kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

「生きる」という問いかけ  亀も空を飛ぶ

2005-12-05 | 映画
バフマン・ゴバディはクルド人の視点から、クルド人の日常から映像をくみ出す。そこは一応戦争のない(もうアメリカの「イラク戦争」参戦という意味では戦中であるが)、平穏で豊かな日本から見れば想像もできない過酷さにあふれている。村の子どもも難民の子どもも孤児であったり、傷ついていたり。才覚に長け、村の長老らも頼りにするサテライトは孤児らを統率するリーダーなら、彼の一の子分であるパショーは地雷で失ったであろう片足で松葉杖を器用に操る。サテライトの村にたどりついた難民の兄弟。兄ヘンゴウはこれも地雷で両手がない。妹アグリンは小さな目の見えない「弟」を背追っているが、実はイラク兵が村を襲ったときレイプされ産み落とした子どもであるという設定。ヘンゴウもアグリンも一度も笑わない。いや、笑わないどころかアグリンの射抜くような眼差しは、この世に信じられるものな何もない、希望などなにもないという事実をわずか10代半ばにして悟ってしまった人間の諦観かつ疑念の証なのだ。
結局、自分が産んだのだけれども愛せないし、自分が生きていく上で邪魔でしかない子どもを殺してしまうアグリンは、自分も生きるのを止めてしまう。アグリンにほのかな思いを抱いていたサテライトとヘンゴウは、アメリカ軍がフセイン政権を倒したとは言え、すぐには何も改善されないキャンプ生活を続けていくことになるのだ。
戦争で一番傷つくのは子どもたちであると言われる。それは戦争を引き起こした為政者を選んだり、反対したりすることについて何の責任もないからだ。そして子どもらは時には兵士として育てられ、あるいは、兵士の性のはけ口の対象とされる。
クルド人を説明するのに「世界最大の少数民族」というのがある。国家を持たないのにトルコ、イラン、イラク国境に生きる人たちはおよそ3000万。そのいずれの国からも迫害されてきた歴史はディアスポラそのものかもしれない。しかし、革命以前のイランはパーレヴィー政権、イランと戦争をしていた時のイラクはフセイン政権、そしてアルメニアをはじめキプロス、クルディスタンなど周辺地域の民族を常に迫害してきたトルコのどれをとってもクルド人を苛んだ政権に肩入れしてきたのはアメリカだったのだ。そのアメリカが来れば悪魔のフセイン政権が倒れると喜ぶクルド人の現実と皮肉。
サテライトの逞しさ、ヘンゴウやアグリンらの痛さだけがこの映画のテーマなのではない。戦争が起こったとき、子どもたちはいつも置き去りにされるのだ、遺しておかれるのだ。そういう一人一人、一つ一つの小さな命から見えてくるものがある。被迫害の歴史を背負ったクルディスタンの視点からとらえるゴバディのカメラは、過酷であるにもかかわらず何か突き抜けていてカラッとしている。もともとは遊牧民が助けあって生きてきたクルディスタンの心根が表れているからかもしれない。
なお、イラク戦争を描いた映画Little birds(http://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/85fb450efc01cd577db48bc8bb005b41)もとてもお勧めである。お伽草子
コメント (2)
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