アール・ヌーボーの装飾展はしょっちゅう開催されているので目新しくはないと思ったが、そうでもなかった。と言うのは作品数、展示の仕方、説明書きとすべて充実していたからだ。やはりデパートの催事場とは桁が違う。ただ日本各地の美術館 ー 特に長野の北澤美術館と神奈川のポーラ美術館などからの出展が多いが ー から集めたてきた展示品からもわかるようにガレの作品は日本国内に数多くある。しかし国内から集めてきただけでこのような充実したものが開けるわけではない(もちろん、海外からの作品も多い)。そこには独立行政法人化し、集客に頭悩ませてきた国立国際美術館の学芸員らの工夫が結実しているのだ。
時代ごとの区分ももちろんわかりやすいが、ガレの技法を途中の展示で解説してみせ、そこから技法ごとの作品とという配列もいい。そして、世界史の教科書にも出て来るドレフェス事件をはじめとするガレがその政治的姿勢を作品に託したとする解説も的を得ている。あるいは、折しもパリ万博前後のジャポニズム人気の中でガレがその東洋趣味をどう作品に反映させていったのかも。美術解説は複雑な思想的背景、政治的関係、歴史的意味を含有していたとしても、圧倒的に素人が多い町の美術館ではわかりやすさが、次代の美術好きをつくるリターン効果につながると思う。本展はそのような意味でも成功したのではないか。
ただ、きらびやかな工芸品は貴族趣味の典型的な残滓ゆえ、20世紀にはより機能的なデザインに取って代わられる運命であって、モンドリアンやリートフェルトなどレ・ステイルにより親しみを覚えてきた自分としてはその美しさを表現できる力がないのがもどかしい。
時代ごとの区分ももちろんわかりやすいが、ガレの技法を途中の展示で解説してみせ、そこから技法ごとの作品とという配列もいい。そして、世界史の教科書にも出て来るドレフェス事件をはじめとするガレがその政治的姿勢を作品に託したとする解説も的を得ている。あるいは、折しもパリ万博前後のジャポニズム人気の中でガレがその東洋趣味をどう作品に反映させていったのかも。美術解説は複雑な思想的背景、政治的関係、歴史的意味を含有していたとしても、圧倒的に素人が多い町の美術館ではわかりやすさが、次代の美術好きをつくるリターン効果につながると思う。本展はそのような意味でも成功したのではないか。
ただ、きらびやかな工芸品は貴族趣味の典型的な残滓ゆえ、20世紀にはより機能的なデザインに取って代わられる運命であって、モンドリアンやリートフェルトなどレ・ステイルにより親しみを覚えてきた自分としてはその美しさを表現できる力がないのがもどかしい。