度が高い。しかし、好太郎がわずか10数年稼働したのに比べて、94歳で逝去した節子の画業はとてつもなく長い。しかし、好太郎が戦前のシュルレアリスム絵画の一端をになったとの評価も含めて、好太郎の画業の変転に光を当たられることが多く、節子は「好太郎の妻にして画家」と紹介されることが多かったのではないか。しかし節子は「好太郎の妻にして画家」には収まらないし、少なくとも本展ではそうではない。しかし、ではなぜ「三岸好太郎・節子展」であるのか。

展覧会は少なくとも好太郎の画業に比して、節子のそれを軽んじているようにも見えないし、そして好太郎死後の節子の画業にもスポットを当てているのでバランスを取っているようにも見える。そうであるなら展覧会名の夫と、妻が付属物との表記がますます安易であったとしか思えない。「三岸好太郎・三岸節子展」であるならまだしも、画業の長さと没年齢を考えるならむしろ、「三岸節子・三岸好太郎展」ではなかったのかと。

しかし、好太郎が「天才」と呼ばれたほど時代の先端を切り取るほどの作品を発表したのは事実であるし、節子は戦前、それほどの業績を残していないのも確かである。では、節子の画業を好太郎のそれと比較して、正当に評価することは可能なのであろうか。

好太郎の画業は短かったが、大正期新興美術運動と並走し、西洋由来のさまざまな表現主義の息吹を捉え、取り入れ、作品に昇華した。有名な好太郎の「蝶と貝」をモチーフにしたシュルレアリスム作品は晩年の短い時期であって、それまでの変転こそが好太郎の真骨頂であることに見開かさせられることだろう。それほどまでに1920年代、西欧の「前衛」美術を取り入れようと格闘した三岸好太郎らの世代は、フォービズムもキュビスムも、挑戦できるものであればなんでも取り入れようとしたのである。日本で最も早い段階で抽象画に挑戦し、フォービズムもキュビスムをも体現したとされる萬鐵五郎は、その後南画に傾倒しているし、20年代にシュルレアリスムなど前衛的な作品を発表した画家たちは、戦時の国家体制という時代状況もあり、そのスタイルを変えていった。そういう意味では、美術の世界にまで国家主義が完徹する時代の前に亡くなった好太郎は、むしろ幸せであったのかもしれない。しかし、その後衛には同じ画家でありながら家事、育児に追われ、画家としての業績を重ねることもできずに奔放な好太郎の尻拭いに追われた節子の存在があった。同展では触れられていなかったが、同展の表題「貝殻旅行」、好太郎と節子が好太郎の死の直前、珍しく「睦まじく」旅行した際に、好太郎だけ名古屋に留まり、節子だけ先に東京に帰したのは、好太郎が名古屋の愛人の元に寄るためであった。その事実こそが、好太郎と節子の関係性を物語るし、好太郎がその愛人の元で客死したことを知るにつけ、節子の感情はいかばかりであったろうか、と考えずにいられない。

画家同士、夫婦である例は珍しくもないし、まさに「同志」であったからこそ紡がれた豊かな関係性もあるだろう。体調不全に悩まされた具体美術協会にも籍を置いた田中敦子は、同士で夫の金山明の支えがあったが、おそらく、金山より田中の画業の方が有名である。美術の中身の話ではなく、ジェンダーの話になってしまったが、美術の世界のジェンダー規範は、問うても問いきれていない問題でもあると思う。(「貝殻旅行 三岸好太郎・節子展」は神戸市立小磯記念美術館 2022年2月13日まで)

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真実の追及に「黒塗り」で応える、アメリカ、日本  「モーリタニアン 黒塗りの記録」

2021-11-14 | 映画

本作の題名にある「黒塗りの記録」と言えば、この国では森友問題をめぐって財務省が公文書を改竄した際の文書や、名古屋入管で見殺しにされたウィシュマ・サンダマリさんの入管側の経過報告書が思い浮かぶ。しかし、本作の黒塗りはある意味もっと闇は深い。だからといって日本の黒塗りは軽いのか、そうではない。しかしそれは後述するとして、ここで問題なのは、アメリとかというもっと自由で、民主主義が保証され、かつ政府の透明性も「高い」とされている世界一の軍事大国の闇だ。

本作の問題提起は2点あると思う。一つは、政府が司法手続きの正当性=法的根拠を無視して、被疑者と見なした人間を長期間拘束する点、そして、その事実を国をあげて隠蔽しようとする点である。1点目はデュー・プロセスの本質から逸脱しているのは明らかだろう。そして世界一の民主主義大国を標榜するアメリカが、情報開示、市民の知る権利とは真逆の対応をした実態である。

9.11で国の威信を貶められたと考えたブッシュ政権は、「これは戦争だ」とアフガニスタンのタリバン政権を崩壊させ、テロの温床に資する大量破壊兵器を所持しているとしてイラクのフセイン政権も崩壊させた。しかしタリバンが9.11の首謀者とされるアルカイダ、その指導者であるとされるビン・ラディンが本当に9.11を指示、主導したのかも分からないのにパキスタンという独立した他国にいたビン・ラディンを米軍は家族とともに暗殺、イラクには大量破壊兵器などなかったことは周知のことである。

9.11の実行犯と繋がりが深い容疑者として浮かんだのが、ドイツの留学と実際アルカイダの軍事訓練も経験があるモハメド・ウルド・スラヒ。アメリカ政府に忖度!したモーリタニア政府はスラヒを拘束、そのままアフガニスタンを経て、グアンタナモに移送される。しかし解放されるまでスラヒに拘束の理由となる正式な司法手続きは一度も存在しなかった。ブッシュ政権、イラク侵攻を主導し、その理由に石油利権がウラにあるとされ、利権企業の取締役であったラムズフェルドは9.11の実行犯を1日も早く「吊るし」、国民の怨嗟を回収しようとした。スラヒを早く死刑にしろ、と命令され、起訴を担当するスチュアート中佐を演ずるベネディクト・カンバーバッチ、スラヒを弁護する人権派弁護士ナンシー・ホランダーにジョディー・フォスター。役者は豪華だ。そしてスラヒ役は実際にアラビア語などを操るフランス出身のタハール・ラヒム。15年近く裁判も受けられないのに拘束され続けたスラヒをラヒムが演じ切ったことで本作の成功は約束されていたと言える。それほどスラヒの経験は壮絶で、簡単には描写できないし、スラヒの人間的崇高さも魅力なのだ。スラヒに関する記録が黒塗りになったのは、彼の拘束に関する法的根拠がなかったためと、彼の自白が拷問によるものだったからだ。その事実が、スチュアート中佐側からは、絶対に機密であると公訴権を持つ検察官をもはねつける国家の強固な意思をなんとか崩そうとする姿勢と、ホランダー弁護人側からは、被疑者の秘密交通権をたてにスラヒから届く手記により次第に暴かれていく。その様はとてもスリリングで、権力による恣意的な裁判運営ではない、「法の支配」の原点に触れる気がするのだ。忘れてはならないのは拷問=「特殊取り調べ」と呼ばれる、を許可したのがラムズフェルドであったという事実。正式な裁判、司法手続きの管理下では拷問などできないのでこのような方法をとっていたことが分かる。心身に対する凄惨、卑劣な拷問や女性取調官による性暴力などの事実は、スラヒが手記を出版する際には多くが「黒塗り」された。しかし、出版社はその「黒塗り」のまま出版したのである。

森友事件をめぐり財務省の公文書改竄を強制された赤木俊夫さんが自死した。その実態の解明を求める妻雅子さんの要求に、この国はまだ「黒塗り」で応える。公文書改竄が赤木俊夫さんにとって「拷問」であったのは明らかで、その責任をとるべき人間がきちんと取ることなどこの国で想像できるのだろうか。

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加藤典洋が遺した問いを引き受け続ける  『9条の戦後史』

2021-10-23 | 書籍

井上ひさしさんが、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」と語っていたことを思い出した。

日本国憲法改正という議論は、憲法9条を変えるか変えないかという議論のことだ。そこには日本が自前の軍隊を持つことの是非はもちろん、自前の軍隊を持って他国を侵略した大日本帝国憲法をどう評価するかや、9条の出自がそもそもアメリカ由来であることをどう捉えるか、さらにはすでに自衛隊という大きな軍隊を持つ実態との乖離をどう考えるかと議論は多岐にわたる。そしてそれはすなわち戦後日本の歴史そのものである。

2019年若くして惜しまれながら亡くなった加藤典洋は、これらの難題を整理づけ、課題を提示する。そのためには新書版とはいえ500頁を超える大部が必要であった。そして、その整理づけのためには、9条、いや護憲派のうち少なからずの中には、筆者もそうであるが、丸山眞男といった戦後リベラルを象徴する知識人の言説、意見を言わば丸呑み、時に金科玉条のごとく盲信する姿勢をも突き崩さざるを得なかった。それは9条が抱えてきた時代背景を基礎とするその役割と、その扱い方を政治的立場も踏まえて歴史的に整理することにつながる。一方、9条をタテにアメリカからの軍事増強や更なる中国やソ連に対する政策の変更を拒み続けてきた自民党ハト派は、引き換えに日米安保体制の拡大を引き受ける。また、自主憲法制定を目指す自民党タカ派は、安保体制は自前の立派な軍隊を持つまでの一時的な仕組みと捉える。今日から考えると奇妙なねじれにも見えるが、結局55年体制とは、護憲勢力が必ず3分の1以上国会を占める奇妙な安定体制でもあったのだ。しかし、それが護憲側の「安穏」を助け、自民党内でも経済重視のハト派的流れから、憲法9条をどうするのか、といった根本的課題にも「向き合わずに」済んだというのだ。

護憲派の「教条主義的」姿勢に疑問を呈しつつ、護憲の立場から9条の活かし方を提言し続けたためにリベラル派から批判を受けてきた加藤も、安倍政権の誕生によって政権と9条の関係が根本的、劇的に変わったとする。それは天皇を元首とするなど明治憲法の復活と見紛う憲法草案の発表と、そうであるのになりふり構わぬ対米盲従の両立というあり得ない選択を示したからである。そうであるから、加藤も現行憲法のまま、2015年の集団的自衛権の行使を可能にした安全保障法制や、その理屈づけには反対した。そして、その暴挙をなした安倍晋三はまたもやコロナ禍の中、2020年に政権を投げ出し、安倍のコピー政権である菅政権も確実にそれらを引き継ぎ、そして2021年夏に政権を投げ出した。その跡を継いだのが、ハト派の象徴であったはずの宏池会の岸田文雄政権誕生となったのだが、その岸田も安倍・菅の方向性を何ら正そうとしない。しかし、加藤はこれらの政権与党内の腐敗も知らずに世を去ったのであった。

冒頭に、井上ひさしの言葉を紹介したが、加藤の仕事は、9条という、戦後日本が、有権者たる日本国民の誰もが逃れられない、向き合わざるを得ないアメリカとの関係、国民国家の自立とは何かといったアポリアを「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく」説き起こしたことに他ならない。もうすぐ任期満了が僅かであるのに岸田政権がわざと解散した上での衆議院選挙がある。日本の有権者の半数はまた棄権するのだろうか。加藤の一番の危惧はそこではなかったか、との思いも拭えない。(2021年 ちくま新書)

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人為がなす神の怒りか  現在進行形でデップが訴えるMINAMATA

2021-10-02 | 映画

熊本県には2回行ったことがある。いずれも水俣病のことを学ぶスタディ・ツアー的なもので、ずいぶん以前に行った際には、原田正純さんの講演と砂田明さんの一人芝居を観劇した。そして割と近年行った際には、水俣に生きる人の思いを受け止めるとても若い世代の永野三智さん(『みな、やっとの思いで坂をのぼる 水俣病患者相談のいま』著者 2018 ころから)にガイドをしていただいた。

だが、自分自身は水俣病にきっちりと向き合ってきたわけではない。いわゆる「公害問題」を同時代的に実感するには、その土地の出身ではない限り、かなり主体的、意識的に関わらない限り難しいのかもしれない。言い訳ではあるけれど。

ジョニー・デップ演じるユージン・スミスはかなり破滅的だ。過去の栄光を引っ下げてLIFE誌の編集長に直談判する際にはもう酒でヘロヘロ。一念発起で訪れたはずの水俣でもウイスキーの小瓶が手放せない。「写真を撮る行為は、撮る者の魂をも奪う」というアイリーンへ放つ言葉は、その時点では重みも深みも感じられない。その、どうも役立ちそうにない、水俣病の患者や支援者、運動する人たちに寄り添い、直面する姿勢は見られない実相をデップは演じきった。信頼とは、相手の立場まで寄り添い、自己を居させる、上から、客観的ではありえないとの姿を示したのだ。

ユージンとアイリーンの写真集「MINAMATA」の象徴的作品となった、胎児性水俣病被害者の智子さんと母親の入浴シーンはピエタであった。その姿は、誰も侵すことのできない聖性を備えていた。しかし、そのように感じること自体、ユージンの写したかったものと、写された対象を蔑ろにする自己本位な感傷であるのかもしれない。ところが、初めてサン・ピエトロ大聖堂のピエタと対面した時、無神論者の自分が、そのあまりの神々しさや荘厳さに打たれて頬に涙が伝わったことが、智子さんの入浴シーンでも経験したことは本当だ。

映画では、チッソの工場前で大怪我を負ったユージンが、その包帯だらけの手でレリーズまで使用して、なんとか智子さんを写そうと苦心する様が描かれる。しかし、事実は大怪我したのは智子さんを撮った後のことであるそうだ。ここにドキュメンタリーではなく、作り物としてのフィクションに過ぎないと一蹴することは容易い。しかし、デップはドキュメンタリーを撮ろうとしたわけではないし、ユージンを演じ、描くことで「映画の持つ力をフルに活用して、伝えたいメッセージを発信することが我々の願望」であったのだ(2020年ベルリン国際映画祭公式記者会見から)。その「伝えたいメッセージ」とはなにか。それは環境活動家や反原発運動のリーダーでもない一俳優にすぎないデップが、その素人くささゆえに訴えた人為による悲劇を2度と起こしてはならない、ということだろう。

エンドロールに流れるテロップでは、世界中で繰り返されてきた公害や、薬害、原発事故などさまざまな環境汚染と人身破壊の歴史が続いていく。そこにはMINAMATAと並ぶアルファベットでの世界標準の表記となったFUKUSHIMAもある。そしてこれらは現在進行形であり、人為がなす神の怒りの発露なのかもしれない。映画の後援を熊本県はしたが、水俣市はしなかったそうだ。地元の人、患者らが抱える現在進行形の重みと苦しみが続いていると思える。

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